ニュージーランド移住記録:みたび

移住は帰らなくてもいい終わりのない旅。人生そのものも旅。そして気づき始めたあの世への旅。旅と夢限定ブログ

2種類の夢

2017年02月03日 | 夢の周辺

夢の記録を意識し始めてから気がついたこと
私の夢には2種類あるということ。


ひとつは夢の中でも私は「私」で等身大の肉体を持ち
考え方も価値観も私と同じで必ず女性として登場します。


ときどき子どもも登場するのですが、子どもの年齢は
まちまちで、私の年齢もそのたびに若干違うのですが
逆に言えば、性格、考え方、価値観といったものは
いくつであってもそうは変わらないようです。


「私」は自分の足で歩き、自分の目で見、会話もすれば
周囲の人たちも「私」を1人の人間として扱い、話もします。



もうひとつは、肉体を持たない存在として登場する夢です。
「私」は見て、聞いて、その辺をさまようばかりで
肉体を持たないので会話がなく、周りの人には見えません。
ざっくり魂とか幽霊(笑)の状態なんでしょう。


その時は人の頭を斜め上から見下ろしているアングルが多く
家の中で言えば壁と天井が接触する角にいるようで
部屋全体を見渡していることが多いように思います。


数日前に見た夢は珍しく外で、私は見えない存在でした。
場所は日本のどこかの小さな集落で、漁村のようでした。
村人が集まって生活の大変さを誰かに淡々と語っていました。


女たちはスカーフを被っていましたが、チラリと見える
顔は長年の日焼けで深い色をしており、そこに刻まれた皺が
厳しい暮らしを物語るようでした。


主催者らしい人が
「他に何か言いたい人は?」
と意見を求めると、
小学校高学年らしい坊主刈りの太った少年が
床に座った人たちの間からすくっと立ち上がり、


「腹いっぱい食べたい!」
と大きな声で一言言って座りました。


あとには笑い声が上がったもののすぐに納まり、少年の訴えが
冗談ではないことが、静まった場から思い知らされました。


「私」は床に座った人たちを立っているよりもっと高い位置で
漂いながら見ていました。少年の一言の後も夢が続いたのか
思い出せませんが、肉体がないときはただの傍観者で夢に
「参加」していないため、記憶が薄いように感じます。


考えて動き、脳と身体の両方を使って物事に当たってこそ
いろいろな感情や記憶が深く刻まれるのだと思います。


今日は節分。
トラ年の私や猫にとり、試練の年だったサル年の七冲終了
(※この話は~七冲を超えて~でどうぞ)

飼い猫コロはお腹に大ケガをしてしまい、1週間で2度手術
なんとか切り抜けてくれました。


今夜はパーっと行きましょう、パーっと(笑)


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