見習い百姓のつぶやき

宮仕えも一段落、半農半Ⅹを本格化。農的暮らしとさまざまなⅩを悩んで、楽しんで一歩づつ。

古代の埋葬

2024-09-13 21:10:13 | 古代のこと

今日の地元紙地方面(26面)に「青谷上寺地遺跡 多数の人骨 奴隷層を再び集団埋葬か 『倭国大乱』との関連に疑問」との記事が掲載されていました。
青谷上寺地遺跡には、7月末に何人かで行き興味深く見てきたばかりでしたから(ブログ)、飛びつくように読みましたが、僕が思っていたものと何か違う???

古代の埋葬や葬送の習俗
最近、古代の埋葬や葬送の習俗に関心を持つようになりました。
最初は、読むとはなしに読んだのですが、南西諸島の風葬と洗骨・再葬の習俗に強い興味が湧きました。
その後読んだ「縄文語への道」に“青木”という地名は葬地を表していたと書かれ、いくつかの葬送の習俗が紹介されていました。

この本に記された美保関町雲津の海洞穴、昔ここは埋葬地だったが、今は葬儀が終わると洞窟に札貼りに来る、それは洞窟葬の名残りと書かれていました。
おっと!!かれこれ10年にもなるかな?子どもの頃に龍を3匹飼っていたと宣うちょっと変わった東京の女性が、何かに呼ばれて雲津の洞穴に行ってきたばかりと。
その話と繋がった!のです。

また、今、「ゲノムでたどる古代の日本列島」を読んでいますが、この本の著者の一人が先史学が専門で、再葬墓などの墓制に強い思い入れがある。
それがまた面白く、渥美半島のある遺跡の再葬墓の話なんて、もうドキドキもの。
死者に対する思いって、そう違ったものではない筈なんだけど、その表現方法は多岐にわたる感じ。

そこで、青谷上寺地遺跡の報道なんですが、まあ、専門家の所見だから素人がうんぬんする話ではないけれど、、、
例えば、この見解を発表した方は、出雲の口伝は眼に入っているかどうか?
出雲の口伝って、いわゆる専門家の皆さんは歯牙にもかけず、って感じかな?と思ってきましたので、、、

多くの遺骨がどんな状態で発見されているのかも分からず、しかも、発掘調査報告書も見ずに云々することじゃないのは重々分かっているつもりですが、、、
ネットで見ることのできる現場の状況は、再葬墓、集骨墓には見えないんだよなあ、それに、そもそも出雲は奴隷制を持っていたのか?
因幡の国って、出雲ととても濃い関係だったようですから猶更。

僕は、“倭国大乱”って出雲が亡びる前後かなあと、想像を逞しくしていますが、出雲を滅ぼしヤマトに政権を樹立した勢力の中に豊国(宇佐国)勢力があったらしいのです。
彼らは、滅ぼした出雲からヤマトに向かう途次で白兎神社を創建したと読んだことがあります。


宇佐国造57世孫・宇佐公康著「宇佐家伝承~古伝が語る古代史」に白兎神社創建の話はありませんが、白兎神社の主、因幡の白兎伝説が書かれています。
それは、隠岐にいた宇佐族が本土に定住する際、和邇族に騙されて途方に暮れているところを大国主に助けられ、八上姫の地を譲り受けて住み着いたとの内容です。
白兎伝説も当の宇佐族の伝承は違うんですね(^^;;

倭国大乱と出雲の国譲り(出雲滅亡)、白兎神社創建と白兎伝説の時系列は?また、相関関係はある?そんなことを妄想するのはとても面白い。
確たる歴史が存在しないのも、またステキなことかも。

コメント
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