旅と歴史

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輪王寺・大猷院

2021年11月04日 | 旅 歴史

 世界遺産に登録されている日光山輪王寺は、日光山中にあるお寺やお堂、さらに15の支院の総称です。東照宮、二荒山神社とあわせて「二社一寺」と呼ばれています。輪王寺の堂塔は日光山の中の至る所に点在していて、1ヶ所にはまとまっていません。比叡山延暦寺、東叡山寛永寺とともに天台宗三大本山の一つに数えられています。
 神橋から長坂を登りつめた所に日光開山の祖である勝道(しょうどう)上人の像があります。ここが輪王寺の入口です。明暦元年(1655)に、後水尾上皇から「輪王寺」の寺号を賜り、満願寺から寺名を変え、門跡寺院になりました。
 輪王寺の創建は勝道上人が天平神護2年(766)神橋のそばに四本竜寺(しほんりゅうじ)を建立し千手観音を安置したのが始まりとされています。延暦3年(784)勝道上人はさらに二荒山中腹の中禅寺湖畔に中宮祠をつくり、ふもとの日光に二荒山神社を建てました。嘉祥元年(848)慈覚大師が三仏堂、常行堂、法華堂などを建立しました。 
 鎌倉時代に入ると領主や権力者によって崇敬、帰依され寺運が隆盛し「日光三所権現」として山岳信仰も盛んになります室町時代に入ると小田原北条氏から庇護されましたが、対立した豊臣秀吉が勝利し北条氏が滅ぶと寺領を没収され社領が認められないなどの弾圧を受け一時衰退します。
 慶長18年(1613)、徳川将軍の相談役でもあった天海僧正が貫主(かんす)となってから隆盛になり、江戸幕府の初代将軍徳川家康を祀る東照宮を創建してからは一大聖地へと躍進しました。承応2年(1653)には3代将軍徳川家光の霊廟である大猷院が建立され、徳川家とより深いゆかりのある寺院となりました。
 明治の神仏分離令により古来から神仏混合だった日光山全体を日光東照宮、二荒山神社、輪王寺と「二社一寺」に分離されました。輪王寺も称号を没収され本坊が焼失してしまいます。明治15年(1883)に輪王寺の寺号が復され、堂宇も再建されました。

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