がんばれナラの木

震災にあわれた東北地方の皆様を力づけたくて
The Oak Treeを地方ことばに訳すことを始めました

アーカイブ 2012

2011年02月20日 | 資料
12月29日
千葉の石川さんから感想文が寄せられました。石川さんありがとうございました。このところ「声」も少なく、低空飛行ですが、粘り強く続けていこうと思います。皆様この一年、たいへんお世話になりました。よい年をお迎えください。被災地の皆様のご苦労を思いながら。

「ナラの木」を読んで
     石川和也

 私は昨年の12月に被災地の宮城に支援に行き、全国から運ばれてくる物資(食料品や衣類など)の仕分けや、地域への配布活動をやってきました。架設住宅にお住まいの方より自宅が被害を間逃れた方のほうが、物資が届かず苦労されている現状を知りました。昨年は暖房器具が足りていない状況でしたが、今はどうなのでしょうか?
 いつか漁へ出る時のために網などの手入れをしっかりされていた方もおり、その精神力の強さに驚かされました。この度、朗読を聴かせて頂いた時に、「ならの木」がこの方のことのように思えました。もちろんみんながこんな強い精神力をお持ちではありませんが、この方のような方々復興の中心になるんだと思います。
 父が山形出身ということもあって、山形弁の朗読もとても懐かしかったです。たいした事はできませんが、また支援活動に参加できる機会があれば是非いきたいです。そして、「ならの木」がまた葉をつけ元気になる手助けが少しでも出来ればと思います。


12月24日
大好きな安野光雅さんが「わが友の旅立ちの日に」(山川出版者)という本を出しました。その中に「がんばれナラの木」からいって「我が意を得たり」と思うことばがありました。

方言を笑う人がありますが、それは笑う人の心が貧しいからです。

少し飛躍しますが、復元された東京駅について。テレビではイルミネーションを使ったイベントをするの紹介していますが、被災者が仮設住宅で生活しているのに、行政がなすべきことの優先順位が違うのではないか、と思わないではいられません。私はこの二年近く、ずっと原発のことを考えてきましたが、結局は関東と東北という2つの地域の間にある不公平さ、もっといえば東京人の利己的なふるまいに行き着くのだということに確信を持つようになりました。そのことについてエッセーを書きました。


12月9日
先日、スリランカの孤児についての支援のお願いをしました。今年は2つあり、ひとつは7年前の津波孤児、もうひとつはゾウに親を殺された孤児です。ある方から質問がありましたので、補足説明をしておきます。
 2つとも送金するのはたいへんだという方も多いと思いますので、もちろんどちらか一方でかまいませんし、金額もいくらでもかまいません。これまで津波孤児からもらった手紙を読むと、遠い日本の人が自分たちのことを思いやってくれているということ辞退の喜びが大きいことがわかります。ひとこと添えていただければ元気づけることになると思います。
 どうぞよろしくお願いします。高槻成紀


12月5日
 毎年12月は私にとって一年を振り返りながら皆様にお願いをする機会になっています。スリランカの子供の支援についてなのですが、今年は2つの内容をお願いすることになりました。ひとつは津波孤児、もうひとつはゾウに親を殺された孤児です。長文をご容赦ください。

 2004年の12月、インド洋で大地震が起きて各地に大きな被害をもたらしました。当時私はスリランカでアジアゾウの研究を進めていました。野外調査はいつでもそうですが、研究を進めることだけでなく、地元の人々との交流がたいせつでもあり、楽しみでもあります。スリランカではやさしい人々と無邪気な子供たちとたくさんの思い出ができました。そのスリランカの人々がこの津波によって多数犠牲になりました。それは年末のことで、いてもたってもいられない気持ちで、年があけてから知人に連絡をして支援のための拠金をお願いしたのでした。

  いとけなき児らを津波の襲ふとふ
  とく救はむや 生命ある間に


多少の手助けができればよいと思ったのです。ところが思いがけない広がりによって予想を遙かに超えるお金が集まりました。それは殺伐としたいまの日本社会にあって、暖かいともし火のように思われたことです。

  茫々と冷風の吹く野の中で
  受けし善意の 灯もし火のごと


そこで当時、スリランカから留学していたパリタさんとローズ(ウダヤニ)さんとともに、これを基金とし、「ゾウさん基金」と名付けて、孤児に継続的に教育支援をすることにしました(基金については「ゾウさん基金」でご覧になれます)。
 おかげさまでその活動はこれまで援助を続けています。孤児たちは私たちの善意を大きな励みにしているようで、けなげにがんばってくれています。それどころか、昨年の東日本大震災のときは被災者を励ます手紙をくれました。自分たちがつらかったからこそ、被災された人のことを思いやることができたのかもしれません。私は支援を始めたあとに孤児たちからもらった手紙にお礼を書きました。一部を紹介します。

皆さんは私がとても特別のことをしたと手紙に書いてくれました。確かにそうかもしれません。しかし私はごく当然のことをしたと思っていますし、お金を送ってくれた私の知人もそうだと思います。日本は経済的に豊かな国で、食堂に行って食事をすれば1000円もするし、働けば1日で5000円くらい稼ぐこともできます。でもその反面皆とても忙しくしています。電車が5分遅れただけで怒る人がたくさんいますし、道路で転んだ人がいても助けない人もいます。だからお金で豊かでも心も豊かとは限りません。
 私の正直な気持ちは次のようなものです。皆さんはとてもつらい経験をしたのに強く生きようとしている。それに比べて、私たちは日本で忙しく暮らし、人にやさしくするという人間にとって一番たいせつなことを忘れている。皆さんはその私たちに、そのことのたいせつさを思い出させてくれたということです。


 そのときのことを覚えていてくれたのかもしれません。自分たち自身が親を失うというつらい体験をしながら、なお他者に思いをはせる、私は手紙のひとつひとつを読みながら人の心の貴さをかみしめました。

 自らが親失ひし幼な児が
 今送り来る文の貴さ


 私の心にもうひとつの灯もし火が点(とも)ったようでした。
 私自身、日常に流されて孤児のことを考える余裕を忘れがちで、恥ずかしく思います。あれから7年たち、どうしても印象が薄れるところがあり、反省しないといけません。せめて、12月には思い出して、孤児たちを励ましてあげたいと思います。

 お願いのもうひとつは親をゾウに殺された孤児です。スリランカの人々は皆さんたいへん敬虔な仏教徒で、生き物の命を大切にしますが、ゾウは中でも特別です。ところが、最近では森林伐採によってゾウがすみかを奪われ、また農地の開発によってゾウが農業被害を発生させるようになり、それを防ごうとする農民を殺すという悲劇が起きるようになってしまいました。知人のジャヤンタさんは孤児たちの支援活動をしておられ、私に日本からの支援を依頼してきました。それで私なりにささやかなお手伝いをさせてもらうことにしました。私とジャヤンタさんは、たとえゾウに親を殺されたとしても、孤児たちがゾウを嫌いにならないで欲しいと思っています。この支援が子供たちの心にそのような種を植えることになることを祈っています。

 クリスマスから正月にかけて、皆様のお志をお送りくだされば、孤児たちの心の支えとなると思います。少額でも、スリランカの子供にとっては「日本の人たちが自分たちのことを思ってくれている」と、とても大きな価値をもっています。

郵便局に備え付けの郵便振替用紙で、以下の口座にお送りください。こどもに励ましのメッセージをいただきますと、さらにありがたいです。いただいたメッセージは当方で訳して子供たちに伝えます。

ゾウさん基金
 口座番号00160-1-407209、口座名称「ゾウさん基金」

ゾウによる孤児支援
 ゾウによる孤児支援グループ(ゾウニヨルコジシエングループ)
  ゆうちょ銀行 記号・番号10080-57828361
  店名〇〇八(ゼロゼロハチ) 普通預金 口座番号5782836

 あわただしい季節になりました。ご自愛くださり、よい年末年始をお迎えくださいますよう。高槻成紀


スリランカのお母さんと息子
                                

                               

10月18日

11月10日 

11月19日

11月9日 11月2-4日、石巻、女川周辺に行っていました。牡鹿半島のシカの調査のためです。ここのシカがこの数年で増加し、分布も半島を出て北上しており、その実態を視察することが目的でした。そのために石巻から東進して女川へ、それから北上して雄勝のほうを見て回りました。


女川近くから太平洋を望む。中央の白い建物が女川原子力発電所

 必然的に被災地を通過することになりました。女川には震災後初めて行きましたが、かつての町のようすがどうしても思い出せませんでした。瓦礫は片付けられていましたが、ビルが横倒しのまま残されていました。歌津では病院の廃墟を見ましたが、3階建ての一番上まで破壊されていました。入院中の患者さんを津波が直撃したということです。車を運転しながら、心の中がぐしゃぐしゃになるようでした。中でも衝撃的だったのはあの大川小学校です。追波川の堤防の裏側(後背湿地)にありましたが、ちょうどそこは川が大きく曲がるところで、川を逆流した水がそのまま学校を直撃したに違いありあません。その日は風が強く、川面に白波が立っていましたが、しかし水位は低く、ハクチョウやカモが浮かんでいました。この土手を遥かに越える高さの津波が襲ったのだと想像すると胸が苦しくなりました。子供たちはどれだけ不安で苦しかったことでしょう。


10月29日 今日、ある機会があってとても感動的な話を聞きました。あの津波のあと、仙台の中学生が書いたという文章を知りました。避難所でおじいさんが「ああー、なーんにもなくなってしまたぁ」といったそうです。その後ろ姿が小刻みに震えていたのを多感な少年は見逃しませんでした。その夜はうめき声が聞こえて眠れなかったそうです。しばらくして見慣れないヘリコプターが来てアメリカ兵が物資を置いてまた飛び立ったそうです。中学生は「外国の人なのに助けてくれるんだ」と不思議に感じたそうです。お腹がすいていたので、ほんとうにうれしく、これをなんとか表したいと思ったそうです。そして思いついて海岸の砂浜に材木を運んで感謝の気持ちを表現したそうです。まだ雪が降るような寒いときで、材木には釘があって手から血が出たりもしたそうですが、がんばって作ったそうです。その子はその後、新聞を読みます。そこに書いてあったのは次のような内容だったそうです。

アメリカ兵が空から見たのは「ARIGATO」という文字だった。その人は、自分たちが被災し、ぎりぎりの状態にありながら、私たちにお礼の気持ちを表現したことに感激したと語ったという。


10月23日 飯生記弘(いいの のりひろ)さんというかたから、励ましのお便りをもらいました。
震災に遭われた東北の皆様が、言葉に表せないくらい励まされ、力づけられたことでしょう。そして復興に向かって突き進んでいく姿が見えるようです。 もっと読む
飯生さん、ありがとうございました。

10月18日 このブログも、ある程度は覚悟していたとはいうものの、あまり反響はなくなりました。それでも訪問者は着実にあるのがうれしいことです。地道にゆっくりとしかし着実に歩みを続けたいと思います。少しですが、この活動を紹介してくださる人があります。のぞいてみる

10月15日 ゾウの調査で出かけていたマレーシアから帰りました。海外に出ると日本がどう見られているかを考える機会になるものです。まあ、勤勉で豊かな国と思われているようですが、逆に私たちがマレーシアについてどういう知識を持っているかと聞かれるとはなはだあやしいものです。行ってみて驚いたのですが、インフラがすばらしく整っていて、道路は高速道路みたいな立派なもの、建物も立派で、「東南アジア」の開発途上国イメージとは大違いです。日本ではアジアのことが紹介されないことはなはだしいと思います。
 帰国してニュースをみるとリトアニアで原発について国民投票がおこなわれたとありました。日本の日立が「技術援助」をする運びだとも。これを世界の人はどう見るか。私がふつうのヨーロッパ人なら「あれだけの悲惨な体験をしておきながら、まだ懲りないで海外に原発を作ろうとする、理解できないやから」と思うでしょう。悲しいことです。日本人自身は日本を「環境にやさしい国」などと言ったり、世界からそう見られているだろうと思っているフシがありますが、そんなことはありません。むしろ「狭い国で自然を食い物にしてひどい汚染の中で忙しく働く国民」というのがイメージです。
 リトアニアには大企業は仕事(金儲け)で行くのでしょうが、日本市民が原発はいかにおそろしいものかを伝えに行ったらいいのにと思います。それにしてもリトアニアでは国民投票をして重大な決定を問うことをしている。「言論が自由で、民主的な」日本でなぜそれをしないのでしょう。こうしたことを通じて自分たちの国がどれほどのものであるかを客観視したいと思います。


10月10日 10月6日に慶応大学でコンサートがあることはお知らせしましたが、そこで小田百合子さんが自作の「ナラの木」を披露され、山浦先生がケセン後で朗読されたそうです。確信はありましたが、期待にそぐわぬすばらしい演奏だったようです。私はあいにく学生実習で参加できず、痛恨のことでした。

10月8日 千葉県の齋藤史夫さんは画家で、「ナラの木」を出会った人に熱心に紹介してくださり、私にもよく連絡をくださいます。最近、齋藤さんが老人ホームで「ナラの木」を紹介したところ、近藤一男さんという米沢出身の方が感想文を書いてくださったそうです。近藤さん、齋藤さん、ありがとうございました。

人には誰でも「嵐に打ちのめされる」ことがあるように思います。私にとっては63年前の夏の日がその嵐でした。1949年(昭和24年)7月14日のことで、その日は猛暑の日でした。私は鉄道機関士で、奥羽本線下り419列車の復路424列車を牽引して、米沢に午後13:30に到着したのでした。往復180キロの長旅でした。業務報告を終えたとき、区長に呼ばれました。もっと読む

9月27日 10月6日に慶応大学でコンサートがあり、そこで大船渡のお医者さん山浦玄嗣先生が「ナラの木」を朗読されることをお知らせしましたが、その山浦訳の「ナラの木」が届きました。さすがに大胆に訳されていています。「ドドド」とか「ミッチミッチほろぐ」など、擬態語が豊富です。ぜひ朗読を聞いてみたいです。

9月24日 重要な情報です。「がんばれナラの木」の活動に共感してくださった小田百合子様からうれしいお便りが届きました。小田様は音楽家で、10月6日に慶応義塾大学日吉キャンパスでユニークなコンサートを開催されます。その中で「ナラの木 三味線、打楽器、朗読のために」が演じられます。そこでは私の尊敬する大船渡のお医者様で「ケセン語」の研究者でもある山浦先生が「ナラの木」を朗読されるそうです。ところが、あろうことかその日は私自身が学生の野外実習のために群馬にいなければならず、断腸の思いです。皆様、ぜひ聞きにいらしてください。詳しく





9月19日 原発ゼロが骨抜きにされたらしい。ひどいなと思います。

戦後の復興時代を導いた人としてはその人生を誇っていただいてけっこうだが、あの災害は日本人の社会感、自然観、世界観を根本から変えたのです。どうかお引き取りいただきたい。もっと読む


9月15日 あの日から1年半が経ちました。テレビで田の一本松のことを報じていました。それについて思うところがありました。

報道のあとに地元の人の意見がありました。もちろん「残念だ、なんとか再建してほしい」という意見もありましたが、「静かに横にならせてやりたいなあ」という声も、また「命あるものは死んでゆくんだよ」という声もありました。まったくその通りだと思います。
もっと読む

9月1日 9月になりました。8月の下旬に岩手県に調査に行き、一部ですが、沿岸部にも行きました。改めて被害の大きさを痛感しました。陸前田の近くでは驚くほど内陸にまで津波が達していたことを知り、実感としては現実味がないほどでした。

このときに撮影した3枚の写真を紹介します。このうち2枚はナラの木です。北上山地で群落の調査をしていて、コナラの木を見上げたらなかなかおもしろいアングルだったので一枚写しました。



遠野盆地の北にいったとき、ミズナラのドングリがだいぶん育っていました。遠野はクマが多く、里におりてトウモロコシを食べて駆除されたりしています。ドングリが豊作だと里にはおりないようなので、そうであるといいのですが。



 私は車を運転していても自然を観察するのが習いになっていて、今回大きな木を見つけたので立ち寄りました。実に立派なシナノキで、測ってみたら周囲が421cmもありましたから直径は70cmほどということになります。枝振りなどもすばらしいものでした。脇に立っているのは170cmくらいある長身の学生です。


8月28日 昨日でしたか、福島の子供の甲状腺のしこり率が高い疑いがあるという報道があり、胸つぶれれる思いでした。そして、私には「聴取会」での中部電力職員の無神経で許しがたいことばが思い出されました。彼は言いました。「原発爆発の汚染で直接死んだ人はいない。だから再稼働すべきだ」と。私はこの男と、再稼働を進めようとする人々に問いたい。チェルノブイリの悲劇を直視すれば、放射能汚染がどれほどおそろしいものであるか明白であり、死んでいないとしてもそれは生き地獄であるのに、その可能性のあることをなお進めようとするのか、と。今私たちが考えなければいけないことは、この胸騒ぎのする情報を軽くみないで、万一これが悪い方のことが進行する兆しであるとしたら、どうすることが悲劇を最少限に抑えられるかを真剣に考え、実現に向けて努力することだと思います。
 私はもうひとつのことを思います。福島の人よ、もっと憤りを表現してください、と。報道関係者よ、この問題をもっともっと大きく取り上げよ、と。そして、東京の人よ、もしこれが東京の子供であったら、どうするのか、その可能性がないなど誰にもいえないことではないのか、と。
 そして強く願います。福島の子供の健康が問題ないことを。しかし大切なのは、心情的な願いだけではいけない、神頼みにせず、事実は冷静に捉えるということだと思います。


8月25日 「ナラの木」の原作を送ってくださり、いわばこのブログの生みの親ともいえるダイアナさんから、職場であるテキサス農工大学の広報紙に紹介されている「愛されるナラの巨樹」の話題が送られてきました。私にはわかりにくいところもありますが、明治初年くらいからの老木がたくさんの人に愛されているということはわかります。横にひろがる見事な枝を見るだけでも、訪問する価値があるサイトのようです。

8月20日 千葉県白井市の女性から感想が届きました。
 方言になった「ナラの木」を送ってくださり、ありがとうございます。これらを聞いて、秋田の山村で育った母親から聞いたことや、幼い時に経験したことを思い出しました。
 今ではみんな裕福な構えをしていますが、母が育ったころや農地改革の前は村のほとんどの家は、それは貧しかったのです。秋田の冬は長く、大雪にとざされていました。その中で人だけでなく、動物も、木も耐えて生き抜いたのです。
 * * * *
 「ナラの木」の詩の朗読を聞きました。強いひびきを感じ、感動し、胸が高鳴りました。次に東北の方言で読んだ詩を聞きました。優しさを感じ、涙が出て来ました。そして優しさは強さにつながると思いました。

もっと読む


8月6日 広島の平和式典をテレビでみて、方言について 思うことがありました。

8月6日 この日は広島原爆投下の日です。式典の広島市長、小学生のあいさつには胸を打つものがありました。それにくらべて野田首相のことばの挨拶のなんとつまらないことか。「はい、よく読みまちがいなく読めました」くらいのものです。私は注意深く聴いていましたが、当然言及すべき原発にはほとんどふれませんでした。官僚は世界が注目するヒロシマの式典でへたに原爆と原発をむすびつけるのは得策でないと計算したのでしょう。どう知恵をしぼっても、そうすれば廃炉にせざるをえないからです。官僚の作文を棒読みにするのが首相の役割とはいえ、一度は目を通すものでしょう。そうであれば、ふつうの人の心を持つ政治家なら、「原発のことに触れなくてもいいのか?」くらいは思うはずです。だが、野田という人はそれさえしなかった。テレビでは市長や子供のあいさつのあいだに野田首相の表情もとらえていました。私がその立場にいたら、ああいう勇気ある、心のこもったことばを聴けば、後にひかえる、自分のよむべきひからびた文章を思って「まずいな」くらい感じると思うのですが、それはまったくないかのようでした。新聞には支持率がさらに 落ちたと報じてありました。当然であろう。

8月5日 「ナラの木を読む」はまだ一部工事中ですが、「朗読者の紹介」に大分版を担当された川野誠一さんが自己紹介してくださいました。川野さん、ありがとうございました。

8月5日 「ナラの木を読む」は日に200-300くらいのアクセスがあるようです。齋藤史夫さんから以下のような感想が届きました。
「朗読を録音させて戴きました。パソコンを持たない方にとっては、大喜びでした。東北出身者が多数居りましたので中には涙を浮かべているかたも居ました。」
もっと読む

8月3日 朗報です。ささやかなわがブログにとってはビッグニュースといってよいでしょう。「ナラの木」の地方版の朗読が聞ける「ナラの木を読む」というサイトが立ち上がりました。地方訳はなんといっても耳で聞いてこそ味わいがあります。とくにこの詩は自然とともに生きてきた東北の人のことばにふさわしいように思います。ところが私は「ITオンチ」なので、朗読を聞いてもらうにはどうすればいいのかさっぱりわかりません。どなたかに協力いただきたいと思っていたのですが、ナラの木関係で知り合った高田淳生さんがこれを引き受けてくださいました。高田さん、ありがとうございました。どうか各地の「ナラの木」をお聞きになって、このブログでも「読む」のほうにでも感想を聞かせてください。

8月1日 テレビのニュースで、これまで別の場所でおこなわれていた意見を聴取する会が福島で開かれたと報じられました。私にははっきりわかりました。どれだけことばを飾り、文体を整えても心に訴えないことばがあると同時に、体験に基づいた自らの腹から出たことばがいかに人の心をゆさぶるのかを。

 福島の人は言いました。「反原発というと、経済を知らないとたたかれます。でも私は怖いのです」と。これこそ偽りのないことばです。

続きを読む。

 「私たちのような被爆難民を生まないで欲しいのです」と発言された福島の人のことばは、それだけ苦しみながらも、自分のことではなく、ほかの人への配慮から出ているように感じられ、私の中では「ナラの木」と重なりました。


7月29日 日本俳優連合による東日本大震災支援チャリティーイベントが行われ、「ドラマの方言を考える会」の皆さんが「ナラの木」の朗読をしてくださいました。高槻は午前の部に参加させていただきました。岩手水沢、福島会津、名古屋、京都の4つが紹介されました。撮影禁止だったので、写真による紹介ができないのが残念です。ほかにもアクションの演技やオークションがあったようです。朗読を担当された皆様、ありがとうございました。


7月21日 19日の発言を撤回します。さきほどNHKの「メルトダウン連鎖」を見ました。つっこんだ取材により、「安全など確認されていない。再稼働は疑問がある」と明言してくれました。少なくとも報道の良心が死んだという私の表現は間違っていたので、お詫びして撤回します。しかし、このすぐれた番組ではっきりしたのは、再稼働がまちがった決定だということです。当事者が言った不足の事態に直面して「腹に鉛が入った感覚」「日本がおかしくなると覚悟した」という表現にリアリティがありました。ただ、それだけに私の中に浮上するのは、なぜこういうことが今頃になって紹介されるのかということです。また、私の主観的な受け止め方ですが、出演した当事者が番組取材に応じた勇気、本当に恐怖を体験し、正直に語った誠意について評価できますが、去年の5、6月以降、どういう気持ちで過ごしてきたのだろうか、再稼働や値上げの議論をどういう感覚で聞いていたのかという疑問です。地獄を経験した人であれば、それこそ命をかけて再稼働はまちがっていると大声を上げるのではないかと思うのですが。でも、それは地獄を体験した「被害者」に対して酷なことかもしれません。

7月19日  東電の値上げが決まった。一家が月300円ほどの額という。まあコーヒー一杯分かという額である。
 私は納得出来ない。まず、値上げの理由である。震災の被害関係に使われるという。我々は被害者なのに、なんで加害者の尻拭いをしないといけないのか。まったく理解できない。私たちは東北の被災者の生活が少しでも楽になるのであれば、よろこんで経済的支援もしよう。だが、事故を起こし、その反省もせず、あろうことか自らのミスを値上げでカバーしようとすることには1円でも納得できない。
 それと同時に、事の決め方が納得できない。値上げ理由について利用者であるわれわれの意見は反映されないのか。10万人が反対行動をおこしていることは一顧だにされないのか。さらに、なぜこんなに速く決まるのか。地震が起きて1年半もたとうとしているのに、復興が遅々としている。日々の生活に苦しんでいる人がたくさんいて、即決すべきことに行政決断がおこなわれないままになっているために苦しみが続いている。そうであるのに、じっくり時間をかけるべき問題があっという間に決まる、これが納得できるはずがない。
  マスコミは値上げの報道をしたあと、1ヶ月300円あまりと付け加えるが、なぜそんなことを言うのか。「たいしたことないから、このくらいならいいか」と感じさせようとしているとしか思えない。国が国民の声を聞かないことを、毅然と批判し、この値上げは民意に反するという報道をしてしかるべきではないか。日本のマスコミの良心は死んだと思う。



7月16日 今日のニュースを見ました。人はここまで醜くなれるものでしょうか。「意見聴取会」とやらで、中部電力の職員のした発言。「放射能で死んだ人は一人もいない。このことは十年後も変わらない。」同業者である東電があれだけのことをしたのを知りながら、お詫びをする気持ちも反省もない。死ななかったから悪くなかったというのか。
 私は賛成はしないが、「豊かな」生活を維持するためには原発が必要という意見がある。石油資源よりは原子力のほうがよいという見解もある。同意はしないが、そういう発言はあってよく、見解の違いを埋めることもできるかもしれない。しかし放射能汚染をしておいて、人が死んでいないから問題はないなどという発言は許してはいけないと思う。麗しい阿武隈の大地とそこに生きる動植物を汚染し、そしてそこで代々暮らして来た人が戻ることのできない土地を作ってしまうという、とりかえしのつかないことをしたという事実を知りながら、「免疫学的明白な事実」という発言が許されてはいけないと思う。
 その人の不誠実も許せないが、この「聴取会」をランダム抽出と嘘を言って、市民から意見を聞いたことにして原発依存の正当化を図る政府は絶望的というしかない。10万人もの人が毎週反対運動をしていることに何の公式コメントをしない「民主国家」というのも聞いたことがない。


7月14日 昨日(7月13日)、日本俳優連合の「ドラマの方言を考える会」の6人の方に集まっていただいて、方言での朗読を録音していただきました。北から、岩手水沢(冨田祐一さん)、福島会津(河原田ヤスケさん)、静岡遠州(外海多伽子)、京都(小林由利さん)、福岡博多(隈本吉成さん)、大分(川野誠一さん)です、皆さん演技がお仕事ですから、簡単に練習しただけですぐに本録音に入り、いずれも感情表現の豊かなすばらしい朗読でした。本物の方言を聞くにつけ、改めて日本のことばの豊富さ、表現の豊かさを感じました。皆さんありがとうございました。
少し仕上げ作業があるそうで、それができたらこのブログに紹介したいと思います。


7月12日 6月2日に日本俳優連合の皆様の公演の一部で「ナラの木」の地方版を朗読していただきましたが、今度はもっと大掛かりなイベントがおこなわれます。すでに申し込みを締め切っていますが、7月29日に「(協)日本俳優連合 チャリティー・イベント東日本大震災復興支援2012」が開催され、このなかの『 方言の会 : 被災者に心を寄せて:方言でつなぐ詩の朗読・心のきずな 』というコーナーで「ナラの木」が朗読されることになったそうです。ありがたいことです。趣意はつぎのとおりです。

昨年3月11日に発生しました東日本大震災では、甚大な被害がありました。多くの方々が被害にあわれ、震災後一年以上経ちましたが、今なお厳しい状況が続いております。(協)日本俳優連合では、被災地の方々へ出来る限りの援助を行ないたく、組合員はもとより、関係各位の皆様のお力もお借りして、本イベントを開催させていただきます。

 時間というのは恐ろしい側面をもっているようです。どれだけ悲しみが深くても、どれだけ怒りが大きくても、時間がたてば弱まって行きます。だからこそ、決して忘れないのだという気持ちを確認し、こうして活動を続けることが大切なのだと思います。



7月9日 久世濃子さんからナラの木にまつわる話題について情報がありました。久世さんありがとうございました。

7月7日 スリランカの津波孤児からの励ましの手紙を紹介したことがありますが、今日同国のジャヤンタ・ジャヤワルダナさんから、ゾウに親を殺された孤児の支援活動について支援のお願いが届きました。ご協力願える方は「自然日誌たかつき」をご覧ください。

7月1日 オーストラリア在住のカロリーナ・ガリンデス=シルバさんから「7歳になった君へ」について感想をもらいました。

Dear sensei
The poem is beautiful. It's amazing how your grandchildren and the difficult situation Japan is going through have inspired you to write such deeply touching lines.

美しい詩ですね。お孫さんと日本の困難な状況から、先生はこんなに心に訴える詩がひらめいたんですね。びっくりです。

* カロリーナさんは高槻が東京大学に奉職していたときにベネズエラから留学していました。高槻

もっと読む[仲間の声」の7.1

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。