ニュージーランド移住記録:みたび

移住は帰らなくてもいい終わりのない旅。人生そのものも旅。そして気づき始めたあの世への旅。旅と夢限定ブログ

グレートオーシャンロード+アデレード3回目行:名前だけを残すビクター港

2023年09月04日 | オーストラリア:サザンオーシャンドライブ

2022年11月のオーストラリア
8日目。アデレード3日目のビ
クターハーバー。ウォーター
フロントは整備中でした。も
しかしたらコロナ経済支援策
の一環の地方公共事業なのか


創造者ヌルンデリ(ngurunderi)

西洋人の入植以前、ここはヌ
ルンデリが創り出したナリン
ジェリ(Ngarrindjeri)ネーショ
ンで、彼が持つ槍(Kaika)はグ
ラナイト島の現地語名です。


目の前がグラナイト島。島に
続く橋を渡れば目と鼻の先。

馬車トラムの線路があり、馬
の負担が軽減されているよう
でもやっぱり可哀そうです




隣に古い橋があったらしい


水中にも点々と橋脚が残り、



島側は展望台に改装中かな?



橋の上はものすごい風と寒さ
薄着のお二イさん、さすが

と思っていたら橋の途中で苦
笑しながら引き返して行きま
した。ばっちり厚着してきた
おじさんとおばさんは行く



グラナイト島/カイカ

花崗岩島


ずっと見てきたライムストー
ン(石灰岩)とは確かに違う



ここもオーストラリアにしか
いないリトルペンギンの島🐧



いたのはタテガミガン一家



オーストラリア固有種で、本
当に立派なたてがみがある



島までは1.9km。島内1周の
カイカトレイルは2.9km45分
整備されていて歩きやすい

2022年の途中まで橋の整備中
で島に渡れなかったようなの
で私たちはラッキーでした


島の東側(地図は南北逆転)に
カタツムリの目のように突
き出たのが防波堤と桟橋。防
波堤は1882年完成。全長約
30m。20万トンの岩を切り出
し人力と馬力で運んだそう。

左はかつての桟橋。スクリュ
ーパイル(回転貫入杭)で施工。
1881年に操業開始。ここから
羊毛を満載した蒸気船🚢がロ
ンドンまで行っていたそう。
中央はカフェ兼おみやげ屋。


今や名前しか残っていない港
がかつてここにありました。

ビクター港


港の建設は1862年より開始。
隣町がオーストラリア最長の
マレー川河口のグールワだっ
たため、内陸部から羊毛や小
麦が集まり、積出港爆誕(笑)



マレー川は全長2,500km。N
Zの南北1,600kmよりも長い



古い橋の橋脚は桟橋跡でもあ
ったよう。ここはビクトリア
埠頭と呼ばれ、物資を積んで
マレー川を往復する外輪船が
行き交い、陸揚げされた物資
はトラムでグラナイト島へ。



沖合にある分水深が深く蒸気
船が利用できたのだそう。



1.9kmの差が価値を生んだ



しかし、マレー川に橋が架か
り1885年にアデレードまで鉄
道が開通すると、物資は陸路
で州都まで運ばれるようにな
りビクター港は役目を終え、

(※1879年開通のマレー橋
前回行ってきた場所で徐々に
史実がつながって来ました)


1920年代以降は港湾設備がな
くなり今は名前を残すのみに

今ではアデレードっ子の夏の
避暑地として人気なんだとか


あの赤は錆にしか見えない



ここにも錆びる岩がある



石灰岩と全然違うのね



リトルペンギンには会えず

代わりに寒そうなカモメの番


晴天でも強風が吹く寒い場所

南極まで3,850km


先住民への敬意を示す動きが
急速に進んでいるようで、モ
ニュメントがどれも新しい



「先住の地で」と題され、イ
ギリスのオーストラリア植民
地化を正当化したご都合主義
の主張『テラ・ヌリウス』(無
主の地)には先住民族アボリジ
ナルがいたことを認める碑銘



今回も長くなってしまった💦



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