梅木よしてる徒然日記

人生60歳代からが黄金の時代だとか、我が家は黄金の人生??悪戦苦闘の人生ですが、黄金の人生を目指しています。

いましめの言葉!

2013-01-31 16:58:53 | Weblog
いましめの言葉は簡単なほど良い。
大栗道榮高野山真言宗大僧正が著書であなたの戒めとして三つを伝授しよう。
と今日一日をふりかえってみて、

一、すべてにおちついて行動したか。
二、約束は守ったか。
三、楽しく仕事したか。


簡単な事のようであるが、これが完璧に出来たら、その戒めはもうあなたの人生哲学であり、あなたは偉大なる人物であると言われています。

今日から、眠りに入る前に実行してみませんか。
偉大な人物になれるかもしれません。

さて、5時も過ぎ仕事おさめの時間になりましたが、今日一日楽しく仕事できただろうか。
あれも、これもと思いつつ、どれも満足な仕事になっていないようです。
反省、反省。

明日は臨時議会が招集されています。
大洲市立東中学校体育館の請負契約の締結が議案です。
1億5千万以上の請負契約締結は、議会の議決が必要となっています。

午前9時 自由民主党代表者会
午後1時 全員協議会
午後2時 臨時議会
午後5時 会派会

代表者会終了後、全員協議会までに私用を片付けたいのですが、「すべてにおちついて行動」しなければ、また反省、反省になります。


一日一言

2013-01-31 09:22:19 | Weblog
今日の一日一言
人間は栄えようと思ったならば、まず何よりも根に返らなければいけない。
草木でも本当に健やかに繁茂させようと思ったならば、いたずらに枝葉を伸ばしては駄目で、幹を逞しくし、根を深く養わなければならない。
根に返ることが大事である
…………………
安岡正篤(東洋思想家/昭和の歴代首相、財界人の指南役)

肱川あらし!!大洲市長浜

2013-01-30 14:07:25 | Weblog

今朝のNHKで長浜の肱川あらしを活かした取り組み「神秘の霧で観光客を呼び込め」のテレビ放映見ました。

濱田さんや田苗さんが寒さをもろとせず、絶景と叫ばれていましたが、船の上からの肱川あらし、まさにこれぞ絶景ですね。

長浜の商店街の活性化に繋がる施策展開を期待しています。






チョット困っています!!

2013-01-30 13:42:57 | Weblog

はがきが届きましたが差出人がなく本文もありません。
私も以前年賀状を本文無で送りましたが、幸い娘のところだったことと、差出人は表面に入れていましたので、私だとは分かり電話がありました。

重要な会議の通知だと封書で来るだろうし、出席の必要な行事だと往復はがきで来るだろうし、ほっといても支障ないだろうと、自分自身に納得させています。






献血ボランティア!!

2013-01-29 20:22:33 | Weblog
大洲市のHPを見ていたら、観光駐車場で実施するので、献血にご協力をとの知らせがありましたので、400mlの献血をしてきました。
松山出張が多くあった勤め時には、大街道の献血ルームによく行ったものです。
最近は献血車に合う機会が少ないので、のびのびになって仕舞います。
一番簡単なボランティアですので、2ヵ月後には又どこかで献血したい。

この冬場、血液が不足しているそうです。
献血車を見かけたり、大街道のほうに行かれた際には是非協力をしてあげて下さい。

本職は本職!!

2013-01-29 20:10:09 | Weblog

ここ半月ばかり、自宅のパソコンの調子が悪く買い替え時か??と思案中でした。
調子を悪くしたのは私ですから、何とか直したいと挑戦しましたが、あきらめていました。
本職に頼んでみて、直るものならとヤマダ電機に依頼してみました。

本職は、本職昼ごろに預けて4時には修理完了の電話を頂きました。
今、そのパソコンを使っていますが、快適、快適、今までのイライラが嘘のようです。
修理代2,700円、まだまだ充分つかえますとのお墨付きも頂き感謝です。
もっと早くもって行けばよかった。ありがとうございます。

一日一言
過去も未来も手放して、いまここに全力投球する。
そうすると、扉が開いて次のステージに上がれる
…………………
白駒妃登美(ことほぎ代表取締役/「博多の歴女」として人気の歴史講師)

Fw:理事者報告2「山鳥坂ダム建設事業の対応方針決定について」

2013-01-28 14:40:17 | Weblog
 理事者より次のとおり報告がありましたので、お知らせいたします。
 本日(28日)、国土交通省より山鳥坂ダム建設事業の対応方針が発表され、「事業継続」が決定いたしました。
 大洲市といたしましては、今後、中断しておりました水没等移転者の生活再建並びに付替県道等の地域振興事業に対する予算確保に向け努力していきたいと考えており、議員各位におかれましても、さらなるご理解・ご協力を賜わりますようお願い申し上げます。
議会事務局(24-1730)

この3年半何だったんだろう・・・・。

小鳥の来る街

2013-01-28 13:02:42 | Weblog

ツグミ

コマドリ

小鳥までが、都会へ都会へと行ってしまっているような気がします。


ヤマガラだけは、河辺の至る所の家で餌付けをされて、手のひらに乗ったり、肩に乗ったりととてもなついています。
私もやって見たいと思ってはいますが、餌を買ってくるのを何時も忘れます。

橋下市長は「今、大阪市役所は、お昼になると変な音楽が庁舎内に流れます。それを止めて、来年から組織のスローガンを流していきます」と書き込んでいた。

 橋下市長は、この曲(小鳥の来る街)が、島倉さんが大阪市に無償協力してつくられた曲だった経緯などは、知らなかった様子。島倉さんの曲を「変な曲」と批判してしまったことに後から気付いたようで、その後の定例会見では、「『変な』は撤回します」と陳謝した。

 ただ、市長の指示を受けた、市の担当者は即座に庁内放送改革に着手し、今月21日からは新たな放送がスタート。午前9時の始業時と午後1時に45秒間、女性職員の声で「市民サービスの向上のために、前例にとらわれることなく、これまで実施してきた方法を見直す」「職員ひとりひとりが『何をすべきか、何ができるか』自分自身で考えて行動する」といったスローガンが読み上げられる形式に変更された。
 とのことです。
私は、この「小鳥の来る街」が流され始めた頃、大阪に居住していました。
美しい歌声で、なんとなく田舎の風景や父母の顔など思い出されて幸せを感じていました
。職員のスローガンを読み上げることのほうが、変だと思うのは私だけでしょうか。
職員のスローガンだったら、職員の朝礼等で読み上げるのが筋のように思いますが、市民も職員の当たり前の当然のスローガンを読み上げられても、心は癒されません。
大洲市は、職員のスローガンを放送で流したりはしないでしょうけど・・・。

「あずさからのメッセージ」

2013-01-27 13:49:40 | Weblog

報道ステーションで、橋下市長大阪市立桜宮高校の問題で出演されて体育科の入試中止の問題など話されていました。
桜宮高校以外にも体罰問題は、続々表面化しています。

いじめも、根絶に至るには相当の期間が必要でしょう。
下記のような道徳教育が全国の学校で展開されると、根絶も夢じゃないですね。
外は雪で寒そうですが、テレビでは大阪マラソンで福士が優勝できるか??熱い戦いが展開されています。


「あずさからのメッセージ」

        是松いづみ(福岡市立百道浜小学校特別支援学級教諭)

              
十数年前、障がいのある子がいじめに遭い、多数の子から殴ったり蹴られたりして亡くなるという
痛ましい事件が起きました。

それを知った時、私は障がい児を持った親として、また一人の教員として伝えていかなくては
ならないことがあると強く感じました。

そして平成十四年に、担任する小学五年生の学級で初めて行ったのが「あずさからのメッセージ」という授業です。

梓は私の第三子でダウン症児として生まれました。

梓が大きくなっていくまでの過程を子供たちへの質問も交えながら話していったところ、
ぜひ自分たちにも見せてほしいと保護者から授業参観の要望がありました。

以降、他の学級や学校などにもどんどん広まっていき、現在までに福岡市内六十校以上で
出前授業や講演会をする機会をいただきました。

梓が生まれたのは平成八年のことです。
私たち夫婦はもともと障がい児施設でボランティアをしていたことから、
我が子がダウン症であるという現実も割に早く受け止めることができました。

迷ったのは上の二人の子たちにどう知らせるかということです。
私は梓と息子、娘と四人でお風呂に入りながら

「梓はダウン症で、これから先もずっと自分の名前も書けないかもしれない」
と伝えました。
息子は黙って梓の顔を見つめていましたが、しばらくしてこんなことを言いました。

さあ、なんと言ったでしょう?

という私の質問に、子供たちは「僕が代わりに書いてあげる」
「私が教えてあげるから大丈夫」と口々に答えます。
この問いかけによって、一人ひとりの持つ優しさが
グッと引き出されるように感じます。

実際に息子が言ったのは次の言葉でした。

「こんなに可愛いっちゃもん。
 いてくれるだけでいいやん。
 なんもできんでいい」。


この言葉を紹介した瞬間、子供たちの障がいに対する認識が
少し変化するように思います。

自分が何かをしてあげなくちゃ、と考えていたのが、いやここにいてくれるだけでいいのだと
価値観が揺さぶられるのでしょう。

さて次は上の娘の話です。
彼女が「将来はたくさんの子供が欲しい。
 もしかすると私も障がいのある子を産むかもしれないね」
と言ってきたことがありました。私は「もしそうだとしたらどうする?」
と尋ねました。

ここで再び子供たちに質問です。
さて娘はなんと答えたでしょう?

「どうしよう……私に育てられるかなぁ。お母さん助けてね」。

子供たちの不安はどれも深刻です。
しかし当の娘が言ったのは思いも掛けない言葉でした。

「そうだとしたら面白いね。
 だっていろいろな子がいたほうが楽しいから」。

子供たちは一瞬「えっ?」と息を呑むような表情を見せます。
そうか、障がい児って面白いんだ――。

いままでマイナスにばかり捉えていたものを
プラスの存在として見られるようになるのです。

逆に私自身が子供たちから教わることもたくさんあります。

授業の中で、梓が成長していくことに伴う「親としての喜びと不安」には
どんなものがあるかを挙げてもらうくだりがあります。

黒板を上下半分に分けて横線を引き、上半分に喜びを、
下半分に不安に思われることを書き出していきます。

中学生になれば勉強が分からなくなって困るのではないか。
やんちゃな子たちからいじめられるのではないか……。

将来に対する不安が次々と挙げられる中、
こんなことを口にした子がいました。

「先生、真ん中の線はいらないんじゃない?」。

理由を尋ねると
「だって勉強が分からなくても周りの人に教えてもらい、
 分かるようになればそれが喜びになる。
 意地悪をされても、その人の優しい面に触れれば喜びに変わるから」。

これまで二つの感情を分けて考えていたことは果たしてよかったのだろうかと
自分自身の教育観を大きく揺さぶられた出来事でした。

子供たちのほうでも授業を通して、それぞれに何かを感じてくれているようです。

「もし将来僕に障がいのある子が生まれたら、
 きょうの授業を思い出してしっかり育てていきます」

と言った子。

「町で障がいのある人に出会ったら自分にできることはないか考えてみたい」
と言う子。

「私の妹は実は障がい児学級に通っています。
 凄くわがままな妹で、喧嘩ばかりしていました。
 でもきょう家に帰ったら一緒に遊ぼうと思います」

と打ち明けてくれた子。
その日の晩、ご家族の方から学校へ電話がありました。

「“お母さん、なんでこの子を産んだの?”と
 私はいつも責められてばかりでした。でもきょう、
 “梓ちゃんの授業を聞いて気持ちが変わったけん、
 ちょっとは優しくできるかもしれんよ”と、
 あの子が言ってくれたんです……」。

涙ながらに話してくださるお母さんの声を聞きながら
私も思わず胸がいっぱいになりました。

授業の最後に、私は決まって次の自作の詩を朗読します。

「あなたの息子は あなたの娘は、
 あなたの子どもになりたくて生まれてきました。

 生意気な僕を しっかり叱ってくれるから

 無視した私を 諭してくれるから

 泣いている僕を じっと待っていてくれるから

 怒っている私の話を 最後まで聞いてくれるから

 失敗したって 平気、平気と笑ってくれるから

 そして一緒に泣いてくれるから

 一緒に笑ってくれるから

 おかあさん

 ぼくのおかあさんになる準備をしてくれていたんだね

 私のおかあさんになることがきまっていたんだね

 だから、ぼくは、私は、

 あなたの子どもになりたくて生まれてきました。」

上の娘から夫との馴初めを尋ねられ、
お互いに学生時代、障がい児施設で
ボランティアをしていたからと答えたところ

「あぁ、お母さんはずっと梓のお母さんになる
 準備をしていたんだね」

と言ってくれたことがきっかけで生まれた詩でした。

昨年より私は特別支援学級の担任となりましたが、
梓を育ててくる中で得た多くの学びが、
いままさにここで生かされているように思います。


「お母さん、準備をしていたんだね」
という娘の言葉が、より深く私の心に響いてきます。