メモ2022.3.25 ― 物語における街や通りの描写
物語には、必ずといっていいほど街(村)や通りの描写がある。それは、物語には必ずといっていいほど人が登場するし、人の生活、行動する場だからである。しかし、例えば読者がよく知らない、東京の街や通り、あるいは別の地域の街や通りのことを描写されても、よく知らないことがほとんどだから流し読みみたいに読み過ぎることが多い。しかし、作者はその辺りをよく見知っているかもしれない読者を意識してではないだろうが、特定の実在する街や通りの場合には、読者がああそうね、そうだそうだと納得するような描写をしているに違いない。つまり、あんまりデフォルメしたりせずに割りと実際に近い描写になっていそうな気がする。
浦野興治『諫早思春記』は、作者の体験がもとになっている物語であり、舞台は、長崎県の諫早市である。作者は、1947年生まれで物語世界は作者が諫早高校の学生の頃のことだから、1960年代半ば頃であろうか。作者の体験が基になっていることを踏まえると、主人公の耕平は諫早高校生で、「湯江から汽車通学をしていました。」(「あとがき」)となっている。この作品を読むと、主人公耕平は、「湯江」(現在は合併して諫早市高来町だが、当時は北高来郡湯江町)から汽車(まだ蒸気機関車の時代)に乗って「諫早駅」で下りて、歩いて「諫早高校」に通っていたことになる。
この物語に次のような描写がある。
夏休みに入った。補習授業が始まる。補習授業はふだんどおりで七時限目まである。さらに週末には隔週ごとに私立系三教科と国立系五教科の実力試験があった。
耕平は、いつものとおり三時限目に「はやべん」をやり、週二回は、購買部ではなくて、ここのところ市役所の食堂にうどんを食べに行っていた。
夏休みに入ると、購買部も休みに入る。パンが買えなくなったと同時に、唯一、田代順子と会える機会がなくなって、耕平はかえってすっきりしていた。田代順子に会えなくなると、べつに会いたいともおもわなくなっていた。
市役所の食堂には、校門からではなくて、こっそりと体育館の裏をぬけて通っていた。体育館の裏には城跡の堀がある。土手を下り、堀を飛び越えて向こう岸に渡る。雨が降ったら、堀の幅は広くなって渡れなくなるが、夏場の今は一メートルもないくらいで、誰でも簡単に渡れた。
購買部の前を通って、音楽教室の脇から体育館のほうへと行こうとしたところで、耕平はばったりと里子に出会っていた。里子は音楽教室から出て来た。初めは知らんふりを決め込んでいたが、里子から「耕平!」と呼び止められた。
「どこに行くと?」
耕平はスリッパではなくて、下履きの運動靴をはいていた。
「どこでんよかやっか。わいに言うことやなか!」
「うちは知っとっと」
里子(引用者註.湯江地区の小学校のときの耕平の同級生)が近づいて来た。
「うどん食べに行くとやろ・・・・・・?」
「どぎゃんして知っとっとな?」
耕平は不思議に思った。
(浦野興治『諫早思春記』「第三話 恋する」P75-P76 右文書院 2007年7月)
この「第三話 恋する」の物語世界の空間は、耕平が「湯江」から通う「諫早高校」を中心としたもので、小規模の生活圏、行動圏になっている。しかし、自分の高校時代を振り返ってみても、誰もがそんな小さなものだろうと思う。今ではほとんどが高校に通う時代になっているが、この物語世界の時代は、まだ中卒で社会に出る者も少しはいた時代だったと思う。いずれにしても、学校を出て仕事に就く、いわゆる社会に出ると、仕事を通した同僚などの具体的なつながりも生まれてくるし、結婚して新たに家族を形成すると、親戚関係や近所付き合いなど、小社会での関係の網の目が広がっていく。こういう大人の一般的な生活圏からすると、学生の頃はまだまだシンプルな生活圏、行動圏になっている。かといって、思春期に相当する中学生や高校生の内面が単純ということにはならない。かえって、異性への意識や人間関係や将来のことなどが、曖昧模糊として一気に押し寄せてくる時期でもあるから、不安や動揺を伴う不安定な時期でもある。耕平も「第三話 恋する」にふさわしくここでは女子生徒への思いを抱きあれこれ動き回る話になっている。
ところで、作品は作者によって生みだされた架空の世界である。作者の名前から見て主人公の「耕平」は架空の名だということが分かる。しかし、この作品のように作者が体験した現実にもとづいて現実の地名や場所が物語世界として選択されることがある。そうだとしても、読者は作者の作品に込めたモチーフに沿って、架空の世界の人々のイメージやイメージの流れとして受けとめるのである。読者が、この物語の小世界の空間について見知っている者であったとしても、架空の世界の人々のイメージやイメージの流れとして受けとめるだろう。ただし、わたしたちがよく知らない東京のある地域の描写の場合のよそよそしさとはちがって、そこかしこを舞台に作者にはそういう体験に近いものがあったのだろうなとより身近に場面の場所と共に感じるのではないだろうか。
現実の実際の有り様とこの物語の空間の有り様は、一方は現実の世界であり、もう一方はそれを模倣しているとはいえ作者のイメージで選択、造成された世界である。だから、同一とは言えないが相似形になっている。そして、その世界の地勢と配置は、作者の中では自然な無意識的な前提になっている。作者のイメージで選択、造成されたこの物語世界を把握するために、現実の世界を少し見にくいかもしれないが次のグーグルアースの画像で示してみる。ただし、これは物語の当時の時間の画像ではなく、現在に近い現実の画像である。(画像1、画像2)
(画像1)
物語には、必ずといっていいほど街(村)や通りの描写がある。それは、物語には必ずといっていいほど人が登場するし、人の生活、行動する場だからである。しかし、例えば読者がよく知らない、東京の街や通り、あるいは別の地域の街や通りのことを描写されても、よく知らないことがほとんどだから流し読みみたいに読み過ぎることが多い。しかし、作者はその辺りをよく見知っているかもしれない読者を意識してではないだろうが、特定の実在する街や通りの場合には、読者がああそうね、そうだそうだと納得するような描写をしているに違いない。つまり、あんまりデフォルメしたりせずに割りと実際に近い描写になっていそうな気がする。
浦野興治『諫早思春記』は、作者の体験がもとになっている物語であり、舞台は、長崎県の諫早市である。作者は、1947年生まれで物語世界は作者が諫早高校の学生の頃のことだから、1960年代半ば頃であろうか。作者の体験が基になっていることを踏まえると、主人公の耕平は諫早高校生で、「湯江から汽車通学をしていました。」(「あとがき」)となっている。この作品を読むと、主人公耕平は、「湯江」(現在は合併して諫早市高来町だが、当時は北高来郡湯江町)から汽車(まだ蒸気機関車の時代)に乗って「諫早駅」で下りて、歩いて「諫早高校」に通っていたことになる。
この物語に次のような描写がある。
夏休みに入った。補習授業が始まる。補習授業はふだんどおりで七時限目まである。さらに週末には隔週ごとに私立系三教科と国立系五教科の実力試験があった。
耕平は、いつものとおり三時限目に「はやべん」をやり、週二回は、購買部ではなくて、ここのところ市役所の食堂にうどんを食べに行っていた。
夏休みに入ると、購買部も休みに入る。パンが買えなくなったと同時に、唯一、田代順子と会える機会がなくなって、耕平はかえってすっきりしていた。田代順子に会えなくなると、べつに会いたいともおもわなくなっていた。
市役所の食堂には、校門からではなくて、こっそりと体育館の裏をぬけて通っていた。体育館の裏には城跡の堀がある。土手を下り、堀を飛び越えて向こう岸に渡る。雨が降ったら、堀の幅は広くなって渡れなくなるが、夏場の今は一メートルもないくらいで、誰でも簡単に渡れた。
購買部の前を通って、音楽教室の脇から体育館のほうへと行こうとしたところで、耕平はばったりと里子に出会っていた。里子は音楽教室から出て来た。初めは知らんふりを決め込んでいたが、里子から「耕平!」と呼び止められた。
「どこに行くと?」
耕平はスリッパではなくて、下履きの運動靴をはいていた。
「どこでんよかやっか。わいに言うことやなか!」
「うちは知っとっと」
里子(引用者註.湯江地区の小学校のときの耕平の同級生)が近づいて来た。
「うどん食べに行くとやろ・・・・・・?」
「どぎゃんして知っとっとな?」
耕平は不思議に思った。
(浦野興治『諫早思春記』「第三話 恋する」P75-P76 右文書院 2007年7月)
この「第三話 恋する」の物語世界の空間は、耕平が「湯江」から通う「諫早高校」を中心としたもので、小規模の生活圏、行動圏になっている。しかし、自分の高校時代を振り返ってみても、誰もがそんな小さなものだろうと思う。今ではほとんどが高校に通う時代になっているが、この物語世界の時代は、まだ中卒で社会に出る者も少しはいた時代だったと思う。いずれにしても、学校を出て仕事に就く、いわゆる社会に出ると、仕事を通した同僚などの具体的なつながりも生まれてくるし、結婚して新たに家族を形成すると、親戚関係や近所付き合いなど、小社会での関係の網の目が広がっていく。こういう大人の一般的な生活圏からすると、学生の頃はまだまだシンプルな生活圏、行動圏になっている。かといって、思春期に相当する中学生や高校生の内面が単純ということにはならない。かえって、異性への意識や人間関係や将来のことなどが、曖昧模糊として一気に押し寄せてくる時期でもあるから、不安や動揺を伴う不安定な時期でもある。耕平も「第三話 恋する」にふさわしくここでは女子生徒への思いを抱きあれこれ動き回る話になっている。
ところで、作品は作者によって生みだされた架空の世界である。作者の名前から見て主人公の「耕平」は架空の名だということが分かる。しかし、この作品のように作者が体験した現実にもとづいて現実の地名や場所が物語世界として選択されることがある。そうだとしても、読者は作者の作品に込めたモチーフに沿って、架空の世界の人々のイメージやイメージの流れとして受けとめるのである。読者が、この物語の小世界の空間について見知っている者であったとしても、架空の世界の人々のイメージやイメージの流れとして受けとめるだろう。ただし、わたしたちがよく知らない東京のある地域の描写の場合のよそよそしさとはちがって、そこかしこを舞台に作者にはそういう体験に近いものがあったのだろうなとより身近に場面の場所と共に感じるのではないだろうか。
現実の実際の有り様とこの物語の空間の有り様は、一方は現実の世界であり、もう一方はそれを模倣しているとはいえ作者のイメージで選択、造成された世界である。だから、同一とは言えないが相似形になっている。そして、その世界の地勢と配置は、作者の中では自然な無意識的な前提になっている。作者のイメージで選択、造成されたこの物語世界を把握するために、現実の世界を少し見にくいかもしれないが次のグーグルアースの画像で示してみる。ただし、これは物語の当時の時間の画像ではなく、現在に近い現実の画像である。(画像1、画像2)
(画像1)
(画像2)
画像1
佐賀と諫早にまたがる多良岳を中心とした多良山系が、河口や海(湾、現在では干拓地)の方へ下ってきて、その川べりや海辺に集落が広がっている。たぶん、諫早高校あたりは、太古は海で、縄文海退などから湿地へ、それから次第に土地が干上がって、水田や集落も形成されていったのだろう。だから、海退以前を思わせる、より高い所に縄文遺跡などが残っているように、その頃の住居や集落も現在の川べりや海辺ではなく、丘陵地や山間部などのもっと高い所にあったものと思われる。ということは、自然な生活環境と思われている現在の無意識の生活の地勢は、はるか海退以前とは違っていることになる。また、古代には現在とは違って諫早地区より湯江(高来)の方が開けた地域だったのかもしれない。
物語の世界のイメージは、作者が住んでいた川べりや海辺の集落、「湯江」から川沿いに走る鉄道に沿って伸びて行き、「諫早駅」と連結され、川(本明川)べりを15分ほど歩いて「諫早高校」に伸びていく。これが、この「第三話 恋する」の作品の世界の地勢的な大枠になっている。住んでいる町や学校や会社などが違っても、また子どもや大人による築かれた関係網の複雑さや交通範囲の度合の違いがあったとしても、この地域の人々は、これに類するような小世界を生きていたものと考えて間違いないと思う。
画像2
「耕平は、いつものとおり三時限目に『はやべん』をやり、週二回は、購買部ではなくて、ここのところ市役所の食堂にうどんを食べに行っていた。」とあるが、耕平は、どうして学校のすぐ隣にある市役所(註.現在は一つ上の方に新築移転している)の食堂に行けばうどんを食べることができると知っていたのだろうか。もちろん、他人からの見聞きによって知ったのである。同じ学校にいたからといって、あらゆることを共有しているとは言えないが、学校の隣にある市役所の食堂で食べることができるという話も、学校内で割りと多くの人々が共有しているものであったような気がする。諫早高校生でその食堂で昼食を食べている者がいるということは〈事実〉で、部外者のわたしでさえ知っていた。ここでは里子が知っていることを耕平は不思議に思っている。耕平の判断によると、そのことは一部の者しか知らない秘密と見なされているからだろう。しかし、里子は他人との関わり合いの中で自分の耳でそのことを共有したのである。いわば、学校という小社会で〈耳〉によってそのようなこと(慣習など)が代々受け継がれていく、そうしてその学校の現在の世代に波及していく。
「市役所の食堂には、校門からではなくて、こっそりと体育館の裏をぬけて通っていた。体育館の裏には城跡の堀がある。土手を下り、堀を飛び越えて向こう岸に渡る。」これも〈事実〉にもとづいている。先生に見つからないように、校門からではなくて、こっそりと体育館の裏の堀を飛び越えて市役所の食堂に行くのである。
物語世界は、作者が体験してきたことやこの世界で見聞きしたことが、さらにはそれらにもとづいて考えイメージすることが、その材料になっているということは確かだろう。物語世界は、いわゆるファンタジー作品のように架空でいいのになぜ現実の地名や場所が選ばれて物語が作られるのだろうか。それは作者(読者)が体験してきた、あるいは現に体験しているのは架空でなくて実際の場所だからということ、すなわちリアリティーの強度(現実味)に関係するのかもしれない。しかし、架空の地名や場所にしても、作者の実感を込めればファンタジー作品のようにリアリティーの強度(現実味)は出せそうにも思える。現実の地名や場所が選ばれるのは、ある具体的な場所でそこに結びついて作者がある体験をし実感してきたということ、そのことへの愛惜からくるのではないか。
佐賀と諫早にまたがる多良岳を中心とした多良山系が、河口や海(湾、現在では干拓地)の方へ下ってきて、その川べりや海辺に集落が広がっている。たぶん、諫早高校あたりは、太古は海で、縄文海退などから湿地へ、それから次第に土地が干上がって、水田や集落も形成されていったのだろう。だから、海退以前を思わせる、より高い所に縄文遺跡などが残っているように、その頃の住居や集落も現在の川べりや海辺ではなく、丘陵地や山間部などのもっと高い所にあったものと思われる。ということは、自然な生活環境と思われている現在の無意識の生活の地勢は、はるか海退以前とは違っていることになる。また、古代には現在とは違って諫早地区より湯江(高来)の方が開けた地域だったのかもしれない。
物語の世界のイメージは、作者が住んでいた川べりや海辺の集落、「湯江」から川沿いに走る鉄道に沿って伸びて行き、「諫早駅」と連結され、川(本明川)べりを15分ほど歩いて「諫早高校」に伸びていく。これが、この「第三話 恋する」の作品の世界の地勢的な大枠になっている。住んでいる町や学校や会社などが違っても、また子どもや大人による築かれた関係網の複雑さや交通範囲の度合の違いがあったとしても、この地域の人々は、これに類するような小世界を生きていたものと考えて間違いないと思う。
画像2
「耕平は、いつものとおり三時限目に『はやべん』をやり、週二回は、購買部ではなくて、ここのところ市役所の食堂にうどんを食べに行っていた。」とあるが、耕平は、どうして学校のすぐ隣にある市役所(註.現在は一つ上の方に新築移転している)の食堂に行けばうどんを食べることができると知っていたのだろうか。もちろん、他人からの見聞きによって知ったのである。同じ学校にいたからといって、あらゆることを共有しているとは言えないが、学校の隣にある市役所の食堂で食べることができるという話も、学校内で割りと多くの人々が共有しているものであったような気がする。諫早高校生でその食堂で昼食を食べている者がいるということは〈事実〉で、部外者のわたしでさえ知っていた。ここでは里子が知っていることを耕平は不思議に思っている。耕平の判断によると、そのことは一部の者しか知らない秘密と見なされているからだろう。しかし、里子は他人との関わり合いの中で自分の耳でそのことを共有したのである。いわば、学校という小社会で〈耳〉によってそのようなこと(慣習など)が代々受け継がれていく、そうしてその学校の現在の世代に波及していく。
「市役所の食堂には、校門からではなくて、こっそりと体育館の裏をぬけて通っていた。体育館の裏には城跡の堀がある。土手を下り、堀を飛び越えて向こう岸に渡る。」これも〈事実〉にもとづいている。先生に見つからないように、校門からではなくて、こっそりと体育館の裏の堀を飛び越えて市役所の食堂に行くのである。
物語世界は、作者が体験してきたことやこの世界で見聞きしたことが、さらにはそれらにもとづいて考えイメージすることが、その材料になっているということは確かだろう。物語世界は、いわゆるファンタジー作品のように架空でいいのになぜ現実の地名や場所が選ばれて物語が作られるのだろうか。それは作者(読者)が体験してきた、あるいは現に体験しているのは架空でなくて実際の場所だからということ、すなわちリアリティーの強度(現実味)に関係するのかもしれない。しかし、架空の地名や場所にしても、作者の実感を込めればファンタジー作品のようにリアリティーの強度(現実味)は出せそうにも思える。現実の地名や場所が選ばれるのは、ある具体的な場所でそこに結びついて作者がある体験をし実感してきたということ、そのことへの愛惜からくるのではないか。