旅と歴史

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諏訪大社上社本宮

2023年02月04日 | 旅 歴史

 長野県諏訪市中洲宮山に諏訪大社上社本宮(すわたいしゃかみしゃほんみや)があります。
 諏訪大社は、お諏訪様と呼ばれ、全国に1万余の御分社を持つ諏訪神社の総本社です。諏訪湖南北に2社4宮(上社本宮、上社前宮、下社秋宮、春宮)が鎮座し、日本最古の神社の一つといわれています。本殿をもたない諏訪造りと呼ばれる建築様式で建てられています。
 上社は男神の建御名方富命(たけみなかたのみこと)を、下社はその妻の女神・八坂刀売命(やさかとめのみこと)を主祭神としています。建御名方神は大国主命の第2子で古事記の大国主神の国譲りで、建御雷と力競べをした国神です。
 主に上社が狩猟神的で、下社が農耕神的だといわれています。建御名方神は農耕や勝負、家内安全、弥栄の神として崇められています。中世以降、東国第一の軍神として崇拝され、名将たちが全国各地に分霊を持ち帰ったとされています。
 孝徳天皇8年(652)、持統5年(691)、大宝3年(703)に朝廷より勅使が派遣されています。承和9年(842)には従五位下、貞観9年(867)に従一位、天慶3年(940)に正一位を賜り、延喜式神名帳には名神大社と書かれ信濃国一之宮となりました。
 神官職にあった諏訪氏は戦国時代には諏訪周辺を支配する大名になりました。武田領となると信玄、勝頼父子から崇敬されました。天正10年(1582)、織田信忠が5万の兵でと武田勝頼を攻めました。高遠城攻防で兵火は諏訪まで及び多くの社殿、社宝が灰塵に帰しました。
 徳川幕府も庇護し、高島藩主・諏訪頼水などに崇敬されました。頼水の父・頼忠は諏訪氏直系で武田氏に滅ばされた諏訪頼重の従兄弟に当たります。明治初頭の神仏分離令と廃仏毀釈により仏式が除かれ、現在に至っています。
 上社本宮の社殿は天保2年から9年にかけて再建された建物が多く、立川和四郎二代目富昌が棟梁として手掛けています。四脚門、幣殿、拝殿、左片拝殿、右片拝殿、脇片拝殿、神楽殿が国の重要文化財に指定されています。
 また、宝殿、布橋、勅使殿、五間廊、本宮入口御門は諏訪市の有形文化財に指定されています。「信玄十一軸」や、亨禄4年(1531)武田信虎と諏訪頼満が境川で和睦するにあたり、神長守矢頼真が間に立ってかき鳴らした御宝鈴などの神宝があります。社叢は県の天然記念物に指定されています。

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http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/


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