goo blog サービス終了のお知らせ 

医科歯科通信  (医療から政治・生活・文化まで発信)



40年余の取材歴を踏まえ情報を発信

「リスク」は「自由」と「責任」と不可分な概念として成立

2015-06-12 05:29:51 | 受けとめる力
名は体を表す
「平和安全法制」に対して、これを野党は「戦争法案」と呼び反発している。
日米ガイドライン(防衛協力の指針)は「後方支援」とされるが、「通常は『兵站』と訳される。
だが、日本は前線から離れた「後方」で支援するから安全だと強調するが、武器・弾薬の補給や兵士を輸送する任務。
米国は前線への補給を続けてくれる『兵站』任務と受け止めている。
記者たちはなぜ、「後方支援」を「兵站」と新聞記事の書かないのか。
今回の場合、さらに正確に言えば「国際紛争法案」と表記した方がよかっただろう。
「戦争」や「平和」という主観的なマジックワードを離れ「紛争」は客観的な言葉である。
名付けの正当性を競うことが、政治的議論の出発点だからである。
京都大学教授(メディア史・佐藤卓己さん)

平和は「食卓」から始まる

2015-06-10 11:17:48 | 受けとめる力
★「使命を自覚するなかに、人間の成長はある」
自分の幸福だけを追求する生き方では結局、行き詰る。
“人のために尽くす”という使命に目覚めた時、自身の持っている本当の力が湧いてくるのではないでしょうか。
声優・沢田敏子さん
★「食は命なり」
「平和の心」を育む基本は、「食卓」にある-これがわたしの持論です。

米田さんは、食文化や食育の面から「調理学」を研究してきた。
ぜいたくな食事ではなく、愛情を込めた料理は、一人の大切にすることになり、平和につながっていく。
だから、平和は「食卓」から始まると思うのです。京都・ノートルダム女子大学・名誉教授・米田泰子さん



















「希望の社会科学」

2015-06-09 11:52:26 | 受けとめる力
「希望は与えられるものではなく、動いて、もがいているうちに出会うもの」東京大学教授・玄田有史さん

東京大学社会科学研究所では2005年度から
希望学プロジェクトを開始しました。

希望とは何か?
希望はどこから来て、そしてどこへ行くのか?
希望と社会のあいだの本質的なかかわりとは?

希望学は、
思想・制度研究、経済・歴史分析、社会調査など、
研究所の全精力を結集し、
希望を社会科学します。
















音楽や詩も自分が作ったものが一番好きです

2015-06-09 02:22:54 | 受けとめる力
前人未到の人生 謳歌
-尊敬している芸術家はいますか?(別所哲也さん)
草間彌生さん
-自分自身です。
世界中で自分ほど、熱烈に芸術に貢献した人間はいません。
子供も頃から芸術のために毎日、切磋琢磨してきました。
絵は15歳の頃から欠かさず描いてきました。
もっともっと素晴らしい人生を描きたいと思っています。
それを1日たりとも忘れたことはありません。
愛は人間の生きる根源です。
平和とか神の中に見え隠れする摂理なのです。
音楽や詩も自分が作ったものが一番好きです。
他の作品にはあまり興味を持っておりません。
私は時間が惜しくて。
ここで絵ばっかり、じゃんじゃん描いているの。
とにかく絵のことしか考えていない。
死にものぐるいで闘っているんです。
芸術家はもっともっと真剣に世の中のことを考え、人類に貢献しなければなりません。
そのために私は日々、描くのです。
皆さんが感動的な素晴らしい人生を送るために力になりたいです。


音楽や詩も自分が作ったものが一番好きです

2015-06-09 02:22:54 | 受けとめる力
前人未到の人生 謳歌
-尊敬している芸術家はいますか?(別所哲也さん)
草間彌生さん
-自分自身です。
世界中で自分ほど、熱烈に芸術に貢献した人間はいません。
子供も頃から芸術のために毎日、切磋琢磨してきました。
絵は15歳の頃から欠かさず描いてきました。
もっともっと素晴らしい人生を描きたいと思っています。
それを1日たりとも忘れたことはありません。
愛は人間の生きる根源です。
平和とか神の中に見え隠れする摂理なのです。
音楽や詩も自分が作ったものが一番好きです。
他の作品にはあまり興味を持っておりません。
私は時間が惜しくて。
ここで絵ばっかり、じゃんじゃん描いているの。
とにかく絵のことしか考えていない。
死にものぐるいで闘っているんです。
芸術家はもっともっと真剣に世の中のことを考え、人類に貢献しなければなりません。
そのために私は日々、描くのです。
皆さんが感動的な素晴らしい人生を送るために力になりたいです。












一念が変われば、一切が、その方向に動き始める

2015-06-06 02:30:54 | 受けとめる力
★“心で撮る”写真には「限られた文字数では表現できない、無限の物語がある」
一枚の写真は、時に、数千の言葉より、多くを表現する。
★東洋の英知は仏教である。
仏教を平和と文化の次元で展開し世界化する。
★「心の中に平和があれば、戦争はなくなるはず」
「相手ときちんと対話すれば、平和につながる」
★世界環境デー。
全ての人が「当事者」
自らの地域からの変換を。
★“子どもの幸福こそが教育の目的”
★他者も社会も幸福でなければ、自身も幸せになれない。
★高邁な教育理念を掲げることは容易だだが、実際にそれを体現していくことは至難のことだ。
★他者をどこまで思いやり、共に苦楽を分かち合いながら、自他の可能性を開いていく。
★限界にぶっかったり、新たな飛躍を期そうと決意するたびに、先人の言葉を噛み締めは奮起する。
発心しては壁を破って進むことだ。
★一念が変われば、一切が、その方向に動き始める。























周作人と武者小路実篤

2015-06-05 05:51:01 | 受けとめる力
新発見書簡から友情をたどる。
元北京大学教授の周作人は魯迅の弟。
1906年(明治39年)に日本に留学。
片上伸、相馬御風、志賀直哉、里見、長与善郎、千家元麿、木村荘八、犬養健、梅原龍三郎ら作家、詩人、画家、政治家たちと交友関係にあった。
幅広い人脈の中で、白樺派同人との交流を大切にした。
また、文芸評論では早稲田派に親しみを持っていた様子が書簡からうかがわれる。
実篤に触発され農業共同集落「新しき村」の北京支部を作る。
晩年は文化大革命で不遇になる。
紅衛兵にベルトで撃たれた傷跡が残ったままだった。
戦乱や文化大革命の動乱のさなかでも、明晰な理性をもって信念を曲げず、芸術家としての良心を失わなかった。
しかしながら。公民権と創作活動を奪われた。
1964年(昭和42年)に死去。
弘前学院大学教授・顧偉良さん(上海生まれ、1985年に来日、専門は日本近代文学、日中比較文学研究)












明治維新と1945年(昭和20年)の敗戦

2015-06-05 00:01:08 | 受けとめる力
信じる道を生きた朝河正澄・貫一父子

小説「維新の肖像」安倍龍太郎著

維新、敗戦、3・11に共通の病根


日米開戦が間近に迫った1941年(昭和16年)イェール大学教授だった貫一は、ルーズベルト大統領に昭和天皇あての親書を書いてもらい、何とか戦争突入をさけようとした。
ところが親書が天皇のもとに届いたのは、真珠湾攻撃の艦隊が出港した後だった。
1932年の上海事変や日本の軍国主義に直面した朝河貫一が、明治維新の本質を問い直すために父正澄の小説を書くという構成にした。
貫一は長い間維新を肯定的に評価していたが、今の日本の暴走の原因は維新にあると考えなければ説明がつかない。
長年比較法制史の研究にたずさわってきた貫一はそう考え、これまで維新の反動勢力として否定してきた父と、先入観を捨てて向き合うことにしたのである。
貫一の父正澄は二本松藩士として戊辰戦争を戦ってきた。
正澄はこの戦争をかろうじて生き延び、立子山小学校の校長となって故郷の復興と後進の育成にあたった。
日露戦争後の日本の方針を批判した朝河貫一は「日本の禍機」を著した。
この中で貫一は、このまま植民地拡大政策を取るなら、やがてアメリカとの戦争になるだろうと警告している。
日米開戦の32年も前のことだ。
明治維新と1945年(昭和20年)の敗戦、3・11は太い棒のような病根によって貫かれている。
その本質をあぶり出さない限り、現代日本の本当の姿は見えてこない。
そう考えるようになり、正澄と貫一の小説を書くことでその問題に取り組むことにした。
作家・安倍龍太郎さん




















人に鼓舞される

2015-06-03 03:54:05 | 受けとめる力
★「人がひとり立つ支えとなる核心は真理である」
そして「真理は、それを信じない人がいる限り繰り返し述べる必要がある」ガンジーの言葉
★最高の思想哲学も、「くり返し」語り抜いてこそ、人々に伝わる。来る日も来る日も、一人立って、たゆまず、粘り強く、勇敢に、真理を弘める行動、情熱があってこそ、それは伝わっていくはずだ。
★法(真理)は自ずと弘まることはない。人があくまで法(真理)を弘めるのだ。そのため人も法(真理)も尊いのだ。
★「無事これ名馬」とは言ったものだ。
これも「真理」であろうか?
★「鉄人」と呼ばれた野球選手もいたが、ケガで活躍できない選手たちも少なくない。
朝の散歩で出会う人の中には、「鉄人」のような人も居て、刺激となる。
知人の西田さん(仮名)が、新潟の十日町、法要に行ってきた。
自動車で片道280㌔くらいであろうか?
有機栽培魚沼産コシヒカリでの酒をいただく。









過去を真摯に受け止め、教訓にしたい。

2015-06-01 13:16:07 | 受けとめる力
「戦後70年」をテーマに、新聞、テレビ、ラジオなどのメディアで企画が数多く報じられている。
特に終戦の月・8月がその集大成になるだろう。
「戦争・被爆体験」は「平和への誓い」と表裏である。
日本では80歳以上の人口は約968万人。
85歳以上は約481万人。
つまり終戦時に11歳以上であった人は国民の7・7%。
16歳以上だった人はわずか3・8%となる。
このうち、当時の様子をはっきりと記憶し、伝えられる人は、どれからいに割合であろうか?
取手地元の地区の会合で、戦争を記憶している人の体験談を司会者として聞く機会があった。
若い世代を中心として、平和への意識の低下や希薄化は否めない。
「未来は、今の時代を生きる人々の思いや願いで決まる」
過去を真摯に受け止め、教訓にしたい。

ドイツの第2の人口を擁する北部の港湾都市ハンブルク。
エルベ川の両岸に広がり、ヨーロッパで2番目のコンテナ貨物取扱量を誇るハンブルグ湾が中心の街。
市街地の中心部にある名所アルスター湖。
第二次世界では、大規模な爆撃を受け、街の半分が破壊された。
「平和のために戦おう。戦いとは触発だ。人間性を呼び覚ます対話を」
対話運動には、人類史を変える創造的使命がある。
何かを人に伝えたい時、自分の頭の中だけで、どんな隙のない、正確な言葉を考え、話して、理解されなければ意味がない。
大事なのは、相手の立場に立ち、相手がどう感じているかにアンテナを張る思いやりだろう。
人にものを教える時も、同じように気を配らねばならない。
「慈愛から智慧は生まれる」





























教育交流を中心として世界平和に貢献

2015-05-26 02:40:36 | 受けとめる力
学問を求め真理を愛する学生たちの熱誠
★どんなに素晴らしいスピーチを聞いても、終わって後に記憶に残っている内容は、驚くほど少ないのが現実です。
したがって、スピーチ全体を通じて言いたいことを一つに絞り込むこと、すなわち、メインメッセージを明確にすることが重要なのです。
たった一つのメッセージを伝えるために、スピーチのすべての時間がある、といっても過言ではないのです。
★大学では何を学ぶのか?
正しい価値観を体得することが重要である。
★教育交流を中心として世界平和に貢献していくことである。
そのためには、大学間のネツトワークを形成する。
大学人の信頼関係を強化する。
★人間と人間によるスクラムによって、脈動しゆく世界交流、信頼関係の樹立へ向かって、大いなる波動を起こしていかなければならない。
★民衆の真っただ中にあって、いかなる困難をも乗り越え、人類の崇高なる目的に向かっていく精神こそ、大学の存在理由であり、古くてまた新しい使命である。
★民衆とともに共に進む。
この目標、方向感覚を喪失し、停滞してしまったことに大学教育の問題がある。
★大学とは元来、新しい知識と学問を求めようとする若者の情熱と意欲から起こったものである。
★真理をこよなく自らのものにしたいという若者の熱望がまずあって、それが学問的職業人、つまり教師を生み出し、そしてこの教師と学生との人間的共同体が、今日の大学の淵源になっていった。
★つまり、もともと大学というものは、学問を求め真理を愛する学生たちの熱誠から、始まったということだ。
これこそ、大学に始原であると同時に、帰趨である。

内面の生命の充足

2015-05-25 13:49:48 | 受けとめる力
★地域を潤すネツトワーク
人材の育成が大きな課題である。
★そして人材を育成する場が地域にあることが期待される。
また、地域に根差す励ましのネットワークがあることが、希望でもある。
★人は人に縁って磨かれ成長してゆき、生命は蘇生していくのだ。
孤立して後ろ向きになっていく人もいるが、人の輪の中に戻ってくることだ。
★21世紀の世界のあり方と人類の進路を最も普遍的な次元から問い直す。
★人は安易な快楽主義や利己主義に翻弄されがちだ。
その結果幸福に対する人々に理解は著しく偏っていく。
★全ての人類の営みは、突き詰めてみれば人類の幸福を創造のために存在する。
★平和でなければ、幸福を創造できない。
平和であれば、信頼が生まれ、他者との共生・連帯の輪が広がるはずだ。
★真の幸福とは、決して観念や抽象論ではなく、内面の生命の充足にある。

法華経に対する確信の強さ

2015-05-25 08:32:40 | 受けとめる力
日蓮聖人がいかに経典に対し絶対的「信」を持っていたかは、その膨大(ぼうだい)な量のご遺文(いぶん)をひもとけば明白だ。それは鋭い言語感覚と文字=経典への深い帰依(きえ)をも意味する。
 今日現存する日蓮聖人直筆の著書・書簡(しょかん)は図緑も含めて500篇を越えるが、700年余もの歳月を経過しなおもそれらが現存していることが、まずもって驚異的だ。これは単に日蓮聖人が多くの書を著したというだけではなく、受け取り手がその直筆を特別な思い入れをもって、全人格的にとらえていた証拠だろう。

 一方、日蓮聖人の激しい布教姿勢については、現在も批判的な意見をぬぐい去れてない。それは「自らが率いる宗派だけが尊いと考える、排他・偏執(へんしゅう)・戦闘的人物であった」といった評価だ。しかし、数々の宗教が乱立していた鎌倉時代の社会状況を観ても、これは決して妥当な評価ではない。仮に日蓮聖人が新たな宗派を創設しようとしていたとしても、他宗の信仰が無益であることを指摘し、自らの提唱する教えが最勝であると主張することは、新宗教開創の必然的手段だ。それは浄土宗の開祖・法然上人においても同じであったし、ひいては仏教の創始者であるお釈迦さまがそうだったのだ。

 確かに日蓮聖人の主張は強烈だった。お釈迦さまの真意から外れる相手に対しては、指摘にとどまらず「破折(はしゃく)」であったし、かかげる経典は最勝にとどまらず「唯一」であった。しかしこの確固たる信念と行動が、極めて純粋な信仰姿勢の表れであったことを、決して見落してはならない。ただお釈迦さまの遺言どおりストレートに、時代・状況・学識によって変化する「人」につくのではなく、時代や何者にも左右されない絶対的な真理、すなわち「法」に帰依(きえ)するという姿勢を貫き通されただけなのだ。そして、このお釈迦さまの遺言こそが「法華経を広めよ」だった。

 ののしられようとも、石をぶつけられ杖(つえ)で打たれようとも、島にながされようとも、殺されそうになろうとも、それでもなお法華経ただ一つにこだわったのはなぜか。当時民衆の間で充分に浸透していた念仏信仰のほうが、より安全で効率のいい布教ができたはずだ。ましてや日蓮聖人は、若き日々を清澄寺という念仏の寺で修行され、その学徳ゆえに将来を有望視されていたのだ。あえてそのレールから飛び出て、苦難の道を選ばれたのはなぜなのか。その答えは、日蓮聖人の混じりっけのない純粋な宗教観=経典受容にある。

 膨大(ぼうだい)な経典をつぶさに研鑽し、お釈迦さま本来の教えとして見出だした法華経に対する確信の強さ。そして同世代に生きる人々、さらにはその子孫にいたるまでのすべての人々の心の苦しみを、必ずや救済しようという慈悲の強さ。この確信と慈悲の強さこそが、日蓮聖人の強烈なイメージの源であることを忘れてはならない。

日蓮大聖人を抹殺しなかった

2015-05-25 08:14:21 | 受けとめる力
日本人の精神構造の原型を鎌倉時代などに見ることができるのではないだろうか?
例えば、幕府にとっては許しがたい存在であった日蓮大聖人を抹殺しなかったことだ。
ある意味で僧侶は学問があり、民衆に慕われている徳のある存在である。
仏教に流れる慈悲の思いは、鎌倉幕府の権力側にも浸透していたであろう。
同じ仏教に対する見解(立ち位置)の相違だけで、仏を体現する日蓮を殺していいものか、という迷いも幕府側にはあっただろう。
無難な道は、殺さず島流しである。
鎌倉の民衆への日蓮の影響力を失くすことになると期待したはずだ。
そして、何時までも日蓮を佐渡に島流し状態にして置くことへの後ろめたさも幕府側にあっただろう。
なぜなら、幕府の権力者たちも仏徒であったのだ。
幕府の要人たちの慈悲の思いから日蓮は赦免され、鎌倉へ戻れたのではないだろうか?

あなたは言葉を信じますか

2015-05-24 01:37:08 | 受けとめる力
<時代は言葉をないがしろにしている――
あなたは言葉を信じますか>詩人・長田弘さん

危うい安倍政権の現説
この国のあり方に深刻な影響を与えかねないのは、議論の相手や思想の違う人に対して、特別な言葉を投げつけて、社会的に排斥する風潮が、政治の世界から子供の世界に至るまでまん延していることだ。
そういう言葉を「決めつけ語」と言おうか。
たとえば、戦前から戦後もかけて、革新的な思想を抱く人物に対して、権力者や体制派が陰に陽に投げつけたのは「非国民」とか「アカ」という常とう句だった。
戦後の日本共産党や学生運動では、路線の違う相手に対して「教条主義」とか「日和見主義」といった言葉をぶつけ合う内部闘争が苛烈だった。
「決めつけ語」による論争は何も生み出さなかった。
こうした「決めつけ語」の危険性は用語の意味(概念)が不明確なうえに、何を根拠にその「決めつけ語」のレッテルを貼るのか、具体的な事実の検証もないまま使われる点にあった。
「決めつけ語」の跋扈(ばっこ)は恐るべき破壊力を持つ。
最近、私が言葉に危機感を抱くのは、次のような理由がある。
一つは、論壇において保守派の論客が「自虐史」とか「売国奴」などといった「決めつけ語」を安易に使うようになってきたこと。
二つ目は、自己の安全保障・外交政策を一語で正当化する「国益」「(戦争)抑止力」といった用語を、具体的に中身の検証をしないまま闊歩(かっぽ)させ、安全保障関連法案には羊の仮面をつけた「平和安全法制」という名称を付すなど、自己美化に精力的になってきたこと。
過去の過ちに対する謝罪と反省は、加害者側が一方的にこれで十分と決めつけるものではない。
社会的な犯罪事件や事故の例を見ればわかるだろう。
その認識不足が韓国や中国との真の和解を阻害している要素の一つになっている。
作家・柳田邦男さん