今晩は、又寝ぐるしい夜になりそうです。
筆者は、基本的に“性悪説”の支持者である。
人間の本性は善なのだ、と考える「性善説」はなんらの益をもたらさないばかりか、有害ですらある。
性善説を信じた方が、人間関係はうまくいきそうな気もするが、実際には、性悪説に立って物事を考えるたほうが、
はるかに人間関係はうまくいく。
性善説の立っていると、自分が善であるばかりに、相手からも同じような善意を求めたりして、ロクなことがない。
たとえば、次のような発言について考えてみよう。
「俺とお前は10年来の付き合いなんだから、勝手にボールペンを借りたからって、そんなに怒るなよ」
性悪説に立っていると、こういう「甘え」は出てこない。
たとえ10年付き合った友人でも、間単に信頼は失われるものだ、と考える。
だからこそ、10年付き合おうが、20年付き合おうが、親切さ、丁寧さ、謙虚さを忘れない。
人の本性が善だと信じていないから、甘えていると危険だと思うのである。
性悪説の立場にたつと、いい意味で、緊張し続けるからこそ、いつまでも人たらしであり続けることができるわけだ。
「人を見たら盗人だと思え」という言葉があるが、そういう気持ちを失わないことが、結果として緊張を失わないことにつながる。
ちょっと親しくなったからといって、なれなれしくなったり、相手をバカにするような冗談を言わないのが、性悪説の立場なのである。
こういう気持ちが、人間関係を円滑にする。
よく勤続25年のベテラン銀行員や税務署員が、お金を盗むというような記事がニュースになることもあって、「25年も勤めたのに、不思議でばりません」という署長などのコメントが発表されることがある。
しかし、人間は放っておくと、すぐに悪いことをしがちであるという立場にたつなら、これはおかしなことでもなんでもない。
むしろ、何十年勤めた人であろうが、きちんと監視しておくようなシステムを作っておいた方が、結果として盗む気持ちを抑えることができるのだ。