梅木よしてる徒然日記

人生60歳代からが黄金の時代だとか、我が家は黄金の人生??悪戦苦闘の人生ですが、黄金の人生を目指しています。

ジェットスライダー惨め!!

2013-10-31 20:17:32 | Weblog

ふるさと公園のシンボルの一つとして作られたジェトスライダー、随分前から使用禁止が貼られたままです。
展望広場からふれあい広場まで、100メートルを子どもたちが歓声をあげていましたが、今この状態です。

行政が多少の維持管理費をを惜しんだ結果が、この状態にしています。
メンテナンスさえ、しっかりされていたら、今でも子どもたちにとっては、楽しい広場だったのに残念です。

これ以外の遊具も、展望デッキも、使用禁止の貼り紙がされたまま、何年も放置されています。

東大洲の名前募集されている公園にも、遊具が設置されているようですが、作るのは補助金や借金で簡単に作れますが、後が大事、メンテナンスを怠ると、このような状況になってしまいます。

市内全域には、このような状態の遊具がまだあるのではと危惧します。

以前にも行政には、対応を要望しましたが、使用禁止の貼り紙と、立ち入り禁止のロープだけで、放置されたまま、寂しくなります。
メンテナンスをするのか、撤去するのか、撤去したあとはどうするのか、早急に対策をされたいものです。

物申す機会がなくなったので、ブログで溜飲を・・・・・。



今日は午後、仕事を兼ねて河辺町内を巡りました。
町内の紅葉の状況も見て廻りましたが、あと10日ほどすれば見ごろになるでしょう。

私は、24時間の使い方が下手だったようです。
1日は24時間と決まっている。
その時間をどう使うかによって、人は成功もするだろうし、失敗もする。
その差を分けるものは、ひとえに意識です
…………………
坂田栄一郎(写真家)

清流に勝る濁流!!

2013-10-30 17:05:31 | Weblog

河辺川の水は、清流にふさわしい流れになっています。
これだったら、手にすくって飲むことも出来ます。


しかし、鹿野川ダムからの水は、ご覧のとおりの濁流で、いつになったら清流といえる状態になるのやら、とても飲む気にはなれません。


清流と濁流が合流して少しは薄まるかもしれませんが、濁流のほうが強く、当分は鮎漁も出来ない状態です。

人間社会も朱に交われば赤くなるといわれ、悪に交わる方が多いようですが、水も人間社会も一緒でしょうか?。

こんな状態を見ると、肱川で漁業を生業とされている方が、山鳥坂ダムに反対される気持ち判るような気がします。

現在、鹿野川ダムに大規模な洪水吐が建設されていますが、建設後はこのような状態の解消が図られるでしょうか???。



弔辞

2013-10-29 22:05:00 | Weblog

 ここ3日間、結婚式関係に接する機会があり、なんとなく華やいだ気分でした。
今日は、若くして奥さんを亡くし、4人の子どもさん・・、一番下が2歳だったそうですが、4人を男手一つで立派に育て上げられ、間もなく90歳を迎える方との縁がありました。

とても元気方で、家の中でも女の人でも出来ないくらい、綺麗に整理整頓されています。

子どもは近くに居らなく、90歳を迎えると、万一の時のことを考えると不安だと話されています。
人間、年順とは限りませんが、不安な気持理解できます。

子どもは、立派に育てたが皆都会に出てしまい、生まれ郷に帰る見込みがない。
帰れない事、心で理解できてても、寂しい気持を持っておられるようです。

こんな寂しさを抱えた独居の高齢者が、沢山居られます。
このような方の心を癒し、安心できる生活環境を提供できないものでしょうか。
一市民の思い、実現は???ですが、何とかしたいものです。

「息子からの弔辞」
         井坂晃(ケミコート名誉会長)
             『致知』2004年11月号
                連載「致知随想」より

 この夏の七月二十九日、弔問のため九十九里に赴いた。
 弔問客は四十人くらいであったが、
 私にとってこの葬式は、抑えがたい悲しみと感動が相俟って、
 心に強く焼き付いた。

 故人は、当社社長・中川の義弟・菊崎氏である。

 中川の説明によると、故人は四十九歳。
 妻(中川の妹)、高校三年の息子、
 そして中学二年の娘を残して逝ってしまったのである。

 故人は二十五日日曜日の昼過ぎに、
 不運にも誰もいない自宅で倒れてしまったという。
 
 奥さんはその日たまたま仕事に出ていた。
 成東高校の三年生で、サッカー部のキャプテンを務める長男は、
 練習のためやはり出ていた。
 
 片貝中学二年の長女も、
 所属するバスケットボール部の活動で出かけていて、
 家族全員留守の間の出来事であった。

 私が中川からその知らせを受けたのは、
 翌二十六日の朝であった。
 午後には、通夜は二十七日の夜、葬儀は二十八日と決まったようだ。

 ところが、夕刻過ぎに再び中川から電話が入った。
 
 「実は、誰もいない所で死んだ場合は、
  司法解剖をしなければならないそうです。
  ですから、まだ葬式の日程を決められませんので、
  決まり次第また連絡いたします」
 
 とのことだった。

 司法解剖の結果、死因は心不全と分かった。
 日程を改め、通夜は二十八日午後七時、
 葬儀は二十九日午前十一時から行われることになった。

 その間、中川から菊崎氏の横顔を少し聞かされていた。
 北海道出身で、高校時代は野球部に所属し、
 優秀な選手であったこと。
 
 高校卒業後は野球ではなく、料理の修業のために
 ドイツへ三年間留学したこと。
 お酒が好きだったこと……。

 それにしても、四十九歳という若さで亡くなった
 本人の無念を思うと、心が痛む。
 
 二十九日は、小笠原諸島付近に大型の台風があって、
 珍しく西にゆっくり進んでいるとのことだった。
 
 その影響で、朝のうち房総半島は
 時折にわか雨に見舞われる悪天候だったが、
 十時前には雨も上がり、
 びっくりするほど澄み切った青空が広がった。
 
 真っ白な浮き雲、灰色の雨雲が、
 時折夏の強い日差しを遮りつつ勢いよく流れていった。

 十一時少し前に、葬式の会場である
 九十九里町片貝の公民館に入った。
 会場の大部屋は畳敷きで、棺の置かれた祭壇の前には、
 すでに遺族と親戚の方々が座していた。
 
 私は中川夫婦に黙礼をして後方に並んでいる
 折りたたみ椅子に腰掛けた。
 
 祭壇の中央では、故人の遺影が
 こちらを向いてわずかに微笑んでいる。
 
 ドキリとするほど二枚目で、
 その表情からは男らしさが滲み出ていた。

 会場には私のほかに高校生が五、六人、
 中学生の制服を着た女の子が数人、
 そして私のような弔問客が三十人くらい座していた。
 広間に並べられた座布団の席はまばらに空いていた。

 葬式は十一時ちょうどに始まった。
 右側の廊下から入ってきた二人の導師が座すと、
 鐘の音とともに読経が始まった。

 後ろから見ると、二人ともごま塩頭を奇麗に剃っていた。

 読経の半ばで焼香のためのお盆が前列から順々に廻されてきた。
 私も型通り三回故人に向けて焼香し、
 盆を膝の上に載せて合掌した。
 
 しばらくして全員の焼香が終わると、
 進行係の人がマイクでボソリと「弔辞」とつぶやいた。

 名前は呼ばれなかったが、
 前列の中央に座っていた高校生らしい男の子が立った。
 
 すぐに故人の長男であることが分かった。
 私には、彼の後ろ姿しか見えないが、
 手櫛でかき上げたような黒い髪はばさついている。
 高校の制服らしき白い半袖シャツと
 黒い学生ズボンに身を包み、白いベルトを締めていた。

 彼はマイクを手にすると故人の遺影に一歩近づいた。

 「きのう……」。
 
言いかけて声を詰まらせ、
気を取り直してポツリと語り始めた。
 
「きのうサッカーの試合があった。見ていてくれたかなぁ」。
 
少し間をおいて、
 
「もちろん勝ったよ」。

 二十八日が葬式であったら、
彼は試合には出られなかった。

 司法解剖で日程が一日ずれたので出場できたのである。
悲しみに耐えて、父に対するせめてもの供養だとの思いが、
「もちろん勝ったよ」の言葉の中に込められていたように思えた。

「もう庭を掃除している姿も見られないんだね、
犬と散歩している姿も見られないんだね」

 後ろ姿は毅然としていた。
淋しさや悲しみをそのまま父に語りかけている。

「もうおいしい料理を作ってくれることも、
俺のベッドで眠り込んでいることも、もうないんだね……」

 あたかもそこにいる人に話すように、

「今度は八月二十七日に試合があるから、上から見ていてね」

 その場にいた弔問客は胸を詰まらせ、ハンカチで涙を拭っていた。

「小さい時キャッチボールをしたね。
ノックで五本捕れたら五百円とか、
十本捕れたら千円とか言っていたね。
 
二十歳になったら『一緒に酒を飲もう』って言ってたのに、
まだ三年半もある。

 クソ親父と思ったこともあったけど、大好きだった」

 涙声になりながらも、ひと言、ひと言、
ハッキリと父に語りかけていた。

「本当におつかれさま、ありがとう。
俺がそっちに行くまで待っててね。さようなら」
 息子の弔辞は終わった。


 父との再会を胸に、息子は逞しく生き抜くだろう。


護寺会研修 慈眼寺

2013-10-28 21:25:22 | Weblog


只管打座・・ただひたすらに座る。
背筋を伸ばして体が真っ直ぐになれば、心が真っ直ぐになります。
心が真っ直ぐになれば、思うことが真っ直ぐになります。
四国にも、こんなにも素晴らしいお寺があるのかと、感動しました。
間もなく結婚式を迎える若い二人が、前撮りを・・・。
年に何組も前撮りされるほど、素晴らしいところで、11月中ごろからは紅葉まつりも開催されるようです。
宝物館には、国宝級の寺の宝が・・・博物館も顔負けするような展示物があります。

役目がら、仕方なく参加しましたが、素晴らしい一日を過ごせました。
ありがとうございます。


結婚式

2013-10-27 08:43:41 | Weblog
昨日、姪の結婚式午前9時30分に出発、帰宅が午前0時30分、やっと目が覚めました。
笑いのたえない明るい家庭を、仲良く二人で築いて下さい。







ご案内がなくても行ける式には、年に何回も行かせて頂きますが、おめでたい結婚式は少なくなりました。
久しぶりに、美味しいお酒となりました。




楽しい俳句展

2013-10-25 21:45:08 | Weblog

昨日、山荘画廊で開催されている「楽しい俳句展」見せていただきました。
雨が降り始めていましたが、銀杏も紅葉が始まりかけて、間もなく見ごろに成るでしょう。
ほとんどの方が、現役を退かれ悠々と趣味の世界を楽しんでおられる様子が窺えました。
今日の一言
「男は一生、何に命を懸けるか」それが私の一つの命題です
…………………
坂村真民(仏教詩人)


収穫 アケビ

2013-10-24 12:59:10 | Weblog

収穫してきました。アケビを観察初めて半月ぐらいたつでしょうか。
きれいに、ハジケましたが、少し早いとは思いますが、台風が来るだろうし、熟すればハクビシンに先を越されそうなので、採ってきました。

まだ、こんなのが二個とこれからのが数個あります。
今日は、傘の柄を引っ掛けて取りましたが、これは届かず断念、ハクビシンが喜ぶでしょう。
今日の言霊
 今がすごく楽しい
 自分はツイいている
 ありがとう

自分の花

2013-10-23 14:13:46 | Weblog
坂村真民一日一言より
「自分の花」の詩に、
こころ安らぐ言葉に触れていただければと・・・
致知出版社    小笠原節子

二度とない人生だから
まず一番身近な者たちに
できるだけのことをしよう
貧しいけれど
こころ豊かに接してゆこう
二度とない人生だから
つゆくさのつゆにも
めぐりあいのふしぎを思い
足をとどめてみつめてゆこう

秋祭り準備と原子力防災訓練

2013-10-22 22:36:20 | Weblog

秋祭り準備、明日23日三嶋神社の秋祭りで、氏子の地区は幟、提灯などを立て祭の準備を行いました。


愛媛県の原子力防災訓練が行われ、河辺では訓練対象地域の長浜沖浦地区からの広域避難訓練が実施されました。
自主防災組織の代表者宛、見学等の案内があり、避難先のふるさとの宿に寄って見ましたが、避難に使われたタクシーが並んでいるのを見ただけで失礼しました。
いざ避難のとき、タクシーが間に合うものでしょうか??
想定が分からないので、なんともいえませんが。