がんばれナラの木

震災にあわれた東北地方の皆様を力づけたくて
The Oak Treeを地方ことばに訳すことを始めました

最低限の誠意

2011年04月01日 | エッセー
あれだけ暑かった夏が過ぎ、肌寒いと感じることもある季節になりました。まことに我が国は季節の明瞭な国です。そして雨のよく降る国です。今年はとくに伊豆大島が大被害を受け、犠牲者も出てしまいました。規模の程度は違っても各地でたいへんなことが起きました。過去数年を遡って被害地を地図上の落とせば、列島すべてが被災地で被われるはずです。東日本大震災は1000年に一度のレベルだったかもしれませんが、台風は毎年のことです。その常襲的な台風に対してさえ、福島第一原発は対応できていません。そして金魚すくいでもするような子供だましな工事をしては、汚染水が漏れてしまったなどといています。グランドデザインも科学的な予測もなく、場当たりな対応をするばかりです。
 にもかかわらず阿部首相はまったく同じ「0.3平方キロの範囲内にコントロールされています」と繰り返しています。コントロールなどされていないのは明白です。
 一体この人は自分のことばの責任ということについてどういう倫理観をもっているのでしょうか。百歩譲ってオリンピック誘致に成功した段階で状況が十分に把握できなかったために、無知による強気発言をしたとしましょう。そうであっても、その後の大雨でこれはコントロールはむずかしいとなったとわかったとき、ふつうの倫理観をもつ人であれば、「あのように言ってしまったけど、状況は予想よりもきびしく、コントロールできるとはいえないので、こういう対策をとって最小限に抑える。ご理解をお願いしたい。」というはずです。現実として大きい台風が来るなり、地震が来るなりして、完全にコントロールできなくなったとき、謙虚に説明しておけば批判はあったとしても、そのトーンはかなり違うはずです。
 自然の猛威は人智をはるかにこえたものであることは常識のある人間なら知っています。それを想定した上で最善を尽くす人や社会に理解を示し、支援をしようとするはずです。具体的な対策も示さないで、根拠もなく「大丈夫」と強弁を続ける人を信用しないのは当然のことです。
 あろうことか、彼はトルコで原発の売り込みをしているのだそうです。言うにこと欠いて、という言葉がありますが、我が国のリーダーのすることはその常識を遥かに超えています。
 人として最低限の誠意があるはずです。震災によって原発事故が起き、人生を破壊された人が何万人もおられ、復興の見通しもつかず、常習的な台風にさえ対応ができない、こういう状況を抱えながら、にこやかに「原発はよろしおまっせ」と売り込む人を世界の誰が信用するでしょうか。

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