2023年3月のタスマニア3日目
ジャム王と称されたジョージ
・ピーコックのジャム工場が
経営破たんした際、救済に乗
り出したのが、その後ハンタ
ー通りの顔となる若き日のヘ
ンリー・ジョーンズでした。
ジョーンズはウェールズ系移
民の子として1862年に生ま
れ、12歳からピーコックのジ
ャム工場で働き始めました。
最初の仕事はフルーツ缶詰の
ラベル貼りでしたが、数年後
には優秀なジャム職人となり
ハンター通りの偉大な先代2
人バンスターとピーコック同
様33番地に住んでいました。
21歳で結婚、3男9女の父に
1885年に入ると事業はオース
トラリア本土との競合に晒さ
れ、ジョーンズは弱冠23歳で
工場長に抜擢されます。1892
年に経営が破たんするや、ピ
ーコックの息子ともう1人の
従業員とともに会社を買い上
げ、H.ジョーンズ社を設立し
ます。30歳の大勝負でした。
G.ピーコック&サンズ社から
H.ジョーンズ社に
ジョーンズは自身のモットー
“I excel at everything I do”
(自分が行う全ての事に秀でる)
をブランド名のIXLとします。
(※工場の煙突にもIXLジャム)
1898年までには新工場建設や
商品の多様化で業績は回復に
向かいます。ジョーンズはジ
ャム製造にとどまらない大胆
な事業の多角化に乗り出し、
後にヘンリー・ジョーンズ帝
国と称される版図の拡大に向
けて突き進んでいきました。