建物は残ったけれど、津波の被害のため1階の品物が全部だめになってしまった。
避難所暮らしの幼稚園児にとって、幼稚園に通えることが日常生活に戻ることにつながるし、園長先生初め、園の先生方も開園できるようにがんばったようです。
しかし、建物の修理はしたけれど、物品がまだ充分に揃っておらないので、何とかしたいなーという気持ちになりました。
同じ多賀城市内ですので、目に見える形で応援したいなーと思います。
今日50年ぶりに幼稚園時代から小学校時代一緒に過ごした友人と電話で話をすることが出来ました。
実家(埼玉県熊谷市)の両親が眠っている円光寺から電話がありました。お寺のご住職さんが地震の話をしていた時に、檀家の人の中で、多賀城で暮らしている人のことを話をしたようです。(私の事です)
私の母親が産婆であったことを話していたらもしかして幼稚園時代からの愛子ちゃん(私)なのかということがわかり、久しぶりに電話で話を致しました。彼女のお母さんは私の母がお産の時取り上げました。けっこう同級生の中には私の母がお産を取り扱った方が多いのです。
走馬灯のように幼稚園時代から小学校のころを思い出しました。小学校時代の友人は中学校が変わったらそのまま会うことがなく、クラス会も中学の時1回しただけで、そのあと会うこともなかったので、とてもうれしかったです。
昨日幼稚園のことで少し動いたからかなーと思ったりして、まあそれは別だけれどそれにしても嬉しかったです。こんど熊谷に行ったら会いたいですねと電話を切りました。そしてまた偶然なことがわかりました。
看護学校の友人が結婚後熊谷にすんでおりますが、その彼女が今日、円光寺に私の両親のお墓まいりをしてくれました。嬉しいことに、私の代わりに時々行ってくれてます。
私の母を良く知ってくれておりましたので、律儀に今でもお墓参りをしてくれているのです。看護学校時代の友人と、今日昔の友人とが家が合い向かいだったことが電話での話で分かりました。住所が近かったので聞いてみたのです。看護学校の友人は病院勤務していたので、今日判明した友人の実家のお母さんのことも、外来などでお世話もしてもらったことなど。
今日2人の友人が同じ時間にお寺にいました。本当に偶然なことが重なりました。不思議だなー。
ちょっとややこしい文章になってしまったので、よくわかるかしら。うーん。