がんばれナラの木

震災にあわれた東北地方の皆様を力づけたくて
The Oak Treeを地方ことばに訳すことを始めました

6年目(2017年3月)

2017年03月05日 | エッセー
6年目のあの日が近づきました。このブログは低調になってしまいましたが、私自身の気持ちは変わっていません。正確に言えば少し変容してはいます。しかし、「ナラの木」の精神を被災された方に届け、勇気を持っていただきたいという根本的なところはまったく変化していません。もし、「ナラの木」を読んで、「自分の地方のことばにしてみたい」という方がおられましたら、いつでもお送りください。
 さて、2011年のときの気持ちがそのままでないということについて。「ナラの木」を訳し、紹介したとき、3年もすれば復興するだろうと楽観視していました。それは認識の甘さということになるかもしれませんが、関西淡路大震災などの前例を考えれば、そう考えても不思議ではないと思われます。しかし現実はそうではありませんでした。放射能汚染というものの底知れぬおそろしさは私たちの想像をはるかに上回るものだったし、誰にも想定ができないことだったと思います。しかし、それ以外の、津波で物理的破壊を受けた地方の復興は可能であると思っていました。それが大幅に遅れ、見通しも立たないということについて、私は理由がわかりません。
 なぜこれだけ長い時間が経つのに仮設住宅から出ることさえできないのか。私は事情があって宮城県のある仮設住宅に何度か泊まることがありました。粗末な立て付けで、狭く、換気や防音も悪く、1泊だからなんとか耐えるけども、ここにずっといると思うと気が滅入りました。そこに6年もいるということの肉体的精神的苦痛はいかばかりか。しかも、若い家庭が次々と出て行く、あるいは老人でも子供に引き取られて出て行くという中で、身寄りもなく取り残された老人は文字通り希望を断たれ、絶望的な気持ちでおられるのではないでしょうか。これは明らかな行政の不備ではないでしょうか。
 個々の行政担当者が努力しているのはわかるのですが、組織としての行政に限界があるのは明らかです。そういうやりきれなさもありますが、何より哀しいのは、人の心のもつ宿命です。人の脳は忘れるようにできていて、そうでなければ生きることができないということを聞いたことがあります。確かに昔のことはよい思い出のほうが残るように思います。苦しい思い出は事実の記憶はあっても、心をふさぐような気持ちというのは不思議にやわらぐような気がします。そうした心の性質としてでしょうが、6年という時間は頭で事実を思い出しはしても、どこか遠くの問題のようになっていることを正直に認めなければなりません。行政の組織的な問題や、財政的な制約とは違う、私たちの心の限界が、問題を解決できないものがあるのは間違いありません。
 人の心の問題はそれだけではありません。ただでさえ、苦しんでおられる被災者の人々、とくに子供が、心ない子供にいじめられていたということが明らかになりました。それを聞いたとき、にわかには信じられませんでした。自分の学校に福島で被災して困っている友達が来たと聞けば、みんなで元気付けようとするのがふつうのことのはずです。実際、多くの子供たちはそうしたのだと思います。しかし、そうでない子がいた。その事実に本当に心が塞がる気がします。
 家をなくし、逃げるようにして見知らぬ土地にひっこすことの不安。親の仕事の不安。自分の将来への不安。そういう不安をもっている子供は、友達が暖かく迎え入れてくれたとしても、それでも心から笑うことはできないはずです。私も小学生のときに転校生だったから、そのことはよくわかります。ところが、その友達であるべき子供が、あろうことか、ことばや暴力やお金をせびるという形でいじめをしていたというのです。しかも特殊事例ではないとも伝えられました。ことばもありません。
 いじめられた子供は、地震という天災によって故郷を離れるという悲しみを味わいました。それは避けることのできないことでした。しかし子供のいじめは天災ではないし、味合わせる必要のなかったことでした。人としていたわりをもつ、それだけでよいことなのに、なぜできなかったか。私はそこに現代社会の病理を感じないではいられません。
 そうした重い気持ちが、私にこのブログにどれだけの意味があるのだろうと考えさせてしまいます。でも、私の気持ちなどは被災された方々の気持ちに比べればなにほどでもありません。私にできるのは「ナラの木」の心を伝えることだけです。そのために、なによりの力になるのは、「ナラの木」を読まれた方が自分のことばの地方訳を送ってくださることです。6年目のあの日を迎えるにあたり、に改めてお願いいたします。



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2 コメント

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志に改めて共感します (どんぽのばぶ)
2017-08-25 05:55:34
それぞれの人が自分なりのやり方で根気良く粘り強く復興支援の底上げにささやかな力を発揮し続け連帯していくこと。一つの市民運動といえるかもしれません『保養ネットよこはま』というグループが6年前の夏から毎年伊豆の河津で古民家キャンプをしています。私は4年前にこのグループの実践と出会い以来関わりを続けています。今年のキャンプレポートは私のブログで報告しています。これ以外に私は基本「一人」で地道に私なりの支援活動を6年前から展開しています。自分のライフワークの一つです。
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お礼 (高槻成紀)
2017-10-20 06:13:37
ありがとうございます。失速感は否めませんが、それでも点けた火は消してはいけないと思います。
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