梅木よしてる徒然日記

人生60歳代からが黄金の時代だとか、我が家は黄金の人生??悪戦苦闘の人生ですが、黄金の人生を目指しています。

坂本龍馬脱藩の道保存会役員会

2007-08-24 07:01:18 | Weblog
 第19回のわらじで歩こう坂本龍馬脱藩の道の開催に向けて2回目の役員会が開催されました。申込者数も当日のイベントはほぼ予定通りのようですが、前夜祭の申込者が少ない様子、どんなところに原因があるのかな。純粋に坂本龍馬に心酔している方にとっては、内容的に物足りさを感じられるのだろう。
近くの方は、飲酒後気になるのだろうか?。
来年は20回記念、いろんなことを見直すときが来たのかもしれません。
19年の継続に関係者の努力に感謝するところです。
坂本龍馬脱藩の道保存会の会員募集も、検討されているようですが保存会の主な目的が脱藩の道の河辺の道を保存するための活動です。
今年の保存活動26日の草刈参加者15人、その内市役所関係者6人、一般の参加9人の予定、この9人も保存会か観光推進協議会の役員のようです。
純粋に保存会の目的に賛同しての参加は、皆無のようです。
事実、耳の痛いことかもしれませんが、市役所で総務課長、企画商工課長をはじめ
わらじで歩こうに関係した職員が皆無のことから見ても、私は会員募集に疑問を感じるところです。現在何らかの役員であるがゆえに参加されているのかもしれませんが、本当に参加していただく方に感謝、感謝です。
この方たちに、どういう形でも感謝の気持ちが伝えられ、役員を辞めても参加していただくようにしていくことのほうが、大切なように感じます。
役所は、住民参加、協働を推進するためには、せめて現在までに担当した課長、職員が参加してこそ、住民協働の実があがるのではないでしょうか。
担当の間は、協力をお願いしながら、担当を離れたら知らぬ存ぜぬでは、空しさを感じます。
議会の一般質問に協働条例制定を質問しましたが、実現できていません。
住民を、職員の手が足りないからお手伝い感覚で参加をお願いするのでは協働の意味がありません。職員も住民もココの解決が一番肝要では・・・・
時間がなくなりました。またの機会に。

終戦記念日

2007-08-16 07:44:13 | Weblog
15日は郷友会主催の忠魂碑参拝へ参加しました。
その前午前10時には合併前の同僚議員の奥さんの葬儀に参列、真夏日の葬儀は家族の方はもとより、お手伝いの地域の方など大変だろうと感じました。
合併前に建築希望のあった葬祭場が実現していれば、どんなにか助かっただろうと、悔やまれるところです。
安部総理大臣も靖国参拝を遠慮され、総理になる前の言動とブレが来たようです。
参拝の良し悪しは別として、総理大臣ともなれば信念を貫く必要を感じました。
午後には、松山の陸運事務所に行き、車の名義変更を行いました。
現在、社会保険庁の職員の勤務状態、態度等に冷たい国民の目が向けられていますが、陸運事務所の職員の応対は、とても親切で、迅速正確処理はとても気持良かったです。

かわべふるさと祭りを終えて!

2007-08-15 08:21:21 | Weblog
8月14日は、恒例のかわべふるさと祭り、今年も帰省客や町外のお客様多数をお迎えして盛大に行われました。
私も実行委員として、朝8時から準備に参加しましたが、例年になく順調に準備が完了しました。各種団体のご協力を得ての夜店も賑わいを見せ、大変好評でした。
関係者の皆様ご苦労様でした。
今日は小川様から頂いた奇跡に画家のお話を投稿し、自分の反省にしたいと思います。もし呼んでいただける方がありましたら、自分の立場とかさね合わせてみてください。
■奇跡の画家
おはようございます!小川です。
今、お盆で田舎の栃木に帰って超タイクツな毎日をおくっている。
親戚が集まって高校野球を見てあーだこーだ言って、ご飯を食べて・・・
あーメチャメチャ退屈だ。
早く仕事に戻りたい。
こうやって実家でゴロゴロしていると居間で親戚とTVを見てる時間が増える。
そしたら、面白い話がやっていたのでシェアしよう。
それは“奇跡の画家”と呼ばれた人の話。
熊本県で農家をやっていた大野勝彦さんと言う人は、ある日、農作業中に
機械に手を突っ込んで大けがをした。
そして大野さんが病院で目覚めると、自分の両手がなくなっていた。
さっきまで普通にあった両手がない。
大野さんは絶望のどん底に落ちて生きる希望を見失った。
こんな状況になったら誰だってそうなるだろう。
しかし、大野さんの妹が彼を元気づけるために腕に筆を縛りつけて、「字を書いてみなよ」と言ってそれを実際にやってみせた。
それに勇気づけられた大野さんは毎日、お見舞いに来てくれた人に30枚
はがきで礼状を書くことにした。
そして、退院してからも義手で絵を描き続けた。
雨が降っても傘も一人でさせない・・・」
とか弱気になる時もあったが、絵を描き続けた。そのうち、地元の学校とかから
事故から復帰したのを講演してほしいと頼まれるようになった。
両腕の無い画家
彼は奇跡の画家と呼ばれるようになった。
そして奇跡の画家は「夢」を持つようになった。それは自分の美術家を持つこと。
「そんなものはスグつぶれてしまう」
「経営が成り立つはずがない」
今まで大野さんの周りで彼をサポートしてくれてきた一番近い人たちから猛反発をくらった。
それでも彼はその夢をあきらめなかった。
彼は自分の意思の強さをまわりの人たちに分らせるため生前葬を行った。
生前葬で奥さんは「彼の夢は美術館を持つことでした・・・」と語った。
・・・
そして今日、彼は北海道に3店舗目の美術館を建てている。
猛反対にもめげず、両腕がないことにもめげず、彼は自分の夢を実現して、それを大きくしている。
彼は言う。
「今、両腕があるのに、**ができない、**がない
などと言う人達がいる。僕はその人たちに言いたい。
一度、両腕を切ってみれば?そうすれば、どれだけ恵まれているかが分かるよ」
と。
大野さんは常に笑顔だ。
両腕がない画家の言う言葉の説得力は
僕らが使う言葉の説得力とは比べ物にならない。
このストーリーから僕らが学べることはたくさんある。
僕らが、いかに恵まれた条件下にいるかということ。
たいていの人がその恵まれた条件を忘れてしまって、
自分にとって条件が悪いところに視点をフォーカスしてしまう。
そして、自分の夢を阻むのは、一番身近で、あなたの事を心配してくれる人たち
の場合もあるということ。

僕が思うに。大野さんは両腕を失ったとしても
もし、インターネットビジネスをすれば大成功しているだろう。
画家の成功よりもネットビジネスの成功のほうがはるかに簡単だ。
そして、断言できる事がある。
もし、両腕を失ってネットビジネスをするとなっても
大野さんはこんな言い訳は絶対にしないだろう。

いかがでしたでしょうか、私も出来ないことの言い訳を考えるほうのようです。
今日から気持ちを切り替えたいと思います。





ご無沙汰ですみません。

2007-08-13 08:27:19 | Weblog
ご無沙汰しています。
見れば正月から新規投稿していない状態で、ブログの効用を果たしていません。
毎日雑用に追われ、PCは毎日開いていますがメールのチェクで終わっている状態な
反省しています。大洲市議会の監査委員も、議長改選とにあわせて交代になりますので、少し余裕が出来ると思います。
偉そうなことは言えませんが出来る限り投稿していきます。