移住は帰らなくてもいい終わりのない旅。人生そのものも旅。そして気づき始めたあの世への旅。旅と夢限定ブログ
2022年5月のテカポ。
湖畔の
牧羊犬像の後は、すぐ隣にあ
る有名な
善き羊飼いの教会へ
ちょうど両側の窓越しに夕陽
が落ちていくところでした。
1935年に建てられた小さな石
造りの教会。当時は一帯の唯
一の教会だったそう。石は半
径8km以内から集められた状
態の良いものだけを使い、屋
根は1957年に葺き替え済み。
マッケンジーカウンティ―と
呼ばれるこの地の初期入植者
を称える記念碑でもあり、簡
素で質実剛健な姿は、当時の
入植者の暮らしぶりそのもの
の反映だったことでしょう。
家族で来た20年前には周囲に
は柵がなく、湖畔にぽつねん
と建っているばかりでした。
(※2002年)
それでも観光客は大勢いて、
中にも自由に入れました。
大きな窓から見るテカポ湖や
雄大なサザンアルプスの神々
しい光景は当時の
「西蘭花通
信」に書き残していました。
今は中には入れずガラス越し
に撮った夕陽に染まる室内。
教会全体が黄金色に輝く一刻
湖畔には誰が始めたのか、積
み上げられたたくさんの石塔
賽の河原さもありなんな光景
ですが、寂しさはなく、多く
の人がここで石を積みながら
長い時間を過ごしたのかと思
うと逆に暖かさを感じます。
西の空に陽が落ちていくや、
輝いていた山々に夕闇が迫り
向きや角度で山肌に残光と闇
が重なって、1日の終わりを
最後まで拒むような光景に。
それでも夜の帳が降りてきて
山の輝きが消える一方で湖の
青さや石の白さが明るく見え
じきにすべてが闇に包まれ、
山も湖も眠りにつく時間。
教会も、か。
キミも、かな。
2022年5月のテカポは移住前
2002年に来て以来20年ぶり
宿を出て真っ先に向かったの
は、湖畔に立つ牧羊犬の銅像
「この山岳地帯で牧羊犬なし
には放牧は不可能だった」と
コリー犬の貢献を称えた碑。
1968年の建立されたもので、
思ったよりも新しものです。
2002年の息子たち。8歳と4歳
20年を経て同じ場所に戻り、
懐かしい思い出話が尽きず。
湖畔で張り切っていた次男は
その後すってんコロリンで💦
しょぼぼ(´・ω・`)
辺り一面がオレンジに染まる
時間帯に行き当たりました。
しかも、その色が刻々と変わ
り鮮やかに輝いていきます。
大自然のパノラマという使い
古された言葉どおりの光景。
なにもかもが黄金色になり、
自ら光を放つかのようです。
その輝きに囲まれて湖だけが
濃く、深く、静かに沈みゆき
人口700人足らずの山間の小さ
な集落が人々を魅了し、世界各
地から訪れる人が後を絶たない
のがわかるような気がします。
1日の最後かつ最高の輝きの後
夕闇が駆け足でやってきます。
晩秋の夕暮れならではの魔法
周囲には1日の食べ納め
の兎
数日ハワイに行っていました。
帰りの飛行機の中で、飛行機
に乗っている夢を見ました。
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それはジェット機ではなくセ
スナ機で、パイロットの後に
乗客2人がおり、操縦席と座
席の間は広く、その部分の床
が開閉式になっていました。
底がガラス張りの観光船のよ
うですがガラスではなく、開
けば本当に地上が見えます。
乗客の1人は「私」で、3人は
日本語で会話をしています。
パイロットが料理のレシピを
紹介すると、もう1人の女性客
が褒めちぎり、身を乗り出し
てパイロットに話しかけ、彼
が観光案内をする間も与えな
いほど彼女の独壇場でした。
「私」は黙っていました。彼
女の止まらない追従を聞いて
いたわけではなく、パイロッ
トの説明を待っていました。
彼がマイク越しに何か言った
瞬間、いきなり床が開き、前
屈みだった女性が落ちそうに
なりました。「私」は彼女が
着ていたグレーのニットをグ
ッとつかみ、身体を元に戻し
ました。私たちは腰にだけシ
ートベルトをしていました。
ショックで言葉を失ったのか
女性は黙り、「私」はパイロ
ットに「危険なので床は開け
ないことにしましょう」と提
案し3人は飛び続けました。
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意味があるのかないのか、現
時点ではまったく不明の夢。
ハワイで何度か日本語を耳に
したので日本語の夢なのか
彼女が来ていた厚地のニット
の感触が掌に残るようです。
前回飛行機に乗ったときは、
滑走中に
東海道線に乗ってい
る夢を見ましたが、今回は空
中で飛行中の夢を見ました。
飛行機は夢を見やすいのか、
夢を見るほどよく寝ているの
か。離陸前どころか機内安全
ビデオ以前から寝ていたり
次はテカポ旅行記に戻ります。