第一展示室の一角には、かってニシンを捕獲するためのいろいろな道具や資料などが多数展示されていました。ニシン漁は、明治時代、小樽の経済基盤を築いたと言われるほど大規模な産業で、人を集め、マチを栄えさせた歴史があります。
のニシンの漁獲高の推移
※ 明治20年(1887年)~昭和17年(1942年)まで
小樽近海で獲れるニシンは次第に減少し、1950年代後半にはニシンは”幻の魚”と呼ばれるまでに。その直前の1953年でさえ、石狩振興局管内における漁獲の87%はニシンが占め、この劇的な漁獲量の減少は当時の人々の生活に大きな影響を与えたという。
資料 北海道日本海ニシン漁、復活
2018年3/20現在
ナント、4割増の2,360トン
群来(くき)のこと
群来とは、”ぐんらい”と書いて”くき”といい、「鰊群来る」(”にしんくき”る)と。この群来は、ニシンが大群で産卵することによって、精子で海が白く濁る現象のこと」を意味しています。2~3月 に、近年は毎年新聞やTVのnewsで紹介されるようになりました。
ニシン漁で使用されていた道具が壁面いっぱい展示。
以下は部分的にクローズアップ!
それぞれの道具に名前が付けられています。
網にかかったニシンをすくい上げるもの。
かき集めるもの、木製のスコップのようなもの。
ニシンを背負って運ぶものなどがあります。
この箱に何キロのニシンが入ったのかな?重そう‼
当時のニシン漁の方法を模型に。
二隻の舟でトロール船のようにーか。
鰊盛業屏風
※当時のニシンの陸揚げ➨加工➨出荷の概要がわかります。
ニシンの陸揚げの様子。アイヌ人たちの姿も。
機械や動力のない時代、如何に人手をかけていることもー。
過酷な労働条件だったことでしょう。
完成した製品は、船で運ばれます。
俵に入っているもの、何かな!?
近年の漁獲量は、約半世紀ぶりに回復してきていますが、年による変動はまだ大きいのが実態です。そこで、関係者は資源を枯渇させた歴史を繰り返さないため、漁獲規制や資源保護等を試みているようです。
🐟
1996年、石狩振興局はニシンの資源増大対策の一環として16万尾の稚魚放流。現在は、北海道内の各地区で年間200万尾以上の稚魚が放流されていると。”限りある資源”!、考えさせられること多々ありでした。