がんばれナラの木

震災にあわれた東北地方の皆様を力づけたくて
The Oak Treeを地方ことばに訳すことを始めました

アーカイブ2012(2)

2011年02月20日 | 資料
6月26日 本日、千葉の辻口さんから以下のようなコメントをもらいました。ありがたいことです。辻口さんに「がんばれナラの木」をご紹介いただいた齋藤さんは画家で、いまナラの木を描いてくださってます。
千葉県八街市にあります特別養護老人ホームの職員です。施設に飾らせていただいてる絵の作者、画家の斎藤さんのご紹介で、朗読を聴かせていただきました。感動しました。地方のことばは、心に沁みます。「ナラの木」の詩は、激動の時代を生き抜いた、施設にご入居の方々と同様の存在感・根っこの太さで、胸に迫ります。東北地方で根を張る皆様、この活動を支えるすべての皆様に、敬意を表します。

6月25日 オーストラリア在住のローズさん(スリランカ)からメールが届きました。
Dear Sensei
We hope you and family are doing well. I was so touched by your poem. It was very emotional when I read the poem.

先生
 皆様お元気のことと思います。先生の詩に感激しました。読んだあとで泣きそうになりました。

read more 続きは仲間からの声の6.25


6月24日 岐阜の武藤さんからうれしいお便りをもらいました。
始めまして。岐阜県の武藤修と申します。突然のメールをお許しください。NHKラジオを偶然聞き、「ナラの木」の詩に感動しました。私は岐阜県の関市立武芸小学校で教員をしております。子どもたちにも紹介しましたが、みんな目を輝かせて聞いてくれました。

続きは仲間からの声の末尾

6月23日 小笠原の鈴木創さんから「ドングリの唄」という詩を送ってくださいました。鈴木さんは若い頃、ドングリの研究をしていたそうです。ありがとうございました。

光の中 葉が枝から はなれ
地面に つもっていく

秋の雨は 樹冠(クローネ)に ちり
幹をつたい 土をぬらす

しっとりと とけだした
落ち葉の マットの上に


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6月22日 4月に遡りますが、東京都の三鷹市立第三中学の「三中学校だより」に「ナラの木」のことが紹介されていました。「ナラの木」がこういう形で中学生に読まれるのもうれしいことです。

6月20日 原発再稼働を阻止できなかった私たちは後世からの批判に耐えられません。その思いを込めて「ごめんね ー 七歳になった君へ」という詩を書きました。

君が生まれて来てくれたとき
おじいちゃんとおばあちゃんは
どれだけうれしかったことでしょう
そして思い出しました
三十年くらい前に君たちのお母さんが
生まれてきてくれたときのことを

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6月16日 「桃」さんから以下のコメントをもらいました。私がこういうことに疎く、You tubeのアップのしかたがわかりませんので、お手伝いくださいました。ありがとうございます。日本俳優連合の皆さんに朗読してもらっていろいろな地方訳がYou tubeデビューできたらいいなと思っています。

盛岡版の音源を良くしたものを、別動画としてUPしました。こちらは雑音がないので、聴きやすいと思います。もっとたくさんの言葉で聴けたら嬉しいと思います。ラジオ放送の機会があれば、録音してUPしたいと思っています。
http://www.youtube.com/watch?v=Yjmm99Z_avs


6月13日 6月10日に山梨県西部にある乙女高原に行って来ました。標高1700mほどあるので、まだ新緑の季節で、ミズナラが葉を広げつつありました。林の下には去年芽をだした小さなミズナラがありました。


若々しいミズナラの葉


林の中から見たミズナラの葉


ミズナラの幼木

6月12日 日本俳優連合の隈本吉成(くまもときっせい)さんから「ナラん木」と題して福岡・博多版が送られて来ました。博多ことばはわりあいによく知られていると思っていましたが、いきなり「ばっさらか」と聞き慣れないことばから始まっていますし、「アタキ」も知りませんでした。大分同様「な」が「ん」であること、「ようだ」が「ごたる」であること、また「こと」が「こつ」になること、「ばってん」などは九州らしいです。「枝を」を「枝ば」というあたりは長崎なども共通ではないでしょうか。「くたぶれっしもうた」「わかっとりまっしぇん」などの促音(小さい「っ」)や「ですたい」は威勢のよさや豪快さを感じさせます。「在りますと」とか「わかったとです」などの「と」には不思議な暖かみを感じます。「在ります」とも「在りますよ」とも違います。「わかったとです」は東京なら「わかりました」「わかったんです」になってしまうし、関西なら「わかったんですわ」などでしょうか、いずれも違います。私は父親が大分出身で、親戚が北九州にいるせいか、九州弁には格別の親しみを感じ、声に出して読むととてもいい気持ちで、うれしくなります。「ナラの木」の地方訳はこれで36になりました。隈本さん、ありがとうございました。

6月11日 日本俳優連合の小川ひかるさんから「ナラの木」の津軽・外ケ浜版が送られて来ました。津軽はこれまで2つありますが、外ケ浜は津軽半島で、同じ津軽でも「んだばって」と「したばって」など少し違います。そのほかのことばもそうですが、津軽のものはとくに文字では伝わらない抑揚の魅力があります。「ナラの木」の地方訳はこれで35になりました。小川さん、ありがとうございました。

6月10日 日本俳優連合の小林由利さん訳の京ことばです。小林由里さんさんはいかにも京都のエレガンスを湛えた女性で、訳されたナラの木も女性になっています。おそらくたくさんのナラの木で女性になったのはこの訳だけだと思います。文字で書くとあまり「らしさ」が見えませんが、京都の抑揚で読んでもらうとはんなりとした柔らかな雰囲気になります。不思議なもので、詩の最後の部分で、ナラの木が歯を食いしばって苦難に立ち向かう決意を表現する部分も、京言葉になるとどこかさらりと微笑んでいさえいるように聞こえます。地方ことばというものは本当におもしろいと改めて思いました。これで地方訳は実に34になりました。

6月9日 海外の友人にこの活動を伝える「ナラの木」英語版みたいな小さなブログを作っています。東北地方の被災者のたくましさや、自然と人間の関係などについて考えたことなども伝えてきました。震災について新情報も伝えるようにしてきたのですが、昨夜のニュースでみた我が国の首相の「国民の生活を守るために原発を再稼働する」というあまりに情けない発言は、いくらなんでも恥ずかしく、また私が伝えなくても世界を駆け巡るでしょうから、伝えないことにしました。そうしたというより、私の中にある常識では、とてもできないことです。このことについて「胸に染みる空の輝き」というエッセーを書きました。」
 この国のリーダーとされる男が「国民の安全のために原発を再稼働する」と言い放った。この文章は本人が考えたものではないだろう。官僚が悪知恵をしぼって作りあげた作文に違いない。そのことは「安全」のすりかえと、耳当たりのよいことばによるカモフラージュからあきらかだ。続きを読む

6月9日 「昔むかしあったとさ」の出演者からの地方訳を紹介しています。名古屋訳は楽しくなるような味わいがあります。訳された松原未知さんは「永遠の元気な女の子」という雰囲気で、公演では鬼に連れ去られた少女の話を朗読されましたが、本当にそこにかわいい女の子がいるようでした。「ナラの木」の訳では「地べたがあるぎゃあも」とか、「ええきゃあ」などが、もとの詩のもつ重くて深刻な感じを、陽気に乗り越えるような雰囲気を与えるような気がしました。「なぶる」ということばは知りませんでした。

6月8日 「ナラの木」の大分県・中部版を紹介します。訳された川野誠一さん、ありがとうございました。九州はこれまで案外、例があります。東北地方とは風土が全然違うのに、この詩のもつ強さやたくましさがよく伝わるのは、自然に密着した生活があるからなのでしょうか。
「してしまう」などが「しちしまう」になり、「してる」が「しちょる」になるという具合ですから、全体に「ち(ch)」音が多用される印象を受けます。「だ」が「じゃ」になるのは広島などと共通ですが、いかにも九州という感じがします。九州的といえば「はがすんごたった」の「ごたる」で、「如くある」がつづまったもので、「~のようだ」ということです。また「辛抱しきんのか」の「しきる」は「できる」です。精一杯おこなうのを「歌いきる」とか「走りきる」といいますが、それとは違います。九州で「100mを11秒で走りきる」というのは「走ることが可能である」という意味です。西日本全体に共通なことですが、否定の「ない」が「ん」になるので、東日本の人が聞くと、響きが強い印象になります。また、「の」が「ん」になるのは静岡の場合でもありましたが、「でん俺にゃ」「ことでん」の場合は「でも俺にゃ」「ことでも」ですから「な行」だけでなく「ま行」も「ん」になるということです。
 これで地方訳は実に32例となりました。ほかにもたくさんあるはずなので、皆さんもぜひ故郷の言葉に訳してみてください。こうした詩群が被災された方々を少しでも勇気づけることになれば幸いです。


6月7日 外海多伽子さんによる「ナラの木」の静岡県・遠州・三ヶ日版を紹介します。中部地方の例は少ないので、ありがたいです。外海さんによれば、この地方では川ひとつ、山ひとつを越えると言葉ががらっと違うのだそうです。それだけ歴史が複雑で人の動きもあったのでしょう。土地を反映してか、「わかるら?」など、ことばが全体にカラッと明るい感じがします。「~だに」というのは標準語には求められないですね。「ふっとばして」を「ふっとばいて」、「ふらして」を「ふらいて」というのは関東以北と違うようです。タイトルの「ナラん木」は西日本、とくに九州で「の」が「ん」になるパターンです。一方で、「いちばん」を「いっとう」というあたりは東日本的で、この地方が東西の移行帯であることを反映しているようです。

6月6日
河原田ヤスケさんによる福島県・会津地方の訳を掲載しました。これで30例となりました。河原田さん、ありがとうございました。

6月5日
「昔むかしあったとさ」で朗読してくださった皆さんからいくつもの地方訳が寄せられました。ぼちぼちと紹介していきますが、まずは北から。岩手県水沢版をのせます。「位ぇでぁんした」「根っこだったのス」などは盛岡版などと似ていますが、やはり少し違いがあります。冒頭の「だんがだんがど」はまったく違います。「だども俺ァにはハァ」「この根ッコさハァ」などの「ハァ」というのは岩手の人がよく口にすることで、とくに意味はないのですが、「それはもう」の「もう」などと似ているかもしれません、次に強調することばが来るようなときに、一息いれるように自然に漏れて出るという感じで、とてもよい響きのものです。私自身は、「ナラの木」の精神を伝えるには岩手のことばが最もふさわしいと感じています。

6月3日
6月2日に新宿で「昔むかしあったとさ」の公演がありました。日本俳優連合の「ドラマの方言を考える会」の主催で、今回が7回目ということでです。各地の民話を地元の方言で語る試みだそうです。小さな劇場(100人ほど)で、舞台には障子があって、古い日本の部屋という感じを出していました。上部には日本地図があって、10人ほどの俳優さんの出身地が示されていました。その民話の語りの前に「ナラの木」の朗読が紹介されました。簡単な紹介のあと、まず標準語訳、それに続いて京都、福島、静岡の地方訳が紹介されました。さすがに俳優さんですから、感情表現が豊かで、詩の魂が伝わって来て、とても感動的でした。そのあとで民話の語りがありましたが、話の内容も多様で、改めて日本の地方文化の豊富さを味わいました。こういう活動は地味ですが、「均一化」によって消えてゆくこういう民話やその語り方を守るという意味で貴重なことだと思いました。


公演を終えてあいさつをする俳優の皆さん


連絡をくださった、静岡出身の外海多伽子さん、高槻、リーダー格の岩手出身の冨田祐一さん


6月1日
なんともうれしい話題をいただきました。岡山の太田様から、新しくできる保育園に「ならの木保育園」という名前をつけたいという連絡をいただきました。「ナラの木」がこういう形で新しい命を得て、柔らかな子供たちの心になにかが生まれてくれると思うと、心からうれしいことです。5月21日
5月19日に山梨県の東にある乙女高原に調査に行きました。1700mもあるので、山はまだ春の装いでした。ミズナラの若々しい葉が開こうとしていました。



5月20日
日本俳優連合というところから「ナラの木」の方言朗読をおこなうという連絡をいただきました。公演の合間に朗読していただけるそうです。こういう形で「ナラの木」が広がり、活動が展開するのもうれしいことです。

5月13日 山梨でみたコナラの新葉のみずみずしさが印象的でした。



5月7日 「たいそう強い風」の「たいそう」は、ふつうは「とても」とか「すごく」とか言われますが、地方訳ではさまざまに訳されていました。これについて以前「とても」というエッセーを書きましたが、地方訳の数も増えたのでもう一度見直して、あたらしく「とても 2」を書きました。

5月6日 高知の兵頭貴代志さんから「ナラの木」の土佐版が送られて来ました。「まっことうれしかったが」です。これで地方訳が28、海外の者とあわせて31になりました。兵頭さん、ありがとうございました。

5月3日 「どんぽのばぶ」さんから「oakとナラとカシ」にコメントをもらいました。どうして「日本一」と確認したのかなと思いますが、一度見てみたい気がします。

日本で一番大きなミズナラが長野県の清内路村に流れる小黒川沿いに生えています。東京からだと中央高速を飯田で降りて昼神温泉を過ぎ道を妻籠馬込方面に折れてしばらく走ると「小黒川のミズナラ」の看板が出てきます。現地に到着するとこのミズナラの巨木の周囲は開けていてまさに『森の女王』という気品あふれるたたずまいです。
実際に見に行ってこの木のふもとから見上げて気が付きました。なんと『交差枝』が一か所もないのです。枝張りぶりを観察してみるとそれぞれの枝が我先に「…俺がおれが」と他の枝を押しのけて太陽光を浴びようなどとせず、それぞれの枝が自分の役割を自覚していて、枝を伸ばしているのかしらと錯覚するほどです。

この木の下のすぐそば徒歩2分くらいのところに湧水が出ているところがあり、興味深いのは「軟水」と「硬水」の2種類が接近して湧いて出ています。空のペットボトルを持って行って汲んで帰宅してから緑茶やドリップコーヒーなどを楽しめます。

私はまだ未体験ですが、ミズナラは落葉樹なので、よく晴れた冬の夜にもしもこの地を訪れたならば、楢の木に真っ暗な夜空の星が落葉したミズナラの枝先に満天の星がたわわに実っているような景色を見ることができるのではないでしょうか。まるで斉藤隆介作の「もちもちの木」のような世界と遭遇できるのでは…?


私は生物学を学んでいるので、ロマンチックでないことを書きます。木も草も葉で光合成をします。それはもう植物が生きることの根幹ですから、もっとも大事なことです。駐車場の金網塀につる植物が生えているのを見ると必ず明るいほうに葉があります。そこに一本の棒があるだけでその部分には葉が少なくなります。それは無駄だからです。光合成できるところにはもっとも効率のよい角度でたくさんの葉をつけるが、暗いところでは削除し、呼吸量を減らします。隣の木の枝が折れるとぐっと枝を伸ばしますが、逆に隣の枝が伸びてくると葉を落とします。そうして全体の枝の形が変わって行きます。植物の枝葉のつきかたはまったく合理的な生理活動の結果です。もちろんそこから「配慮」や「自己抑制」を読み取ることはできますが、生物はもっとクールです。生物に対する感動は、むしろそのような合理性を見いだしたときに生まれるものです。「水を注して」ごめんなさい。

5月2日 「どんぽのばぶ」さんからブログ「おはなし工房ばぶの山小屋」に私のエッセー「東北弁という言い方」を紹介したという連絡をいただきました。ありがとうございました。

5月1日 5月になりました。東北地方にも桜前線が訪れ、北上しています。東京ではサクラは終わり、新緑の季節を迎えました。私の住む小平で、コナラの芽が膨らみ、新芽が開くようすを記録しました。ナラの木のエネルギーを感じます。

4月22日 私が気づかないうちにいくつかコメントが来ていましたので、「仲間の声4」にアップしました。なかでも武藤修さんから「ナラの木」の岐阜県(美濃地方)版が届いていました。これで27となりました。

4月21日 東京では4月に入ってから雑木林が芽吹きの季節を迎えました。コナラも上旬に冬芽が膨らみ、いまは中から葉が出てきました。4月15日に撮影した、コナラの幹から出た小さな葉を紹介します。コナラの若い葉には銀色のうぶ毛がはえていて、きれいです。


コナラのめぶき 2012.4.15 東京都小平市

4月13日 金沢の林さんから「ナラの木」の朗読許可の申請がありました。

4月13日 オーストラリア在住のウダヤニさんから手紙が届きました。そのなかに桜のことを描いた詩ゾウの詩がありました。ウダヤニさんはスリランカから東京大学に留学し、アジアゾウの研究をしました。

4月9日 時間をさかのぼりますが、3月下旬に調査で宮城県の金華山に行きました。シカとサルがすんでいる島で、震災後調査に行けないでいました。よく「シカやサルは大丈夫?」と聞かれますが、大丈夫です。壊れたのは人工物です。神社の鳥居や灯籠、道路も大きな被害を受けました。ただ金華山では秋に台風15号の豪雨の影響も深刻で、たくさんの土砂崩れが起きました。私たちは調査のあいまに金華山講の手紙だしなどのお手伝いをしましたが、ある日90人ものボランティアの人たちが来て、境内の掃除やため池の土砂運びなどをしておられました。こういう人たちが各地で復興に力を貸しているのだと思い、頭の下がる思いでした。写真は神社でお昼をとる皆さんで、夜は神社の広間に泊まられたようです。


4月4日 先日のラジオ放送の録音をYou tubeにのせた方がおられるようです。音はよくないようですが。私の手元にはよい状態のCDがあるのですが、You tubeへのアップのしかたがわかりません。どなたかご協力いただけないでしょうか?

4月3日 3月29日のラジオ放送を受けていくつかのブログにとりあげられたようです。

4月1日 私のすむ小平のナラの木の雑木林にカタクリが咲いていました。

* これ以前は「アーカイブ2012」にあります。

3月30日 昨日のラジオを聞いての感想が寄せられています。このブログの訪問者は200人くらいの日が多いのですが、昨日は3299もありました。

3月29日 NHK第一放送ラジオ(「私も一言!夕方ニュース」の「ここに注目」、早川解説委員)で「ナラの木」のことを話しました。同じ番組で昨年の8月にも放送してもらい、反響があったので、二年目ということで再び取り上げて頂きました。今回は「盛岡版」を省略なしで全部放送してもらえたのでよかったと思います。被災地の方にも届いたことと思います。

3月20日 長野県の黒姫で雪の中に立つコナラを見ました。

3月18日 茶碗、箸、防潮堤」というエッセーをのせました。

3月12日 スリランカのヴェラシンハさん(オーストラリア在住)から手紙が届きました。

3月12日 私のエッセーが下向きだったことについて、マッカラーさんよりも前にダイアナさんがメールをくれていました。それもほんとうに心あたたまるもので、元気づけられました。ダイアナさんのメッセージのあとにのせておきます。

親友として言うけど、弱気にならないで、強くいて。政府がたよりにならないなら、小さいかもしれないけど、、あなたがこれまでしてきた「すてきなこと」を得るために自分自身を信じて。・・・あなたが、政府としてではなく、人として、インパクトを与えられるって絶対信じてる。ダイアナ(高槻訳)

3月11日 私のエッセー「一年が経った」を読んだ世界的に著名なアメリカの野生動物研究者であるマッカラー博士が、どうも私の文章がうつむき加減だと思ったらしく、元気づけようとすばらしいメッセージを送ってくださいました。以下はその一部です。

私も日本の人々が被災されたことについてよく考え、貴兄が大きい視野で考えたことをすばらしいと思う。・・・これらについて私自身、少し掘り下げて考えてみた。私の一生はこういうつらい現実がなかったように感じがちなんだが、思い出してよく考えてみよう。私の母は4歳のとき竜巻で家族が被害にあったとき、もう少しで死ぬところだったんだ。農場が破壊されたので、移住しなければならなかった。私は1933年に生またんだが、両親は農場で暮らしており、中西部での大恐慌と旱魃のあいだに食い詰めて農場を失い、生活保護を受けて食いつないだ。・・・私の両親は、問われれば、幸せな日々を過ごしたというだろう。・・・なぜ私たちは災いのことを無視するのだろうか。・・・それは・・・忘れるからだ。・・・こういう長い目で見れば、(災難も)連続的なプロセスで、留まるかに見えても、それは「ヒト虫」が短時間のスケールでものを見るために、初めてのものとして歴史に残すせいにすぎない。・・・あきらめないで、できることをしてほしい。そして世界とヒト虫が決して完璧ではないということを甘受してほしい。
デール(高槻訳)



マッカラーさん、高槻が編集したニホンジカ(ニホンジカは英語でsika deerといいます)の本


3月11日 一年が経ちました。ダイアナさんから本当に心のこもったメッセージが届きました(下記に一部をとりあげました)。高槻は文字通り「一年が経った」というエッセーを書きました。

よくよく考えて書こうと思います。地震と津波というたいへん悲しい出来事からちょうど一年が経ちましたが、このことについての苦しさは私の中で決して消えていないことをお伝えしたく思います。・・・あの日、皆さんが溺れる人を水から引き上げ、浮遊物中から救出し、傷ついた人を助けるという愛に満ちた偉大な行動をとられたのを、世界は目の当たりにしました。私たちは、皆さんがやさしくお年寄りの世話をし、幼い子供たちをたくさん守られるのを見て涙しました。私たちは助けてあげられない「絶望」をもちながらも、皆さんが日を経ずしてくじけずに立ち上がられるのを見て「希望に満ちる」ことができました。・・・日本という「樹冠」は大きいのですから、亡くなられた愛する人々の魂もそこで安らかでいられることでしょう。あの人たちは絶対忘れられることはありませんし、あの人たちの思い出は私たちすべてに栄養を与え続けてくれます。・・・子供たちは創造的で、美しく、賢明です。子供たちには今皆さんの励ましと支えが必要です。そうして日本を新しい未来へと導く勇気ある道へ旅立つべきです。(高槻訳)

3月7日 1月22日、東京に雪がつもり、大騒ぎをしました。雪国の皆さんからすればばかばかしいようなことです。遅ればせながらそのときのコナラの冬芽につもった雪をアップしました。

3月6日 岡山県のある小学校の校長先生から連絡があり、「ナラの木」を卒業式に子供たちに朗読してあげたいということでした。思えば子供たちがむずかしい年齢になり、いろいろとむずかしいできごとに直面したとき、この詩は力になるかもしれないと思いました。こうした形でも「ナラの木」が広まってくれたらうれしいことです。

3月5日 新宿のスペースゼロで「東日本大震災復興支援チャリティーコンサートー10000の瞳プロジェクトー」がおこなわれ、中村雅俊さん、上田正樹さんたちの歌を聞きましたが、このコンサートの筆頭で相澤一成さんが「ナラの木」を朗読してくださいました。この朗読では背景に音楽が流れ、とても感動的でした。



3月2日 時間差がありますが、1月22日に東京に雪が降りました。翌朝、コナラの枝に雪がつもっていたのでアップしました。

2月27日 高槻はマレーシアに行っていました。その間ポルトガルのペドロさんからメールが来ていました。モロッコのドングリのことがかいてありました。

2月11日 また11日が来ました。あと1ヶ月たてば一年が経ちます。慎んだ気持ちになります。

2月9日 岩手県下閉伊郡岩泉町の佐々木二美香さん(高校1年生)が「ナラの木」岩泉町版を訳してくださいました。

2月8日 ペドロさんとナラの木談義を続けています。なんとヨーロッパナラは45mもの高さになるそうです。私のブログ(英語版)を読んで「小さな命とフクシマ」を気に入ってくれたそうです。そのブログには漢字コーナーもあり、ペドロさんは勉強しているそうです。

2月2日 ポルトガルのペドロさん(Pedro Calvalho)さんから「ナラの木」のポルトガル語訳が届きました。また彼とのナラの木についての交流を「仲間の声3」にアップしました。この木は500歳以上で、たくさんドングリをつけるので「ふとっちょナラの木」と呼ばれて人々に親しまれているそうです。ペドロさんはこの木について詳しい紹介もしてくださいました。



1月28日 ニュースをみていたら、福島県の子供への医療無償化の要望を政府が却下したと伝えられました。これまでも、今も、そしておそらくこれからも、首都圏が福島に負担をかけてエネルギーを供給してもらい、それによって被害を受けた人、とくに将来のある若者の医療を国が支援しないというのです。あまりにもひどいことだと思います。恥ずかしく、悲しい気持ちでいっぱいです。福島の人は憤られて当然だと思います。

1月11日 寒くなりました。東北の寒さはいかばかりかと思います。あの日から10ヶ月が経ちました。被災地、大槌の友達に電話したら、やはり寒いそうです。何もできないことがもどかしいです。

2012年1月1日 新年のご挨拶に代えて年の初めに:科学する精神というエッセーを書きました。今年はおだやかな年になりますように。


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