旅と歴史

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立山寺

2024年10月12日 | 旅 歴史

 富山県中新川郡上市町眼目に立山寺(りゅうせんじ)があります。
 眼目山立山寺は上市町眼目(さっか)地区にあり、「さっかのてら」とも呼ばれています。眼目(さっか)村は咲花とか察花と書かれたようです。3代藩主前田利常が訪れた時、眼目(がんもく)山立山寺の由緒を聞き、「眼目」を「さっか」と読ませるようにしたそうです。
 立山寺は建徳元年(1370)、大本山總持寺(そうじじ)の第2祖・峨山紹磧(がさんじょうせき)禅師の高弟・大徹宗令禅師によって創建された曹洞宗の名刹です。大徹褝師が巡錫でこの地を訪れ、座禅修行を行っていた時、立山権現の化身と思われる男が現れ7日間にわたり対坐し開山を約束したのが始まりと伝えられています。
 開山を約束した夜、突然天候が崩れ、近くの上市川が大洪水となり数千本の大木が流れ着き、翌日には立山権現を守護する18神将の化身と思われる18名の名工が出現し、あっという間にお堂を造り上げたと伝えられています。
 応永年間(1394-1428)、領主である堀江城城主・土肥弥太郎が深く帰依して寺地など寄進し庇護したことで寺運も盛んになりました。境内には七堂伽藍が軒を連ね、当地方の曹洞宗の一本山として多くの末寺も擁したそうです。
 天文年間(1532-1555)に上杉謙信の兵火を受け、土肥氏も滅亡し衰退しました。天正年間(1573-1590)に新たに領主となった佐々成政の祈願所として復興し、立山寺の山の字から一画をとり、川の字にして寺号を「立川寺」と変えました。
 江戸時代は加賀藩主前田家から庇護され、慶長10年(1605)、2代藩主・前田利常が巡視で当寺に訪れています。明治32年(1899)に寺号を立山寺と戻しています。本堂は鉄筋コンクリート造りですが、庫裏、山門、書院、観音堂、明王堂、鐘楼などが建ち並び、山道の栂並木が古刹の趣を浮き出しています。

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