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第43代紫組要領次第

開成高校第43代紫組要領次第係のホームページ。

Erendira感想

2007-08-22 12:44:31 | 演劇
昨日エレンディラという劇を見てきた。演出は蜷川幸雄さんです。僕が演劇を見に行くのは8割がた蜷川幸雄さん演出モノです。原作はノーベル文学賞のガルシア-マルケスという人らしい。知らないけど。

よかったぁだのつまらなかったよぉだの、そうゆう単純な感想を書いてもあまり読者の興味を引かないだろうから、幻想的な本作品を見て膨らんだ連想とかそういうことを書いてみよう。

話の概要を書かないと良く分からないだろうからまずそれから書こう。

1.概要
純真無垢な美しい年頃のエレンディラ(役者:美波)は、非道で白鯨の如く肥えたおばあちゃん(役者:嵯川哲郎)と一緒に暮らしている。健気におばあちゃんの世話をしていたエレンディラであるが、ある日火の不始末から家を燃やしてしまう。火事のせいで全財産を失ったおばあちゃんはエレンディラを娼婦にし、失った金を取り戻そうとする。エレンディラはたちまち砂漠の男たちを虜にする。エレンディラが春を提供するテントには男たちの長蛇の列が出来る。エレンディラ一行は砂漠をめぐり、人が集まるところを見つけてはテントを張ってサービスを提供する。こうした苦行が続く。

なんかめんどくさいな。ま、続ける。

いろいろあって、ウリセス(役者:中川、へただった)という男が出てきて、そいつとエレンディラが恋に落ちて、で、非道なおばあちゃんを殺して、逃げようとしたんだけど、なんだかよく分からないけど、エレンディラは一人で逃げてしまい、ウリセスは取り残される。

見たいなありがちな話ですよ。

ウリセスは年をとる。ぼろぼろの爺になっている。死にかけてはいたが、いろいろあって、エレンディラと再会する。再会したエレンディラも年をとっており、死にかけている。ちなみに、非道なおばあちゃんと同じ姿になっていた。

ラストのシーンで、エレンディラが言ったこと。年をとったエレンディラは娼婦館を経営していたそうだ。その娼婦館では歴代のナンバーワンの女はエレンディラという源氏名を名乗っていたらしい。

2.思ったこと
そんな話を聞いたら、あの非道なおばあちゃんも実は若いときはエレンディラという名前であったのではないかとか、エレンディラも年をとってからは、非道のおばあちゃんのようなことをやっていたのではないか、とか思った。作品の登場人物は、お互いがお互いにつながり続ける、輪廻的な背景を持っているのではないか。

おばあちゃんのせいでエレンディラの悲劇が生まれる。そのエレンディラも年をとったら「非道なおばあちゃん」になっていた。そして、、、とひたすら連続する、フラクタル構造。終わることのない無限の時間軸。過去と現在が共存する世界。

【結論のようなもの】
フラクタル構造を時間的に持っている劇。(なお省略したが、舞台装置の工夫がありまして、空間的にもフラクタル構造を感じました。)時間が無限にループしているという感覚も得た。時間が単純にまっすぐ進んでいるという常識から離れた、なにかこう浮遊した感覚を私は感じた。

(フラクタル、という言葉は最近知人のブログを通じて知った言葉だが、同じ構造が連続するもののことらしい。三角形iの各辺からニョキッと小さめの三角形iiが飛び出ていて、その三角形iiの各辺からまたさらに小さい三角形がiiiが飛び出していて、という風なそういう連続構造のこと。)

【他。思ったことなどの箇条書き】
ちなみに「非道なおばあちゃんの名前も実はエレンディラだったのではないか」という発想は、僕のものではありません。美波さんが稽古初日の前日に戯曲を書いた坂出氏にぶつけた質問だそうです。美波さんが舞台に真摯に取り組む姿勢をうかがい知れて嬉しかったです。余談ですが露わな裸体も見れて(>.<)ファンになってしまいました。美しかったです。

それに引き換え、主演の中川氏ははっきり言ってイマイチだった。若くて人気でキャーキャー言われているらしいが、演技力不足はいかんともしがたい。子役俳優がちょっとがんばってみた、みたいな演技力だったぞ。高橋洋さんが演じたらきっともっとずっといい作品に仕上がったに違いない。

なお、僕の中のMVPは圧倒的な存在感で舞台を引っ張ってくれた嵯川哲郎さんです。

それから國村隼さんの登場が短いだろぉ。語り手として登場するなら、はじめから登場してもらっても良かったのではないか。格好いいし、今年話題になった役者さんなのにもったいないなと思った。

エレンディラの日程は、当初の予定より延期されているし、おばあちゃん役が当初の予定の白石加代子さんから変更されたらしいし、結構ごたごたしているから、練習期間が短かったのかもしれないけど、全体的にちぐはぐな印象が否めなかった。第3幕が面白かったから不満は残らなかったけど、ちょっとがっかりでした。まぁ演出家が意図した「見世物的なごちゃごちゃ感」を、自分が「ちぐはぐな印象」と思っているだけかもしれませんが。

【細かいこと】
台詞で印象に残ったもの(正確に記憶しているかどうかは心許ないが):
「特別な人間がいるところに人が集まる。そして街が出来る。」
「海の上を歩く方法?信じることよ。鳥だって、自分が飛べることを疑い始めたら、飛べなくなるものよ。」
「絶望とはすべてを失うこと。ただの諦めとは違う。欲望の頂点に達したとき絶望は訪れる。」
「永遠なんてない。一瞬だけよ。」

演出で美しいと思ったもの:
エレンディラが修道院に保護されるとき、上から降ってきた布が大変美しくふわりと舞っていて、それに包まれていくエレンディラが絵的に最高の一瞬!!でした。

以上。

Letheの水の件

2007-08-05 16:29:04 | 演劇
(推敲途中だが、たぶん書き直さないだろうから、そのまま載せる。別の日記で書いたものの移植です。)

シェイクスピアの十二夜の戯曲を読んでいたら、
訳注の、豆知識的なところで、Letheという川の水についての知見を得た。カタカナならレーテーと読む感じ。

人は死ぬと、または、生まれ変わるとき、その川の水を飲まされるらしい。
すると、それまでの記憶が一切なくなるらしい。
そうすると、生まれ変わってもそれまでの記憶をまったく持たないまっさらな人間として、
生きられるわけだ。究極のやり直し。

これは興味深い説である。
物理的な肉体は死ぬと、
土の中で朽ちたり、儀式で燃やされたりするけど、
仮に精神とか魂とかが物理的身体とは別に存在するとすると、
ええと、、、ようは面白い。

今僕が持っている精神or魂は
実は昔っからある魂の、上書き上書きみたいな感じになるから。

こうした説は否定できない気がする。
それは人知を超えた領域の話だから。

でも開成の頭のいい人なら、
見事に論破してくれるかもしれないけど。

ちなみ
魂の上書き、という表現は
最近はまっている涼宮ハルヒシリーズの小説から
着想を得た。
というか、ぱくった。

でも、シェイクスピアとハルヒを組み合わせて日記を書いたオリジナルな点は評価できる。自画自賛。

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ついでに思い付きを書いておくと、
デジャヴも
Letheの水によって消しきれなかった、前世の記憶なんじゃないですかね。

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Letheについては下にあるので興味がある人はどうぞ。

http://en.wikipedia.org/wiki/Lethe

歌舞伎座でのおばあちゃんと孫娘のことに関連して

2007-07-22 14:29:58 | 演劇
歌舞伎座での観客について
もう一つ思い出深いことといえば、


後ろに、そうですね、小学生4年生ぐらいの少女がおめかしして、如何にも人がよさそうなおばあちゃん(こちらもまた着物でしっかりした格好)と一緒に来ていたのですが、
この女の子、「ねぇまだ終わらないのぉ」とか「おもしろくないよぉ」とか「これで最後なの」とかふにふに苦情を無声音-つまり声帯を震わせない声-でしゃべってるわけです。
で、おばあちゃんは「ほらこの人とさっきの人は同じ人が演じているんだよ」とか、要するに今回の演目の勘所を熱心に教えているんですね。 こちらも声帯を震わせない声で。

まぁ、芝居中だから、そういう会話は気になるといえば気になる人もいるとは思うんですけど、
なんかほほえましかったですよ。

多分、おばあちゃんは、2006年の12夜を見ていたんだと思う。
でもって
「これなら孫娘のなになにちゃんも楽しめるに違いない、」
と思って、一緒に来たんだろう。
でも
そんなおばあちゃんの心遣いも、まったく気にしないなになにちゃんの様子とか、
そんな孫娘に対しても熱心に今回の芝居の楽しさを伝えようとするおばあちゃんとかみていると
なんとも言えず、それはそれで嬉しかったわけです。

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今日僕は夢を見た。
祖父が亡くなった時のことだ。

現実世界で祖父がなくなった当時は僕は中学3年生だったが、
今日の夢の中では、今ぐらいの年頃の設定だった。

僕は号泣していた。
ぐじゅぐじゅ鼻水が出て嗚咽を漏らしていた。

そうして心の中で誓っていた。
祖父の後を継いで小児科医になろうと。

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目が覚めた。
僕は医者にならない。
それは決めたつもりだった。
その路線は変えないだろう。

でも
もっと「医者になるとはどういうことなのか」を考えたほうがいいとは思った。

おじいちゃんがもっと元気で長生きしていてほしかったな。

十二夜-歌舞伎

2007-07-22 14:29:11 | 演劇
7月大歌舞伎 NINAGAWA十二夜

一昨日見てきました。

2006年歌舞伎座で行われたあの素晴らしい演目が再上演されたので、
当然見に行きました。
当然楽しかったです。

内容もさるものながら、
最も思い出深いのは観客が良かったことかな。

ここ数年間、道楽ニートと化している僕は
結構な頻度で芝居やら音楽会やらに行っているのですが、
芝居が楽しいものになるかどうかってのは
観客も結構重要なファクターなんです。

うわー今回の客ノリ悪くてつまんないな。
こんなんじゃ一緒にみていて肩凝るよ。
とか
今回は結構良かったな。
俺が面白いと思ったところでまわりも反応していたから、
居心地が良い。感動を共有できてる感じがする。
とか、
いろいろあるわけです。

今回は今までの観客の中でベストワンに入るといってよいでしょう。
うるさくもなく、しかし、要所要所でレスポンスがある。

今回でいうと、
例えば第一幕第一場。

サーーーと音を立てて舞台下手から上手に向けて幕が開いていく。
舞台の背景を占める巨大な鏡登場がその姿を現す。
その時
「おーー」という絶妙などよめきがわいた。観客席下手から順にじわじわとわいた。

これで思いましたね。
今回の観客、おれと同じ反応するわ。

別に、おれと同じだから良いとか悪いとかじゃないんですけど、
とにかく、居心地が良い。

他には、そうですね、
獅子丸が酒を飲むときに女役っぽい動きになってしまう、すごい微妙な動きの変化なんですけど、こういうところで笑いが起こったり、と、
一緒にみていて、感動を共有できてる実感を持てて
とてもよかったです。



関連日記を次に書く

雲雀の如く

2007-03-23 14:31:29 | 演劇
天空に向かってまっすぐに、ひたすらに上る雲雀。
しかし、いつか飛べなくなって死ぬ。
アスファルトかなんかに落ちて薄汚くなって死んでるかもしれない。

それは悲しいことではない。
その命の美しさを判断するのはその最後のsceneではない。

小さな体を震わせて
太陽の下で飛び続けたその輝ける飛翔の姿を以って人生を評価しなければいけない。
「なければいけない」というより、
そうじゃないと悲しいじゃなーい。
俺だってさ。昔はゲーマーでは有名だったんだよ。日本一だったんだから。。。

今後にもなにか輝ける一瞬を持ちたい。
っつっても難しいよね。

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ってことをこの前見た演劇で思った。
タイトルは「ひばり」
松たか子主演。
ジャンヌダルクの話。

この演劇。最後のシーンが白眉。
演劇の最後にsceneにジャンヌの栄光のシーンを持ってきたのだ。
火刑に処せられて悲しく死んでいくシーンを最後に持ってこなかったのである。

タイトルの「ひばり」
はそういう意味を持っていたのではないかな?
雲雀の如く上へ上へ、
そういう風に生きる時間が人生のなかで少しでもあればいい。

ちなみに、
明日かあさってにNHK教育で「ひばり」のテレビ放送があるから、
興味があれば是非。

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てゆーか勉強しよう。
勉強しよう。
勉強しよう。
勉強しよう。
一応大体の範囲が終わったから、
後は過去問過去問。
びりでもいいから。

落ちてもいいよ。
目標とする大空にに向かって上へ上へ。
それでいいのだ。

神の声 ひばり観劇の連想で

2007-02-25 14:33:11 | 演劇
神様の声が聞こえました。
神様が言うには、僕は今すぐ立ち上がらないといけないようです。

僕は神様に言いました。
僕には重過ぎます。
なぜあなたは、何もできない僕に声をかけたのですか?

しかし神様は立ち上がらないといけないといいました。
大義を救うため。

僕は早速行動を起こします。
その結果つかまるかもしれない。
しかし、その後、僕は解放されるのです。

だから心配いりません。

The fire in Tyre hires more fighters.

2006-08-01 14:36:24 | 演劇
「タイアの若き御領主!十分お分かりになったな!あなたがなさろうとしていることは危険きわまる!」

幕が上がってはじめに聞いた台詞はこれだった。劇場に全体にとおる力強い声。これが舞台俳優のすごさなんだな、と私に気づかせてくれた。戯曲の題名はペリクリーズ。私が初めて舞台というものに感動した思い出深い戯曲。シェイクスピア原作、蜷川幸雄演出。それ以来、私は舞台に夢中で、蜷川さん演出の劇はすべて見ることにしている。

さて、冒頭に持ってきたこの台詞。主人公である「タイアの若き領主」ペリクリーズに対して、挑戦状をたたきつけるような言葉であるのだが、まぁ、舞台の内容はおいておく。

今回のテーマはこのタイアである。タイアはTyreであり、現在もレバノンの交通の要所である。
そして、
交通の要所となれば、
洋の東西を問わず、

戦時中には

攻撃の対象になる。

そう、現在のイスラエル対レバノンの武力紛争でも、Tyreとその周囲は空爆の対象になったのだ。

日曜日、戦場と化しつつあるレバノンから逃げようとしてバスに乗っていた人々は、イスラエル軍機によって爆破された。3名が死亡、13名が負傷。負傷者は現在Tyreの病院で治療中だ。

他にも怪我人は続出している。Tyre周辺への空爆で45名が負傷しているのだ。

この両者の戦いは解決の糸口すらつかめていない。鍵を握るアメリカが、安易な停戦は本質的でない、と、停戦に対して積極的でない。一体、いつになればこの両者の間に横たわる積年の憎しみの連鎖が断ち切られるのだろうか。

ペリクリーズは離別をテーマとした悲劇のストーリーだが、ハッピーエンドで幕を閉じる。シェイクスピアの生没年は「人殺しも色々ある1564-1616」と覚える。そんなシェイクスピアの作品には、めでたしめでたし、で終わる戯曲はそう多くない。

くしくもTyreの名前が出てきたんだ。この武力紛争も、ついでに中東全体に広がる不安定の機運も、人間の英知で解決してほしい。「Tyreの若き御領主」ペリクリーズのような不屈の魂を持ち合わせない、私たちみたいな凡人でも、目標をひとつにしてやれば、きっと光は射して来る。

戯曲ペリクリーズを上回るような見事なドラマ、を私は見たい。あなた方人類にはそうしたドラマが作れるはずだ。

追記:
本ブログの題名は「タイヤでの戦火がますます戦士を生む」です。英語で韻を踏んでみました。こんな憎しみの連鎖は断ち切らなければいけません。

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あさってから海外研修に行ってきます。国際医療協力の現場をこの眼で見て、
世界の健康と平和と幸福について考察を深めてまいります。

なんてね。柄にも無い文章を認めてみた。

間違いの喜劇&月川悠貴さん---3

2006-02-05 16:45:42 | 演劇
おまけ。
(前回前々回のブログからの続き。ぜひその1からお読みくださいまし。)

「キッチン」でも拝見しました。
そのときは少年っぽい役でしたが、台詞が極少なのに存在感ありましたよー。
って自分が注目していただけか。。。

あとは
「ロミオとジュリエット」でも出ていたんですね。
今日「ロミジュリ」の公演パンフ呼んでたら、
パリス役(これは男の役です)で出演なさっていました。

ちょっと待てよ。。
ぜんぜん気付かなかったぞ。。
いや、パリスの顔も役どころも全部覚えているけど、
え、月川さんだとは今の今まで全く気付きませんでした。

ってことは女性を演じるときと、男性を演じるときでは、
全くの別人ってことかしら。。。

それから、タイタスアンドロニカスの劇中歌も歌ってたんですね。
っつーことを今日知ったので、
今、そのサウンドトラックを引き出しから引っ張り出して聴いてみました。
幽玄ですね。

ちなみにタイタスアンドロニカスはリバイバル公演が決まっています。
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以上でおしまい。
「間違いの喜劇」についての感想は、書きたかったら今度書きます。
観客の皆さんは結構満足しているように見えたので、
行っても損しないと思います。
自分も大満足だったし。

感想を、一言で言うと、
「月川さんと高橋洋さんの二人が最高。」
もう一言付け加えると、、
あ、でもこれ言うと舞台装置のネタをばらすことになるので書きません。

ちなみに公演期間は始まったばかり。
チケットゲットのチャンスはありまっせ(いや、もう売り切れてるかな?)。

ん?てゆーか自分が行った日って初日?
あぁ、だから蜷川さんがロビーで歩いてなにやら挨拶してらっしゃったんですね。
あぁぁ、声かけたかったな。。。
「あの!僕も西日暮里に縁がありましてっ!、、、」みたいに。

ははは。
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さてさて、
次回の蜷川さん演出の作品は、「白夜の女騎士」ですかね。
気合入れてチケット手に入れますか。。。

それにしてもあと一ヶ月で、大学のレポート書かないと大変だわ。

んじゃ。道楽息子でしたぁ。

間違いの喜劇&月川悠貴さん---2

2006-02-05 16:35:17 | 演劇
というのもですね、(前回のブログの続きです。興味を持ってくださいましたら、ぜひ前回からお読みください。)
自分自身、その人を女性だと勘違いした経験があったのです。

ええと、自分が月川さんに注目したのは今回が初めてではありません。

初めて、お目にかかったのは
「お気に召すまま(演出:蜷川幸雄さん)」。
この劇も全員男性の演技で行われました。

自分は出演する役者さん達について、
大した知識もなく観劇に行きました。

観終えて、自分は、
「あーあ、なんか今ひとつの演劇だったな。女役を男が演技するってのがそもそも不自然だよな。
しかも、シーリアってのを演じてたのは、女性の役者さんだったし。『全員男』じゃ無いじゃん。コンセプトが中途半端だよな。」
というきわめて不敬な感想を抱いて家路についたのでした。

後で知りました。
「一人だけ女性の役者さん」と思っていた、その人、なんと男性だったのです。
電車道、公演パンフレットをぱらぱら観ていたら、
「え?シーリア演じてたのって『月川勇気』って名前の男の人だったの」


、、、すげーじゃん、、、


いやぁ、びっくりしておうちに帰りましたよ。ほんと。
それ以来自分にとって、注目の役者さんです。

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一応書いておくと、
「お気に召すまま」の時の芸名は 月川勇気

いまは 月川悠貴
と名前を変えたそうです。

間違いの喜劇&月川悠貴さん---1

2006-02-05 16:33:55 | 演劇
節分の夜。
「間違いの喜劇」観てきました。

一番印象に残ったシーンは、
妹のルシアーナ(月川悠貴さん扮する)が退場するシーン。

劇中では人が出たり入ったりするので、
「退場するシーン」と一口に言っても何度もありますが、
自分が言及したいのは、
その中でも一番初めの退場シーンです。

(松岡和子さん翻訳の「間違えの喜劇」で言いますと、
第2幕第1場の最後部の退場時の台詞
「狂った嫉妬に~~いるのかしら!」を指します。)

このときの声と仕草、
一瞬でほれてしまいました。
自分の心に炸裂の演技でした。(そのせいで台詞は全く頭に残りませんでした。後から、文庫本でチェックしました。)

しかし、その自分の気持ちに気付いた刹那、
われに返りました。
そう、その役者さんは男なのです。

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ええと、話がわかりにくくなってきたので、蛇足解説。

この「間違えの喜劇」なる作品。
役者さんはすべてみな男です。
しかし登場人物の中には女性もいるので、
必然的に、歌舞伎の女役に相当する、役者さんが出てくるわけです。

皆さん素晴らしい演技ですので、役者自身の性別なんか忘れさせてくれます。
おかげで、観客は劇に引き込まれるのですが、、、。

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少し話が逸れましたが、
自分の書きたいことに戻しましょう。

さてその中でも、
やはり月川悠貴さんがすごいかったです。
特に今自分が冒頭で言及したシーンにおいては、
声といい仕草といい、、、

といろいろ書いても、
自分の文章力ではそのすごさは伝わらなくーーーむしろ陳腐になってしまいーーー
安っぽく聞こえてしまうのでこの辺でやめます。

が、とにかくあのシーンが、今回の演劇での自分にとってのクライマックスでした。

多分ね、あの役者さんが男だという前提知識が無いで見ていたら、
あの人を女性だと勘違いする人は過半数を超えるね。
まぢで。

まだまだ続くよ。
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