がんばれナラの木

震災にあわれた東北地方の皆様を力づけたくて
The Oak Treeを地方ことばに訳すことを始めました

「ナラの木」絵本

2011年08月03日 | お話
ナラの木
鈴木直(すずき・なおし)(横浜市在住, 山形県天童市出身)
山形県天童版



ある見晴らすのええ山の上さ
どっすり天までとどくようなふといナラの木が一本
ずんとそびえておったど
そすて そのナラの木のまわりでは
いつも子どもやら どうぶつやら とりたちが
楽すく遊んでおったんだど


ある日のこと
きゅうに空がくもり出してよ、
ものすごい風が吹いてきたんだと
ひるも夜もよ ぶっとおす 吹いてよ
ナラの木のほとんどのはっぱを吹ごとばし、
枝をびゅんびゅんとゆすってよ
木の皮さも ひっぺがるほどだったど
子どもだづもどうぶつだつも とりだつも おそろすくって
みんなにげ出したんだど


「やーい、はやぐぶったおれろ!!」
風は歯をむきだすて おそいかかったど
なにくそ、おれは負けんもんか
でも ほんとうは こわくなってきた。
まわりの木はばたばたと みんな倒れてすまったからよ


ナラの木はついに皮をはがれて
まるはだかになってしまったど
それでも地面(づめん)さ すっかりと立ておった。
まわりのほかの木はみんなぶったおれてすまったど。
いくら吹いでも倒れないナラの木を見て
風はくたびれてすまった。
あきらめてすまった風はナラの木さ言(ゆ)ったんだど


「やーい、ナラの木よ
おまえはどんなになっても
まだどうして立っておられるんだ」

そこでナラの木はゆったんだど
「おまえはおれの枝を折ることも
ぜんぶの葉っぱを吹きとばすことも
枝をゆらすことも
おれのからだをぐうらぐらとゆらすこともできるんだべ、
でもよ、おれにはよ
大地さひろがる根っこがあるんだ。
生まれたときから 少すずつ 強くなってきたんだ。
おまえはこの根っこさは ぜったいさわらんない。
わかんねえかよー。わかるべちゃ


根っこはよー おれの一番(いつばん)深い深い大事なとこなんだ。
実はよー 今日までおれは自分(ずぶん)のことが
よくわかっていなかったんだ。
自分(ずぶん)自身(ずすん)がいったいどのくらい
ものごとさ がまんできるんだべがをよ。
それがよ、ありがたいことに
今日わかったのよ。
自分(ずぶん)が知(す)っていた自分(ずぶん)よりも
おれはずっと強くなったんだとゆうことをよ」


そしてあのすごかった風も
今は去ってナラの木のまわりには村の子ども達(だつ)がまた集まり
どうぶつ達(だつ)や小鳥達(だつ)も集まり
楽すく過ごすようになったんだとさ


強いナラの木

2011年08月03日 | お話
強いナラの木
高槻成紀 作

「ナラの木」にインスピレーションを得て

ナラの木が深い山の斜面に一本立っていました。
そのナラの木はとても丈夫で、自信に満ちていました。
強い風が吹くと横倒しになるほど曲がりましたが、それでも大丈夫でした。



「風なんか平気さ。おれは強いんだ!」
そうして少しずつ背が高くなり、幹も太くなっていきました。このナラの木のことをだれともなく「ナラおやじ」と呼ぶようになりました。

 ある日、そのナラおやじのところにシカを狩ってくらすドウゴという名前の狩人が来ました。気難しい男で、ドウゴが笑うのを見た人はだれもいませんでした。
シカを追って疲れたのか、ナラおやじのもとに座って眠りこんでしまいました。



「疲れたのかい?」
ナラおやじは尋ねました。
「ちょっとな。俺も若いころはいくら山を走り回っても、ちっとも疲れなかったもんだが、このごろへとへとになることがあるんだ。歳をとったみたいだ。」
「どうしてシカ撃ちなんかするんだ。町で働いたほうがお金がかせげるだろう。」
「おれは人が嫌いなんだ。とくに人に命令されるのが大嫌いなんだ。」
吐き捨てるように言いました。

 ドウゴにはやさしい奥さんと、ゲンという息子がいました。ゲンはお母さんに似てやさしい心をもつ少年でした。
「おい、ゲン、お前も鉄砲が使えるんだから、シカ撃ちについてこい」
ドウゴがさそいますが、ゲンは動物を殺すのが好きでないので、
「とうさん、今日はやめとく」
とことわりました。
 ゲンはどちらかというと植物や昆虫が好きで、山で小さな木や、ドングリなどをみつけると家にもちかえって庭で育てるのでした。木が少しずつ大きくなるのを見るのが好きでした。



 それから長い時間がたって、ドウゴは72歳で静かに死にました。ゲンも立派な狩人になって山でシカをとって暮らすようになりましたが、生活は貧しいものでした。ただゲンは貧しくても山を歩いて生きるのが好きでした。夏の暑い日に汗をかいて山道を歩き、沢におりて水で顔を洗うのはじつに気持ちのいいものでした。



 秋になるとキノコやさまざまの木の実がなり、それを持ち帰るとニキというかわいい奥さんがよろこんでくれました。



 冬は雪がつもり、山を歩くのはそれはたいへんでしたが、でも狩人にとってはいちばんよい季節です。というのは雪の上には動物の足跡が残るからです。
 狩人は雪の上に残った足跡から、どの動物が何をしていたかを読み取ることができるのです。ウサギは後ろ足が大きいので、足跡ですぐわかります。シカは細い足をしているので、雪の中に深く沈みます。これを追いかけると沢で動けなくなっているシカを見つけることができます。そういうときは確実にシカがとれます。ゲンは少しかわいそうだと思いながらも、狩人ですから生活のためにシカを撃ちました。こうして冬のあいだに動物をとって、それを売って生活のかてにしました。



 でも、なんといってもすばらしいのは春です。雪がとけると、まっくろな地面から植物の芽がでてくるし、木々の枝先からも葉が開きます。山全体が命のすばらしさを歌うようです。ゲンはこういう山のようすを見るのがなによりも好きでした。



 ゲンはドウゴと違って人が嫌いではありませんでした。でもおとなしいので人と話をするのはにがてで、山にいるほうがほっとするのでした。
 山で虫をみているといそがしそうに葉を食べています。
「葉がたくさんあるからこういう虫も生きられるんだ」
 花にハチがきて忙しそうに蜜を吸っています。
「ハチは花があるから蜜を吸えるんだ」
 よく見るとハチの脚に花粉がたくさんついています。
「ハチが花粉を運ぶから花は種を作れるんだ」
 ゲンは生き物のつながりを考えることが好きで、立場が違えばどの生き物にもいいことがあるのだということに気づきました。
 山に行くと、よくリスを見ます。リスは秋になると忙しそうにナラの木のドングリを持って行きます。
「リスはドングリがあるからお腹いっぱいになるまで食べられるんだ」
「でもリスはドングリを運んでやるから、ナラの木が別の場所で生えるのを手伝ってもいるんだ」

 ある日、ゲンがドウゴが眠りこけたのと同じあのナラおやじの根もとに座っていました。そしてドウゴと同じように眠ってしまいました。ナラおやじは言いました。
「俺はお前のおやじと仲がよかった。お前のおやじは強くて誰の世話にもならなかったからな」
 ゲンは黙って聞いていました。
「俺も人の世話になるのは嫌いよ。俺はこうして一人で生きているんだ。風だって、嵐だって負けやしない。絶対倒れない」
 そして続けました。
「だれにも世話にならないし、だれの世話もしない。山の中ではみんな一人で生きるものなんだ」
「そうかなあ」
 ずっとだまっていたゲンがつぶやきました。
「あんたはずいぶん人助けをしていると思うけど」
「なんだって?俺はそんなことした覚えはないぞ」
「だって小鳥に枝を貸してとまらせていたじゃないか」
「なんだそんなことか。そのくらい損にはならないからな。でも得にもなりゃしない」
「そうかなあ」
 ゲンは言いました。
「春になって葉が伸びると芋虫がたくさん葉を食べるだろう」
「そう、俺のいちばん嫌いなことさ」
「その芋虫を鳥が食べてくれてるんだよ」
「そういえばそうかもしれないな」
「その鳥は巣に芋虫をもちかえって雛に食べさせるから、あんたは鳥の雛を育てていることになる。」
「そういうもんかなあ」
「そうだろう。あんたは一人で生きている、だれの役にも立ちたくないというけど、そんなことはない」
「そうかもしれんな」
「ほかにもあるよ」
「そうか?」
「うん、秋になってドングリがなると、カケスやリスがたくさんやってくるだろう」
「ああ、うるさくてかなわん」
「クマだって来るだろ?」
「ああときどき」
「山の動物たちは冬越しがたいへんだから、秋にたくさん食べるんだ」
「ドングリはたくさんできるから、俺もそのくらいの役に立つのはいいと思っている。でもあいつらが俺の役に立つわけじゃあない」
「そんなことはない」
「というと?」
「うん、カケスやリスはドングリを運んであんたの子供が違う場所で芽を出すのを手伝ってくれてるんだ」
「そうなのかい?」
「そうさ、あんたはふたことめには一人で生きてるっていうけど、実はたくさんの動物にも植物にもとても役に立っているし、そういう仲間に助けられてもいるんだ」
「そんなふうには考えたことなかったなあ」
「考えてなくてもそうしてたのさ」
「お前はおもしろい奴だ。ドウゴとも気があってたけど、あいつとは全然違う話をしてた。俺たちは一人なんだ。人を助けるなんて馬鹿なことだってな。」
 ゲンはだまってほほえんでいました。
「俺はこれからも強く生きるけど、強いという意味を少し考えてみることにしたよ」
 ナラおやじが話すのを聞きながら、ゲンはゆっくりと山を下りていきました。



イラストは浅野文彦さんのご協力をいただきました。写真は高槻です。

大きなナラの木

2011年08月03日 | お話
大きなナラの木
高槻成紀 2011.4.18 
立木浩子さんによる方言指導

「ナラの木」にインスピレーションを得て

とても明るい光が降り注いでいました。
そこにはドングリがたくさん落ちていました。
そのうちのひとつのドングリが言いました、
「ああ、いい気持ち。君は?」
ととなりのドングリに聞きました。
「うん、私もとってもいい気持ち」
そこはなだらかな山の中で
ドングリたちの上には
それはそれは大きなナラの木がありました。
その木は傘のように枝を拡げ
その枝には小鳥が来ることもあれば
リスがぴょんぴょんと跳ねて
となりの枝に飛び移ることもありました。



ある秋の日、夏から少しずつ育っていたドングリが実りました。
リスは忙しそうに木の下に落ちたドングリを拾って
口にくわえてはぴょんぴょんと走って
土の中に埋めました。
そのとき、珍しいお客さんがありました。
大きなクマがドングリを食べに来たのです。
その秋は山にドングリがあまり実らなかったのです。
それでお腹がぺこぺこになったクマは
この大きなナラの木まで歩いて来たのです。
クマの食べること 食べること
ドングリをムシャムシャと食べ、
それでもまだやめないで食べ続けました。
たくさんのドングリのおかげで おなかいっぱいになったクマは
岩のあいだで眠り込んでしまいました。
その眠りは次の春まで続いたのでした。



このナラの木を昔から知っているゲンじいさんが言いました。
「おらが若(わげ)ぇ頃は こったな でげぇ木ぃ いっぺぇあったったじゃ。
んだども、だんだんと木ぃ切るようになってぇ、
山さ木ぃねぐなってしまったもや」
ゲンじいさんは山を眺めながら続けました。
「んだども、太(ふって)ぇ木ぃだけは切らねがった。
神様みでなもんだがらな。
んだがら、なんぼ木ぃねぐなったったって、
こったな木ぃ切ってぇなんねぇじゃ」
ゲンじいさんの じいさんの、またそのじいさんも、
このナラの木を知っていたのです。
そのじいさんの孫の、その孫が生まれるずーっと長いあいだ、
ナラの木は、暑い夏の日も、秋の嵐も、長くて寒い冬ものりきって、
しっかりと大地に立ってドングリを実らせてきました。

ドングリが聞きました。
「ナラの木さん、嵐ってこわいの?」
「んだなぁ、怖(こえ)ぇってば怖んだども、大丈夫だ。
おらだづナラの木ぃは お前(め)だづが思(おべ)でるよりも
ずっと強(つえ)ぇがら」

明るい日差しの中で、小さなドングリたちはそのナラの木と楽しげにお話を続けるのでした。

ナラの木のうた

2011年08月03日 | 


「ナラの木」の訳を野生動物関係のメーリングリストに投稿するときは、とてもはばかられて事前に管理者に相談しましたが、これはそのときにまさるとも劣らずはばかられることです。
 私は詩を訳すということがいかに困難なことであるかを想像し(エッセー「詩を訳すろいうこと」)、それをした自分が身の程知らずだと思っています(放送「NHK第一放送」)。にもかかわらず、さらにはるかに身の程知らずのことをしました。その詩を歌詞にし、メロディーをつけたのです。
 実は私は下手ながら歌が好きで、よく歌います。野外調査で山を歩くときはたいてい鼻歌を歌っているようです。「団塊の世代」なので、ご多分に漏れず70年代にフォークソングのまねごとをして今でもギターで歌います。音楽を知る人にはあまりにも稚拙でしょうが、「初めて聞いたのにどこかで聞いたことがあるようなのがいい歌だ」という自説(?)に沿って作ってみました。楽譜の書き方がよくわからず、中学校の頃教わったことを想いだしながら書きましたので、きっとまちがいだらけだと思います。4番の最後は2小節をくりかえすのですが(あれはたしかダルセーニョとかいったような)、その書き方がわかりませんので、歌詞だけを繰り返しました。音楽のわかる人は、ほかの部分も含めてご指導いただけると幸いです。ついでながらコードもあやしげです。
 そういうわけで大いなるはばかりがあるのですが、別に私の音楽的才能がないといわれて、喜ぶ人も嘆く人もいるわけではない、と開き直ってこのブログに載せることにしました。
 プロの人には「著作権」のことが気になるかもしれませんが、そんな大それたものではなく、このブログをご覧になる人のうち、音楽に関心があって、楽譜が読める人(おそらく多くて20人くらい)限定ですので、その「少数派」がつまびいて下さればおつりが来るくらいのこととして、ご海容いただけるものと思っています。

* 9月11日に少し修正しました。

People (東京FM)

2011年08月01日 | 放送
知花くららのPrecious Life (東京FM)
2011年6月24日 放送

くらら:いま私の前には麻布大学の高槻成紀教授がすわっておられます。いくつか質問してみたいと思います。先生の専門分野を教えてください。
高槻:動物生態学といって実験室の動物ではなくて、野外での暮らしをあきらかにする、また動物と環境の関係を明らかにする、そういう研究です。
くらら:その分野に興味をもたれたきっかけは?
高槻:子供のころ野外で虫をとったり魚をとったりして遊んでいました。みんなはだんだん興味が変わっていくのですが、私はそのままだったんです。だからきっかけといえば、昆虫かもしれませんね。
くらら:先生のご出身は?
高槻:鳥取です。
くらら:いま興味のある動物は?
高槻:今はシカを研究していますが、学生といっしょにスリランカのアジアゾウとか、モンゴルのガゼル、野生馬なども研究しています。
くらら:もし動物に生まれ変われたら、どういう動物に生まれ変わりたいですか?
高槻:小さな甲虫でハムシというのがいるんですが、それがいいかもしれませんね。
くらら:最近いちばんうれしかったことは?
高槻:春になると新しい学生が研究室に入ってくるのですが、はじめは漠然と「動物が好き」といっているのですが、いっしょに山に行って経験をすると、少しずつ変わって来ます。自分で動植物の名前を調べるようになったり、学生がほんとうに自然に興味をもつようになってくれたなと感じることができたとき、うれしいと感じますね。

****************************************
くらら:先ほどの質問のなかで私が興味をもったお答えがありました。もし動物に生まれ変わるなら甲虫・・・
高槻:ハムシといって、テントウムシみたいな5ミリくらいの小さな虫で、種類もたくさんいます。
くらら:どうしてですか?
高槻:なんとなくですが、私はだいたい肉食系より草食系が好きなんです。草食系がピースフルだというのと、私たちとは全然違う世界に生きて言えるような気がするんです。諦めるということがないんです。たとえば葉の上にいるハムシの葉をたてるとトコトコと上に歩いていきますが、これをひっくり返すと、また上に向かって歩き始めます。
くらら:ハッハ。やりますよ、テントウムシ。
高槻:鳥や獣だと、何回かやるとあきらめたり、ふてくされたりしますが、昆虫はそういうことがまったくないんです。
くらら:ふーん、昆虫はみんなそうなんですか?
高槻:そうだと思いますが、少なくともハムシはそうです。それとかわいらしく、メタリックに光ってきれいだとかいうこともあります。それに鳥とか獣とか魚とか、私たちに目立ちますけど、ハムシたちは誰にも気づかれずに暮らしている。その感じが「いいな」と。
くらら:誰にも気づかずに暮らしたい?
高槻:うーん、なんていうんですか。環境問題を考えると、人間の数が多すぎることが問題になっていますよね。そういう「目立つこと」というのがあんまりよくないんでないかと。ハムシのような控えめで、はばかりながら生きるのがいいんでないかと。
くらら:はぁー。なにかさきほど先生がおっしゃったように、ピースフルな感じがありますよね。
高槻:それとどこか楽しげな。
くらら:はぁー。
高槻:一生懸命なんだけど、どこかひょうきんな。
くらら:もしそのハムシになったら、どんな世界が見えますか?
高槻:人のやっていることが理解できないでしょうね。
くらら:人間のしていることが?
高槻:そう。煩悩ですよ。あれがやりたい、これがやりたい、ということはなくて、黙々と草を食べて人生をまっとうする。そういう感じがいいなと。
くらら:今のことばから、なんとなく先生のお人柄がわかったような。
高槻:そうですか。
くらら:今はシカを研究しているということですが、シカはどういう動物ですか?
高槻:皆さんご存知の奈良にいるあれですが、私は仙台の大学に行ったのですが、近くに今回震災にあった金華山という島があって、そこに3年生のときに先輩につれていってもらったんです。神様の住む島という、とてもきれいな島ですが、そこにシカが大切にされて、のんびりと暮らしているのをみて、「日本にこんな野生動物がいるんだ」と感動して、その研究ができたらいいなと思ってそれ以来いまだに35年も研究を続けているというわけです。
くらら:東北にいらしたんですね?
高槻:はい、仙台です。
くらら:どのくらいいらしたんですか?
高槻:十代の終わりから四十代のはじめまでですから、人生の核心部を過ごしたことになります。
くらら:そんなに長く。それで東北の自然やシカが先生にとっては特別なんですね。
高槻:そうです。自然が豊かで、ちょっとでかければカタクリやスミレなどが咲く林がいくらでもある。遠くにわざわざ覚悟して出かけるという感じではないんですよ。
くらら:近くにある。
高槻:ええ、その自然というのは、知床とか屋久島のような大自然ではなく、身近で人が関係をもってきた自然ですよね。それがまたいいんですよ。
くらら:先生にとって日本のほかの場所とちがって東北の自然の魅力とはなんですか?
高槻:人との関係でいえば、東京の周りでは、優劣でいえば圧倒的に人のほうが強いでしょう。自然が遠慮しながらなんとか細々と生き残っているという感じですが、東北では人が自然のなかに「お邪魔します」という感じで入っていくような関係です。
くらら:ちょっと違う関係が。
高槻:そうですね。

****************************************
くらら:東北をはげますある活動をしておられるんですね。
高槻:はい。私は肉食獣は得意でないという話をしましたが、学生に元気なのがいて、ヒグマを調べたのとツキノワグマを調べたのがいたので、クマ研究者仲間のメーリングリストに入っているんです。そのMLに3月15日くらいでしょうか、アメリカのダイアナさんという人から「ナラの木」の詩が送ってきたんです。その人が作ったと思っていたのですが、グリーティングカードで読んだその詩が日本の被災者を励ますのにぴったりだと思い送ったということでした。そのMLの責任者は、自分は詩を訳すのは得意ではないから、誰か訳さないかということでした。私も「誰かが訳してくれるのだろうな」と思っていたのですが、読んでみたら、これが感動的だったんですよ。それで「訳したい」というのではなく、自然に短い時間でフワーッと一気に訳したんですね。それをMLに送り返したんです。そうしたら、その翌日、それを読んだ山形の人が山形の方言にして送り返してくださったんです。
くらら:ああ、すぐ反応があったんですね。
高槻:ええ。それを声に出して読んだら、すごくいいんですよ。私の訳よりいいんですよ。それで、これは震災にあった人を励ます力になる、東京のことばではなくて、東北のそれぞれのことばに訳したらいいと思って、そのMLにお願いを出したんです。
くらら:へえー。
高槻:そしたら次から次から届いて、いまや20近くですよ。青森から、青森も津軽とか南部とかあるんですけど・・
くらら:地方によりいろいろ違うでしょうからね。
高槻:ええ、岩手、宮城、福島、茨城とか、少し離れて静岡とかもあるんですけどね。
くらら:わあ、すごい。
高槻:それぞれが、とてもすばらしいんですよ。
くらら:うーん。
高槻:私はその朝、5分くらいで訳したと記憶しますが、それで自分のすることは終わったと思っていたのですが、その詩自身は動きだしたような・・
くらら:そうですよね。広まっていったんですねえ。
高槻:一人で歩き出したような、不思議な体験を、いましているところですね。
くらら:さて、ではその詩をここで朗読させていただきたいと思います。僭越ながら私が挑戦させていただきたいと思います。

[「ナラの木」(高槻訳)の朗読]

では、さらに、盛岡のことばに訳されたバージョンを皆さんに紹介したいと思います。

「ナラの木」(岡澤訳)、小野寺朗読]

くらら:方言に訳されるとあったかーい感じがしますね。
高槻:色でいえば、焦げ茶色、そんな感じがしますね。
くらら:暖かみのある褐色。
高槻:私にはそんな感じがします。
くらら:いま各地の方言に紹介されているんですね。どのくらいですか?
高槻:二十近くで、東北に限定すると十五くらいです。ひとことで東北弁とされるけど、みんなちがっていて、それぞれに豊かな表現力があります。ナラは東北地方にたくさんあるので、東北地方は木でいえば「ナラの国」といえるほどです。ミズナラとコナラがあり、ドングリを作る木です。それにクマやリスの餌にもなっています。強い木なんですよ。火にも耐えるし、伐採されても再生できます。
 私自身は東北地方の人間ではありませんが、長くいてわかったんです。今度の震災のことでも、つらい目にあっているのに文句を言わないですよね。ぐっと耐えるというか。
くらら:そうなんですよね。私、4月、5月の被災地に行かせていただいて、宮城県の南三陸に行ったのですが、皆さん何もおっしゃらないんです。皆さんからいろんなものをいただいて、ありがとうございます・・
高槻:お礼を言いますよね、不満ではなくて。
くらら:そうなんですよね。本当に力強いなあという印象でした。
高槻:あの感じが私に言わせればナラの木なんですよ。
くらら:そうですか。
高槻:しかし、プライドはあるんですね。「根にはさわれない」、これがね、東北の心なのだと思って。だから、私が標準語的な訳にしたことを、東北の人は飛び越えて一気にこの詩の魂に達したのだという気がしたんですよね。偶然の一致かもしれないけど、東北の人の姿勢と、この詩に歌われたナラの心が私の中で重なって非常に感動的だったんです。
くらら:なにか必然的な出逢いを感じますね。
高槻:そうですね。だから、この詩を東北の人が聞いたらきっと元気が出るのではないかと思って、こういう活動を始めたんです。
くらら: はい。
[ジョン・デンバーの「太陽を背にうけて」(Sunshine On My Shoulders)]

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くらら:朗読しました「ナラの木」ですが、高槻教授がアメリカの研究者間に教えてもらった詩を日本語に訳したものだそうです。東日本震災復興のはげみになりたいと、この詩を広める活動をしていらっしゃいます。実際に各地の方言に訳されて、現地の方から反応がありましたか?
高槻:被災者というより、これを読んだ人が、友達の友達に伝えるという不思議な形で伝えたりして、「よかった」「感動した」という声をたくさんいただいています。
くらら:なんかじんわりと浸透している感じですね。
高槻:そうですね。ほんとうにいいものであれば、必ずゆっくりでも広がっていくはずですから、あまり「これが、これが」ということはしていないんですが、着実に広がっているようです。
くらら:なんかその広がり方とか、この詩の力強さみたいなものって、たとえばナラの木とか、東北の方の姿と重なってきますね。きっと想像するに、もっともっと広がっていくんじゃないかと思いますが、そうなったらどうします?
高槻:いや、それは私がどうこう言うことではなくて、この詩自身は確かにパワーをもっていると思うので、広がればもちろん光栄なことですが、詩自身の力で広がるなら広がるだろうということですかね。
くらら:この詩によって助けられたり、救われたりというお気持ちになる方がいっぱいいらっしゃるでしょうからね。
高槻:だといいですね。

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くらら:最後に高槻教授にとってプレシャスライフの源は?
高槻:物心ついたときから生き物が好きで、最初は動く動物ですが、しだいに植物も好きになって、自然の中でいろんな生き物がつながっているということを体で感じることができたんですよ。それは業(なりわい)として大学の先生とだから研究をしているのではなく、リタイアしてもずっと続けることだし、そういう「自然を知ることのよろこび」が源ですね。
くらら:もし自然を身近に感じられなくなったら、どうなるでしょう?
高槻:私はいま東京の西のほうに住んでいるんですが、街ではありますが、けっこう雑木林や空き地などもあるんです。僕がそういう話をすると「そういう自然はどこに行けば見えますか」という質問をする人があるのですが、それは大間違いで、通勤路でも見ようと思う目があれば見えるんですよ。
くらら:はあ、なるほど。
高槻:大自然はないですけどね。最初に学生が変わるということを言いましたが、学生がそういうふうに変わるんですよ。歩いていても「この花はなんだろう?」とか、「きのう咲いていなかったのに」とか、そういうことを会話の中で言うように変わるんですよ。
くらら:へえ。
高槻:だから、よほどの都心を除いて、ふつうに人が暮らしている場所であれば、必ず見るべき自然はあるんですよ。だから、自然がなくなるというふうには思わないです。
くらら:最後にラジオを聞いている人にメッセージはありますか?
高槻:特別のトキやパンダのような珍しい動物を守ろうというのではなく、日生活の中で、ちょっと雑草に目をやったり、空をみて、天気のことを気にしたりというような感じを、昨日よりちょっとだけ、10%くらい多くもってもらえば、人生が違ってみえますから、私の経験から。それがメッセージです。
くらら:今日はありがとうございました。
高槻:失礼しました。


「私も一言!」(NHKラジオ第一)

2011年08月01日 | 放送
2011年8月3日、「私も一言!」
早川信夫(NHK放送総局解説委員室解説主幹)
有江活子(キャスター)
高槻成紀(麻布大学教
授)
 
早川:高槻さんの専門は野生動物保全生態学。野生のシカの生態にくわしく、東日本大震災で被害を受けた地域、とりわけ宮城県を中心に、長年にわたってシカやカモシカの生態研究に取り組んできました。そんな高槻さんのもとに届いたのがこれから紹介する一編の詩でした。今日はこの詩をめぐるお話です。
 有江:詩のタイトルは「ナラの木」。ジョニー・レイ・ライダー・ジュニア、日本語訳は高槻成紀さん、朗読はオオノ カツロウ・アナです。

<朗読>

 有江:「ナラの木」お聞きいただきました。じわじわと自信が湧いてくる、そんな一編の詩ですね。
 早川:そうですね。「根っこを張っている」というところがすごく響いてくるという感じがします。
 有江:高槻さん、この詩にどんなふうにして出会われたのでしょうか。
 高槻:3月11日のあの大震災のときに私はほんとうにショックを受けたんです。そうした中、野生動物の研究者がメーリングリストを作っていて、いろんな意見を交わすんですけど、その中にアメリカのダイアナさんというクマを研究している人からこの詩が送られてきたんです。英語のものだったんですが、それを誰かが訳さないかということになりました。私は詩を訳すことはしたことはないので、「誰かが訳すんだろう」と思いながら読んでみたのですが、すごく感動的だったので、思わず訳したいと思った、いや訳したいというより、するするっと出てきたというか、そんな感じでした。それでメーリングリストに「こんな意味みたいだよ」と送ったんです。
 有江:その詩がみなさんにジワジワと広まっていったわけですよね。
 高槻:そうです。ちょっと意外だったんですが、私の訳を読んだある山形の人から庄内のことばで送り返されて来たんですね。これがいいんですよ。私のよりよっぽどいい。その詩を読んだとき、東北の人には東北のことばで聞いてもらうのがいいと思って、今度はその訳を流したんです。そしたら、次から次に津軽とか南部とか、いろいろな所から送られてきたんです。そのそれぞれがとても魅力的でした。
 早川:そういうふうに東北のことばに直したものが魅力的に感じられたのはどうしてなんでしょうか。
 高槻:この詩が歌っているのは北アメリカにあるナラの木なんですが、ナラの木はヨーロッパにもユーラシアにも、温帯の広い範囲にあります。(魅力的に感じられるのは)東北の風土がナラの木にふさわしいということがあると思います。私は東北に長くいたので、詩を読んだときにナラの木の薄緑色が浮かんだんですが、同時にナラの木のもつ風や雨や火などに強い性質と、震災にあってもあのように耐えて不平も言わずにおられる東北の人の心情が、私の中で重なって感動したということがあります。
 有江:実際に東北のさまざまなことばに訳されたということですが、どのくらいのことばに訳されたのでしょう。
 高槻:20近くです。
 有江:それではそのうち盛岡版をお聞きいただきましょう。朗読は小野寺瑞穂さんです。

<朗読>

 有江:高槻さん、とってもやさしいんですけど、力強さが感じられるものですね。こうしたいろんなことばに訳される広がりをどんなふうに感じておられますか。
 高槻:3月下旬にライダーさんから届いて私が訳したとき、その翌日に庄内のが来たんですが、2、3日たつと津軽から来て、それから山形の置賜という地方から来て、それから盛岡という具合に来ました。来るたびに読むのが楽しみで、それぞれに違っていて、表現力が標準語にない豊かさをもっているんです。それは東北の人が自然に近い生活をして、冬を耐えるというようなことがあるから、それを表すことばも発達したのだと思います。そういう意味で、ひとつひとつが感動的でした。ある人は電話で津軽訳を読んでくださったんですが、私は涙が止まらなくて、なんでことばにこんなに力があるのだろうと思いました。
 早川:東北の人たちにしてみますと、ちょうど震災のあと、新緑の季節を迎えましたけど、まさにナラの木の新緑って黄緑色というのか、萌葱色というのか、目に鮮やかに飛び込んで来たという印象をもちますが、それが今年被災地を訪れても同じように咲いていたなということが印象に残っています。東北の人はこの新緑をどういう心情で受け止めたのでしょう。
 高槻:心の中は本当のところはわかりません。私も先週東北に行って来たのですが、町が破壊されて、瓦礫で戦場みたいになっています。その傷跡が深ければ深いほど、そのすぐ横にある緑がよけい美しいんです。毎年毎年紅葉して、葉を落とし、冬のあいだずっと耐えながら、春になると一斉に芽生えるわけです。今年の緑も去年のと同じんだけど特別新鮮に見えたと思うんです。その新緑をみてがんばろうと思った人も必ずいると思うし、この詩はそういうことも表現していると思います。
 早川:私も東北の人間なんですけど、いろんなことばで書かれていますが、訴えて来るものがありましたね。
 有江:ことばがぴったりするというのもあるんでしょうけど、この詩に描かれている情景に深く感じたところもおありなんでしょうね。
 高槻:そうですね。これは私にとって不思議な体験でした。私はふつうの日本語に訳したんですが、ライダーさんの詩の精神が、稲光のように東北の人の心にバーンと訴えたと思うんです。というより、東北の人がこれを理解してしまったと思うんです。それで自分のことばで表現することによって閃光がスパークしたという気がしたんです。ことばのもっている強さを実感しました。
 早川:最後になりますけど、高槻さんご自身、今後被災者の方々を支えるためにどんなことに取り組みたいと思いますか。
 高槻:今回、思いもかけない形で、詩を訳すということでも支援ができるということを体験しました。できればこれを継続したいし、これを出版したらという話も聞いています。もしアメリカのほうから許可がもらえたり、日本の出版社が支援してくだされば、もう少し広い形で目にふれることができます。また、声で聞いてもらったりできればいいなと思っています。
 早川:どんなふうに広がっていったらいいと思いますか。
 高槻:この詩自身のもっているパワーがあれば、水が砂に滲みて行くように自然に広がるだろうと思います。だから無理に「これはすごいんだぞ」という気はあまりなくて、広がるなら広がるだろうと思うんです。ダイアナさんとも「自然体でいこうよ」と話をしています。
 早川:ありがとうございました。
 逆境だからこそみえる。原発事故を心配して東京に避難している子供たちは1000人を超えています。そうした子供たちの学習支援をしている若者の人たちから話を聞きました。「先生、このごろ、震災を経験してよかったと思えるようになった。勉強することが初めておもしろいと感じられるようになったから。」そう子供から言われて感動したということでした。被災地にとどまっている子供たちを含め、子供たちは一生のうちに経験できないようなことを経験して、これから生きてい行くために糧になる多くのことを学んでいます。逆境のなかでこそ見えることがあるのではないか。大地に根を張ったナラの木ばかりでなく、これから根を張ろうとしている次世代のナラの木も育っているような気がしました。

  NHKラジオ放送(8月3日)への反響
  NHKラジオ再放送(8月20日)への反響