ニュージーランド移住記録:みたび

移住は帰らなくてもいい終わりのない旅。人生そのものも旅。そして気づき始めたあの世への旅。旅と夢限定ブログ

パース行:情熱とロマンのギルフォード

2021年10月24日 | オーストラリア:パース

引っ越しとその後の家の修繕
でちょっとバタバタしていま
した。しばらく不定期になる
かもしれませんが、できるだ
け更新しようと思います


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2019年8月のパースも5日目
せっかくレンターカーを借り
たので再び遠出と思ったら


目的地ギルフォードは激近💦

パースからたったの13kmで
バスや電車もあり、フリーマ
ントル
の20kmより近い


まずはメインストリートのG
MB(ギルフォードミルクバー)


ミルクバーという名前が古色
蒼然。NZやオーストラリア
では小さな町の雑貨屋やカフ
ェ、今のデイリー(NZ版コン
ビニ)的な存在だったものら
しく、地方によくあります。


そういう場所なのでお年寄り
が集い、高齢者割引もあり



ここで簡単な朝ごはんに



レトロなコークのスタンド

店の雰囲気に合いました。


地方にありがちなアジア料理
ここはベトナム料理でした。

NZやオーストラリアの小さな
町ではたいがいバーやパブな
ど飲む店しかなく、移民のア
ジア人が飲食店を出すとかな
りの確率で成功し地元に定着
します。でも人口が限られる
ので事業規模も限られます。


ギルフォードの近代史はパー
スと同じく1829年に始まり、
200年近い歴史があります。


西オーストラリアの拠点とな
るスワンリバー植民地建設の
命を帯びたキャプテン・ジェ
ームス・スターリングは1827
年に総勢18人の調査団と小舟
でスワンリバーを遡上して、
ギルフォードに到着します。



スターリングは「見たことも
ない美しさ」と評し一目で気
に入り、入植地として情熱と
ロマンを掻き立てられます。


一帯はよく開けた平地で「1
エーカー(64m四方)に樹木が
10本」という入植に理想的
な状態が報告されました。



肥沃な土地にスワンリバー。

大河は周辺の水系と交通の動
脈という植民地建設に欠かせ
ないライフラインを保証する
ものとして期待されました


しかし、調査団はこの時点で
4万年前からこの地で暮らす
アボリジナルが何世紀にもわ
たって焼き畑で一帯の管理を
行ってきたこと、肥沃な土地
は川の氾濫原にほぼ限定され
ることを知りませんでした。



スターリングの報告を基に、
1829年よりスワンリバー植民
地建設が始まり、最初の公式
拠点は港町フリーマントル、
内陸の河畔パースとギルフォ
ード、ケルムスコットの4ヵ所
で、ギルフォードは農業地帯
の河港として期待されました。