沼津西高校サッカー部

沼津西サッカー部の活動を報告します

時間をコーディネートする

2017年01月31日 | 日記
沼津西の選手に与えられる時間はどれくらいあるのでしょうか?

明日から三年生は、家庭学習期間に入ります。卒業式までに学校に登校するのは、3日です。また、4月からの進学に向けての本格的な闘いも開始されました。私大から始まり、国公立の後期試験までチャレンジする選手においては、3月末までの長い闘いになります。しかし、文武両道にチャレンジしてきた彼らですから、ぜひ目標を掴みとってもらいたいと思います。

話はもどりますが、1日の時間をどのようにコーディネートできるかが、その選手の力に比例してくるかもしれません。限られた時間の中で、どのようにやりくりするかが、積み重ねることができるかにも影響を与えます。

トレーニングのゲームの時に待ち時間があったときに、なにができるでしょうか?
朝練習にきたなら、何をすればいいでしょうか?
疲れて眠いけど、もう少し頑張って勉強することができるでしょうか?
朝、眠いけど、決めた時間に起きれるでしょうか?
メールをしたいけど、友達が勉強してるかもしれないと我慢できるでしょうか?

高校生は、忙しいと思います。
やるべきこと、やりたいことがたくさんあります。その中で、時間をコーディネートして生活できたらと思います。
監督は、それを見守ることしかできません。保護者の方々も同じです。
選手一人ひとりの覚悟と行動力です。
一年後、二年後に違う様子になっています。

当たり前

2017年01月31日 | 日記
国語の菊地先生が書いた沼津朝日新聞の記事より

先日、定期試験の監督をしながら教室の中を見回すと、黒板の上に、そのクラスのスローガンのような言葉が大きく筆で書かれていた。
「当たり前のことをしっかりと」
うん、なかなかよい言葉だぞと思いつつ、ハテ「当たり前」とは一体どういう意味だろうと考えた。
まず、「前」という字が書かれているが、「当たり」の「前」とは何だろう。早速、辞書を引いてみた。「当たり前」は「当たり」プラス「前(ぜん)」である。辞書によると、「前」は「然」のあて字。つまり、「当然」が「当前」となり、「当たり前」となったということである。
こうして「当たり前」の「前」は分かったのであるが、では「当たり」の方は何じゃということになった。そこで、また辞書を引く。
「当たり」とは、「当(とう)」のことである。「当」とは「道理にかなうこと」を言う。
「然」は「然り」なので、「そうだ。その通りだ」という感動の語気だ。
総括すると、「当たり前」とは「道理にかなうことを、そうだ、その通り」と思うことである。
したがって、「当たり前のことをしっかりと」は「道理にかなっていることを、そうだその通りだと思ってしっかりやろう」ということになるのだ。

いい勉強をさせてもらいました。

新人戦東部大会6位

2017年01月30日 | 日記
新人戦東部大会を6位で終えました。
いろいろな感じ方があります。

二年連続で県大会出場を決めることができました。連続で県大会に出場を続けることはとても大事なことです。歴史を積み重ねること。とても大変なことであり、やりがいのあることです。
それを成し遂げたのは、誇らしいことですし、彼らの目指すことは、県大会で、しっかり闘い勝利することです。

しかし、結果だけを考えるのではなく、サッカーの内容や、サッカーへの取り組み、また高校生としての日常。この部分も大切にしてもらいたいと思います。
選手たちが、学校に通ったり、サッカーに取り組めたり、いろいろな経験ができるのは、いろいろなおかげで成り立っています。そこを感じることができる人になってもらいたいと思います。ありがたいことに、沼津西サッカー部の活動には、ファミリーの皆様には、多大なサポートを受けています。何かをして恩返しをしなさいってことではなく、全力でいろいろな取り組みをして、自分が成長するように努力してもらいたいと思います。
諦めるのは簡単です。積み重ねるのは、大変です。しかし、とてもやりがいのあることです。
挑戦しよう。

サッカー少年

2017年01月30日 | 日記
インターネットより転載。

一人の少年が進路希望欄に書いたのは、「ブラジル」だった。

ブラジルで、プロサッカー選手になることが、少年の夢だった。

担任の先生は、激怒して職員室から追い出した。

サッカー部の先生には、「99%無理」と言われた。

少年は、「1%あるんですね?なら、僕はその1%にかけます。」と答えた。

少年は、15歳でブラジルに旅立った。

ブラジルのユースチームで、こんなことがあった。

少年がサッカーの格好をしているだけで、周りの人間は彼を笑った。

サッカーが下手くそなのは、代名詞のように「日本人」だと言われた。

だが、その少年は死に物狂いに練習を重ね、18歳でプロ契約を勝ち取った。

そして、ブラジルNo.1のサッカー雑誌の表示を飾った。

そして、青年は日本に帰国することを決意した。

次なる夢は、日本をワールドカップに連れて行くこと。

93年に開幕したJリーグ。

青年は、時代の寵児となった。

Jリーグの初代MVPは、青年の名前が刻まれた。

彼は、こう思っていた。

思い切りサッカーをして、30歳過ぎたら頂点で引退しようと。

94年のアメリカ・ワールドカップ予選、エースとして参加した青年だったが、ドーハの悲劇と呼ばれる、ロスタイムの失点で、日本の初出場を逃した。

青年はその後、ワールドカップに行くための何かを掴むため、日本人で初めて、セリエAに移籍した。

そして、98年のフランス・ワールドカップ予選。

苦しみながら日本は、ワールドカップの出場を決めた。

気がつくと、彼は31歳になっていた。

彼のワールドカップ予選の総得点は、27になった。

だが、ワールドカップ本選の代表に、彼の名前は記されていなかった。

記者会見で、こう話した。

「日本代表としての誇りは、向こう(フランス)に置いてきた。」

その年、チームから戦力外通告を受けた。

彼は、一人考えた。

「誰も、自分の知らないところへ行きたい。」

そして、彼はクロアチアに行くことを決めた。

練習初日、彼の眼に一人の選手が映った。

その動きを見て、「売り出し中の若手かな?」と思った。

しかし、その選手は大ベテランの選手だった。

彼の名は、ゴラン・ユーリッチ。

クロアチアを代表する、名DFだ。

自分より年上の選手が、誰よりも懸命に、誰よりも誇らしくプレーしていた。
こんな質問をしてみた。

「どうして、そこまでやれるのか?」

ゴランは言った。

「サッカー選手とは、年齢に関係なく、常に成長するものだ。低落など存在しない。」

彼は思った。

「どこまでも、走り続けよう。」

2010年、彼はJリーグの最年長出場記録と最年長得点記録を更新した。

ブラジル、日本、クロアチア、オーストラリア。

様々な国でプレーし続け、夢を与え続ける彼に、日本人は尊敬を込めて、彼を「KING」と読んだ。

彼の名前は、三浦知良。

日本サッカーのパイオニアの名だ。

ある雑誌の企画で、ゴラン・ユーリッチから三浦知良に手紙が届けられた。

その中で、ゴランは、三浦知良に1番言いたかったことがあったという。

「日本のマスコミほどには、カズがフランスW杯に行かなかった理由を知らないけれど、その事実は聞いていた。

カズは「監督に呼ばれなかっただけだ」と言っていたけど、その取り乱さない、事態を真摯に受け入れる姿勢に感動したよ。

日本のW杯進出に大きく貢献したのはカズだっていうのに、それでもカズは、派手に抗議することもなかったんだよな。

男だよ。

それでこそ偉大なプレイヤーってもんだ。

ところでカズと俺はその後再びノゴメット(サッカー)のおかげで再会することになる。

今度はJリーグ。

俺は横浜F・マリノス、カズは京都にいたんだよな。

アウェーの京都戦では3-1で勝ったけど、1点を決めたのはカズだった。

カズ、これだけは言わせてくれ。

俺は日本に行ってはじめて、カズという名前が何を意味するのか、カズとはいったい何者なのかがわかったんだ。」

新人戦 vs伊豆総合

2017年01月22日 | 日記

新人戦東部大会の順位戦が行われました。先週の準々決勝を自分たちから緩いゲームを展開してPK戦で敗れた悔しい負けから、どのように切り替えれるかが楽しみなゲームでした。
対戦相手は、伊豆総合高校。県リーグに所属して、東部では県大会常連のチームです。この相手に追い付け追い越せが、まずはチームとしての目標になります。また、県大会に進出するにあたり、出場決定から、順位戦を負け続けていくと苦しい状態になります。大切なゲームだとミーティングで確認してゲームにのぞみました。
立ち上がりから、アグレッシブに守備を展開でき、先制することができました。
後半立ち上がりから、伊豆総合高校の攻撃をうけ、守備の対応がさがって遅くなる状態になり、やってはいけない連続失点をしてしまいました。
そこから、交代選手を投入して挽回を試みましたが、厳しい状況でした。しかし、一瞬の隙をつき同点に追い付くことができました。これは評価できるところです。
2週続けてのPK戦。今日は、蹴る意思のある選手を募りのぞみました。
なんとか勝利することができ、来週の5位決定戦に進むことができました。
まだまだチームとしての課題はありますし、次にでてくる選手が足りません。選手一人ひとりのここからの頑張りを期待します。
今日もたくさんの応援をありがとうございました。すごいパワーになりました。