ナーシング助産院のブログ

手技は桶谷式で乳房の調子を整えるマッサージ方法を行っております。駐車場あり。

東日本大震災の体験談(Hさんより)

2012年12月09日 20時36分02秒 | あの日あの時(東日本大震災)

震災後ナーシング助産院に通院されていたお母さんより、体験談を書いていただきました。

 

「平成23年3月11日14時46分、私は石巻市のアパートに1歳の子供と地震の10分前に帰宅していた夫と3人でいました。私は妊娠8ヶ月でした。

地震の揺れに驚き、子供を抱きしめ頭をクッションで守りました。揺れが少し弱くなった時に外に出てみると大津波警報が鳴り響き、大粒の雪が降っていました。アパートは海の近くだったので、すぐに車で逃げました。

心のどこかで「すぐに帰ってこれるだろう」と思い、オムツだけを持ちました。

高台にある小学校に避難しました。小さな子供専用の教室があり、子供は夜泣きがあったのでとてもほっとしたのを覚えています。

毛布など不足していたので教室にあった模造紙などをひいて寝ました。

私は食べ物や飲み物を全く持っていなかったので子供の事が心配でしたが、周りの人からいろいろ頂き助かりました。

避難所から支給されたのは油揚げや缶詰め、水200ccなどでした。赤ちゃんがいる人はミルクがないなど大変そうでしたが、卓上コンロでお湯を沸かしたり、粉ミルクを分け合ったり協力しながら支えあっていました。

私がいた避難所では2人の妊婦さんが陣痛を起こし、1人は近くの方が自宅を提供してくれて無事に出産されたと聞きました。

私は避難所で5日間を過ごし、その後多賀城の親戚の家にお世話になりました。

初めて車の中から見た津波の被害の大きさに言葉を失い、涙しか出ませんでした。

夫は仕事だったため、慣れない避難所生活で元気に動き回る子供をみるのは大変でしたが、おなかの中で元気に動いてくれていた赤ちゃん、無邪気なかわいい笑顔を見せてくれた子供がいたからこそ、私も元気に乗り越えられたのだと思います。

平成23年5月31日14時36分、元気な女の子を出産しました。

妊娠後期は落ち着いた生活もできず、赤ちゃんも大変だったと思うけど「元気に健康に産まれてきてくれてありがとう」と涙が溢れ、感謝の気持ちでいっぱいになりました。

笠松先生には長男の時からお世話になり、母乳の大切さを教えて頂いてました。東日本大震災を経験し、母乳の大切さをより実感しました。

長男の時は母乳とミルクでしたが、今回は母乳だけで頑張っています。

石巻のアパートは全壊、全て津波に流されましたが、家族みんな無事だったことがどんなに幸せなことなのかと改めて感じました。

自分が生まれ育った大好きな宮城県、そして東北が1日も早く復興できることを心から願っています。」

(当時石巻にて震災にあった体験 23年7月記 Hさんより)

 

この作文をお願いした時は、私がまだ病気前でした。私もだいぶ元気になりました。ありがとう。心配をかけさせてしまいました。

2日目に油揚げ2枚、4日目におかゆが子供にだけ出たり、ミルクの人はたった1本の哺乳瓶を割った人大変な思いをしたというお話も伺いました。

二人のお子さんも元気な様子で何よりです。念願の母乳育児が出来何よりでした。ご家族皆々様のご健康とご多幸をお祈り申し上げます。

 


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