がんばれナラの木

震災にあわれた東北地方の皆様を力づけたくて
The Oak Treeを地方ことばに訳すことを始めました

年の初めに:科学する精神

2011年04月01日 | エッセー
2012年1月1日

新しい年を迎えました。2011年は震災にあけくれた一年でした。津波そのものの衝撃が大きかったのは確かですが、私の中では原発事故のほうが重くのしかかっています。津波は自然現象ですが、原発はあきらかに人災であり、どういう弁解を弄しても私たちの世代が原発に依存する社会を作ってしまったことに責任があり、その意味で自分が原発事故に加担したといえるからです。
 小学生の頃、発明発見についての本がよくありました。思えば発明と発見は全然違うのに、語呂からペアにされてまとめられていました。発明はいわば技術で、例えばエジソンの発明でアメリカ社会が便利になったからすばらしいという類いの話です。野口英世に代表される医学の発見も同類だったように思います。私が夢中になって読んだのは発見のほうでした。生き物の暮らしを解明した話に惹き付けられました。全体としては科学が称揚され、科学が大切だ、科学こそが日本を豊かにするという調子がありました。それは物量でアメリカに負けたという無念さなどともつながっていたでしょう。ただそこでいう科学とは技術とほぼ同義でした。鉄人28号とか鉄腕アトムなどのロボットの登場もそうした空気を反映していたと思います。そして現実に私たちが成長するにつれて、家電製品が改良され、社会は便利になりました。社会は確実に豊かになり、戦後の教育は奏功したと考えられたと思います。同時に、戦前には一部の、家庭が豊かで成績のよい生徒しか進学できなかった大学に、成績さえよければ入学できるという、多くの親にとっては垂涎の夢が現実となりました。社会全体が酔ったかのように受験勉強をさせ、よい大学に入ることが人生を決定させるかの空気になりました。そして高校は受験勉強の場になりました。
 科学者としての大きな反省は、科学、科学といってきた教育の場は本当に科学的な精神を教えてきたかということです。理科は暗記ができればよい成績をとれます。それは科学ではありません。自然界で起きていることをどう正しく把握するかということが科学的精神であり、そのためには主観的直感がもつ危険を抑制すること、仮説を立てて検証すること、得られたデータの意味を冷静に読み取ることが必要であるのに、そういうことは一切教えてもらいませんでした。
 もうひとつは科学は技術であるという誤解があったということです。私は生き物のつながりを研究してきましたが、その到達点は自然の底がないほどの複雑さを知ることだと思います。それは簡単な仮説で説明できることは少ないし、たとえば実験室で条件を変えて実験して出てくる結果を読み取るというようなアプローチで「解明」できるようなこととはまるで違います。しかし技術優先の「科学的態度」は自然を説明できるものと「想定」します。それは傲慢だと思います。そういう態度が原発事故をもたらしたと思います。そういう技術者たちは、あれだけの経験をしながら、防潮堤が10mで足りなかったなら20mにするとして、現実にそうした計画が巨大な予算で動いているそうです。若い頃に叩き込まれた自然観は容易には修正できないのでしょう。しかしそういう教育を受けた世代が今の日本の社会を動かしているのです。
 私はもうこりごりです。豊かでなくていいから平穏な日常が欲しいです。私たちは当たり前の平穏な日々は当たり前ゆえに印象に残りません。日記にしても、なにかの文章を書くにしても、劇的で非日常的な体験を書きます。それは自然なことですが、私が今回の震災で学んだことがあるとすれば、ささやかな平穏な日々のありがたさに気づかせてもらったということです。そして、それは容易に達成されるのではなく、そうした危険を予知し、未然に防ぐための努力、それはまさに科学的な態度、つまり情報を正しく把握し、クールに分析することがなければ能わないし、将来に対する深い洞察がなければ実現できないということです。私たちの国はそういう意味でまったく科学的でなかった。私はそのことを知って絶望に近い落胆をしました。
 あのマハトマ・ガンジーが社会には7つの大きな罪があるといった中に、「人間性なき科学」というものがあるそうです。英語では Science without Humanity だそうですから、「人間性」というのはひとつの訳ですが、「人らしさ」、日本語でいえば「情け」といった訳も可能だと思います。これは科学技術という意味の科学とは大きくニュアンスが違います。戦後の日本が追求したのは「情けなき科学」ではなかったでしょうか。そうであればガンジーにいわせればそれは罪だということです。
 ガンジーは20世紀が生んだ世界の偉人で、ひょっとしたら数百年に一人といえるほどの人かもしれません。こういう機会にじっくりと偉人のことばを噛み締めるのも意味があると思います。ただ、私が2012年の初めに伝えたいのは、ある中学生のことばです。梶原裕太君は震災のとき宮城県気仙沼市階上(はしかみ)中学校の3年生でした。彼は卒業式にすばらしいことばを語りました。

 自然の猛威の前には人間の力はあまりに無力で、私たちから大切なものを容赦なく奪っていきました。天が与えた試練というにはむごすぎるものでした。つらくて悔しくてたまりません。しかし苦難にあっても天を恨まず、運命に耐え、助け合って生きて行くことがこれからの私たちの使命です。

 ここにある精神こそ、人としてのすばらしさを凝縮したものといえると思います。こうした精神に支えられた科学であれば、自然を侮ることなく、謙虚で前向きに自然に接することでしょう。こういう洞察ができる若者がいることは大きな希望です。私は年の初めに、改めて私たちが若者に本当の科学的精神を伝えることの大切さを考えたいと思います。

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