がんばれナラの木

震災にあわれた東北地方の皆様を力づけたくて
The Oak Treeを地方ことばに訳すことを始めました

苦難 2022年

2022年08月04日 | エッセー
この詩に出会ったのは2011年のことですから11年が経ったことになります。その時間が実感とあっているようにも、そうでないようにも感じます。一つ言えることは、あの災害もその一つかもしれませんが、「本当に現実なのだろうか」と思うことが、その後立て続けに起きたということです。とりわけ世界を一変させたと言えるのが、コロナの猛威とロシアのウクライナ侵攻です。
 感染症の流行は自然現象の一つと言えるかもしれませんが、それでも人が野生動物と接触したことから始まったのでしょうから、現在ほど人が自然に働きかけをしなかった時代にはなかったもののはずです。
 ロシアのウクライナ侵攻は、良識というより、常識を破壊するものです。独立国に軍事介入する、一般市民、それも病院や学校を攻撃するばかりか、それをウクライナ軍の攻撃だとする、合意したことを破る・・・こんなことが現実に行われ、もし「ロシアの勝ち」となるようなことがあれば、強いものは何をしてもいいということになりかねません。そんなことが現実に起こるなど、思いもしませんでした。
 福島の原発事故も、地震は自然現象ですが、事故は人為的なものです。排水を海に流すことが決まりましたが、全く納得できません。タンクに貯めたは有害であるからのはずです。それが時間と共に満杯になるのは小学生にもわかることで、そうなったらどうするかを考えないで始めたのでしょうか。そして方針を変えて流すことにした。これは自分の家から出たゴミを撒き散らすことであり、自国だけで決めていいことではありません。そのことは国際倫理、あるいは地球倫理として許されません。もう一つはこの「決定」は国民に説明されていません。国の判断、意思決定は民主的な手続きを経てなされるべきです。汚染行為そのものと、その意思決定の双方に納得ができません。
 「ナラの木」は苦難をうけたものを励ます詩ですが、私たちの苦しさは、苦難を受けることにではなく、加害することにあります。

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