がんばれナラの木

震災にあわれた東北地方の皆様を力づけたくて
The Oak Treeを地方ことばに訳すことを始めました

アーカイブ 2013

2011年02月20日 | 資料

7月29日 どうも、このページに書く文章はとげがあっていけません。それだけ、私の原発被爆に対する憤りが強いということではありますが、感情的に過ぎるのはよくありません。冷静に分析し、有効な動きをすべきだと、頭では考えるのですが、東電の態度をみているとどうにもいたたまれない気持ちになります。
 7月24日に山梨県で小学生に自然のことを伝える集まりがありました。とても楽しい時間でした。そのときに、小雨の林の中からミズナラの葉がきれいに見えました。ナラの木はカリカリすることなく、なにごともなげに静かに立っていました。




7月25日 ニュースによれば、福島の漁民が汚染水が海に流れていることに対して東電に抗議をしたという。ごく単純に考えてこれは予測されたことだ。水を流して「除染」ができるということは、放射能汚染物質は水で流せるということだ。「流せる」というのはそれで消えてなくなることではなく、水で移動させるだけだ。日本のように雨の多い国ではそうして流された汚染物質は水流で川に流れ込み、そして海に出るはずだ。一方で、原発から直接出る汚染水は膨大な数のタンクにためているようだが、たいへんな勢いで増え続け、これはとどまることがない。これを単純に試算するだけでもすぐに福島県のかなりの面積をつぶすことになるのではないか。しかも水という比重の大きい液体をあんなうすっぺらなタンクに入れて、大地震が来たときに大丈夫だなど、小学生でも無理だとわかる。
 思い起こしてみよう。当時の野田首相は「終息宣言」をした。あれには自民党でさえ驚いたのではないか。一体、何が終息したといいたかったのだろうか。データも根拠もなしに、心情的に「いつまでも被害、被害といっておれない」程度のけじめをつけたかったとしか思えない。なんという無責任な態度であろうか。
 福島の漁民はその終息宣言を反古にしたことに憤慨していたが、それは人が良すぎるというものだろう。ことばそのものを信用することなどとてもできない。その言葉のよって立つ情報がなければ信用できない。それはデータと、専門的知識による論理的な説明以外にありえない。なぜ福島の海が放射能汚染されないですむのかは、政治家が言ったことばによってではなく、汚染物質がどう動き(流れ)、通常であれば上から下に流れるのが、そうならないというきわめて説得の難しいことをデータとともに示してもらうことによらなければ、納得ができるはずがない。
 そういうことを考えるとき、東電という犯罪的な企業がなぜ破産もしないで、のうのうと継続できるのか理解ができない。これほど危険で、高くつく発電方法はないということがはっきりわかったのに、再稼働を名言した自民党が選挙で圧勝するなど、さらに理解ができない。


7月24日 東海村の村長さんが再出馬をしないと表明したという。そのことばがすがすがしかった。「これだけの犠牲を出し、尊い命が失われたのに、何の反省もなく、責任をとることもしないで、再稼働をしようとする、腐りきった日本社会に立ち向かうには、村長という立場でなくてもできる」。こういうまともな行政者もいるのだ。

7月19日 今朝の朝日新聞一面に「甲状腺被爆者、公表の10倍」と出ていた。私は早とちりして、実際に甲状腺の機能障害などになった人がほかの場所の10倍いたのだと思って慌てて記事を読んだら、そうではなくて100ミリシーベルト被爆者を厳密に調べ、一定の推定法で調べ直したら、これまで言われていたよりも10倍多いのが実態だということだった。しかし、それは今年になって国際機関が東電の報告を疑問視していることがわかり、それで厚労省が見直しを指示したからわかったということだった。「なんだそれは!」東電のひどさは今さらいうまでもないが、厚労省は自分で判断できないのか。自分の国の国民、とくに子供たちが健康に懸念があることを、外から言われてようやく指示を出すのか。そして改めて思う。あの頃、「専門家」と言われる人がテレビで繰り返し言っていた「体に直接被害があるようなレベルではありません」ということばの虚偽性と無責任さだ。あのとき、あわてて帰国命令を出した外国の政府を「大げさだ」とでも言いたげだった「専門家」は、自分のことばにどう責任をとるのか。そして、ああいう人間を専門家として登場させたマスコミはどう弁明するのか。あのとき、子供たちにヨウ素を与えれば甲状腺の発ガンが抑制されたのに、なぜそれをしなかったのか。今後も同じような隠蔽の発覚は続くに違いない。

7月19日 7月11日のNHKのクローズアップ現代で福島原発事故と動物のことをとりあげていました。番組は初めに警戒地域の家屋でクマネズミが増えて家の中の電線をかじったり、壁に穴をあけたりして、畳の上には糞が散乱しているところから始まりました。見ていてゾッとする衝撃的なものでした。津波があっても、原発事故があっても、「必ず帰るんだ」と強い気持ちをもっていた人が、「人が帰るところじゃないですよね」と無力感をもってつぶやく映像が流れました。そして警戒地域だけでなく、その周辺にも増加したネズミが入りつつあることが紹介されました。
 そのあとにイノシシの行動が変化したことが紹介され、これまでは夜にしか姿を見せなかったイノシシが昼間でも堂々と歩いている、雑木林にしかいなかったものが、放棄された農地に跋扈していることが紹介されました。
 番組を見た人は「えらいことになった」と感じ、「動物というのは油断がならないものだ、抑えつけないといけない」と感じるはずです。番組のメッセージもそこにあったようです。原発事故はこういう形でも住民に被害を与えているというレポートで、そのメッセージ発信は成功したと思います。
 私も動物の管理は必要不可欠の大事なことだということを主張する点では人後に落ちないつもりです。ただ、この番組の作りには深いところで違和感があります。
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7月9日 新潟県の泉田知事と東電社長のやりとりは勝敗がはっきりしていて、原発再稼働反対派は多少の溜飲を下げた。「東電という会社は原因究明もせず、責任もとっていないまま再稼働しようとしている。ということは新潟で事故が起きても責任をとらないということだ」「安全よりもお金を優先させるということですね」あたりは論理的にもまったく正しい。あの状況で東電社長が「私も企業の人間ですから、経営は重要で3年連続赤字はなんとしても避けたい」というのは馬鹿丸出しというしかない。シラをきり、嘘をつき続けてきたのだから、「とんでもございません、安全がなによりでございます」というかと思っていた。
 問題は、しかし、論理で正しいことを無視するこの国の判断基準にある。今朝の新聞の一面には「再稼働政権が後押し」とある。それで思い出すのはドイツのメルケル首相である。原発推進派として首相になったのに、3.11をみて直ちに原発中止を採用した。悪く言えば「転んだ」のだが、そこには「論理として正しいことは認め、自分のかつての考えは撤回する」という論理的態度があると思う。ドイツの情報はあまり流れてこないのでわからないが、国民はこの「転向」をどう評価しているのだろう。それによって首相が辞めさせられたということになっていないのだから、国民が支持しているのであろう。戦後処理についても共通したものを感じる。
 安全こそが国民にとって最も重要であるという明白な価値観を、これから先まったく見通しのない経済を優先するという価値観で被い尽くそうとしている。政治家の、ことの軽重の無理解と、見通しのなさが、この国を滅ぼそうとしている。


7月8日 なんだかおそろしく暑くなりました。私が子供の頃、30度を超えるというのはちょっと特別な感じがあって、35度などというのは聞いた記憶がありません。冷房もなかったので「暑い、暑い」とは言っていましたが、こんな体調を崩すようなことはなかったように思います。仮設住宅の人はさぞかしたいへんだろうとお察しします。
 選挙が始まったやらで、福島の農家のおばあさんに取材をしていました。「農業はもうかんねえけど、オラはいい仕事だと思っているんだ。」と、はにかみながら、うつむき加減に話しておられました。飾り気のない、心とことばにずれのない、正しく生きてきた人だけが表現できることばだとわかりました。
 時間というのは恐ろしいもので、あれだけのことがあったのに、なんだかあれはどこのことだというような感覚が、小さい音ではありますが、湧いてくるようで、怖いような思いがあります。
 そうだからこそ、私は変わることなく、このブログを続けたいと思っています。これといって目立った動きはないのですが、そのうち、よいご報告できることもあると思います。
 ところで、このブログの命である、「ナラの木」の詩の地方訳が、長いあいだ届いていません。そのこともあって投稿しにくい気持ちがあるかもしれませんが、ぜひ「自分のことばによるナラの木」を送ってください。そのことが少しでも被災された皆さんの心に届けばいいなと思います。
 暑い夏になりそうです。皆様、ご自愛ください。


6月9日 トルコの動きが不穏なようです。オリンピックはむずかしそうな雰囲気です。私は東京でやらないほうがいいと思っていたので、ちょっと残念です。理由、1)東京はすでにやっている、日本でやるなら別の町のほうがよい、2)東京は魅力的な都市ではまったくない、3)東京で実施する意味が不明、知名度向上は不要、経済効果は「もうたくさんだろう」。
 それはさておき、トルコは大半の国民がイスラム教なのに、右派の大統領が批判されているというのがおもしろい。私はこれは原理主義の危険性を知る国民の知的レベルの高さから来るのではないかと察しています。社会は多様な人が構成する以上、単一で明快な原理主義派まとめやすくはあっても、違和感をもつ人が必ず現れてきしみが生じる。それはイランや戦中日本をみれば明らかです。それで政教分離を正しく選択したのだと思います。
 聞くところによれば公園の造成のようなことで市民の反発を買っているというが、それで数万人のデモとなり、国がひっくり返ろうとしている。そうなるかどうかはまだわかりませんが、可能性は十分でしょう。
 それにつけても思うのは、それよりははるかに深刻なテーマである原発反対のデモを多数の人が二年間も継続しているのに、そして、その中にノーベル賞作家までいるのに、ほとんど無視するこの国の政治家の鈍感さ。それを重くとりあげないマスコミのバランスの悪さ。それを思うにつけ、この国の市民の声の軽さを思わないではいられません。
 「たみ」ということばはcitizenとはずいぶん違う響きがあります。力なきもの、虫けらといった響きさえあります。
 歴史や社会のことに無知な私のつぶやきとして聞いてもらいたいことですが、やはり関ヶ原の戦いと明治維新はヤバかったんでないの?日本の歴史、というか政治史の中で大きなできごととされるこの二つにおいて、大義よりも「勝ちそうなほうに寝返る」「勝てば官軍」を実感としてみてしまった民は、何が正しいかなど重要ではないと身にしみて思ったのではないでしょうか。その傷はその後の日本人の精神に沈殿したと思います。正しいことを貫いたほうが損をするという悲劇は「八重の桜」を見ると痛いほどわかります。明治政府の醜悪さはテレビドラマ以上であったはずだし、それに対する恨みは百年ほどの時間で消え去るとは思えません。そのことに西日本、南日本の人たちは鈍感であると思います。そうしたことを整理しないまま敗戦し、今度は民主主義という「官軍」に「なんだかよくわからないけど、逆らわないほうがいいぞ」としてきたのだから、政治家は「デモなど屁のようなもの」と思うし、マスコミも視聴率だけ考えて、過激な暴力デモや、アメリカの数千人のデモはとりあげでも、日本のマナー正しい数万人の真剣なデモをとりあげない。
 頑固じじいは大いに気に入りません。


5月15日 八ヶ岳に調査に行きましたが、そこで立派なミズナラの木に出会いました。周囲は332cmありました。写真では大きさがなかなか表現できませんが、下にいる学生と比較してみてください。それにこののびのびと伸びた枝を見てください。



5月9日 東電は地元の理解が得られたら汚染水を海に放出したいと表明したそうです。「やはり」と思いました。この会社は自分たちが何をしたかも、何をすべきかも考えていないということです。放射能汚染の意味は地球倫理に照らして許されないことをしたことにあるのです。それを拡大することは誰かの了解をもらうというようなことではない。地球にこれ以上迷惑をかけてはいけないことは明白です。そのことをまったく理解していません。
 ただ現実に起きるであろうことはそれよりははるかに低次元のことだと思われます。漁業関係者はすでに死活問題に直面し、これ以上悪くならないというところまで追いつめられているのではないでしょうか。そのことの弱みをつかれて、いくばくかでも保証金がもらえるなら放水を承諾するというようなことがあり、東電は地元民が望んだという形で責任をすりかえるでしょう。
 企業の社会における存在意義とはいったいなんでしょう。まことに暗澹たる気持ちです。


5月2日 わが国の首相は就任してから「美しい日本」にしたいと語りました。そのことばには風土の美しさということもあろでしょうが、もちろん伝統文化ということもあったと察します。わが国民の勤勉さや思いやりは誇るべき日本の美しさでしょう。そうした中に信用を重んじるということがあると思います。武士が家の名誉を重んじたことにはじまり、商人も一流であれば、一時的な儲けではなく、信用を重んじてよい商品を売る、間違いのない配達、アフターケアをするなどの美風がありました。その美しき心ばえをかけらでも持つ人であれば、2年前に地球を揺るがす大事故を起こした原子力発電技術を海外に売り込むことなどできるはずがありません。相当たちの悪い詐欺師でもためらいを持つはずです。世界の良識ある人々は今回の報道を見て、日本のリーダーは破廉恥であると感じたはずです。あの事故の処理はおろか、実態解明さえできていないのですから。

4月9日 福島原発の排水貯水池のシートから水が漏れていると報じていましたが、開いた口が塞がりません。庭の池でも防水シートなど使う愚か者はいないでしょう。震度3か4でも危ないはずです。しろうと考えですが、豪雨が降って溢れることは絶対にないのでしょうか。それに、テレビで見ると狭い土地にタンクや貯水池がぎっしりです。これからも排水は出続けるわけで、今後の見通しをどう立てているのでしょう。別の場所を探していると言っていましたが、だれが引き受けるでしょう。廃炉にするしかないということがまだわからないのでしょうか。私には、こういう重大なことを東電にまかせること自体がまちがっているとしか思えません。

4月6日 これまでもときどき見ていましたが、NHKテレビの「Megaquake(巨大地震)」を見ました。この番組を見ると日本がいかに危険な列島であるかを客観的に示してくれます。最新の研究成果をずばらしくわかりやすい三次元表現などを駆使して説明してくれます。そして底流にあるのは、むやみに恐怖心をあおるのではなく、その逆に事実を直視することなしに対策はありえないというもので、まったく賛同します。私たちは怖いものはあってほしくないと思い、先延ばしにして、いつのまにかないものにするという心理をもっています。それは何の解決にもなりません。
 今日見た番組では過去の記録ということにふれていました。岩手県の宮古の海岸から300mのところに昔から津波で流されてきたといい伝えられる巨岩があるのですが、今回その近くまでコンクリートブロックが流されたので、作り話ではなかったという話をしていました。また多賀城にある末の松山というところにはこれまで津波が来なかったが今回も来なかった、仙台の波分け神社も同様だったそうです。また平安時代の貞観津波(809年)を裏付ける海岸の砂が仙台の内陸で確認されていたそうです。それを調べていたという東北大学の今村文彦教授はそれを知っていながら警告につなげられなかったことを悔いておられました。
 今村先生の謙虚な姿勢は誠実さを感じるものでした。私は自然科学者は自然に対して謙虚であらねばならないと思います。自然を管理するとか、災害を抑制するというのは傲慢です。戦後の日本の政治は自然に謙虚でない工学者を重用しました。私はその過ちが原発事故につながったということに段々と確信をもつようになりました。



日時:3/30 (土)
開演時刻
第1回目:15時
第2回目:16時30分
※開場は開演の20分前

会場:カフェ・ラブリコ(千代田区富士見2-4-3朝日観光ビル1階)
※東京大神宮の隣のビルの1階

最寄駅:JR及び地下鉄各線「飯田橋駅」から徒歩5分
・JR飯田橋駅西口から徒歩4分
・地下鉄飯田橋駅A4 A2 B2a各出口から徒歩5分


3月11日 またあの日がめぐって来ました。3月9日のNHK特集を見て考えたことを書きました。

東北の人の多くはあまりべらべらしゃべりません。突然家族を失った老人が怒りも、悲しみものみこむような表情で「おれ、そんなに悪いことしてないんだけどなあ」と言いました。私たち古い世代は世の中に人や社会の矛盾によって不公平や不満があっても、正しい生き方をしていればいずれお天道様が認めて幸せにしてくれる、人をあざむいたり、ずるいことをして一時的に金持ちにるようなことがあっても、最後はお天道様がさばいてくれるという感覚があります。その老人の語ったのは、そうであるのに悪いことをしていない俺がなぜこんな目に遭うのかということです。
 仮設住宅に入っている婦人が言いました。「仮設にいることは、自由はあるはずなんだけど、牢屋にいるのと同じだよ。希望がないもの」と。
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3月9日 
12月27日、2012年も暮れようとしているときに、仙台で会議があり、行きました。帰りの新幹線が福島をすぎたあたりで、太陽が西に傾き、脊梁山地の山の端が鮮やかに見えました。こうして何年も、いや何万年も落日がくり返され、この土地に美しい自然があり、人々が暮らして来た。今はテレビのこともあって戊辰戦争のことなども重ねて考えますが、いずれにしてもこの福島という土地が綿々と自然を継続してきたのに、2年前からこちらはこの土地が放射能汚染されてしまったのだという事実を考えてしまいました。



 今日のNHK特集によると、福島のスギの木の上部が線量が高く、これは外部被爆ではなく、雨で地中に入ったセシウムを木が吸収したものだということで、つまり同じ場所で放射能がいわば安定的に循環してしまうことがわかったということでした。私はむしろ流れ出て海が汚染されることを心配していましたが、そのことも起きるが、一方で陸のものは植物の働きによって流失しないという生物現象が起きているということです。暗澹たる気持ちになります。
 また子供が外で遊べないでいることや、家族がばらばらになっていること、社会そのものが破壊されたことも伝えていました。こんなことが許されるはずはありません。私は法律のことはわかりませんが、これだけ明らかな罪がさばかれないのはお天道様に許されるはずはありません。ごく単純に考えても、これは巨大な殺人罪であり、憲法に保証する人間らしい生活をする権利を奪うものです。東電はもちろん、これを進めて来た戦後の自民党政治は罰されて当然だと思います。なぜ検察は動かないのでしょうか。私にはさっぱりわかりません。


2月19日 高槻は若い頃、仙台の東北大学で過ごしました。当時の仲間が仙台の海岸で3.11の震災と津波によって被害を受けた動植物の復活の状態を記録する活動をしてくれています。リーダー格の東北学院大学の平吹教授が書いた論文に感動的な文章があり、「がんばれナラの木」にも通じるものがあるように思ったので、紹介します。

春の進行とともに、損傷し、塩害を受けてもなお若葉を広げ、開花し始めた植物や、流砂に埋没した地中から這い出したクロベンケイガニ、あるいは林間を精悍に飛行するオオタカのすがたに感激し、大いに勇気づけられた。

その論文には別の箇所に以下のような文もあります。

 大震災・大津波によって被災した海岸は決して「壊滅」はしていない。海岸エコトーンという「海と陸、河川」、そして「不安定で特殊かつ多様な立地の中で生き続けてきたたくさんの生物種」によって織りなされる「連綿としたつながり」の中で、見事に自立的再生を果たすに違いない。我々はその海岸エコトーンが産み出す恩恵の下で、生きる豊かさ・喜びを授かり得る道、子孫に伝えるべき故郷のすがたをもう一度見つけ出す必要がある。

2月16日 千葉県の石川和也さんから「齋藤さんのエッセーを読んで」という文章をいただきました。石川さん、ありがとうございました。

実は私は一昨年宮城に行き支援活動をして来ました。仙台を拠点に岩手や福島へも4トントラックで何回も物資を運びました。被災三県でも給油するたびに感謝されました。そのとき「頂いた気持ちをもっともっとみんなに返したい」と感じましたもっと読む

2月3日
 昨夜、北海道でかなり大きな地震があったようです。テレビを見ていたら青森の原発は今のところ異常はないといってました。私は自分自身の心の動きを怖いと思いました。というのは「青森の原発は」まで聞いたときには胸騒ぎがしたのです。これがまともな感覚であるはずです。もし万一、また原発事故が起きたら本当にこの国はおしまいだと思います。あれだけの事故を反省しなかったということで世界から非難されることは確実でしょう。しかし「なにもない」と聞いたら、安心してしまいました。これが怖いことだと思います。
 おそらく人には「こうあって欲しい」という心理があるときには、そのようになったことを確認したとたん、安心するという心の動きがあるように思います。福島の原発事故のとき、私たちはよいほうによいほうに解釈しようとしました。事実は最悪だったのに、まさかチェルノブイリのようなことはないはずだと思おうとしました。また、北朝鮮のミサイル実験は失敗するだろうと思おうとしました。実験を延期をすることになったとき、みんなが「やっぱり北朝鮮はだめだ」と半分ほっとしたような気持ちでした。その翌日に成功したとき、困ったことだと思いながら、どこか嘘であったほしいような気持ちをもったはずです。私は邪悪だと思いますが、とても頭のいい集団がいて、人のもつそういう心理を読んでいるように思われます。今思えば、前の失敗もわざとだったかもしれないと思えるほどです。
 学ぶべきは、人には悪い事態に対して目をつむろうとする心理があり、ゆうべの例でいえば、胸騒ぎがしたほうが正常で、安心したほうの心理こそそういうご都合主義なのに、何もなかったこととして心理的な「処分」をしてしまった、これはいけないと知ることでしょう。我が国の政府はそのしてはいけないことをしようとしています。3.11以来、地震がはるかに高頻度で起きるようになっているし、昨夜の地震くらいはいつでも起きるという客観的事実があるということです。こんな地震列島に原発を作ることはまともな理性がすべき選択ではありません。
3月30日 『語りつぐことば vol.6 ~桜咲く季節に~』を見て来ました。メインは「東京大空襲」でとても胸を打つものでした。迂闊にも東京大空襲が3月10日であることを知りませんでした。そう思うと日本人にとって3月は悲しい月なのだと思い、それだけに桜の美しさの意味もまた深いように思えます。
 私にとっては最初に上演された「カメのこうらはひびだらけ」という子供向けの紙芝居がとても楽しかったです。渋谷やこさんが演じる紙芝居ということでしたが、実際は布を壁に貼付けるようなものでとても新鮮でした。海の音を表現する太鼓の中にビーズをいれたものがとても効果的だったし、亀が帽子になったり、裏返しになって亀甲模様が出て来たり、子供がいれば大喜びするようなすてきな布芝居でした。最近ガラパゴスのゾウガメの最後の一頭であるロンサムジョージ(ひとりぼっちのジョージ)という名前のおじいさん亀が死んで絶滅してしまったのを知っていたので、ちょっと複雑な気持ちもありました。
 最後に「ナラの木」を朗読していただきました。工夫がされていて、ナラの木をいくつかに分けて、外海さん(静岡遠州)、堀淳さん(大分)、酒井康行さん(金沢)、小川ひかるさん(青森)、それに渋沢やこさん(神奈川)がそれぞれのお国言葉で朗読してくださいました。皆様、ありがとうございました。


3月25日 「ナラの木」の詩のすばらしい朗読を朗読してくださった、日本俳優連合外海様から以下の公演のご案内がありました。このなかで「ナラの木」の朗読をしてくださるそうです。ぜひご参加ください。

『語りつぐことば vol.6 ~桜咲く季節に~』

◆布芝居「カメのこうらはひびだらけ」
◆南三陸の詩人・須藤洋平さんの詩
◆「東京大空襲」


1月29日
齋藤様のエッセーについて辻口様から感想文が寄せられました。ありがとうございました。

 物凄い内容の文章に、はっとし、心を動かされました。人の気持ちが動く、人を動かすとはこのような事なのですね。この文章を書いた方の熱意の源にふれ、またも心が揺り動かされました。
私だって、「がんばれナラの木」の詩に共鳴できる「何か」を持っているのだと信じて、被災地の方々に、少しでも役に立つことができるように、恥ずかしくない生き方、暮らし方をして繋がっていたいと思います。私の弱々しい根っこのひとつは、確実に東北地方へ向いています。
辻口栄一


1月23日
オーストラリア在住のカロリーナさんが「恥ずかしがるな!」について感想を送ってくださいました。

1月23日 
いつもこのブログを支援してくださっている齋藤様から「がんばれナラの木との出会い」というエッセーをいただきました。とても感動的です。この文章について少しやりとりをしましたが、その最後の段階で病院で検査をされ、お医者様から99%治ったと言われたそうです。まことに喜ばしいことです。齋藤様、これからもお元気で画作にお励みください。

高槻先生の「ナラの木」の放送を偶然聴き、胸が高鳴りました。そしてあの暖かい岩手言葉の語りに涙が止まりませんでした。というのは、自分がいま置かれている境遇と、被災された方に対する思いが重なったからです。もっと読む

1月14日
宮城県の石崎純子様から「がんばれナラの木」と「ナラの木を読む」の感想が寄せられました。石崎様ありがとうございました。

1月10日
 私が書いたエッセー「恥ずかしがるな!についてアメリカのD.R. マッカラーさんがコメントをくださいました。マッカラーさんは世界的な野生動物生態学者でカリフォルニア大学バークレー校の教授でした。私は若い頃、彼に会いにアメリカに行き、その後長いおつきあいをしています。日本にも何度か来たことがあり、いっしょにシカの本を編集したこともあります。

1月10日
北海道の知人から立派なコナラに出会ったという年賀状をもらったので、その写真を送ってもらいました。実に立派な木です。もっと見る


1月9日
千葉県の福祉施設「ケアプランセンター八街」にお務めの村井かおり様は昨年の12月に東日本大震災の被災地を訪問され、その報告を送ってくださいました。村井様、ありがとうございました。石巻の大川小学校は私も訪問しましたが、あまりに悲惨で早々に立ち去りました。

1月8日
「恥ずかしがるな!」を読んだマリアさんからも手紙が来ました。マリアさんはかつてベネズエラから日本に留学していたカロリーナさんのお母様です仲間からの声の本日分

1月8日
長野県の黒姫にあるアファンの森で、あるコナラの木を初夏から冬まで撮影しました。

1月7日
正月に海外の友人にエッセーを書いて送りました。内容は次のようなものです。私たち戦後の世代は「生真面目すぎる、ユーモアがない、はっきり自分の考えを言え」ということを繰り返し言われましたが、いま思えばそれはアメリカ人のようになりなさいということでした。でも日本人は稲作民族ですから、みんなが共同で作業をしないといけません。そのためには協調性が必要で、いまもてはやされる「個性的」というのは、足並みをそろえないということですから、そういう者は「出る釘を打たれ」たわけです。だから急に変われと言われても無理もないわけです。そういうアメリカの影響は経済復興の必然もあって技術力、工学の偏重を生み、それは土木工事、森林伐採など自然改変を可能にし、いつしか「自然は管理できる」という驕った考えになっていったのではないか。そううことを書きました(「恥ずかしがるな!」)。
 「ナラの木」を送ってくれたダイアナさんはクマの研究をするかたわら、クロウ族という先住民の科学教育の活動をして、その中で伝統文化の大切さを考えているらしく、返事をくださいました。

タカさん
 エッセーすてきだったわ。こういう考えは、学生に科学を教えるのにも、伝統文化の価値を深く考えるためにもとても大切だと思うの。私はいま、将来のことを心配しているアメリカ先住民の人たちと仕事をしているのよ。
 世界中でこういう「自然を管理する」態度が広がり、民族や、社会や、国がアイデンティティを失っていくのを見るのは悲しいことね。
 あなたといっしょに、こういう努力をしたいと思っています。
 原文は仲間からの声の最新の部分にあります。


1月6日
国民の多くが原発はいらないといっているのに、新しい国の代表は原発ゼロ案は「白紙撤回」であるといいます。そして「美しい日本をとりもどすのだ」とうそぶきます。私はこのブログを支えている精神はこれと真っ向から対立すると考えます。そのことを「美しい日本を」というエッセーに書きました。これは別の場所に買いたいものと同じ趣旨ですが、「がんばれナラの木」の文脈に書き換えました。

1月2日
「ナラの木を読む」で朗読を担当してくださった皆さんを紹介していますが、河原田ヤスケさんのご紹介が遅れていました。そのプロフィールをアップしました。ヤスケさんはNHKの大河ドラマは「八重の桜」とのこと、福島が舞台ですが、その方言指導をしておられるそうです。まさにぴったりの人材ですね。私はいつも思うのですが、赤穂浪士は関西弁だったはずだし、徳川家康はあれは今の愛知弁になるのは静岡弁になるのか、あの辺のことばなわけで、これまでの時代劇は服装を含めてリアリティがありません。今回のドラマはそれを打破するという意味もありそうです。ついでにいえば明治天皇は京都弁だったはずです。

1月2日
 新年のご挨拶は元旦にすべきところ、ぼーっとしていました。「がんばれナラの木」も一年半ほど経ち、日本社会全体がそうであるように、被災者への思いも潮が引くように鎮静してしまい、「ナラの木」の地方訳も届かなくなりました。私の中では「こういう時期こそ、ナラの木のように粘り強くがんばらなくては」と静かな闘志を燃やしています。
 このブログは私の中にある東北地方への思いと、地方言葉に対する敬意が化学反応を起こすようにして産まれたと思っています。思いを同じにして地方訳を送ってくださった皆様の思いをなんらかの形で印刷物に残しておきたいという思いは消さないでいたいと思っています。
 東日本大震災は私の人生観を大きく変えました。そして私の心の底のほうにあった思い ー たとえば、経済を優先させて自然を自分たちの思いのままに管理できると驕っていた日本社会への疑問、東京を中心とした大都市が地方を利用して豊かになり、資源やエネルギーを得ながら、危険を押し付けて来たことへの理不尽さ、同じく東京を中心とした「標準語」をたてまつり、地方の豊かで美しいことばを「汚い」という価値観で教育したことの誤り、汗水流して地道に働く一次産業の生産者を軽視し、口先やマナーをみがく人間を優先するような社会の欺瞞性、人類史上唯一の被爆国でありながら原発を推進し、「危険がなければいい」という何の根拠もない淡い期待を「ないはずだ」とすり替えて来た心理のいいかげんさ ー が明瞭な輪郭を描くように見えて来ました。残された人生を、そうした不愉快なものに負けないで生きてゆきたいと思います。
 年初にあたり、このブログをそうした思いのひとつの表出することを確認したいと思います。

アーカイブ2012(2)

2011年02月20日 | 資料
6月26日 本日、千葉の辻口さんから以下のようなコメントをもらいました。ありがたいことです。辻口さんに「がんばれナラの木」をご紹介いただいた齋藤さんは画家で、いまナラの木を描いてくださってます。
千葉県八街市にあります特別養護老人ホームの職員です。施設に飾らせていただいてる絵の作者、画家の斎藤さんのご紹介で、朗読を聴かせていただきました。感動しました。地方のことばは、心に沁みます。「ナラの木」の詩は、激動の時代を生き抜いた、施設にご入居の方々と同様の存在感・根っこの太さで、胸に迫ります。東北地方で根を張る皆様、この活動を支えるすべての皆様に、敬意を表します。

6月25日 オーストラリア在住のローズさん(スリランカ)からメールが届きました。
Dear Sensei
We hope you and family are doing well. I was so touched by your poem. It was very emotional when I read the poem.

先生
 皆様お元気のことと思います。先生の詩に感激しました。読んだあとで泣きそうになりました。

read more 続きは仲間からの声の6.25


6月24日 岐阜の武藤さんからうれしいお便りをもらいました。
始めまして。岐阜県の武藤修と申します。突然のメールをお許しください。NHKラジオを偶然聞き、「ナラの木」の詩に感動しました。私は岐阜県の関市立武芸小学校で教員をしております。子どもたちにも紹介しましたが、みんな目を輝かせて聞いてくれました。

続きは仲間からの声の末尾

6月23日 小笠原の鈴木創さんから「ドングリの唄」という詩を送ってくださいました。鈴木さんは若い頃、ドングリの研究をしていたそうです。ありがとうございました。

光の中 葉が枝から はなれ
地面に つもっていく

秋の雨は 樹冠(クローネ)に ちり
幹をつたい 土をぬらす

しっとりと とけだした
落ち葉の マットの上に


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6月22日 4月に遡りますが、東京都の三鷹市立第三中学の「三中学校だより」に「ナラの木」のことが紹介されていました。「ナラの木」がこういう形で中学生に読まれるのもうれしいことです。

6月20日 原発再稼働を阻止できなかった私たちは後世からの批判に耐えられません。その思いを込めて「ごめんね ー 七歳になった君へ」という詩を書きました。

君が生まれて来てくれたとき
おじいちゃんとおばあちゃんは
どれだけうれしかったことでしょう
そして思い出しました
三十年くらい前に君たちのお母さんが
生まれてきてくれたときのことを

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6月16日 「桃」さんから以下のコメントをもらいました。私がこういうことに疎く、You tubeのアップのしかたがわかりませんので、お手伝いくださいました。ありがとうございます。日本俳優連合の皆さんに朗読してもらっていろいろな地方訳がYou tubeデビューできたらいいなと思っています。

盛岡版の音源を良くしたものを、別動画としてUPしました。こちらは雑音がないので、聴きやすいと思います。もっとたくさんの言葉で聴けたら嬉しいと思います。ラジオ放送の機会があれば、録音してUPしたいと思っています。
http://www.youtube.com/watch?v=Yjmm99Z_avs


6月13日 6月10日に山梨県西部にある乙女高原に行って来ました。標高1700mほどあるので、まだ新緑の季節で、ミズナラが葉を広げつつありました。林の下には去年芽をだした小さなミズナラがありました。


若々しいミズナラの葉


林の中から見たミズナラの葉


ミズナラの幼木

6月12日 日本俳優連合の隈本吉成(くまもときっせい)さんから「ナラん木」と題して福岡・博多版が送られて来ました。博多ことばはわりあいによく知られていると思っていましたが、いきなり「ばっさらか」と聞き慣れないことばから始まっていますし、「アタキ」も知りませんでした。大分同様「な」が「ん」であること、「ようだ」が「ごたる」であること、また「こと」が「こつ」になること、「ばってん」などは九州らしいです。「枝を」を「枝ば」というあたりは長崎なども共通ではないでしょうか。「くたぶれっしもうた」「わかっとりまっしぇん」などの促音(小さい「っ」)や「ですたい」は威勢のよさや豪快さを感じさせます。「在りますと」とか「わかったとです」などの「と」には不思議な暖かみを感じます。「在ります」とも「在りますよ」とも違います。「わかったとです」は東京なら「わかりました」「わかったんです」になってしまうし、関西なら「わかったんですわ」などでしょうか、いずれも違います。私は父親が大分出身で、親戚が北九州にいるせいか、九州弁には格別の親しみを感じ、声に出して読むととてもいい気持ちで、うれしくなります。「ナラの木」の地方訳はこれで36になりました。隈本さん、ありがとうございました。

6月11日 日本俳優連合の小川ひかるさんから「ナラの木」の津軽・外ケ浜版が送られて来ました。津軽はこれまで2つありますが、外ケ浜は津軽半島で、同じ津軽でも「んだばって」と「したばって」など少し違います。そのほかのことばもそうですが、津軽のものはとくに文字では伝わらない抑揚の魅力があります。「ナラの木」の地方訳はこれで35になりました。小川さん、ありがとうございました。

6月10日 日本俳優連合の小林由利さん訳の京ことばです。小林由里さんさんはいかにも京都のエレガンスを湛えた女性で、訳されたナラの木も女性になっています。おそらくたくさんのナラの木で女性になったのはこの訳だけだと思います。文字で書くとあまり「らしさ」が見えませんが、京都の抑揚で読んでもらうとはんなりとした柔らかな雰囲気になります。不思議なもので、詩の最後の部分で、ナラの木が歯を食いしばって苦難に立ち向かう決意を表現する部分も、京言葉になるとどこかさらりと微笑んでいさえいるように聞こえます。地方ことばというものは本当におもしろいと改めて思いました。これで地方訳は実に34になりました。

6月9日 海外の友人にこの活動を伝える「ナラの木」英語版みたいな小さなブログを作っています。東北地方の被災者のたくましさや、自然と人間の関係などについて考えたことなども伝えてきました。震災について新情報も伝えるようにしてきたのですが、昨夜のニュースでみた我が国の首相の「国民の生活を守るために原発を再稼働する」というあまりに情けない発言は、いくらなんでも恥ずかしく、また私が伝えなくても世界を駆け巡るでしょうから、伝えないことにしました。そうしたというより、私の中にある常識では、とてもできないことです。このことについて「胸に染みる空の輝き」というエッセーを書きました。」
 この国のリーダーとされる男が「国民の安全のために原発を再稼働する」と言い放った。この文章は本人が考えたものではないだろう。官僚が悪知恵をしぼって作りあげた作文に違いない。そのことは「安全」のすりかえと、耳当たりのよいことばによるカモフラージュからあきらかだ。続きを読む

6月9日 「昔むかしあったとさ」の出演者からの地方訳を紹介しています。名古屋訳は楽しくなるような味わいがあります。訳された松原未知さんは「永遠の元気な女の子」という雰囲気で、公演では鬼に連れ去られた少女の話を朗読されましたが、本当にそこにかわいい女の子がいるようでした。「ナラの木」の訳では「地べたがあるぎゃあも」とか、「ええきゃあ」などが、もとの詩のもつ重くて深刻な感じを、陽気に乗り越えるような雰囲気を与えるような気がしました。「なぶる」ということばは知りませんでした。

6月8日 「ナラの木」の大分県・中部版を紹介します。訳された川野誠一さん、ありがとうございました。九州はこれまで案外、例があります。東北地方とは風土が全然違うのに、この詩のもつ強さやたくましさがよく伝わるのは、自然に密着した生活があるからなのでしょうか。
「してしまう」などが「しちしまう」になり、「してる」が「しちょる」になるという具合ですから、全体に「ち(ch)」音が多用される印象を受けます。「だ」が「じゃ」になるのは広島などと共通ですが、いかにも九州という感じがします。九州的といえば「はがすんごたった」の「ごたる」で、「如くある」がつづまったもので、「~のようだ」ということです。また「辛抱しきんのか」の「しきる」は「できる」です。精一杯おこなうのを「歌いきる」とか「走りきる」といいますが、それとは違います。九州で「100mを11秒で走りきる」というのは「走ることが可能である」という意味です。西日本全体に共通なことですが、否定の「ない」が「ん」になるので、東日本の人が聞くと、響きが強い印象になります。また、「の」が「ん」になるのは静岡の場合でもありましたが、「でん俺にゃ」「ことでん」の場合は「でも俺にゃ」「ことでも」ですから「な行」だけでなく「ま行」も「ん」になるということです。
 これで地方訳は実に32例となりました。ほかにもたくさんあるはずなので、皆さんもぜひ故郷の言葉に訳してみてください。こうした詩群が被災された方々を少しでも勇気づけることになれば幸いです。


6月7日 外海多伽子さんによる「ナラの木」の静岡県・遠州・三ヶ日版を紹介します。中部地方の例は少ないので、ありがたいです。外海さんによれば、この地方では川ひとつ、山ひとつを越えると言葉ががらっと違うのだそうです。それだけ歴史が複雑で人の動きもあったのでしょう。土地を反映してか、「わかるら?」など、ことばが全体にカラッと明るい感じがします。「~だに」というのは標準語には求められないですね。「ふっとばして」を「ふっとばいて」、「ふらして」を「ふらいて」というのは関東以北と違うようです。タイトルの「ナラん木」は西日本、とくに九州で「の」が「ん」になるパターンです。一方で、「いちばん」を「いっとう」というあたりは東日本的で、この地方が東西の移行帯であることを反映しているようです。

6月6日
河原田ヤスケさんによる福島県・会津地方の訳を掲載しました。これで30例となりました。河原田さん、ありがとうございました。

6月5日
「昔むかしあったとさ」で朗読してくださった皆さんからいくつもの地方訳が寄せられました。ぼちぼちと紹介していきますが、まずは北から。岩手県水沢版をのせます。「位ぇでぁんした」「根っこだったのス」などは盛岡版などと似ていますが、やはり少し違いがあります。冒頭の「だんがだんがど」はまったく違います。「だども俺ァにはハァ」「この根ッコさハァ」などの「ハァ」というのは岩手の人がよく口にすることで、とくに意味はないのですが、「それはもう」の「もう」などと似ているかもしれません、次に強調することばが来るようなときに、一息いれるように自然に漏れて出るという感じで、とてもよい響きのものです。私自身は、「ナラの木」の精神を伝えるには岩手のことばが最もふさわしいと感じています。

6月3日
6月2日に新宿で「昔むかしあったとさ」の公演がありました。日本俳優連合の「ドラマの方言を考える会」の主催で、今回が7回目ということでです。各地の民話を地元の方言で語る試みだそうです。小さな劇場(100人ほど)で、舞台には障子があって、古い日本の部屋という感じを出していました。上部には日本地図があって、10人ほどの俳優さんの出身地が示されていました。その民話の語りの前に「ナラの木」の朗読が紹介されました。簡単な紹介のあと、まず標準語訳、それに続いて京都、福島、静岡の地方訳が紹介されました。さすがに俳優さんですから、感情表現が豊かで、詩の魂が伝わって来て、とても感動的でした。そのあとで民話の語りがありましたが、話の内容も多様で、改めて日本の地方文化の豊富さを味わいました。こういう活動は地味ですが、「均一化」によって消えてゆくこういう民話やその語り方を守るという意味で貴重なことだと思いました。


公演を終えてあいさつをする俳優の皆さん


連絡をくださった、静岡出身の外海多伽子さん、高槻、リーダー格の岩手出身の冨田祐一さん


6月1日
なんともうれしい話題をいただきました。岡山の太田様から、新しくできる保育園に「ならの木保育園」という名前をつけたいという連絡をいただきました。「ナラの木」がこういう形で新しい命を得て、柔らかな子供たちの心になにかが生まれてくれると思うと、心からうれしいことです。5月21日
5月19日に山梨県の東にある乙女高原に調査に行きました。1700mもあるので、山はまだ春の装いでした。ミズナラの若々しい葉が開こうとしていました。



5月20日
日本俳優連合というところから「ナラの木」の方言朗読をおこなうという連絡をいただきました。公演の合間に朗読していただけるそうです。こういう形で「ナラの木」が広がり、活動が展開するのもうれしいことです。

5月13日 山梨でみたコナラの新葉のみずみずしさが印象的でした。



5月7日 「たいそう強い風」の「たいそう」は、ふつうは「とても」とか「すごく」とか言われますが、地方訳ではさまざまに訳されていました。これについて以前「とても」というエッセーを書きましたが、地方訳の数も増えたのでもう一度見直して、あたらしく「とても 2」を書きました。

5月6日 高知の兵頭貴代志さんから「ナラの木」の土佐版が送られて来ました。「まっことうれしかったが」です。これで地方訳が28、海外の者とあわせて31になりました。兵頭さん、ありがとうございました。

5月3日 「どんぽのばぶ」さんから「oakとナラとカシ」にコメントをもらいました。どうして「日本一」と確認したのかなと思いますが、一度見てみたい気がします。

日本で一番大きなミズナラが長野県の清内路村に流れる小黒川沿いに生えています。東京からだと中央高速を飯田で降りて昼神温泉を過ぎ道を妻籠馬込方面に折れてしばらく走ると「小黒川のミズナラ」の看板が出てきます。現地に到着するとこのミズナラの巨木の周囲は開けていてまさに『森の女王』という気品あふれるたたずまいです。
実際に見に行ってこの木のふもとから見上げて気が付きました。なんと『交差枝』が一か所もないのです。枝張りぶりを観察してみるとそれぞれの枝が我先に「…俺がおれが」と他の枝を押しのけて太陽光を浴びようなどとせず、それぞれの枝が自分の役割を自覚していて、枝を伸ばしているのかしらと錯覚するほどです。

この木の下のすぐそば徒歩2分くらいのところに湧水が出ているところがあり、興味深いのは「軟水」と「硬水」の2種類が接近して湧いて出ています。空のペットボトルを持って行って汲んで帰宅してから緑茶やドリップコーヒーなどを楽しめます。

私はまだ未体験ですが、ミズナラは落葉樹なので、よく晴れた冬の夜にもしもこの地を訪れたならば、楢の木に真っ暗な夜空の星が落葉したミズナラの枝先に満天の星がたわわに実っているような景色を見ることができるのではないでしょうか。まるで斉藤隆介作の「もちもちの木」のような世界と遭遇できるのでは…?


私は生物学を学んでいるので、ロマンチックでないことを書きます。木も草も葉で光合成をします。それはもう植物が生きることの根幹ですから、もっとも大事なことです。駐車場の金網塀につる植物が生えているのを見ると必ず明るいほうに葉があります。そこに一本の棒があるだけでその部分には葉が少なくなります。それは無駄だからです。光合成できるところにはもっとも効率のよい角度でたくさんの葉をつけるが、暗いところでは削除し、呼吸量を減らします。隣の木の枝が折れるとぐっと枝を伸ばしますが、逆に隣の枝が伸びてくると葉を落とします。そうして全体の枝の形が変わって行きます。植物の枝葉のつきかたはまったく合理的な生理活動の結果です。もちろんそこから「配慮」や「自己抑制」を読み取ることはできますが、生物はもっとクールです。生物に対する感動は、むしろそのような合理性を見いだしたときに生まれるものです。「水を注して」ごめんなさい。

5月2日 「どんぽのばぶ」さんからブログ「おはなし工房ばぶの山小屋」に私のエッセー「東北弁という言い方」を紹介したという連絡をいただきました。ありがとうございました。

5月1日 5月になりました。東北地方にも桜前線が訪れ、北上しています。東京ではサクラは終わり、新緑の季節を迎えました。私の住む小平で、コナラの芽が膨らみ、新芽が開くようすを記録しました。ナラの木のエネルギーを感じます。

4月22日 私が気づかないうちにいくつかコメントが来ていましたので、「仲間の声4」にアップしました。なかでも武藤修さんから「ナラの木」の岐阜県(美濃地方)版が届いていました。これで27となりました。

4月21日 東京では4月に入ってから雑木林が芽吹きの季節を迎えました。コナラも上旬に冬芽が膨らみ、いまは中から葉が出てきました。4月15日に撮影した、コナラの幹から出た小さな葉を紹介します。コナラの若い葉には銀色のうぶ毛がはえていて、きれいです。


コナラのめぶき 2012.4.15 東京都小平市

4月13日 金沢の林さんから「ナラの木」の朗読許可の申請がありました。

4月13日 オーストラリア在住のウダヤニさんから手紙が届きました。そのなかに桜のことを描いた詩ゾウの詩がありました。ウダヤニさんはスリランカから東京大学に留学し、アジアゾウの研究をしました。

4月9日 時間をさかのぼりますが、3月下旬に調査で宮城県の金華山に行きました。シカとサルがすんでいる島で、震災後調査に行けないでいました。よく「シカやサルは大丈夫?」と聞かれますが、大丈夫です。壊れたのは人工物です。神社の鳥居や灯籠、道路も大きな被害を受けました。ただ金華山では秋に台風15号の豪雨の影響も深刻で、たくさんの土砂崩れが起きました。私たちは調査のあいまに金華山講の手紙だしなどのお手伝いをしましたが、ある日90人ものボランティアの人たちが来て、境内の掃除やため池の土砂運びなどをしておられました。こういう人たちが各地で復興に力を貸しているのだと思い、頭の下がる思いでした。写真は神社でお昼をとる皆さんで、夜は神社の広間に泊まられたようです。


4月4日 先日のラジオ放送の録音をYou tubeにのせた方がおられるようです。音はよくないようですが。私の手元にはよい状態のCDがあるのですが、You tubeへのアップのしかたがわかりません。どなたかご協力いただけないでしょうか?

4月3日 3月29日のラジオ放送を受けていくつかのブログにとりあげられたようです。

4月1日 私のすむ小平のナラの木の雑木林にカタクリが咲いていました。

* これ以前は「アーカイブ2012」にあります。

3月30日 昨日のラジオを聞いての感想が寄せられています。このブログの訪問者は200人くらいの日が多いのですが、昨日は3299もありました。

3月29日 NHK第一放送ラジオ(「私も一言!夕方ニュース」の「ここに注目」、早川解説委員)で「ナラの木」のことを話しました。同じ番組で昨年の8月にも放送してもらい、反響があったので、二年目ということで再び取り上げて頂きました。今回は「盛岡版」を省略なしで全部放送してもらえたのでよかったと思います。被災地の方にも届いたことと思います。

3月20日 長野県の黒姫で雪の中に立つコナラを見ました。

3月18日 茶碗、箸、防潮堤」というエッセーをのせました。

3月12日 スリランカのヴェラシンハさん(オーストラリア在住)から手紙が届きました。

3月12日 私のエッセーが下向きだったことについて、マッカラーさんよりも前にダイアナさんがメールをくれていました。それもほんとうに心あたたまるもので、元気づけられました。ダイアナさんのメッセージのあとにのせておきます。

親友として言うけど、弱気にならないで、強くいて。政府がたよりにならないなら、小さいかもしれないけど、、あなたがこれまでしてきた「すてきなこと」を得るために自分自身を信じて。・・・あなたが、政府としてではなく、人として、インパクトを与えられるって絶対信じてる。ダイアナ(高槻訳)

3月11日 私のエッセー「一年が経った」を読んだ世界的に著名なアメリカの野生動物研究者であるマッカラー博士が、どうも私の文章がうつむき加減だと思ったらしく、元気づけようとすばらしいメッセージを送ってくださいました。以下はその一部です。

私も日本の人々が被災されたことについてよく考え、貴兄が大きい視野で考えたことをすばらしいと思う。・・・これらについて私自身、少し掘り下げて考えてみた。私の一生はこういうつらい現実がなかったように感じがちなんだが、思い出してよく考えてみよう。私の母は4歳のとき竜巻で家族が被害にあったとき、もう少しで死ぬところだったんだ。農場が破壊されたので、移住しなければならなかった。私は1933年に生またんだが、両親は農場で暮らしており、中西部での大恐慌と旱魃のあいだに食い詰めて農場を失い、生活保護を受けて食いつないだ。・・・私の両親は、問われれば、幸せな日々を過ごしたというだろう。・・・なぜ私たちは災いのことを無視するのだろうか。・・・それは・・・忘れるからだ。・・・こういう長い目で見れば、(災難も)連続的なプロセスで、留まるかに見えても、それは「ヒト虫」が短時間のスケールでものを見るために、初めてのものとして歴史に残すせいにすぎない。・・・あきらめないで、できることをしてほしい。そして世界とヒト虫が決して完璧ではないということを甘受してほしい。
デール(高槻訳)



マッカラーさん、高槻が編集したニホンジカ(ニホンジカは英語でsika deerといいます)の本


3月11日 一年が経ちました。ダイアナさんから本当に心のこもったメッセージが届きました(下記に一部をとりあげました)。高槻は文字通り「一年が経った」というエッセーを書きました。

よくよく考えて書こうと思います。地震と津波というたいへん悲しい出来事からちょうど一年が経ちましたが、このことについての苦しさは私の中で決して消えていないことをお伝えしたく思います。・・・あの日、皆さんが溺れる人を水から引き上げ、浮遊物中から救出し、傷ついた人を助けるという愛に満ちた偉大な行動をとられたのを、世界は目の当たりにしました。私たちは、皆さんがやさしくお年寄りの世話をし、幼い子供たちをたくさん守られるのを見て涙しました。私たちは助けてあげられない「絶望」をもちながらも、皆さんが日を経ずしてくじけずに立ち上がられるのを見て「希望に満ちる」ことができました。・・・日本という「樹冠」は大きいのですから、亡くなられた愛する人々の魂もそこで安らかでいられることでしょう。あの人たちは絶対忘れられることはありませんし、あの人たちの思い出は私たちすべてに栄養を与え続けてくれます。・・・子供たちは創造的で、美しく、賢明です。子供たちには今皆さんの励ましと支えが必要です。そうして日本を新しい未来へと導く勇気ある道へ旅立つべきです。(高槻訳)

3月7日 1月22日、東京に雪がつもり、大騒ぎをしました。雪国の皆さんからすればばかばかしいようなことです。遅ればせながらそのときのコナラの冬芽につもった雪をアップしました。

3月6日 岡山県のある小学校の校長先生から連絡があり、「ナラの木」を卒業式に子供たちに朗読してあげたいということでした。思えば子供たちがむずかしい年齢になり、いろいろとむずかしいできごとに直面したとき、この詩は力になるかもしれないと思いました。こうした形でも「ナラの木」が広まってくれたらうれしいことです。

3月5日 新宿のスペースゼロで「東日本大震災復興支援チャリティーコンサートー10000の瞳プロジェクトー」がおこなわれ、中村雅俊さん、上田正樹さんたちの歌を聞きましたが、このコンサートの筆頭で相澤一成さんが「ナラの木」を朗読してくださいました。この朗読では背景に音楽が流れ、とても感動的でした。



3月2日 時間差がありますが、1月22日に東京に雪が降りました。翌朝、コナラの枝に雪がつもっていたのでアップしました。

2月27日 高槻はマレーシアに行っていました。その間ポルトガルのペドロさんからメールが来ていました。モロッコのドングリのことがかいてありました。

2月11日 また11日が来ました。あと1ヶ月たてば一年が経ちます。慎んだ気持ちになります。

2月9日 岩手県下閉伊郡岩泉町の佐々木二美香さん(高校1年生)が「ナラの木」岩泉町版を訳してくださいました。

2月8日 ペドロさんとナラの木談義を続けています。なんとヨーロッパナラは45mもの高さになるそうです。私のブログ(英語版)を読んで「小さな命とフクシマ」を気に入ってくれたそうです。そのブログには漢字コーナーもあり、ペドロさんは勉強しているそうです。

2月2日 ポルトガルのペドロさん(Pedro Calvalho)さんから「ナラの木」のポルトガル語訳が届きました。また彼とのナラの木についての交流を「仲間の声3」にアップしました。この木は500歳以上で、たくさんドングリをつけるので「ふとっちょナラの木」と呼ばれて人々に親しまれているそうです。ペドロさんはこの木について詳しい紹介もしてくださいました。



1月28日 ニュースをみていたら、福島県の子供への医療無償化の要望を政府が却下したと伝えられました。これまでも、今も、そしておそらくこれからも、首都圏が福島に負担をかけてエネルギーを供給してもらい、それによって被害を受けた人、とくに将来のある若者の医療を国が支援しないというのです。あまりにもひどいことだと思います。恥ずかしく、悲しい気持ちでいっぱいです。福島の人は憤られて当然だと思います。

1月11日 寒くなりました。東北の寒さはいかばかりかと思います。あの日から10ヶ月が経ちました。被災地、大槌の友達に電話したら、やはり寒いそうです。何もできないことがもどかしいです。

2012年1月1日 新年のご挨拶に代えて年の初めに:科学する精神というエッセーを書きました。今年はおだやかな年になりますように。


アーカイブ 2012

2011年02月20日 | 資料
12月29日
千葉の石川さんから感想文が寄せられました。石川さんありがとうございました。このところ「声」も少なく、低空飛行ですが、粘り強く続けていこうと思います。皆様この一年、たいへんお世話になりました。よい年をお迎えください。被災地の皆様のご苦労を思いながら。

「ナラの木」を読んで
     石川和也

 私は昨年の12月に被災地の宮城に支援に行き、全国から運ばれてくる物資(食料品や衣類など)の仕分けや、地域への配布活動をやってきました。架設住宅にお住まいの方より自宅が被害を間逃れた方のほうが、物資が届かず苦労されている現状を知りました。昨年は暖房器具が足りていない状況でしたが、今はどうなのでしょうか?
 いつか漁へ出る時のために網などの手入れをしっかりされていた方もおり、その精神力の強さに驚かされました。この度、朗読を聴かせて頂いた時に、「ならの木」がこの方のことのように思えました。もちろんみんながこんな強い精神力をお持ちではありませんが、この方のような方々復興の中心になるんだと思います。
 父が山形出身ということもあって、山形弁の朗読もとても懐かしかったです。たいした事はできませんが、また支援活動に参加できる機会があれば是非いきたいです。そして、「ならの木」がまた葉をつけ元気になる手助けが少しでも出来ればと思います。


12月24日
大好きな安野光雅さんが「わが友の旅立ちの日に」(山川出版者)という本を出しました。その中に「がんばれナラの木」からいって「我が意を得たり」と思うことばがありました。

方言を笑う人がありますが、それは笑う人の心が貧しいからです。

少し飛躍しますが、復元された東京駅について。テレビではイルミネーションを使ったイベントをするの紹介していますが、被災者が仮設住宅で生活しているのに、行政がなすべきことの優先順位が違うのではないか、と思わないではいられません。私はこの二年近く、ずっと原発のことを考えてきましたが、結局は関東と東北という2つの地域の間にある不公平さ、もっといえば東京人の利己的なふるまいに行き着くのだということに確信を持つようになりました。そのことについてエッセーを書きました。


12月9日
先日、スリランカの孤児についての支援のお願いをしました。今年は2つあり、ひとつは7年前の津波孤児、もうひとつはゾウに親を殺された孤児です。ある方から質問がありましたので、補足説明をしておきます。
 2つとも送金するのはたいへんだという方も多いと思いますので、もちろんどちらか一方でかまいませんし、金額もいくらでもかまいません。これまで津波孤児からもらった手紙を読むと、遠い日本の人が自分たちのことを思いやってくれているということ辞退の喜びが大きいことがわかります。ひとこと添えていただければ元気づけることになると思います。
 どうぞよろしくお願いします。高槻成紀


12月5日
 毎年12月は私にとって一年を振り返りながら皆様にお願いをする機会になっています。スリランカの子供の支援についてなのですが、今年は2つの内容をお願いすることになりました。ひとつは津波孤児、もうひとつはゾウに親を殺された孤児です。長文をご容赦ください。

 2004年の12月、インド洋で大地震が起きて各地に大きな被害をもたらしました。当時私はスリランカでアジアゾウの研究を進めていました。野外調査はいつでもそうですが、研究を進めることだけでなく、地元の人々との交流がたいせつでもあり、楽しみでもあります。スリランカではやさしい人々と無邪気な子供たちとたくさんの思い出ができました。そのスリランカの人々がこの津波によって多数犠牲になりました。それは年末のことで、いてもたってもいられない気持ちで、年があけてから知人に連絡をして支援のための拠金をお願いしたのでした。

  いとけなき児らを津波の襲ふとふ
  とく救はむや 生命ある間に


多少の手助けができればよいと思ったのです。ところが思いがけない広がりによって予想を遙かに超えるお金が集まりました。それは殺伐としたいまの日本社会にあって、暖かいともし火のように思われたことです。

  茫々と冷風の吹く野の中で
  受けし善意の 灯もし火のごと


そこで当時、スリランカから留学していたパリタさんとローズ(ウダヤニ)さんとともに、これを基金とし、「ゾウさん基金」と名付けて、孤児に継続的に教育支援をすることにしました(基金については「ゾウさん基金」でご覧になれます)。
 おかげさまでその活動はこれまで援助を続けています。孤児たちは私たちの善意を大きな励みにしているようで、けなげにがんばってくれています。それどころか、昨年の東日本大震災のときは被災者を励ます手紙をくれました。自分たちがつらかったからこそ、被災された人のことを思いやることができたのかもしれません。私は支援を始めたあとに孤児たちからもらった手紙にお礼を書きました。一部を紹介します。

皆さんは私がとても特別のことをしたと手紙に書いてくれました。確かにそうかもしれません。しかし私はごく当然のことをしたと思っていますし、お金を送ってくれた私の知人もそうだと思います。日本は経済的に豊かな国で、食堂に行って食事をすれば1000円もするし、働けば1日で5000円くらい稼ぐこともできます。でもその反面皆とても忙しくしています。電車が5分遅れただけで怒る人がたくさんいますし、道路で転んだ人がいても助けない人もいます。だからお金で豊かでも心も豊かとは限りません。
 私の正直な気持ちは次のようなものです。皆さんはとてもつらい経験をしたのに強く生きようとしている。それに比べて、私たちは日本で忙しく暮らし、人にやさしくするという人間にとって一番たいせつなことを忘れている。皆さんはその私たちに、そのことのたいせつさを思い出させてくれたということです。


 そのときのことを覚えていてくれたのかもしれません。自分たち自身が親を失うというつらい体験をしながら、なお他者に思いをはせる、私は手紙のひとつひとつを読みながら人の心の貴さをかみしめました。

 自らが親失ひし幼な児が
 今送り来る文の貴さ


 私の心にもうひとつの灯もし火が点(とも)ったようでした。
 私自身、日常に流されて孤児のことを考える余裕を忘れがちで、恥ずかしく思います。あれから7年たち、どうしても印象が薄れるところがあり、反省しないといけません。せめて、12月には思い出して、孤児たちを励ましてあげたいと思います。

 お願いのもうひとつは親をゾウに殺された孤児です。スリランカの人々は皆さんたいへん敬虔な仏教徒で、生き物の命を大切にしますが、ゾウは中でも特別です。ところが、最近では森林伐採によってゾウがすみかを奪われ、また農地の開発によってゾウが農業被害を発生させるようになり、それを防ごうとする農民を殺すという悲劇が起きるようになってしまいました。知人のジャヤンタさんは孤児たちの支援活動をしておられ、私に日本からの支援を依頼してきました。それで私なりにささやかなお手伝いをさせてもらうことにしました。私とジャヤンタさんは、たとえゾウに親を殺されたとしても、孤児たちがゾウを嫌いにならないで欲しいと思っています。この支援が子供たちの心にそのような種を植えることになることを祈っています。

 クリスマスから正月にかけて、皆様のお志をお送りくだされば、孤児たちの心の支えとなると思います。少額でも、スリランカの子供にとっては「日本の人たちが自分たちのことを思ってくれている」と、とても大きな価値をもっています。

郵便局に備え付けの郵便振替用紙で、以下の口座にお送りください。こどもに励ましのメッセージをいただきますと、さらにありがたいです。いただいたメッセージは当方で訳して子供たちに伝えます。

ゾウさん基金
 口座番号00160-1-407209、口座名称「ゾウさん基金」

ゾウによる孤児支援
 ゾウによる孤児支援グループ(ゾウニヨルコジシエングループ)
  ゆうちょ銀行 記号・番号10080-57828361
  店名〇〇八(ゼロゼロハチ) 普通預金 口座番号5782836

 あわただしい季節になりました。ご自愛くださり、よい年末年始をお迎えくださいますよう。高槻成紀


スリランカのお母さんと息子
                                

                               

10月18日

11月10日 

11月19日

11月9日 11月2-4日、石巻、女川周辺に行っていました。牡鹿半島のシカの調査のためです。ここのシカがこの数年で増加し、分布も半島を出て北上しており、その実態を視察することが目的でした。そのために石巻から東進して女川へ、それから北上して雄勝のほうを見て回りました。


女川近くから太平洋を望む。中央の白い建物が女川原子力発電所

 必然的に被災地を通過することになりました。女川には震災後初めて行きましたが、かつての町のようすがどうしても思い出せませんでした。瓦礫は片付けられていましたが、ビルが横倒しのまま残されていました。歌津では病院の廃墟を見ましたが、3階建ての一番上まで破壊されていました。入院中の患者さんを津波が直撃したということです。車を運転しながら、心の中がぐしゃぐしゃになるようでした。中でも衝撃的だったのはあの大川小学校です。追波川の堤防の裏側(後背湿地)にありましたが、ちょうどそこは川が大きく曲がるところで、川を逆流した水がそのまま学校を直撃したに違いありあません。その日は風が強く、川面に白波が立っていましたが、しかし水位は低く、ハクチョウやカモが浮かんでいました。この土手を遥かに越える高さの津波が襲ったのだと想像すると胸が苦しくなりました。子供たちはどれだけ不安で苦しかったことでしょう。


10月29日 今日、ある機会があってとても感動的な話を聞きました。あの津波のあと、仙台の中学生が書いたという文章を知りました。避難所でおじいさんが「ああー、なーんにもなくなってしまたぁ」といったそうです。その後ろ姿が小刻みに震えていたのを多感な少年は見逃しませんでした。その夜はうめき声が聞こえて眠れなかったそうです。しばらくして見慣れないヘリコプターが来てアメリカ兵が物資を置いてまた飛び立ったそうです。中学生は「外国の人なのに助けてくれるんだ」と不思議に感じたそうです。お腹がすいていたので、ほんとうにうれしく、これをなんとか表したいと思ったそうです。そして思いついて海岸の砂浜に材木を運んで感謝の気持ちを表現したそうです。まだ雪が降るような寒いときで、材木には釘があって手から血が出たりもしたそうですが、がんばって作ったそうです。その子はその後、新聞を読みます。そこに書いてあったのは次のような内容だったそうです。

アメリカ兵が空から見たのは「ARIGATO」という文字だった。その人は、自分たちが被災し、ぎりぎりの状態にありながら、私たちにお礼の気持ちを表現したことに感激したと語ったという。


10月23日 飯生記弘(いいの のりひろ)さんというかたから、励ましのお便りをもらいました。
震災に遭われた東北の皆様が、言葉に表せないくらい励まされ、力づけられたことでしょう。そして復興に向かって突き進んでいく姿が見えるようです。 もっと読む
飯生さん、ありがとうございました。

10月18日 このブログも、ある程度は覚悟していたとはいうものの、あまり反響はなくなりました。それでも訪問者は着実にあるのがうれしいことです。地道にゆっくりとしかし着実に歩みを続けたいと思います。少しですが、この活動を紹介してくださる人があります。のぞいてみる

10月15日 ゾウの調査で出かけていたマレーシアから帰りました。海外に出ると日本がどう見られているかを考える機会になるものです。まあ、勤勉で豊かな国と思われているようですが、逆に私たちがマレーシアについてどういう知識を持っているかと聞かれるとはなはだあやしいものです。行ってみて驚いたのですが、インフラがすばらしく整っていて、道路は高速道路みたいな立派なもの、建物も立派で、「東南アジア」の開発途上国イメージとは大違いです。日本ではアジアのことが紹介されないことはなはだしいと思います。
 帰国してニュースをみるとリトアニアで原発について国民投票がおこなわれたとありました。日本の日立が「技術援助」をする運びだとも。これを世界の人はどう見るか。私がふつうのヨーロッパ人なら「あれだけの悲惨な体験をしておきながら、まだ懲りないで海外に原発を作ろうとする、理解できないやから」と思うでしょう。悲しいことです。日本人自身は日本を「環境にやさしい国」などと言ったり、世界からそう見られているだろうと思っているフシがありますが、そんなことはありません。むしろ「狭い国で自然を食い物にしてひどい汚染の中で忙しく働く国民」というのがイメージです。
 リトアニアには大企業は仕事(金儲け)で行くのでしょうが、日本市民が原発はいかにおそろしいものかを伝えに行ったらいいのにと思います。それにしてもリトアニアでは国民投票をして重大な決定を問うことをしている。「言論が自由で、民主的な」日本でなぜそれをしないのでしょう。こうしたことを通じて自分たちの国がどれほどのものであるかを客観視したいと思います。


10月10日 10月6日に慶応大学でコンサートがあることはお知らせしましたが、そこで小田百合子さんが自作の「ナラの木」を披露され、山浦先生がケセン後で朗読されたそうです。確信はありましたが、期待にそぐわぬすばらしい演奏だったようです。私はあいにく学生実習で参加できず、痛恨のことでした。

10月8日 千葉県の齋藤史夫さんは画家で、「ナラの木」を出会った人に熱心に紹介してくださり、私にもよく連絡をくださいます。最近、齋藤さんが老人ホームで「ナラの木」を紹介したところ、近藤一男さんという米沢出身の方が感想文を書いてくださったそうです。近藤さん、齋藤さん、ありがとうございました。

人には誰でも「嵐に打ちのめされる」ことがあるように思います。私にとっては63年前の夏の日がその嵐でした。1949年(昭和24年)7月14日のことで、その日は猛暑の日でした。私は鉄道機関士で、奥羽本線下り419列車の復路424列車を牽引して、米沢に午後13:30に到着したのでした。往復180キロの長旅でした。業務報告を終えたとき、区長に呼ばれました。もっと読む

9月27日 10月6日に慶応大学でコンサートがあり、そこで大船渡のお医者さん山浦玄嗣先生が「ナラの木」を朗読されることをお知らせしましたが、その山浦訳の「ナラの木」が届きました。さすがに大胆に訳されていています。「ドドド」とか「ミッチミッチほろぐ」など、擬態語が豊富です。ぜひ朗読を聞いてみたいです。

9月24日 重要な情報です。「がんばれナラの木」の活動に共感してくださった小田百合子様からうれしいお便りが届きました。小田様は音楽家で、10月6日に慶応義塾大学日吉キャンパスでユニークなコンサートを開催されます。その中で「ナラの木 三味線、打楽器、朗読のために」が演じられます。そこでは私の尊敬する大船渡のお医者様で「ケセン語」の研究者でもある山浦先生が「ナラの木」を朗読されるそうです。ところが、あろうことかその日は私自身が学生の野外実習のために群馬にいなければならず、断腸の思いです。皆様、ぜひ聞きにいらしてください。詳しく





9月19日 原発ゼロが骨抜きにされたらしい。ひどいなと思います。

戦後の復興時代を導いた人としてはその人生を誇っていただいてけっこうだが、あの災害は日本人の社会感、自然観、世界観を根本から変えたのです。どうかお引き取りいただきたい。もっと読む


9月15日 あの日から1年半が経ちました。テレビで田の一本松のことを報じていました。それについて思うところがありました。

報道のあとに地元の人の意見がありました。もちろん「残念だ、なんとか再建してほしい」という意見もありましたが、「静かに横にならせてやりたいなあ」という声も、また「命あるものは死んでゆくんだよ」という声もありました。まったくその通りだと思います。
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9月1日 9月になりました。8月の下旬に岩手県に調査に行き、一部ですが、沿岸部にも行きました。改めて被害の大きさを痛感しました。陸前田の近くでは驚くほど内陸にまで津波が達していたことを知り、実感としては現実味がないほどでした。

このときに撮影した3枚の写真を紹介します。このうち2枚はナラの木です。北上山地で群落の調査をしていて、コナラの木を見上げたらなかなかおもしろいアングルだったので一枚写しました。



遠野盆地の北にいったとき、ミズナラのドングリがだいぶん育っていました。遠野はクマが多く、里におりてトウモロコシを食べて駆除されたりしています。ドングリが豊作だと里にはおりないようなので、そうであるといいのですが。



 私は車を運転していても自然を観察するのが習いになっていて、今回大きな木を見つけたので立ち寄りました。実に立派なシナノキで、測ってみたら周囲が421cmもありましたから直径は70cmほどということになります。枝振りなどもすばらしいものでした。脇に立っているのは170cmくらいある長身の学生です。


8月28日 昨日でしたか、福島の子供の甲状腺のしこり率が高い疑いがあるという報道があり、胸つぶれれる思いでした。そして、私には「聴取会」での中部電力職員の無神経で許しがたいことばが思い出されました。彼は言いました。「原発爆発の汚染で直接死んだ人はいない。だから再稼働すべきだ」と。私はこの男と、再稼働を進めようとする人々に問いたい。チェルノブイリの悲劇を直視すれば、放射能汚染がどれほどおそろしいものであるか明白であり、死んでいないとしてもそれは生き地獄であるのに、その可能性のあることをなお進めようとするのか、と。今私たちが考えなければいけないことは、この胸騒ぎのする情報を軽くみないで、万一これが悪い方のことが進行する兆しであるとしたら、どうすることが悲劇を最少限に抑えられるかを真剣に考え、実現に向けて努力することだと思います。
 私はもうひとつのことを思います。福島の人よ、もっと憤りを表現してください、と。報道関係者よ、この問題をもっともっと大きく取り上げよ、と。そして、東京の人よ、もしこれが東京の子供であったら、どうするのか、その可能性がないなど誰にもいえないことではないのか、と。
 そして強く願います。福島の子供の健康が問題ないことを。しかし大切なのは、心情的な願いだけではいけない、神頼みにせず、事実は冷静に捉えるということだと思います。


8月25日 「ナラの木」の原作を送ってくださり、いわばこのブログの生みの親ともいえるダイアナさんから、職場であるテキサス農工大学の広報紙に紹介されている「愛されるナラの巨樹」の話題が送られてきました。私にはわかりにくいところもありますが、明治初年くらいからの老木がたくさんの人に愛されているということはわかります。横にひろがる見事な枝を見るだけでも、訪問する価値があるサイトのようです。

8月20日 千葉県白井市の女性から感想が届きました。
 方言になった「ナラの木」を送ってくださり、ありがとうございます。これらを聞いて、秋田の山村で育った母親から聞いたことや、幼い時に経験したことを思い出しました。
 今ではみんな裕福な構えをしていますが、母が育ったころや農地改革の前は村のほとんどの家は、それは貧しかったのです。秋田の冬は長く、大雪にとざされていました。その中で人だけでなく、動物も、木も耐えて生き抜いたのです。
 * * * *
 「ナラの木」の詩の朗読を聞きました。強いひびきを感じ、感動し、胸が高鳴りました。次に東北の方言で読んだ詩を聞きました。優しさを感じ、涙が出て来ました。そして優しさは強さにつながると思いました。

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8月6日 広島の平和式典をテレビでみて、方言について 思うことがありました。

8月6日 この日は広島原爆投下の日です。式典の広島市長、小学生のあいさつには胸を打つものがありました。それにくらべて野田首相のことばの挨拶のなんとつまらないことか。「はい、よく読みまちがいなく読めました」くらいのものです。私は注意深く聴いていましたが、当然言及すべき原発にはほとんどふれませんでした。官僚は世界が注目するヒロシマの式典でへたに原爆と原発をむすびつけるのは得策でないと計算したのでしょう。どう知恵をしぼっても、そうすれば廃炉にせざるをえないからです。官僚の作文を棒読みにするのが首相の役割とはいえ、一度は目を通すものでしょう。そうであれば、ふつうの人の心を持つ政治家なら、「原発のことに触れなくてもいいのか?」くらいは思うはずです。だが、野田という人はそれさえしなかった。テレビでは市長や子供のあいさつのあいだに野田首相の表情もとらえていました。私がその立場にいたら、ああいう勇気ある、心のこもったことばを聴けば、後にひかえる、自分のよむべきひからびた文章を思って「まずいな」くらい感じると思うのですが、それはまったくないかのようでした。新聞には支持率がさらに 落ちたと報じてありました。当然であろう。

8月5日 「ナラの木を読む」はまだ一部工事中ですが、「朗読者の紹介」に大分版を担当された川野誠一さんが自己紹介してくださいました。川野さん、ありがとうございました。

8月5日 「ナラの木を読む」は日に200-300くらいのアクセスがあるようです。齋藤史夫さんから以下のような感想が届きました。
「朗読を録音させて戴きました。パソコンを持たない方にとっては、大喜びでした。東北出身者が多数居りましたので中には涙を浮かべているかたも居ました。」
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8月3日 朗報です。ささやかなわがブログにとってはビッグニュースといってよいでしょう。「ナラの木」の地方版の朗読が聞ける「ナラの木を読む」というサイトが立ち上がりました。地方訳はなんといっても耳で聞いてこそ味わいがあります。とくにこの詩は自然とともに生きてきた東北の人のことばにふさわしいように思います。ところが私は「ITオンチ」なので、朗読を聞いてもらうにはどうすればいいのかさっぱりわかりません。どなたかに協力いただきたいと思っていたのですが、ナラの木関係で知り合った高田淳生さんがこれを引き受けてくださいました。高田さん、ありがとうございました。どうか各地の「ナラの木」をお聞きになって、このブログでも「読む」のほうにでも感想を聞かせてください。

8月1日 テレビのニュースで、これまで別の場所でおこなわれていた意見を聴取する会が福島で開かれたと報じられました。私にははっきりわかりました。どれだけことばを飾り、文体を整えても心に訴えないことばがあると同時に、体験に基づいた自らの腹から出たことばがいかに人の心をゆさぶるのかを。

 福島の人は言いました。「反原発というと、経済を知らないとたたかれます。でも私は怖いのです」と。これこそ偽りのないことばです。

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 「私たちのような被爆難民を生まないで欲しいのです」と発言された福島の人のことばは、それだけ苦しみながらも、自分のことではなく、ほかの人への配慮から出ているように感じられ、私の中では「ナラの木」と重なりました。


7月29日 日本俳優連合による東日本大震災支援チャリティーイベントが行われ、「ドラマの方言を考える会」の皆さんが「ナラの木」の朗読をしてくださいました。高槻は午前の部に参加させていただきました。岩手水沢、福島会津、名古屋、京都の4つが紹介されました。撮影禁止だったので、写真による紹介ができないのが残念です。ほかにもアクションの演技やオークションがあったようです。朗読を担当された皆様、ありがとうございました。


7月21日 19日の発言を撤回します。さきほどNHKの「メルトダウン連鎖」を見ました。つっこんだ取材により、「安全など確認されていない。再稼働は疑問がある」と明言してくれました。少なくとも報道の良心が死んだという私の表現は間違っていたので、お詫びして撤回します。しかし、このすぐれた番組ではっきりしたのは、再稼働がまちがった決定だということです。当事者が言った不足の事態に直面して「腹に鉛が入った感覚」「日本がおかしくなると覚悟した」という表現にリアリティがありました。ただ、それだけに私の中に浮上するのは、なぜこういうことが今頃になって紹介されるのかということです。また、私の主観的な受け止め方ですが、出演した当事者が番組取材に応じた勇気、本当に恐怖を体験し、正直に語った誠意について評価できますが、去年の5、6月以降、どういう気持ちで過ごしてきたのだろうか、再稼働や値上げの議論をどういう感覚で聞いていたのかという疑問です。地獄を経験した人であれば、それこそ命をかけて再稼働はまちがっていると大声を上げるのではないかと思うのですが。でも、それは地獄を体験した「被害者」に対して酷なことかもしれません。

7月19日  東電の値上げが決まった。一家が月300円ほどの額という。まあコーヒー一杯分かという額である。
 私は納得出来ない。まず、値上げの理由である。震災の被害関係に使われるという。我々は被害者なのに、なんで加害者の尻拭いをしないといけないのか。まったく理解できない。私たちは東北の被災者の生活が少しでも楽になるのであれば、よろこんで経済的支援もしよう。だが、事故を起こし、その反省もせず、あろうことか自らのミスを値上げでカバーしようとすることには1円でも納得できない。
 それと同時に、事の決め方が納得できない。値上げ理由について利用者であるわれわれの意見は反映されないのか。10万人が反対行動をおこしていることは一顧だにされないのか。さらに、なぜこんなに速く決まるのか。地震が起きて1年半もたとうとしているのに、復興が遅々としている。日々の生活に苦しんでいる人がたくさんいて、即決すべきことに行政決断がおこなわれないままになっているために苦しみが続いている。そうであるのに、じっくり時間をかけるべき問題があっという間に決まる、これが納得できるはずがない。
  マスコミは値上げの報道をしたあと、1ヶ月300円あまりと付け加えるが、なぜそんなことを言うのか。「たいしたことないから、このくらいならいいか」と感じさせようとしているとしか思えない。国が国民の声を聞かないことを、毅然と批判し、この値上げは民意に反するという報道をしてしかるべきではないか。日本のマスコミの良心は死んだと思う。



7月16日 今日のニュースを見ました。人はここまで醜くなれるものでしょうか。「意見聴取会」とやらで、中部電力の職員のした発言。「放射能で死んだ人は一人もいない。このことは十年後も変わらない。」同業者である東電があれだけのことをしたのを知りながら、お詫びをする気持ちも反省もない。死ななかったから悪くなかったというのか。
 私は賛成はしないが、「豊かな」生活を維持するためには原発が必要という意見がある。石油資源よりは原子力のほうがよいという見解もある。同意はしないが、そういう発言はあってよく、見解の違いを埋めることもできるかもしれない。しかし放射能汚染をしておいて、人が死んでいないから問題はないなどという発言は許してはいけないと思う。麗しい阿武隈の大地とそこに生きる動植物を汚染し、そしてそこで代々暮らして来た人が戻ることのできない土地を作ってしまうという、とりかえしのつかないことをしたという事実を知りながら、「免疫学的明白な事実」という発言が許されてはいけないと思う。
 その人の不誠実も許せないが、この「聴取会」をランダム抽出と嘘を言って、市民から意見を聞いたことにして原発依存の正当化を図る政府は絶望的というしかない。10万人もの人が毎週反対運動をしていることに何の公式コメントをしない「民主国家」というのも聞いたことがない。


7月14日 昨日(7月13日)、日本俳優連合の「ドラマの方言を考える会」の6人の方に集まっていただいて、方言での朗読を録音していただきました。北から、岩手水沢(冨田祐一さん)、福島会津(河原田ヤスケさん)、静岡遠州(外海多伽子)、京都(小林由利さん)、福岡博多(隈本吉成さん)、大分(川野誠一さん)です、皆さん演技がお仕事ですから、簡単に練習しただけですぐに本録音に入り、いずれも感情表現の豊かなすばらしい朗読でした。本物の方言を聞くにつけ、改めて日本のことばの豊富さ、表現の豊かさを感じました。皆さんありがとうございました。
少し仕上げ作業があるそうで、それができたらこのブログに紹介したいと思います。


7月12日 6月2日に日本俳優連合の皆様の公演の一部で「ナラの木」の地方版を朗読していただきましたが、今度はもっと大掛かりなイベントがおこなわれます。すでに申し込みを締め切っていますが、7月29日に「(協)日本俳優連合 チャリティー・イベント東日本大震災復興支援2012」が開催され、このなかの『 方言の会 : 被災者に心を寄せて:方言でつなぐ詩の朗読・心のきずな 』というコーナーで「ナラの木」が朗読されることになったそうです。ありがたいことです。趣意はつぎのとおりです。

昨年3月11日に発生しました東日本大震災では、甚大な被害がありました。多くの方々が被害にあわれ、震災後一年以上経ちましたが、今なお厳しい状況が続いております。(協)日本俳優連合では、被災地の方々へ出来る限りの援助を行ないたく、組合員はもとより、関係各位の皆様のお力もお借りして、本イベントを開催させていただきます。

 時間というのは恐ろしい側面をもっているようです。どれだけ悲しみが深くても、どれだけ怒りが大きくても、時間がたてば弱まって行きます。だからこそ、決して忘れないのだという気持ちを確認し、こうして活動を続けることが大切なのだと思います。



7月9日 久世濃子さんからナラの木にまつわる話題について情報がありました。久世さんありがとうございました。

7月7日 スリランカの津波孤児からの励ましの手紙を紹介したことがありますが、今日同国のジャヤンタ・ジャヤワルダナさんから、ゾウに親を殺された孤児の支援活動について支援のお願いが届きました。ご協力願える方は「自然日誌たかつき」をご覧ください。

7月1日 オーストラリア在住のカロリーナ・ガリンデス=シルバさんから「7歳になった君へ」について感想をもらいました。

Dear sensei
The poem is beautiful. It's amazing how your grandchildren and the difficult situation Japan is going through have inspired you to write such deeply touching lines.

美しい詩ですね。お孫さんと日本の困難な状況から、先生はこんなに心に訴える詩がひらめいたんですね。びっくりです。

* カロリーナさんは高槻が東京大学に奉職していたときにベネズエラから留学していました。高槻

もっと読む[仲間の声」の7.1

アーカイブ2011

2011年02月20日 | 資料
6月17日 朗報です!大船渡の山浦玄嗣先生の「ケセン語聖書」が津波に耐えたという新聞記事が掲載されました(朝日新聞2011.6.17夕刊)。山浦先生は東北のことばを深く考え、哲学にまで高めた人で私が大尊敬する人です。改めて書きますが、ともかく先生がお元気で、その上「ケセン語聖書」が人気で売れ始めたとのこと、まことにうれしいことです。
8月3日 NHKラジオ第一放送「私も一言」を聞かれた方から感想が届いています。「やはり、この詩は人の心を動かすパワーをもっているんだ」と確信しました。声をお寄せくださった皆様、ありがとうございました。

6月25日 朝の5時からTokyo FM「People 知花くららのPrecious Life」で「ナラの木」をとりあげるというので、眠い目をこすって聞いたのですが、違う番組をしていました。ところが福島の方から「ラジオを聞きました。感激したので冊子を送ってください。」という内容のメールが入りました。あとで聴いたら、「東京には流さない」東京FM番組という複雑なことで単純な私には難解なことでした。

6月26日 福島の渡部康さんからコメントがあり(このページの下のコメント欄)、「踏んばれ福島」と書いてありました。「がんばれナラの木」は「がんばろうナラの木」とどちらがいいかと迷いながらも、響きで決めたのですが、すでに決めてしまったとはいえ「踏んばれナラの木」のほうがよかったかなとも思いました。「がんばれ」は外から応援、「踏んばれ」は自分が踏んばるという感じがします。でも、福島の人の心に届いたという気がしてうれしかったです。

6月26日 別の方からも「ラジオ聞きました」とのコメントが届きました。

6月29日 「ナラの木」の盛岡版1(岡澤訳)と盛岡版2(小野寺訳)の朗読を東京FMで電子データ化してもらいました。心に響くすばらしい朗読です。高槻takatuki@azabu-u.ac.jpに請求いただけば送ります。

7月1日 エッセーに紹介した大船渡の山浦玄嗣先生に冊子をお送りしたら、お礼を頂戴しました。「仲間の声」に載せました。

7月3日 6月24日に放送されたTokyo FM「People 知花くららのPrecious Life」の録音が届いたので、文字おこしをし、「目次」の次にのせました。くららさんの高槻訳の朗読もすてきでしたが、盛岡版の朗読が秀逸でした。収録ではわからなかったのですが、会話の途中に大好きなジョン・デンバーの「夕陽を背に受けて」、あの「Sunshine on my shoulder makes me happy」が流れ、ぴったりの雰囲気でした。若い頃仙台であったコンサートで聞いたのを思い出しました。

7月16日 高槻はいま金華山にいます。3月11日以来、来たくてもこれなくて悶々としていたのが、ようやく果たせた思いです。昨日、石巻を経由、牡鹿半島先端の鮎川から船で島にわたりました。途中の光景はテレビで見ていたので「覚悟」ができていましたが、やはり正視するのがつらいです。ただ4ヶ月が経っているので、直後とはずいぶんよくなっているとのこと、そのときに来ていたらつらすぎたと思います。金華山は学生時代からずっとシカと植物の調査をしてきた場所なので、お見舞いと様子見に来たのですが、神社の灯籠類が大きな被害を受けていました。ただ電気が通じており、物資も大丈夫のようで、神社の人といろいろお話ができました。山はなにごともなかったかのようで、シカもサルも元気でした。ところどころに土砂が崩れたり、地盤がゆがんだりしたらしいところがありましたが、植物が生えてわかりにくくなっています。いろいろな思いはありますが、被災地訪問の印象はまだまとまっていません。

7月20日
お願い
少し不本意ですが、お願いがあります。「ナラの木」がたくさん集まったし、童話などもできたので、冊子にして訳者に送ろうと思ったのですが、私のうかつさから、メールアドレスを控えていない人がおられます。それでこのブログをご覧の訳者の方(あるいは訳者を紹介くださった方)は私宛のメールでメールアドレスを教えてください。知りたいのは以下の方(敬称略)です。鳴海真澄、佐藤(鳥海)、長谷川美代子.
とくに佐藤さんは下のお名前もわからず、たいへん失礼しております。よろしくお願いします。

7月20日 「強いナラの木」を絵本にしたいと思って、友達の浅野さん(http://www.ab.auone-net.jp/~migo-art/)という絵描きさんに頼んでいたのですが、試作が届きました。すばらしいできです。彩色もモノクロもすばらしいですが、どちらかを選ばなくてはなりません。みなさん、どちらがいいと思いますか?いろいろ相談しながら、今後も描きたしてもらいたいと思っています。

7月27日 高槻は28日から31日までの予定で岩手県に行きます。シカの調査とお見舞いが目的で、大船渡、高田、釜石にも行くつもりです。

7月27日 金華山で感じたことを「遠望すれば」として書きました。気持ちは整理できていないのですが、ひとくぎりとして書き、「エッセー」に載せました。

7月27日 1980年代に岩手県でシカの調査をしていた頃の知人である伊東さんからメールが届きました。地元の「東海新報」に「ナラの木」の記事が掲載されたのを読んだとのことで、「仲間の声」に掲載しました。

8月1日 8月3日にNHKラジオで放送:ラジオ第一放送「私も一言!夕方ニュース」の中の「早川解説委員の“ここに注目!”」のコーナーで「がんばれナラの木」が紹介されることになりました。放送は8月3日の午後6時30分から15分間(多少前後あり)です。

8月3日のラジオ放送への反響
NHKのラジオで聞いてすぐに検索しました。いい詩です。じんわり力が沸いてくるような詩です。教えていただき、ありがとうございます。
 HIROKO

 さきほど、ラジオ第一でナラの木の詩を聞きました。盛岡版の朗読が流れていましたが、その言葉の温かさと力強さに、泣きそうになりました。この詩がこれからも東北の方々を支える力になること、そんな東北の方々を見守る日本や世界の方々の励みになることを切に願います。素敵な詩を紹介してくださり、ありがとうございました。
 たま

ありがとうございました。力強い詩、そして、土地に根ざした言葉の持つ力に、圧倒されました。いろいろな方に、伝えたいです。
 くらみっちゃん

今晩(3日)オサンドンをしていたら、偶然NHKラジオで、高槻先生のお話(ナラの木の詩)を聞くことができ、ビックリしています。とっても心温まるお話でした。高槻先生の訳詩家としての才能にも感服!
 今城治子

8月4日
 昨日NHKラジオで高槻先生のお話を聞き、とても感動しました。私は仙台市に在住し、津波の被害は受けませんでしたが、大地が揺れる怖さが未だに消えません。そんな中で、3月4月以来植物たちの緑が回復してくる様には勇気をもらっておりました。「ナラの木」の詩はこんな状況にいる人間をとても励ましてくれると思います。小冊子を電送していただけるということでしたが、今でも可能でしょうか?ご手配のほど、よろしくお願いいたします。 
 荒川

高槻先生
 8月3日にNHKラジオで拝聴いたしました。あまりにも素敵なお話と感動的な訳に驚き、コメントいたします。夫の家族の出身地(八戸)の言葉でもあり方言の力強さと真実な響きに感動です。日本人は外国のものに憧れ、日本よりも優れていると思いがちです。この訳詩を読み、改めて自分は日本人なのだと思いました。ガーデン、植物の仕事に多少なりとも関わって行こうと思いつつ、日本のものをおろそかにしていた自分に気付きました。自分の中の日本をもう一度思い返してみたいです。私には、小さなことしかできません。でも、小さなことから初めてみようと思います。日本の良さ、日本人の誇り、それを、これから生きる若い方たちに伝えようと思わせてくれました。先生、ありがとうございます。
 Bluebell

 NHKのラジオでこの詩を聞き涙が止まりませんでした。何とかメモしようとネットを探し、ようやく見つけ、今また涙がとまりません。もっと多くの人に教えたいです。
 obabadakuro

高槻成紀先生
 昨夕、帰宅途上の車の中でNHKラジオの放送を拝聴致しました。以前読んだ本(題名は失念しました。けっこう難しい訳本でした*)で、オークベルトのこと、太古からドングリと人類の深いつながりなどを知り、昨今の都市洪水もむやみに広葉樹を切り倒し針葉樹を植林し、また森林の手入れを怠っていることと関係があるのではないか?猪や鹿猿の被害も彼らが住む環境に人間が進出していることもさることながら、森林の手入れ不足と関係はないだろうかと思っています。東北地方、とくに青森・秋田・岩手3県はなんども訪れたことのある懐かしいところです。岩手県の沿岸をドライブしたときの思い出は忘れることが出来ません。自然豊かな東北地方が、地震や津波はやむを得なかったにしても(これさえも後で聞けば、同程度の震災の記録が大昔から残っていたのに活かされていなかったそうですが)、原発の件はどうしても納得がいきません。そこに暮らす人達が承知の上で使っていた便利さならともかく、大都会の人々の利便さのために、豊かな自然の仲に暮らす人々が被害を受ける、こんな理不尽なことは許せません。原発を作りたければ東京湾沿いに作るべきです。
 それはともかく、懐かしい言葉で聞く「ナラの木」の朗読には心が温められてしばし幸せな気持ちになりました。ありがとうございました。盛岡版1(岡澤訳)と盛岡版2(小野寺訳)の朗読か電子データ版、「ナラの木」の冊子、お送りいただければ幸甚です。早々
 田中茂治

*「ドングリと文明」(ローガン、山下篤子訳)、日経BP社 だと思います。名著です(高槻)。

8月3日のラジオ放送への反響

8月5日
高槻先生
 1昨日,NHKの放送で先生のお話を伺いました。大変感動しました。私の家族や友人にも聞かせてあげたいと思います。様々な方言で朗読されているファイルをお送りいただければ幸甚です。お忙しいところ恐縮ですが,よろしくお願い申し上げます。
 羽多野 重信

8月6日
 先日、NHKの夕方ニュースで「ナラの木」の朗読を聴いて、インターネットで調べてメールを差し上げました。宮城県に住んでいます。3月11日の地震では、幸い被害は少なく、今は以前の生活にほぼ戻っています。被害がひどかった方も少なかった方も、あの地震を体験して、うまくは言えませんが、みなさん心にものすごく深いダメージを受けたと思います。私もラジオの「ありがとう」という言葉を聞いただけで、涙が止まらないとか、ほんの少しのことで泣いてしまうようになりました。高齢の母は、あの恐怖を忘れたいせいかと思いますが、何でも忘れるようになってしまいました。そして、忘れてしまうことに更に不安を募らせます。片付けも終わっていませんが、やる気が起こらず、疲労感が取れません。もうすぐ5ヶ月になろうとしています。少しづつ落ち着いてきたかと思いましたが、ラジオから「ナラの木」の朗読が流れてきて、やはり泣きました。でも同時にあたたかい気持ちにもなりました。そして、母は秋田の出身なので、この朗読を聴かせたら癒されるのではないかと思うのです。繰り返し聴いて、私もナラの木のように強くなれたらと思うのです。なので、電子データを送っていただけないでしょうか。少しでも多くの人の心が癒されることを強く願っています。
 松本尚子

8月7日 高槻は8月8日から22日までモンゴルに調査に行きますので、ブログの更新はしばらくお休みになります。ご了解ください。


8月15日 「ナラの木」のブータンのゾンカ語版が届きました。国際化です。

8月20日のラジオ放送への反響
8.20
高槻成紀 様
 ブログを拝見して、初めてメールしています。盛岡版1(岡澤訳)と盛岡版2(小野寺訳)の朗読が電子データ化できました。すばらしいです。10月に盛岡に縁のある集会を予定しておりますが、この場での大震災被災者鎮魂の一環として盛岡弁の朗読を聞きたいと思っております。朗読の電子データを使わせていただきたく、お願い申し上げます。
 寺井正行

8.20
高槻様
 千葉県在住の日暮と申します。「ならの木」の朗読をラジオで拝聴し、感動しました。詩の言葉に力強さがあり、本当に心の底に響く感じがして元気になれると感じました。ぜひ、朗読の電子データをお願いいたします。
 日暮

8.20
高槻様
 緑の林の中に住みたいと山梨に移住した伊藤と申します。モンゴルからお帰りになりましたころにこのメールをご覧になっていらっしゃることかと思います。落ち着かれたころで結構ですのでナラの木の盛岡版1(岡澤訳)と盛岡版2(小野寺訳)の朗読が電子データをぜひ聞きたいと思いますので送って頂きたいです。よろしくお願いいたします
 伊藤

8.20
 初めまして。昨日、ラジオで先生のお話と朗読を聞き、感動とともに、詩そのものの訴える力と東北の言葉のもつ力のすごさが一緒になり、とても感動いたしました。私は小学校の校長をしておりますが、8月30日の始業式には、是非紹介して子どもたちに伝えたい、そのときには、関西弁の私ではなく、実際に東北の方の声が伝えられたらと、厚かましいお願いですが電送いただけますでしょうか。よろしくお願いします。
 京都府京田辺市立三山木小学校  長澤 昌子

8.20
はじめまして、cottonと申します。 8月はじめ、ラジオでナラの木の朗読を聞き、とても心に残っていました。そうしたら、昨日又再度とりあげてくれました。感動的な、特に東北の言葉で聞くと、ほんとうに心に沁みますね。是非朗読と、孫にみせてやりたいので、冊子も送って頂きたいです。旅行からお帰りになりたてで、お疲れでいらっしゃいましょうから、落ち着かれてからで結構です。宜しくお願いします。
 cotton

8.20
高槻様
 本日のラジオ放送を車中でお聞きしました。別の言葉で要約することを憚られる強い感銘を受けました。ご多忙中とても恐縮ですが「盛岡版1(岡澤訳)と盛岡版2(小野寺訳)の朗読」聴きたくて、送付をお願いする次第です。
 申し遅れましたが、私は心理カウンセラーをしている田中純と申します。被災地・避難先で近隣の住民同士で心を支え合えるように「コミュニティ・カウンセラー」というものを養成しようとしています。もしもご興味をお持ちでしたら下記を覗いてみてください。http://qola.jp/
実は、今夕ラジオを聴いたのは、ある家庭への往診に伺って時間調整のために車内で待っているときでした。
私が「根っこ」から連想したもう一つの事柄が、人によって根っこの張り方が違うということです。
同じような辛い体験をして倒れそうになる人と揺らぐことはあっても倒れない人がいるように思えます。
申し上げるまでもなく、往診先の人の根っこはその張り方が足りずに、そよ風でも倒れそうになって電話を掛けてきます。『健康の謎を解く』(A. アントノフスキー)の言うところの「謎」と根っことの間に相通じるものを見たような気がします。
 益体もないことを書き添えてしまいました。今夜はよいものを知ったという満足感とともに過ぎていきます。有り難うございました。
 赤坂溜池クリニック 田中 純

8.20
高槻様
 昨日ラジオをたまたま聴きました。感激して涙がでました。横浜で中学校教員をしておりますので、生徒にも聴かせてあげたいと強く思いました。親切にも電子データを送ってくださると知りました。さらに感激しました。モンゴルでの調査でお疲れのところ申し訳ありません。朗読のデータと冊子のデータの両方を希望します。よろしくお願いします。
 西脇久美子

8.21
高槻成紀様
 初めまして。飯島敏行ともうします。群馬在住の64歳の男です。実はNHKのラジオで2度「ナラの木」の番組を拝聴いたしました。東北弁の朗読になんともいえない感動を味わいました。誰もが感動する詩だと思いますが、特に今回の大震災のかたがたへのすばらしい応援歌になったと思いました。8月20日に仲間の勉強会で老子の勉強をしましたが、その中の文章にこの詩とよく似た内容がありびっくりしました。今日インターネットで早速「がんばれナラの木」のブログを探し、このメールを作成しています。ぜひ盛岡版1(岡澤訳)と盛岡版2(小野寺訳)の朗読の電子データ化されたデータと「ナラの木」の冊子の電送と、孫に呼んで聞かせたいので、子供向けのお話も一緒に伝送していただけめと幸いです。わがままなご依頼ですみませんが、ラジオで聞いただけではもったいなく、ぜひ保管してまわりのみんなにも聞かせたいと思っております。よろしくお願いもうしあげます。
 飯島敏行

8.21
 NHKラジオで「がんばれナラの木」を知りました。是非、東北の言葉で聴いてみたいと思います。お手数ですが朗読データを送ってください。よろしくお願いします。
 氏原 明芳

8.21
 はじめまして,茨城県の新井という者です。先日NHKラジオで盛岡版のこの詩を聞いて,涙が止まりませんでした。1ヶ月に1度休日があるか無いかの勤務をしている自分とナラの木が重なったのだと思います。静かに力が沸いてきたのを感じました。是非,この盛岡版と英語版を自分のブログにも張りたいのですが可能でしょうか?
 新井


8.21 森ぶんめい様から「ナラの木」長崎版が届きました。これまでで最も西の記録となりました

8.22 高槻はモンゴルから帰国しました。20日にNHKラジオで再放送があったようで、反響があります。少しずつお返事していきます。反響は「仲間の声」と「資料」にのせました。

<反響(9月以降)>
9.5
高槻先生
 ご多忙中に早速の返信、恐縮です。取り急ぎダウンロードして聴きましたところ、盛岡弁の柔らかで温かで、かつ力強い力に深く心動かされる思いでした。しみじみとしたよい音声データをいただき、誠にありがとうございました。申し遅れましたが、当方は高校生に英語を教える者です。9・11テロの犠牲者を悼む式典で「千の風」が朗読されたと聞きました。アシスタントの米国人女性と共に、The Oak Tree を紹介する時、この盛岡版朗読も一緒に流し、”勇気を与える詩”の力を生徒たちと体感しようと思います。ボランティアでガレキ処理に訪れた宮城県気仙沼には、まだ復興の鎚音遠いことを痛感いたしました。兵庫の高校生たちが、日常の中でも被災地のことをいつも心において生活してくれることを願って、当方のできることをささやかでも続けていきたいと存じます。先生のこの運動で、被災地へのエールが絶えることなく続くことを心より願っております。
 兵庫県 大西


8.22
高槻先生
 お疲れさまです。モンゴルはいかがでしたか?今度 お話をお聴きしたいものです。
 さて、友人の旦那さん ツェリン ケルデンさん(ブータン人)が母国語のゾンカ語で「ナラの木」を訳してくださいました。ケルデンさんの奥様は日本のかたです。彼女にに聞くと、スペルではさっぱりわからないが、ゾンカ語の響きできくと静かな味わいがある とのことでしたので、現在、録音機をかして朗読に挑戦してもらっているところです。モンゴルに立つと、また見えてくる日本の姿もあったのではないかと想像します。また、お会いできる日を楽しみにしています。
 父島 鈴木創

8.23
高槻 先生
 ご無沙汰しております、中央農研の仲谷です。「ナラの木」の長崎版が届いたとのこと、地域版、いつも
楽しませて頂いております。方言の響きはまた格別です。この詩が本来持っている魅力がさらに広がっています。
 先日、NHKラジオで番組を拝聴しました。高槻先生がおっしゃるように、この詩が持つ魅力がゆっくりであってもじわじわと人の心を動かすことを願っています。どうか御身大切にご活躍下さい。
 中央農研 仲谷淳

8.23
高槻さま
 先日のラジオ放送で、活動のことを知りました。わたしは福島県いわき市出身で、幼い甥と姪を夏休み1ヶ月、空き家になっていた長野にある親類の家ですごさせました。その帰り道、車の中で東北弁で朗読された「ナラの木」の詩を聞いて、助手席に乗っていた妹とふたり、子どもたちに気づかれないように静かに涙しました。また、放射能を浴びる福島に送り届けなければならない現実を抱えながらも、けっしてくじけてはいけないと励まされました。
 冊子と朗読の電子データがあるとのことですが、このメールによるお願いでお送りいただけるのでしょうか?お手数をおかけいたしますが、お送りいただければ幸いです。
 出版化の話が進んでいるとのことでしたね。わたしも翻訳書の編集をしており、気づくのが遅れたと残念ですが、権利者との交渉がうまくいって、無事出版できることをお祈りしております。
 すばらしい活動に感服しております。この詩が多くの人々の力になってくれることを心より願っています。どうぞよろしくお願いいたします。
 NHK出版 学芸図書編集部 猪狩暢子


8.23
猪狩様
  心のこもったお便りをありがとうございました。不思議なことが重なって、身の程も知らず活動を始めました。お申し越しのもの、添付します。ありがとうございました。高槻成紀


8.23
高槻さま
 お忙しいところ、早速ご手配いただきありがとうございました。
いわき版をおもわず声に出して読んでみたくなりました。母に音読させてみたいです。震災以降、ACの広告で「がんばれ、ニッポン」と流れるたびに、母は、「震災や津波で壊れた物は、がんばれば少しずつ復活するかもしんねげんとも、がんばってもなじょもできないごどもあるう。がんばれって言われっと、この頃、悲しぐなる」と言っていたものです。ですけど、家族や友人と励ましあうときは、やはり「がんばっぺ! なんとがなっから!」というしかなかったのも事実です。地元の言葉には、標準語では表現できない心強さがあります。お国言葉で朗読される「ナラの木」にもそんな強さがあるように思います。多くの人に、自分の言葉で読んでもらえたらいいですね。ありがとうございました。
 猪狩

8.23
猪狩様
 実は「がんばれナラの木」と名前をつけるとき、「がんばろうナラの木」にするか迷いました。「がんばれ」には突き放す響きを感じるように思ったのです。でも、声に出してみると「がんばろう」はあまりよくない。それで「がんばれ」のほうにしました。お母様のことばはほんとうだと思います。どうすることががんばることなのか。どうすることが励ましになるのか。よくよく考えるとわかりません。それでも私は、被災者がうつむく角度を一度でも上げるには、経済的支援だけではないと信じています。ま、そういう気持ちです。ありがとうございました。高槻成紀


8.23
高槻成紀様
 早速朗読の盛岡版2つ、お送りいただきありがとうございます。絵本も、おかげさまでブログからコピーさせていただきました。さっそく、孫が遊びに来ましたら、読んでやりたいと思います。会社で話をしたところ、何人もの社員がNHKで朗読を聞いたといっておりました。会社のワーキング活動の中でこの詩を披露したいと思います。お忙しい中をありがとうございました。
 飯島敏行

8.24
高槻先生
はじめまして。横浜の高橋と申します。NHKラジオで「がんばれナラの木」のことを知りました。6年前の新潟県中越大震災で故郷が被災したこともあり、今回の東北大震災はとても人ごととは思えず、何か自分にも出来ることはないかと思っております。お手数ですが、盛岡版1(岡澤訳)と盛岡版2(小野寺訳)の朗読電子データを転送していただきたく、お願い申し上げます。
高橋みどり

8.24
高槻様
お忙しい中、早々に送信していただき有難うございました。さっそく拝聴いたしました。東北弁での語りは、優しさと強さを感じます。いい詩ですね。
日暮

8.25
高槻先生 モンゴルから帰られてお忙しいなか、朗読とナラの木の冊子のファイルをお送り頂きありがとうございました。この朗読を感動して聞きながら、自問しました。頑張っておられる東北の方々に思いをはせながら、今自分達がするべき事は何だろうか、義援金を送ったり、東北産のものを買うだけでなく、もっと何かをしなければこの日本に与えられた試練の意味がなくなると思いました。どうすれば良いか分からないけれど、まずは価値観を変えてみようと思います。人を押しのけて競争するのではなく、成し遂げる意力は持ちながら、自然や周りの人々に感謝しつつ、共に歩むような価値観。偉そうに言っても、どこまで出来るかわかりませんが、まずは感謝なら出来そうですので、そこから始めます。ほんとうにありがとうございました。先生の益々のご活躍をお祈り申し上げます。
東京都 山中 琴(cotton)

8.25
山中様
 お便りありがとうございました。私はこのささやかな活動を通じてたいせつなことに気づいたと思っています。それは人はもともとだれかの役に立ちたいという気持ちをもっているものだということ。しかし戦後の日本の社会は人に優劣をつけ、勝たなければ負ける、負ければ人生が悲惨になるから、つらくても人に勝てと教育してきたと思います。私が東京に来て一番ショックだったのは、電車で人身事故が起きたというアナウンスがあったときに、舌うちをして「困るよな」という人を目の当たりにしたときです。それまで仙台にいたのですが、仙台でそういうことになれば、みんなが心配して、どうしようとか、助けようとかします。私は自分が生きようとしている社会が異常であるという諦観をもちました。悲しいことに今の自分は同類になりつつあるようです。山中様が書かれたこと ― 自然や周りの人々に感謝しつつ、共に歩むような価値観 ー はとても大切だと感じます。私たちが、そういう、本来人ももつ心をとりもどすことがなければ、震災でなくなった2万人もの人の魂に申し訳がないと思います。ありがとうございました。 高槻成紀

8/27
データをありがとうございました。被災地にボランティアに行き、戻ってからは仕事が忙しく今頃の返信となり失礼いたしました。
中学3年生の夏休み明けの初回の授業は、自分の体験報告とこの「ナラの木」で進めようと思っています。この詩の力をかりて、被災地の人の思いを生徒に伝えることができるような気がします。 
 西脇久美子

8.29
高槻様
 偶然NHKのラジオから流れてきた「ナラの木」の東北弁の詩に深い感銘を受けました。私は福岡県の学校司書の仕事をしており、ぜひこの詩を声に出して読んでみたいと思います。岡澤さんの電子データを送っていただけないでしょうか。よろしくお願い申し上げます。
 進 紀子

8.30 エッセー「花火禁止」を書きました。

8.30 NHKラジオ放送の文字起こしをしました。「放送」にのせました。

9.5
大西先生
 ご丁寧なお返事をありがとうございました。英語の先生でしたら、子供たちに外国のことばが理解できることの喜びを伝えてもらえるとありがたいです。私がこの詩を訳したときの感動は不思議なものでした。イメージがわいて、ひとりでに指が動いたという感じでした。そして詩人の魂が多くの人のそれに直接届き、突き動かされるように訳詩ができたのです。それは不思議な体験で、外国語がわかるとそういう体験ができるという目的をもってとりくめば、勉強も苦痛でなくなるはずです。高槻成紀



9.5 「ナラの木のうた」を載せました。
「ナラの木のうた:震災の復興を願って」という歌を作りました。楽譜をカテゴリー「歌」「お話」のあと)にのせました。以下は歌詞だけです。

ナラの木のうた:震災の復興を願って
作曲・訳詞 高槻成紀 2011.9.4 

強い雨風 ナラの木を襲い
昼のあいだも 夜もなく
枝をゆらし 葉を飛ばし
木の皮さえも ひきはがし
ナラはとうとう 丸はだか


ほかの木はみな 倒れても
それでもナラの木は 立っていた
疲れた風は ナラに聞く 
どうしてお前は 立っている
そんなに強く 立っている


あなたは折れる この枝を
あなたは奪える この葉をも
あなたはできる ゆすることも
だけどさわれはしない 根っこにだけは
それは私の 深いところ


私も知らずに 今日まできた
自分がどれだけ 耐えられるか
だけどおかげで  知りました
私のことを 知りました
われらナラの木は 強いことを 負けないことを


9.5 「ナラの木」大分版が届きました。これまでで「最南」です。

9月11日 あの日から半年が経ちました。奇しくもそれはあの9.11から10年目の日と重なったということで、私たちの気持ちをいっそう重くします。半年たって、事態がよくなったか。もちろん瓦礫のかたづけなどは進んだとはいえ、むしろあの震災がいかに大きく、深いものであったかを改めて知らされたという感のほうが強いと思います。私たちにできることは小さなものですが、少なくともこの苦難を共有し、なんとか力になりたいという思いを維持しなければならないと思います。
 テレビの特集番組で、いまでも行方不明の家族の生存を信じて、ひとりで探している初老の男性が「あきらめない」と語られました。私にはそのことばがナラの木の魂と重なって響きました。
 ささやかな活動ではありますが、この活動もあきらめないで続けたい、半年のアニバーサリーにそう思いました。


9月13日 「ナラの木のうた」について感想を聞かせていただくとよろこびます。

9月16日 ギャラリーに「独り立つ木」を載せました。。



9月14日 お願い ある「ブログ訪問者」から、朗読を聞いて感動したので、you tubeにアップしてほしいというリクエストがありました。私はyou tubeはときどき利用しますが、アップのしかたなどは存じません。どなたかご協力願えませんでしょうか。

9月20日 目次を改良し、タイトルをクリックすればそこに飛べるようにしました。こういうことに強くないので、これまでご不便をおかけしました。

9月20日 秋田の成田さんから「ナラの木」秋田県北版が届きました。

下記のフォーラムがいよいよ明日に迫りました。お近くの人はぜひどうぞ。

高槻の職場である麻布大学の大学祭で10月29日に「東日本大震災:森と海のつながりを考える」というフォーラムをおこないます。麻布大学はC.W.ニコル・アファンの森財団と学術交流協定をむすび、学生が卒業研究などでアファンの森で調査をしています。そうした活動の一環として大学祭でフォーラムを開催することになりました。はじめに「ナラの木」の詩の宮城版を地元出身の相沢一成さんが朗読します。この朗読はYou tubeで聞くことができます。そのあとニコルさんと、気仙沼でカキ養殖をして今回被災された畠山信さんのお話を聞きます。
 大学祭ですからどなたでも無料で参加できます。周りの方にも声をかけてぜひお越し下さい。ついでにいうと高槻が企画した「願えば叶うー増井光子*展」もしています。麻布大学は東京の麻布にはなくて、町田の近くで、横浜線の矢部駅下車です。

 10月29日 14時 麻布大学(JR横浜線矢部駅)無料



* 増井光子先生は上野動物園時代にパンダの人工繁殖に成功した獣医師で、その後ズーラシアの園長としても活躍されました。麻布獣医科大学(今の麻布大学)卒業で、当時は女子学生は100人に2人だけだったそうです。

10月2日 エッセー「ナラの木と土と工」を書きました。

9月30日 吉備太郎さんから「ナラの木」の岡山版が届きました。中国地方からは初めてです。


10月10日 お話「強いナラの木」いくつかのシーンをイラストレータの浅野文彦さんが描いて(習作)くださいました。

10月8日 高槻はスリランカで津波にあった子供たちの教育支援のために「ゾウさん基金」という支援活動をしていますが、その孤児たちから、今回の震災について手紙が来ました。スリランカのシンハラ文字の手紙3通と、和訳をいくつか紹介します。これらはシンハラ語で書かれたものが多いので、「ゾウさん基金」の中心の一人であるウダヤニさん(在オーストラリア)に送られ、それが英語に訳されて送られてきたので、時間がかかりました。多くの子供たちが当時の津波のことを思い出し、日本の被災者の苦しみを思って、願わくば日本に行って手伝いたい、何もできないので悲しいと書いてくれています。
 たまたま京都や大阪の人が同朋でありながら示した心ない差別発言を聞いたところだったので、人間としての質がこうまでも違うのかと感じずにはいられませんでした。

 
10月4日 ベネズエラのマリアさんからお便りが届きました。

Dear sensei,

Sorry I haven't written in such a long time. I want you to know that the Japanese people are always in my prayers, that I think about them everyday, and I pray and pray for them to be safe. I want them to know that I am always with them, in the sound of the breeze, in the sakura trees, in the gardens so beautifully kept, in the smile of the children, in the way they speak that sounds like music.

I also want them to know that somebody far, far away cares about them, and embrace and comforts them, that I admire Japan as an amazing country, so strong as the oak tree.

Thank you for always keeping me up to date.

Best regards,
Maria.

先生
 ご無沙汰して申し訳ありません。お伝えしたいのです、日本の皆さんのことをいつもお祈りしていて、毎日皆さんのことを思っていて、お元気でいてくださいと心からお祈りしているということを。皆さんにお伝えしたいのです、私はいつも皆さんとともに、そよ風の音とともに、桜の木とともに、手入れされた庭とともに、子供たちの笑顔をともに、皆さんが音楽のようにきれいに話すようすとともにいるということを。
 それに、皆さんに知っていただきたいのです、はるか遠くにいて心にとめ、抱きしめ、慰め、日本という国が驚くべき国で、ナラの木のように強いのだと讃えている人がいるということを。
 いつも新しいことをお知らせいただきありがとうございます。
 マリア


マリアさんは10年ほどまえに私が指導していたベネズエラからの留学生カロリーナさんのお母様で、3月に来日し、サクラの美しさが印象的だったようです。高槻

10月3日 浅野文彦さんがすばらしいミズナラのイラストを送ってくださいました。浅野さんありがとうございました。



10月2日 ギャラリーに「ミズナラの木漏れ陽」を載せました。




10月2日 「がんばれナラの木」を読んで「ナラの木」の詩を紹介したり、感想を述べたりしてくださるブログがあるようです。一部でしょうが紹介する「ブログへの紹介」コーナーをつくりました。

10月18日 ダイアナさんとはその後も連絡をとりあっていますが、最近のものの一部を紹介します。

10.16
Dear Diana
How are you? I have not heard from you for a while. Recently, F. Asano, my friend, who drew a drawing of Dogo and an oak of my tale “A Strong Oak Tree”, sent me another illustration. It is the last scene of the tale where Gen, the son of Dogo, walk down the mountain after conversation with the oak tree.
Best,
Taka

ダイアナ
 どうですか?しばらく音沙汰がなかったですね。以前私が作った「強いナラの木」の話に出て来たドウゴを描いてくれた友人の浅野君が最近、別の絵を送ってくれました。ドウゴの息子のゲンがナラの木と話をしたあとに山を下りてゆく最後のシーンです。
ではまた


10.17
Hello Taka-san!!
I am so sorry I have not written, but I have been so busy with my fire project that I have let important things escape from me!
This is A BEAUTIFUL painting!!!
I still have not edited Dogo’s story – please forgive me – that is still on my list of things “to do!”
Huggs

タカさん
 ご無沙汰していてほんとにごめんなさい。山火事のことであんまり忙しかったものだから、大事なことをほったらかしにしちゃって。
 この絵はとーってもき・れ・い!!!ドウゴのお話の英語を直すこともそのままになっていて、ごめんなさいね。これも「やらなくちゃ」リストにあげたままになってます。
ぎゅっ


10.18
Dear Diana
Thank you for your quick reply. We have many “To Do!”, don’t’ we? I am pleased to know that you like the illustration. So do I. He is enjoying it, and sent some others with different “touches”, and asked me which type I like, and I like best the illustration I sent yesterday. I attach other trials. One is storm attacking the oak, and another is Dogo-wife conversation to see gentle Gen growing a sapling. He sometimes use color, but I asked him to use color only at the end (pink sun with Gen’s walking down), which must be more impressive.
Take care and hope good progress for fire in Mexico.

ダイアナ
 すぐに返事をしてくれてありがとう。お互い「やらなくちゃ」がたくさんあるものね。浅野君の絵のことを気に入ってもらったみたいでうれしいです。私も大好きです。彼は楽しみながら描いてくれています。別のタッチの絵も送ってくれていて、どういのがいいか聞いてきたので、きのう送った最後のシーンが一番好きだと返事しました。別のタッチのものも送りますね。ひとつはナラの木を襲う嵐で、もうひとつは若い木を育てるゲンを心配そうに話すドウゴと奥さんです。浅野君は彩色画も描きますが、私は全部白黒にして、最後のシーンだけで色を使うよう(ゲンが下山し紅色の太陽があるもの)頼みました。そのほうが印象的だと思うんでね。
では。メキシコの山火事のことがうまくいきますよう。

10.18
Dear Taka-san
This is the most beautiful one of all – I would someday like to have it hanging on my wall to remind me of the great Oak Story :-) I still have high hopes that something wonderful will come of this!
Have a wonderful day, Taka-san! For me, it is good night :-)

タカさん
全部の中でこれが最高だわ・・・あの偉大な「ナラの木」を忘れないようにいつか壁に掛けたいです(にっこり)。このことについて何がすてきなことがおこりそうな気がまだしてるの。タカさん、すばらしい一日になりますよう、今夜はすできな夜になりました。(にっこり)

10.24
Taka-san
As you know, oaks are my very favorite trees. Here is a very sad picture of my favorite oak, which burned and died during the fires. It is called a Chinquapin oak (Quercus muehlenbergii).
However, upon my recent return, I found many small saplings that will take it’s place!
Diana

タカさん
ご存じのようにナラの木は私のが大好きな木です。送るのはそのお気に入りのナラの木の悲しい写真で、山火事で焼けて枯れてしまったの。このナラはチンカピン・オークと呼ばれてるんです。ところが、最近行ってみたら、たくさんの若木が生えていて、きっと再生するわ。ダイアナ


メキシコの山火事にあったナラの林 左は火事前、右は火事後 撮影ダイアナ・ドーンクライダー


10.29
麻布大学で大学祭の特別企画としてフォーラム「東日本大震災:森と海のつながりを考える」を開催しました。

開会
10月29日の会場(生命環境科学部棟1階)において、野口さんの司会により開会しました。最初に政岡学長の挨拶がありました。麻布大学とアファンの森財団の学術交流協定が結ばれたこと、本学がかかげる人と動物と環境との共生を考えるとき、この震災に対する取り組みも重要であり、そこには循環の考え方が不可欠であるという話でした。
 これに続けて、相澤さんにより「ナラの木」(仙台版)が朗読されました。これにより、この集まりが森から始まるということがイメージ化され、また東北のことばの暖かさや力強さが感じられ、会場に東北地方のことが話されることへの期待感が醸成されました。

 これに次いで高槻が挨拶をし、それに続いて気仙沼でカキ養殖をしておられる畠山信さんが講演をされました。畠山さんは「森は海の恋人」運動で有名は畠山重篤さんのご子息で、今回津波で臼歯に一生を得る体験をされました。
話の最後に、「すみません、いつも見ている海で、なんとも思っていないんですが、こうしてスライドで見ると、あの時のことが思い出された胸がどきどきしてしまって」と言われたのが印象的でした。演壇を降りる畠山さんに大きな拍手がわき、これを受けたニコルさんの話が始まりましたた。開口一番話されたのは、その畠山さんの話を讃えるとともに、トラウマは無理に抑え込もうとする必要はないというやさしいことばでした。ニコルさんはサケをとりあげて、森と海がいかに深くむすびついているかを、例のユーモアを交えながら話しました。話のあとでアファンの森の映像を紹介しながら、よい林はよい管理によるのだという実例をあげて話をし、最後に「心の森」プロジェクトについても紹介した。森のもつ力、人と森とのつながりについて会場は深い感動に包まれた。
 講演を聞いたあとで会場からも発言を受けながら4人でフリートークをしました。今度の震災のもつ限りなく深い意味、関東にすむ我々が何ができるかなど、さまざまな話題について充実した議論がされました。最後に司会の野口さんが、誰もがおかしいと思いながら別のことが進んでしまったという意味では、太平洋戦争も、自然破壊も、そして今進んでいる復興計画も共通のものがあり、その体質を改める必要があるだろうと締めくくりました。

10.29
「ナラの木」盛岡版のすばらしい朗読をしてくださった小野寺瑞穂さんが岩手大学の同窓会で朗読され、たいへん好評だったとのことです。

11.2
麻布大学のフォーラムに参加された気仙沼の畠山信さんから、「ナラの木」の宮城県唐桑版が届きました。

12.7
千葉県流山市の柴田 隆昭様から、畑 則子による「ナラの木」秋田県横手地方版が届きました。




















アーカイブ 2013(2)

2011年02月19日 | 目次
12月20日 今朝の新聞をみると「政府、復興加速へ方針転換」(朝日新聞)とあります。なんだか意味がよくわかりませんが、内容を見ると復帰がむずかしいと判断されたが、それを発表すると原発再稼働との整合性がないから、あいまいにしているというようなことのようです。あれから1000日が経ちました。私自身恥じるところがありますが、やはり時間が人の心理に与える影響はある。被災者支援の気持ちがあるかないかといえば、誰でも「ある」とはいうものの、2年前と同じ力を維持しているかと問われて「はい」と言える人がどれだけいるでしょう。
 人の感情は時とともに静まるものです。そうでなければ人は苦しくて生きていけないから、そういう性質があることは救いでもあります。そうであればこそ、息子を戦死させた母親が戦後を生きてゆくことができたのだと思います。私たちは東電の不誠実さや犯罪性にあれほど義憤を感じていたのに、時間とともにそれが緩和され、鈍化してゆく事実を認めないわけにはいきません。これはよくないことです。
 そして思うのは為政者はその人の心理を確かに知っていて、利用するということです。よくないことは事実だ、でもそのうち民は忘れてゆくものだ。原爆を否定していた日本人がいつのまにか原発大国に住んでいるという大矛盾はその好例です。福島での悲劇―阿武隈の麗しい里山に人が住めなくなったという、ありえない理不尽―を、どこか知らない土地で、ずっと昔に起きたことでもあるかのように風化させることだってありえるし、事実、今回の政策の方針転換も、その国民の心理の変化を待っていたと思えるし、マスコミの扱いも小さいといわなくてはなりません。
 福島の皆さんの悲しみを本当の意味で共有することはできませんが、そのことを思いやること、それをしなくなる自分を恥ずかしく感じる心だけは失いたくないと思います。

11月25日 小笠原に新しい島ができるかもしれないと報じられました。そのことについて我が国の官房長官は笑いながら「領海が広がってよろこんでいる」という意味の発言をしていました。一国の政治家の思わぬ発言から、その人の政治感覚がも漏れ伝わることがあります。領土問題が懸案であることタイミングにそういうことを思うという部分があるかもしれないが、あまりにも問題の所在の捉え方が違う。このことは領海が500m広がる吉報などではなく、日本の地下で大きな地殻変動が起きていることの明白なメッセージです。台風の雨程度で汚染水が漏れると右往左往しているが、大きな地震があれば大量の高濃度汚染水が流れ出ることを抑制ことはまったくできません。そういう日が近づいている、関東平野に大地震が起きる可能性が相当大きくなっていることの予兆ではないかととらえるのが、ごく常識的な政治バランスであるはずです。官房長官というのはスポークスマンです。どの国でもテレビでの暴露性の大きさを考えて説得力のある人材を選んでいます。菅氏の容貌や物言いについての評価はいろいろでしょうが、私の印象では、スポークスマンとしてはもう少し明るく主張の明快な人材を期待したい。少なくとも政治家としてバランスある発言ができる人のほうが、このテレビの影響力が大きい時代には「国益」につながると思います。

11月24日 お詫びとお知らせ 私の不注意で8月に峰不二子さんによる「ナラの木」の長崎ことば訳が届いてたことに気づかないでいました。申し訳ありませんでした。

11月24日 私の研究室ではいま福島のイノシシが何を食べているかを分析しています。私の気持ちの中には、この分析を通じて、野生動物になりかわって、フクシマ原発問題は日本社会が被害者ではなく、加害者なのだということを伝えたいという気持ちがあります。そのことの認識と反省なしに日本の未来はないと思うからです。もっと読む

11月4日 昨夜はテレビに釘付け、最後のシーンでは涙が出そうになりました。
 時間は昭和44年に遡りました。もっと読む


10月30日 あれだけ暑かった夏が過ぎ、肌寒いと感じることもある季節になりました。まことに我が国は季節の明瞭な国です。そして雨のよく降る国です。今年はとくに伊豆大島が大被害を受け、犠牲者も出てしまいました。規模の程度は違っても各地でたいへんなことが起きました。過去数年を遡って被害地を地図上の落とせば、列島すべてが被災地で被われるはずです。東日本大震災は1000年に一度のレベルだったかもしれませんが、台風は毎年のことです。その常襲的な台風に対してさえ、福島第一原発は対応できていません。そして金魚すくいでもするような子供だましな工事をしては、汚染水が漏れてしまったなどと言っています。グランドデザインも科学的な予測もなく、場当たりな対応をするばかりです。もっと読む
 


10月26日 「動物を守りたい君へ」が岩波ジュニア新書から出版され、少しずつ読後感想も届くようになりました。その中で「ナラの木」は紹介できないことになったのですが、私がこの詩にであったときのこと、何かに打たれたように日本語にできた不思議な体験、それがこのブログを通じて広がったことなどを紹介し、詩の概要、地方訳のすばらしさなどを記述することはできました。本全体のメッセージは動物の命をどう考えるべきか、生き物のつながりのすばらしさ、そして私たちは自然に対して謙虚に生きなければならないということです。そのことを伝えるために東日本大震災のことも書きました。




10月16日 大きな台風が来ました。福島原発に大雨が降って、汚染水の問題があるようです。実に心もとないことで、とても「管理下にある」などといえるものではありません。たまたま基準値以下だから排出したなどといっているが、では基準値以上だったらどうしたのか。そもそも線量は誰が測定したのか。私は基準値以下ということ自体をまったく信じていません。
 こんな子供だましのようなことでは大量の高濃度汚染水が太平洋を汚染するのは時間の問題だと思います。日本列島は本当に災害列島です。それは人間が立ち向かって押さえ込むことなどとてもできるものではありません。災害があることを前提に、危険を回避しながら生きてゆくしかないのです。ただちに廃炉です。再稼働などありえないことです。


10月10日 目次に紹介した岩波ジュニア新書ですが、10月に入ってからホールマーク社から掲載を許可しないという連絡があり、残念ながら訳は紹介できないことになりました。がっかりしましたが、相手のあることでしかたがありません。一度は許可が出ていたので、ちょっとがっかりしています。版権などでややこしいことがあるのだと思います。「ナラの木」に教えてもらった不屈の精神で受け止めることにします。それでもこの詩との出会い、方言のこと、詩のもつ魂のことなどは紹介しました。これにともない、目次に書いた内容を改めました。

9月15日 懸念していることのひとつが現実に起きているようです。台風18号により、福島原発の汚染水タンクから汚染水が漏洩しているらしいです。この程度の台風は今後7年間、何度もあるはずです。数十年に一度といっているのは京都あたりのことで、福島は風雨が弱いほうのはずです。それで汚染水が漏れるのだから、今後、台風が直撃することはいくらでもあるでしょう。地震と台風が同時に襲うことだってあるでしょう。今からでもよい、オリンピックは返上したほうがよい。東京が自慢する貯金は福島のために使ったほうがよい。

9月14日 岩波書店から「チェルノブイリ被害の全貌」が出版されていたことを迂闊にも最近になって知りました。それを読んで戦慄を覚えました。20年経っても健康被害は収まるどころか増え続けていて、とくに子供が苦しんでいるそうです。旧ソ連の当局はこの事故の恐ろしさを知ったがゆえに、情報を機密にすべく厳命を出し、医学データの改ざんがおこなわれました。そのこんなん亜状況に立ち向かい、信頼できるデータを読み取り、集大成した報告書が公表され、訳されたのです。それによると、事故前にほとんどの子供が健康だったのに、今では健康な子供は20%もいないのだそうです。とくに甲状腺がんが増え、先天性奇形率も数倍に増えています。罪のない子供たちを一基の発電所事故が不幸に陥れたのです。日本という社会はその惨事を知りながら原発依存を強めてきてしまったのです。フクシマの事故はチェルノブイリと同じレベル7であり、日本の子供のほうが安全だという根拠は何もないのです。もっと読む

私はレベル7と聞いたときには説明があって認識もしたのだろうが、その後忘れていたのか、原発事故のレベルは10まであって、その7番目くらいに思っていた。ところがレベル7は最も高いレベルで「深刻」とされていることを改めて知った。これ以上の危険はないということだ。


9月14日 「東電にはまかせておけない」として汚染水対策に政府が乗り出したことを、私は肯定的にとらえていました。それほどの大事だと考えるからです。それほど東電はひどい企業だと思っていたからです。ところがここに来ておかしなねじれが見えて来ました。オリンピック誘致のプレゼンで国の責任者たる首相が「安全です、完全にコントロール下にあります」と断言したのに対して、あの東電が「汚染水の流出は抑えられない」と言っているのです。それで私は思いました。まだ東電のほうが誠実なのではないかと。あれほどひどい会社でも、認めたくはないが、放射能汚染水というおそるべき悪魔の物質を垂れ流すことを覆い隠すことはできないと判断して、ここは正直に認めたほうがよいと言っているのです。このことの意味することは、阿部首相はそれよりもひどい嘘つきだということです。私は思いました、「東電にまかせておけない」ということの意味は、「東電の嘘のつきかたは十分ではない。嘘はこうつくものだ」という意味なのではないか、と。

9月11日 検察は東日本大震災について、だれにも責任がないとしたそうです。これほどばかげた結論があるでしょうか。もっと読む

9月8日 テレビをつけるとオリンピック招致が東京に決まったといい、大喜びする人の映像が紹介されていました。

 私はまったくうれしくない。よせばいいのにと思う。思いはたくさんあるが、少しだけ書いておきたい。もっと読む

8月30日 心からうらやましいと思った。ふたつのことである。もっと読む

8月24日 8月24日の朝日新聞朝刊の「プロメテウスの罠』シリーズに私の取材記事が載りました。東日本の方は読まれたかもしれません。私のいいたいことは次のようなことでした。もっと読む

8月23日 モンゴルに行っていたため、しばらくご無沙汰していました。朗報があります。岩波ジュニア新書で「動物を守りたい君へ」という本を出すことが決まりました。出版は春に決まっていたのですが、「ナラの木」の詩を紹介したかったので、その許可を取るまでは公表を控えていました。モンゴルに行っているあいだに許可が得られたという連絡がありました。この本はこれからの日本の子供たちが生きていく上で、動物との距離がますます遠ざかるという状況のなかで、いかに動物との関係を築くべきかを考えてもらうことを目的としました。動物といっても私が専門とする野生動物だけではなく、ペットや家畜も含まれますが、それらについてもさまざまな問題があります。そういうことを紹介しながら、自然界では生き物がつながっているということをわかってもらいたいということを書きました。最後のほうで東日本大震災に触れて、これがいかに深刻な惨事であったか、そして動物を自然を放射能汚染するということがいかにおそろしいことであるかを書きました。それは大きくいえば日本人と自然との関係を問い直すことにもつながります。
 このブログとの関連でいえば、震災のことを記述するなかで「ナラの木」との出会い、その展開についても紹介しました。地方訳としては盛岡版(岡澤訳)を紹介しました。
 これによって若い世代に「ナラの木」を読んでもらえることになるので、うれしく思います。
 「ナラの木」を紹介する本は2011年の秋くらいから考えており、少しあたってもみたのですが、要するに同じ詩が並んでいるだけでは売れる本にならないということで、出版には漕ぎつけませんでした。私の中では今でも本にしたいという気持ちはあり、この詩のこと、ナラの木の生物学的な特徴のこと、方言のすばらしさなどをもりこんだ本を作る夢は持ち続けたいと思っています。それはかなわないことかもしれませんが、今回、こういう形で公開できることになり、少し溜飲を下げた思いです。
 出版は順調に行けば10月の予定です。


8月12日 汚染水について思うことがあります。
 政府が東電に見切りをつけて、汚染水が流れ出ないための対策をする、ということは税金を使うということだという報道がされました。このブログの訪問者の皆さんは、東電をあからさまに憎む私が「とんでもない」と言うと思われるでしょうが、そうではありません。それは次のような理由からです。もっと読む


8月10日 昨日の朝日新聞の一面に「原発事故、全員不起訴へ」という見出しで、東電首脳、管元首相、原子力安全委員などに対して検察が動いていたことが報じられた。このことについては、私は「東電は業務上過失致死罪だ」とずっと言って来たことで、検察が動いていたこと自体はよかったというか、社会の健全性という意味で安心した部分があります。ただ私の中では、東電首脳と管首相は全然別のものとしてあったので、意外感がありました。管首相は逃げ出そうとしていた東電を罵倒したという話でしたから、むしろ対立した存在と思っていました。記事の主旨はあの震災は予測不能であり、したがって起訴はできないということでした。これは反論はむずかしいように思います。ジャレド・ダイアモンドが、「文明崩壊」の中で、かつて崩壊した社会について、人の記憶は数十年しか伝わらず、とくに文字のなかった社会ではそうであったために、崩壊が落ちたといっています。百年以上前の出来事は伝わりにくく、たとえば大きいスケールで乾燥していても数十年雨が多ければ、「ここは雨が多い」と思ってしまい、乾燥しても「これは珍しいこと」と考えてしまうというのです。そうであれば千年に一度という地震が予測できないのは無理はないと思います。しかし、それは地震の素人についてであって、専門家である安全委員はどうなのか。それも「無理はない」のであれば、そもそも専門委員会とは何のためにあるのか。委員長である班目さんという人の発言はいかにもいいかげんでした。検察は犯罪をとりしまるのが仕事だから、犯罪とはいえないのかもしれないが、科学者としての倫理観や矜持という点ではいかがなものか。いずれにしても、これで東電は「あれは予測できなかったのだから、自分たちが悪かったのではないことが、公的に示された」と開き直ることは確実です。

8月8日 7月25日に汚染水のことを書きましたが、その後、この問題がいよいよ深刻になってきました。いいたいことはたくさんあるのですが、爆発前の地下水を「基準」以下であれば放水するように検討するというニュースを聞き、これは絶対にしてはいけないと思いました。これは日本の内部事情ではありません。日本が地球に対しておこなった深刻な加害です。国内法や国内基準で決めてよいことではありません。地球の基準にてらして、迷惑なことであれば決してしてはいけないことです。
 当時の首相であった野田氏が「終息宣言」をしたときにも思ったことですが、あれは何だったのでしょうか。私に言わせれば、自分の家が火事になっているのに、周囲の家に詫びることもなく、根拠もなく家族に「大丈夫だ」といっている愚か者です。しかも火事なら時間とともに終息しますが、原発事故の放射能汚染物質は決して消えることはないのです。いまなすべきことは、世界に詫びること、処理を東電という無能で不実な組織にまかせず、我が国の総力をあげて海を汚染しないようにすることです。