最近のツイートや覚書など 2022年1月
2022/01/01
YouTuberってよく知らないけど、バーチャルな芸人さん(表現者)と言えるのかな。動画を撮ってネットに公表したり、ネット世界に言葉で表現したり、いろんな表現が、表現-編集-製作・印刷-郵送・頒布などを含めた従来的な面倒な手続き(それが一定程度の水準の確保でもあるのだろうが)が不要になった。
あら、「五黄の寅」(ごおうのとら)は、初めて出会う言葉で、読み流していました。背景にありそうな「陰陽五行」については、吉野裕子(ひろこ)という民俗学者が割りとわかりやすく解いていますが、それでもなんだか面倒で読み流しました。
柳田国男が「陰陽五行」に触れていた記憶はないし、「陰陽五行」や「九星術」などは割りと知識上層や地主さんレベルまでの浸透だったのではないか(民衆レベルでは、はあそうなんですかという耳学問レベルで)と思っていますがどうなんでしょうか。
Tさんより
詳しくは無いのですが華・韓国の歴史物にも、天象師や星を占う人物が王朝に重要な位置を占めていたことも平安期に陰陽師がいたりと。王朝、貴族に縁が深かったかと。父のように不動産や土地の転売をした人にも、治療師にも結構知識ある人はいますが。庶民的にはどうなのかなぁ。
例えば、現在の流行で言えば、学者や国連や政府から下りてくる「地球温暖化」とその対策に関することとわたしたち生活者レベルがそれを「ふうん、そういう状況なのか。そうなのか」とうけとめる状況と似たような構図かなと思って居ります。
パンデミック時代 資本主義に代わる未来は 経済思想家・斎藤幸平さん×環境経済学者・宮本憲一さん対談
http★s://a.msn.com/01/ja-jp/AASkbmo?ocid=winp-st (※ ★印を加えています)
「気候変動問題はここ数十年間のうちに、何百年間も経済活動を支えてきた化石燃料を実質的に全撤廃しないといけないような状況に差し掛かっている。」
主に先進諸国が、その線上に動いているのはわかる。しかし、わたしには、その行動の大本の「地球温暖化」の主原因が、300年規模の地球の温暖化-寒冷化の周期的な振る舞いによるのか、人間界の化石燃料消費によるものなのかどうかがまだよく納得できない。
2022/01/07
宮澤賢治の詩にリアカーを詠み込んだものがある
1.『春と修羅』第三集 一〇四二 『〔同心町の夜あけがた〕』
2.「〔レアカーを引きナイフをもって〕」(『春と修羅 第3集』No1048)
和製英語のリアカー(後部・車)は、1921年頃、静岡県富士市青島の望月虎一が発明した、とwikiにある。リアカーは普通のものになっていて、引いたことも乗ったこともある。学生時代の引越にも使った。ブルマもそうだが、リアカーも登場時は、華々しいイメージでカッコ良く登場したのだろう。
「リヤカーを引く宮澤賢治」の写真(?)があった。
http★s://blog.goo.ne.jp/suzukishuhoku/e/476df7de58b22b1f4c0622995829e319
われわれ月給をとったことのあるもの
それ全体への疑ひや
漠然とした反感ならば
容易にこれは抜き得ない
(宮澤賢治〔同心町の夜あけがた〕)
言葉は、時代性を持つ。ここには、都市と農村、知識層と大衆(農民)とが対立的に現象した時代の言葉がある。現在の、都市と農村の垣根が壊れ全国が都市化し、大学進学率が50%を超え、サービス産業が農業の割合と逆転してしまった消費資本主義社会では、純文学と大衆文学、知識層と大衆の垣根が壊れ混交している。
現在は、中流社会からの揺り戻しの格差拡大社会になってはいるが、その動向は、いろんな波乱を含みつつも、賢治の時代の都市と農村の対立的に見える社会構造からの高低、格差、対立、反感を少なくともフラット(平準化)にする方向を進んできたのは間違いない。ただし、現在では別の形のそれらが生み出されているのかもしれない。
2022/01/08
「日本に国際社会からオリンピックを7年前に招致したのは私たちです。そしてそれを喜んだし、ここ数年の状況をみんなは喜んだはず。だからあなたも私も問われる話。私はそういうふうに描く」(河瀬直美、日刊ゲンダイ)
この「私」はわかるとして、「私たち」や「あなた」というのは誰を指しているのか。
百人程度の村社会が想定されているのか、それともわが国の総人口を想定した架空の儀礼の言葉、物語なのか。はっきりと「5万人の私たち」とか述べてほしい。少なくとも、私はオリンピックに興味関心ゼロだったし、その映画に何の関心もないということを言っておきたい。
その上で、コロナ禍でのオリンピックに反対した。たぶん、諸問題にフタをした粉飾されたオリンピック物語になるんだろうな。
2022/01/22
浦野興治『諫早少年記』を読んでいたら、「あもよ」という言葉に出会った。主人公の少年祐次が「あもよ」を恐れていると語り手は言う。主人公も語り手も作者の体験した地域性の実感的な記憶像をもとに形作られているはずだ。「あもよ」は、幼児語で「おばけ。幽霊」のこと。「泣きよったら、あもよの来るよ」。
柳田国男の文章中で、以前「あもよ」という言葉に出会って、私の耳の記憶が感応したことがある。例えば、宮沢賢治の詩「永訣の朝」に(あめゆじゆとてちてけんじや)という地域性の言葉(方言)の詩句がある。これと同じく、日本列島の同じ日本語でも地域性の屈折が加わって、それぞれ実感の断層がある。
2022/01/24
覚書2022.1.24
最近のテレビCMを観ててひと言。
1.1円玉を作るのに3円かかる
2.オジサンという名の魚がいる
3.東急リバブル・・・
広告の言語は、例えば、1と2は別のものと自由に交換可能だが、3は必須だ。
1と2は、旧来的な広告の本質からは無くても構わないが、現在はその衣装も必須のものとなっている。広告の極限は、3を有るか無きかの微量にして芸術作品と化することだろうか。
2022/01/26
柱時計
ぼくが
死んでからでも
十二時がきたら 十二
鳴るのかい
苦労するなあ
まあいいや
しっかり鳴って
おくれ
淵上毛錢
1950
「ぼく」が死んだらぼくの宇宙は終わる。しかし、私たちが他人の死について見聞きしてきたことや宇宙についての現在までの知見によれば、ぼくの宇宙が終わってしまっても彼や彼らの宇宙として当分は続きそうに見える。科学的には割とはっきりしてても、私たちの誕生も死もふしぎとしか言い様がない。
現在のところの定義によれば、電波は物質ではないという。電磁波(電波)は、「 電場と磁場の変化を伝搬する波( 波動 )である。電磁波は波と粒子の性質を併せ持」つ。映画「スタートレック」の物質や人をも転送できる転送装置とは違うが、電波は映像や音声を乗せて、私たちの前に届ける。
もうそれを自然なものとして受けとめ日々活用しているけど、原理がわかっても、ふしぎだ。
2022/01/27
Sさん
参加者一人につき2万5千円ですか?と聞き返されて、たまげたよ。世の研修ビジネスはおそろ(ママ「し」の脱落か)い。一回の研修の報酬ですよ、と言ったらそんなに安くていいんですか?と。そんなもんでしょ。
Sさんへ(参考までに)
吉本 ・・・だけど一般論として、慣用としては、ちゃんと確立しています。たとえば文学界でいえば、「講演の謝礼は一五万円から二〇万円ぐらい、送り迎えつきで、このテーマについて話してくれませんか?」などと頼まれて、引き受けたり断ったりします。これが普通です。・・・タダでも話すというのは、よほど気心が知れた仲間同士とか、そういう相手でなければそういう相手でなければやりませんね。区役所の図書館などでおしゃべりするときは、だいたい五万円ぐらいです。
引き受けるほうの金額は人さまざまで、文学者でもタダから「一〇〇万円以下じゃやらない」といわれる人まであるわけです。だけど、だいたいは一五万円から二〇万円ぐらいの金額で謝礼が支払われています。
(2002年4月)
最近話題の人、河瀨直美の会社のホームページをそのツィッター記載から入って昨日偶然見たのですが、それによると、講演料は「基本料金 1000000円」とありました。
2022/01/30
「歴史戦」って一度調べたことがあるが、これは先の戦前の言葉から来ている。何にでも「戦」を付けて民心を鼓舞しようというもの。火事が起これば「消火戦」、風呂に入れば「入浴戦」等々。今でも北朝鮮や中国でも使っているようだ。古めかしいアジア的な集団主義。歴史把握に「戦」など関係あるものか!
2022/01/31
近代短歌bot@kindaitanka
金色のちひさき鳥のかたちして銀杏ちるなり夕日の岡に 与謝野晶子 #tanka
2022年1月31日
人間は自由に自在に〈自然〉(イチョウの葉)を切り取り染め上げ構成することができるように見える。しかし、そこにも自然のつかまえ方として人間的制約というものがありそうだ。また、そんな人間的な事象とは関わりなくイチョウの葉自体にもその自然の事情がありそうだ。
2022/01/01
YouTuberってよく知らないけど、バーチャルな芸人さん(表現者)と言えるのかな。動画を撮ってネットに公表したり、ネット世界に言葉で表現したり、いろんな表現が、表現-編集-製作・印刷-郵送・頒布などを含めた従来的な面倒な手続き(それが一定程度の水準の確保でもあるのだろうが)が不要になった。
あら、「五黄の寅」(ごおうのとら)は、初めて出会う言葉で、読み流していました。背景にありそうな「陰陽五行」については、吉野裕子(ひろこ)という民俗学者が割りとわかりやすく解いていますが、それでもなんだか面倒で読み流しました。
柳田国男が「陰陽五行」に触れていた記憶はないし、「陰陽五行」や「九星術」などは割りと知識上層や地主さんレベルまでの浸透だったのではないか(民衆レベルでは、はあそうなんですかという耳学問レベルで)と思っていますがどうなんでしょうか。
Tさんより
詳しくは無いのですが華・韓国の歴史物にも、天象師や星を占う人物が王朝に重要な位置を占めていたことも平安期に陰陽師がいたりと。王朝、貴族に縁が深かったかと。父のように不動産や土地の転売をした人にも、治療師にも結構知識ある人はいますが。庶民的にはどうなのかなぁ。
例えば、現在の流行で言えば、学者や国連や政府から下りてくる「地球温暖化」とその対策に関することとわたしたち生活者レベルがそれを「ふうん、そういう状況なのか。そうなのか」とうけとめる状況と似たような構図かなと思って居ります。
パンデミック時代 資本主義に代わる未来は 経済思想家・斎藤幸平さん×環境経済学者・宮本憲一さん対談
http★s://a.msn.com/01/ja-jp/AASkbmo?ocid=winp-st (※ ★印を加えています)
「気候変動問題はここ数十年間のうちに、何百年間も経済活動を支えてきた化石燃料を実質的に全撤廃しないといけないような状況に差し掛かっている。」
主に先進諸国が、その線上に動いているのはわかる。しかし、わたしには、その行動の大本の「地球温暖化」の主原因が、300年規模の地球の温暖化-寒冷化の周期的な振る舞いによるのか、人間界の化石燃料消費によるものなのかどうかがまだよく納得できない。
2022/01/07
宮澤賢治の詩にリアカーを詠み込んだものがある
1.『春と修羅』第三集 一〇四二 『〔同心町の夜あけがた〕』
2.「〔レアカーを引きナイフをもって〕」(『春と修羅 第3集』No1048)
和製英語のリアカー(後部・車)は、1921年頃、静岡県富士市青島の望月虎一が発明した、とwikiにある。リアカーは普通のものになっていて、引いたことも乗ったこともある。学生時代の引越にも使った。ブルマもそうだが、リアカーも登場時は、華々しいイメージでカッコ良く登場したのだろう。
「リヤカーを引く宮澤賢治」の写真(?)があった。
http★s://blog.goo.ne.jp/suzukishuhoku/e/476df7de58b22b1f4c0622995829e319
われわれ月給をとったことのあるもの
それ全体への疑ひや
漠然とした反感ならば
容易にこれは抜き得ない
(宮澤賢治〔同心町の夜あけがた〕)
言葉は、時代性を持つ。ここには、都市と農村、知識層と大衆(農民)とが対立的に現象した時代の言葉がある。現在の、都市と農村の垣根が壊れ全国が都市化し、大学進学率が50%を超え、サービス産業が農業の割合と逆転してしまった消費資本主義社会では、純文学と大衆文学、知識層と大衆の垣根が壊れ混交している。
現在は、中流社会からの揺り戻しの格差拡大社会になってはいるが、その動向は、いろんな波乱を含みつつも、賢治の時代の都市と農村の対立的に見える社会構造からの高低、格差、対立、反感を少なくともフラット(平準化)にする方向を進んできたのは間違いない。ただし、現在では別の形のそれらが生み出されているのかもしれない。
2022/01/08
「日本に国際社会からオリンピックを7年前に招致したのは私たちです。そしてそれを喜んだし、ここ数年の状況をみんなは喜んだはず。だからあなたも私も問われる話。私はそういうふうに描く」(河瀬直美、日刊ゲンダイ)
この「私」はわかるとして、「私たち」や「あなた」というのは誰を指しているのか。
百人程度の村社会が想定されているのか、それともわが国の総人口を想定した架空の儀礼の言葉、物語なのか。はっきりと「5万人の私たち」とか述べてほしい。少なくとも、私はオリンピックに興味関心ゼロだったし、その映画に何の関心もないということを言っておきたい。
その上で、コロナ禍でのオリンピックに反対した。たぶん、諸問題にフタをした粉飾されたオリンピック物語になるんだろうな。
2022/01/22
浦野興治『諫早少年記』を読んでいたら、「あもよ」という言葉に出会った。主人公の少年祐次が「あもよ」を恐れていると語り手は言う。主人公も語り手も作者の体験した地域性の実感的な記憶像をもとに形作られているはずだ。「あもよ」は、幼児語で「おばけ。幽霊」のこと。「泣きよったら、あもよの来るよ」。
柳田国男の文章中で、以前「あもよ」という言葉に出会って、私の耳の記憶が感応したことがある。例えば、宮沢賢治の詩「永訣の朝」に(あめゆじゆとてちてけんじや)という地域性の言葉(方言)の詩句がある。これと同じく、日本列島の同じ日本語でも地域性の屈折が加わって、それぞれ実感の断層がある。
2022/01/24
覚書2022.1.24
最近のテレビCMを観ててひと言。
1.1円玉を作るのに3円かかる
2.オジサンという名の魚がいる
3.東急リバブル・・・
広告の言語は、例えば、1と2は別のものと自由に交換可能だが、3は必須だ。
1と2は、旧来的な広告の本質からは無くても構わないが、現在はその衣装も必須のものとなっている。広告の極限は、3を有るか無きかの微量にして芸術作品と化することだろうか。
2022/01/26
柱時計
ぼくが
死んでからでも
十二時がきたら 十二
鳴るのかい
苦労するなあ
まあいいや
しっかり鳴って
おくれ
淵上毛錢
1950
「ぼく」が死んだらぼくの宇宙は終わる。しかし、私たちが他人の死について見聞きしてきたことや宇宙についての現在までの知見によれば、ぼくの宇宙が終わってしまっても彼や彼らの宇宙として当分は続きそうに見える。科学的には割とはっきりしてても、私たちの誕生も死もふしぎとしか言い様がない。
現在のところの定義によれば、電波は物質ではないという。電磁波(電波)は、「 電場と磁場の変化を伝搬する波( 波動 )である。電磁波は波と粒子の性質を併せ持」つ。映画「スタートレック」の物質や人をも転送できる転送装置とは違うが、電波は映像や音声を乗せて、私たちの前に届ける。
もうそれを自然なものとして受けとめ日々活用しているけど、原理がわかっても、ふしぎだ。
2022/01/27
Sさん
参加者一人につき2万5千円ですか?と聞き返されて、たまげたよ。世の研修ビジネスはおそろ(ママ「し」の脱落か)い。一回の研修の報酬ですよ、と言ったらそんなに安くていいんですか?と。そんなもんでしょ。
Sさんへ(参考までに)
吉本 ・・・だけど一般論として、慣用としては、ちゃんと確立しています。たとえば文学界でいえば、「講演の謝礼は一五万円から二〇万円ぐらい、送り迎えつきで、このテーマについて話してくれませんか?」などと頼まれて、引き受けたり断ったりします。これが普通です。・・・タダでも話すというのは、よほど気心が知れた仲間同士とか、そういう相手でなければそういう相手でなければやりませんね。区役所の図書館などでおしゃべりするときは、だいたい五万円ぐらいです。
引き受けるほうの金額は人さまざまで、文学者でもタダから「一〇〇万円以下じゃやらない」といわれる人まであるわけです。だけど、だいたいは一五万円から二〇万円ぐらいの金額で謝礼が支払われています。
(2002年4月)
最近話題の人、河瀨直美の会社のホームページをそのツィッター記載から入って昨日偶然見たのですが、それによると、講演料は「基本料金 1000000円」とありました。
2022/01/30
「歴史戦」って一度調べたことがあるが、これは先の戦前の言葉から来ている。何にでも「戦」を付けて民心を鼓舞しようというもの。火事が起これば「消火戦」、風呂に入れば「入浴戦」等々。今でも北朝鮮や中国でも使っているようだ。古めかしいアジア的な集団主義。歴史把握に「戦」など関係あるものか!
2022/01/31
近代短歌bot@kindaitanka
金色のちひさき鳥のかたちして銀杏ちるなり夕日の岡に 与謝野晶子 #tanka
2022年1月31日
人間は自由に自在に〈自然〉(イチョウの葉)を切り取り染め上げ構成することができるように見える。しかし、そこにも自然のつかまえ方として人間的制約というものがありそうだ。また、そんな人間的な事象とは関わりなくイチョウの葉自体にもその自然の事情がありそうだ。