早起きは三文の徳(=得)
と、いうことわざがあります。これと類するものとして、「The early bird catches the worm(=早起きの鳥が虫を捕らえる)」という格言もあるくらいですから、世界的にも通用する解釈なのかもしれません。
その意味はみなさんのご存知のように、「早く起きると、何かその分、いいことがあるよ。」という意味で使われています。
ところで、ここで使われている「文」というのは昔のお金の単位で、現在の貨幣価値に置き変えると37~55円。つまり三文とは<3×37(55)円>で、約111~165円の価値ということになりますね。儒学的には、「早起きすると三文(=わずかばかりのたとえ)ほどでも徳が備わる。」と解釈されるそうです。
実は先日、学生時代に取得したある資格の更新講習を受けてきました。
正直、現在の仕事とは一見すると関係がなく、英検3級と同じ位、決して履歴書にはアピールできない資格。これが、5年毎に更新しなければならず、とても面倒な上、相応の更新料が発生します。5年前もさんざん悩んだ結果、所定の通信教育を終了し、テストを受けて更新を完了しました。今年も、いよいよ資格を破棄しようかとも考えたのですが、それなりに時間を費やして取得した資格ゆえ、3時間の更新講習を受けることにしました。
ところが、良い意味で想像を裏切る素敵なお話ばかりで、いろいろ考えさせられる内容でした。そして、年齢を重ねる内に、益々大切だな。と感じている「挨拶」についても触れられました。
そして、8年程前のあるエピソードを思い出し、「挨拶」が持つパワーを感じる今日この頃、今日は、「挨拶は三文の徳」だと思う、そんなお話しをしたいと思います。
私は現在、自宅から最寄の駅まで、原付を利用しています。
入社が決まり、原付を購入した後、駅に隣接されている駐輪場に定期の契約をすることにしました。初めてそこを利用した時、そこを管理している市のシルバー人材センターのおっちゃんの愛想のない態度に、怒りを覚えました。
そうはいっても、毎朝、顔を合わせる人たち・・・。これまではただの他人でしたが、これからは、知り合いなわけですよね。
知り合いの人には普通、挨拶、しますよね。
そこで私は、
毎朝駐輪場の門をくぐる時に「おはようございます」、
原付を止めて、改札に向かう時に「行ってきます」、
帰って来たときに「ただいま」、
再び原付を連れて門をくぐる時に「さようなら」。
そのたった4つのWORDだけを繰り返しました。
そうすると、当初、(感じ悪いなぁ。)と思っていたおっちゃんたちも、みんなとっても笑顔で挨拶してくれるようになり、その内、「今日は寒いね」とか、「今日は遅いやん」とか、「土曜日やのに仕事か?」とか・・・ほんの一言、二言を交わすようになりました。
そんなある日、その光景を見ていたある友人がこんなことを言ったのです。
「あんた、どこにでも愛想ふりまいて・・・。何のメリットがあるん?!」
もちろん、私の友人の言うことですから、そんなに深い意味があるわけではなく、無言で通る他の人たちと比べて、私がおかしく見えたのかも知れません。
そしてその場は、「そんなん、どんな良い息子さん居はるかわからへんやん♪(笑)」なんて言葉でおさめました。しかし、(挨拶するときにいちいちメリットを考えてするのだろうか?)(メリットがなければしないのだろうか?)と、少し悲しい気持ちになったものです。
8年以上の月日が経過しても、この言葉は強烈に私の心に残ってしまっています。でもね、それから色々な経験をして、毎日を生活する中で、「挨拶」って少なくとも「三文」くらいの得はあるな。って思うんです。
例えば、ご近所の金髪にピアスをあけた高校生の男の子・・・。気持ちよく挨拶されただけで、どきっ☆として、(なんていいコなんだろう?)なんて思ったことはありませんか。
小さな子どもが、頭を下げると同時にお尻を突き出して「こんにちは。」なんて言ってくれたら、とても幸せな気分になりませんか。ついでに、きっと素敵なご両親だろう。と想像してみたり・・・。
ご近所に引っ越してきた新婚のご夫婦。奥様に笑顔で挨拶されただけで、なんて素敵な人を手に入れられたんだろう。と羨ましく思うこと。ってありませんか。
「挨拶がきちんとできる」というだけで、多少なりともその人の価値が上がるような気がします。そして私は、駐輪場で、やっぱり少しだけ得をしました。
駐輪場で、管理をするおっちゃん達は、10人以上いらっしゃるのですが、ほとんどの人が私の名前まで、覚えてくれています。
駐輪場は、奥に深いスペースで、奥に行くほど、改札から遠ざかり、しかもエンジンを切らなければいけないので、重たい原付を引っ張らなければなりません。
私は当初、屋根のない、改札から最も離れた場所の契約でしたが、おっちゃん達の取り計らいもあり、屋根付きのコーナーへ移動、そして昨年、ついに入口に最も近い屋根付きコーナーに止めることができる権利を手に入れました。
こうして振り返ってみて、当時の友人の言葉になぞらえるなら、これって十分なメリットだった。って思うのです。
だから、私にとっては、「早起き」と同じように「挨拶」も三文の徳だなぁ。と思います。
そうそう。このお話しのきっかけとなった講義ですが、それはこんな内容でした。
「挨拶ってどういう意味だかわかりますか?」
講師の方はそういって、2~3名の方をあてられました。「挨拶の意味?」改めてそのような質問を投げかけられても、うまく答えられる方は少ないハズです。
挨拶の「挨」は、「相手を受け入れる行為」
「拶」は、「自分が積極的に働きかける行為」
を意味するのだそうです。(禅の考え方になるそうです。)そして、これは「お互いが気持ち良い」という関係でなければ成立しません。つまり、一方通行であれば、「挨拶」とは言えないのだそうです。
だから、「おはようございます!」と言っても、相手が返事をしてくれなかったり、逆に「おはようございます!」って言われても、ボソボソとしか返事を出来なかった場合、これは「お互いが気持ちの良い関係」ではないわけですから、「挨拶ではない」ということになります。
みなさんは、良い挨拶ができていますか。
と、いうことわざがあります。これと類するものとして、「The early bird catches the worm(=早起きの鳥が虫を捕らえる)」という格言もあるくらいですから、世界的にも通用する解釈なのかもしれません。
その意味はみなさんのご存知のように、「早く起きると、何かその分、いいことがあるよ。」という意味で使われています。
ところで、ここで使われている「文」というのは昔のお金の単位で、現在の貨幣価値に置き変えると37~55円。つまり三文とは<3×37(55)円>で、約111~165円の価値ということになりますね。儒学的には、「早起きすると三文(=わずかばかりのたとえ)ほどでも徳が備わる。」と解釈されるそうです。
実は先日、学生時代に取得したある資格の更新講習を受けてきました。
正直、現在の仕事とは一見すると関係がなく、英検3級と同じ位、決して履歴書にはアピールできない資格。これが、5年毎に更新しなければならず、とても面倒な上、相応の更新料が発生します。5年前もさんざん悩んだ結果、所定の通信教育を終了し、テストを受けて更新を完了しました。今年も、いよいよ資格を破棄しようかとも考えたのですが、それなりに時間を費やして取得した資格ゆえ、3時間の更新講習を受けることにしました。
ところが、良い意味で想像を裏切る素敵なお話ばかりで、いろいろ考えさせられる内容でした。そして、年齢を重ねる内に、益々大切だな。と感じている「挨拶」についても触れられました。
そして、8年程前のあるエピソードを思い出し、「挨拶」が持つパワーを感じる今日この頃、今日は、「挨拶は三文の徳」だと思う、そんなお話しをしたいと思います。
私は現在、自宅から最寄の駅まで、原付を利用しています。
入社が決まり、原付を購入した後、駅に隣接されている駐輪場に定期の契約をすることにしました。初めてそこを利用した時、そこを管理している市のシルバー人材センターのおっちゃんの愛想のない態度に、怒りを覚えました。
そうはいっても、毎朝、顔を合わせる人たち・・・。これまではただの他人でしたが、これからは、知り合いなわけですよね。
知り合いの人には普通、挨拶、しますよね。
そこで私は、
毎朝駐輪場の門をくぐる時に「おはようございます」、
原付を止めて、改札に向かう時に「行ってきます」、
帰って来たときに「ただいま」、
再び原付を連れて門をくぐる時に「さようなら」。
そのたった4つのWORDだけを繰り返しました。
そうすると、当初、(感じ悪いなぁ。)と思っていたおっちゃんたちも、みんなとっても笑顔で挨拶してくれるようになり、その内、「今日は寒いね」とか、「今日は遅いやん」とか、「土曜日やのに仕事か?」とか・・・ほんの一言、二言を交わすようになりました。
そんなある日、その光景を見ていたある友人がこんなことを言ったのです。
「あんた、どこにでも愛想ふりまいて・・・。何のメリットがあるん?!」
もちろん、私の友人の言うことですから、そんなに深い意味があるわけではなく、無言で通る他の人たちと比べて、私がおかしく見えたのかも知れません。
そしてその場は、「そんなん、どんな良い息子さん居はるかわからへんやん♪(笑)」なんて言葉でおさめました。しかし、(挨拶するときにいちいちメリットを考えてするのだろうか?)(メリットがなければしないのだろうか?)と、少し悲しい気持ちになったものです。
8年以上の月日が経過しても、この言葉は強烈に私の心に残ってしまっています。でもね、それから色々な経験をして、毎日を生活する中で、「挨拶」って少なくとも「三文」くらいの得はあるな。って思うんです。
例えば、ご近所の金髪にピアスをあけた高校生の男の子・・・。気持ちよく挨拶されただけで、どきっ☆として、(なんていいコなんだろう?)なんて思ったことはありませんか。
小さな子どもが、頭を下げると同時にお尻を突き出して「こんにちは。」なんて言ってくれたら、とても幸せな気分になりませんか。ついでに、きっと素敵なご両親だろう。と想像してみたり・・・。
ご近所に引っ越してきた新婚のご夫婦。奥様に笑顔で挨拶されただけで、なんて素敵な人を手に入れられたんだろう。と羨ましく思うこと。ってありませんか。
「挨拶がきちんとできる」というだけで、多少なりともその人の価値が上がるような気がします。そして私は、駐輪場で、やっぱり少しだけ得をしました。
駐輪場で、管理をするおっちゃん達は、10人以上いらっしゃるのですが、ほとんどの人が私の名前まで、覚えてくれています。
駐輪場は、奥に深いスペースで、奥に行くほど、改札から遠ざかり、しかもエンジンを切らなければいけないので、重たい原付を引っ張らなければなりません。
私は当初、屋根のない、改札から最も離れた場所の契約でしたが、おっちゃん達の取り計らいもあり、屋根付きのコーナーへ移動、そして昨年、ついに入口に最も近い屋根付きコーナーに止めることができる権利を手に入れました。
こうして振り返ってみて、当時の友人の言葉になぞらえるなら、これって十分なメリットだった。って思うのです。
だから、私にとっては、「早起き」と同じように「挨拶」も三文の徳だなぁ。と思います。
そうそう。このお話しのきっかけとなった講義ですが、それはこんな内容でした。
「挨拶ってどういう意味だかわかりますか?」
講師の方はそういって、2~3名の方をあてられました。「挨拶の意味?」改めてそのような質問を投げかけられても、うまく答えられる方は少ないハズです。
挨拶の「挨」は、「相手を受け入れる行為」
「拶」は、「自分が積極的に働きかける行為」
を意味するのだそうです。(禅の考え方になるそうです。)そして、これは「お互いが気持ち良い」という関係でなければ成立しません。つまり、一方通行であれば、「挨拶」とは言えないのだそうです。
だから、「おはようございます!」と言っても、相手が返事をしてくれなかったり、逆に「おはようございます!」って言われても、ボソボソとしか返事を出来なかった場合、これは「お互いが気持ちの良い関係」ではないわけですから、「挨拶ではない」ということになります。
みなさんは、良い挨拶ができていますか。
挨拶ができない人が多くなりましたね。老若男女。
挨拶って気持ちがいいなと思います。
ひとこと、ふたことの言葉のやり取りでも、お互い頑張りましょうね。という感じが伝わってくるものです。
でも、感じが悪い相手に挨拶を続けるのは立派です。
見習わなければなりません。
偉そうに、こんな記事をUPしましたが、いつでも出来ているわけではありませんし・・・。
ただ、とっても小心者なので、無視して通ることの方がしんどいんですよね。(笑)
例えば、デパートの閉店まで居た時とかも、つい、頭を下げてしまいますし・・・。でもさすがに変かなぁ。と思って、素通りすることも、結構しんどくて。
駅の改札とかでも、駅員さんに「おはようございます!おはようございます」って遠くから無差別に繰り返されるのも、無視して良いものか、とっても悩んでしまいます。
我ながら、とっても疲れる性格だと思います(苦笑)。