ニュージーランド移住記録:みたび

移住は帰らなくてもいい終わりのない旅。人生そのものも旅。そして気づき始めたあの世への旅。旅と夢限定ブログ

パース行:脱走、暴動、そして閉鎖

2021年09月27日 | オーストラリア:パース

3本目ですがフリーマントル
刑務所
の話を続けます


フリーマントルという地は、
冬は厳寒な上、夏は40度を超
える酷暑になるそうで、その
気候は非常に過酷でましてや
刑務所内はなおさらでした。


独房の大きさは2.1m×1.2m
とシングルベッド並みで、そ
の中に担架のような粗末なベ
ッドがあるだけで、世界的に
も稀に見る狭さでした。トイ
レはバケツ1つが与えられるだ
けで劣悪な衛生状態でした。


それに加え食事の質も著しく
低く、脱走や暴動が絶えず、
脱走は成功するか失敗して厳
罰に処せられるかのいちかば
ちかの命がけの挑戦でした。


最初の脱走は1863年で47人
が集団脱走し、2度と見つか
らなかったそうです。連れ戻
された場合は鞭打ち100回や
食事や水の制限など、厳しい
現実が待ち受けていました。


暴動は1868年~1988年まで
120年にわたり断続的に続き
食への不満から1902年には
キッチン暴動も起き、8人が
足かせの刑に処されました。



フリーマントルは刑務官にと
っても厳しい職場でした。

(※初期の制服)


流刑囚には連続殺人犯など凶
悪犯も含まれるようになり、



近代に入ってからも、老朽化
した施設や食事への不満で暴
徒化する受刑者、度々の暴動



特に1988年の最後の暴動は



刑務官5人を人質に取って大
怪我を負わせ、施設を放火。



屋根が焼け落ち、刑務所閉鎖
の引き金となる事態に



3年後の1991年にフリーマ
ントル刑務所は136年間の悪
名高い歴史に幕を閉じ、受刑
者は州立のカジュアリーナ重
警備刑務所に移されました。


『刑務所受付』と題された閉
鎖した1991年の受刑者の写真



展示物や写真を見ているだけ
でも重苦しい雰囲気に包まれ
る中、思わず顔がほころんだ
流刑囚の制服

今ならこのまま街に出られる
シンプルシックな洗練度


長めのトップス、ハット、色
(特にオフホワイトのコットン
パンツがツボ)にオーストラリ
アンファッションの原点を見
るようですが、すべてイギリ
ス製で年1回支給だったそう。


ここは現在州立刑務所に収監
されている受刑者のアートギ
ャラリーで値札もあり購入可



アボリジナルアートの典型で
ある点描画が多く、受刑者
に占めるアボリジナルの多さ
という別の問題を見る思い。

オーストラリアらしいマンゴ
色の夕焼けと点描画


ビビッドな色彩も特徴的で、



このR.BARR氏の作品は色彩
といい作風といい好みでした



いくつも作品がありました。

右は売却済みでした。


オオトカゲや



ヘビもアボリジナルアートの

重要なモチーフ。


ここはツアーもたくさんあり
いつかまた再訪しましょう。


コメント
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