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般若心経を読み解く?(五次元的解釈)14 私の体験2

2020-09-05 | 般若心経を読み解く(五次元)

新境地による絵画  (キャンバスに鉛筆) 名前はまだない

 

精神的な人の成長と言うのは面白い。そう思うのはいつも、何かを学ぼうとしていたり、技術を収得しようと意識が動いている時でした。

心の成長線は、身体の成長のようになめらかなスロープを描くのではなく、階段状に成長していくということです。

どうしてそうなるのか、

今回、般若心経を通して自分の世界を眺めてきた結果、新しい気付きと納得を得た第二のことがこれです。

心はなぜ、階段の様にしか成長できないのか。その究極の形が実は般若心経に描かれていたのです。

苦しみから逃れたいと願う長い迷いの時があって、はじめて「その迷いは無であるのだ」という教えが身に沁みる。苦悩の経験がなければ、それが心の救いとなって身につくことはないのですね。苦悩を感じない人には般若心経は何の意味も無いわけです。

身に沁みることがあって初めて心は次の段階に進めるのですね。

この、心に沁みるということが、心を一気に成長させる契機となるのです。

 

なぜそうなるのか。その答は意外なところにありました。

私はそれを驚きと共に気付いたのです。

つまりそれは「心とは成長しない」ということだったのです。

 

どう言いうことか、説明がいりますね。

心は成長する必要がない。初めから完全な形で存在しているのです。しかし私達の心は、それを全く知らないというところから始まります。そう考えると心と身体の違いがよく分かるのではないでしょうか。肉体は0から始まって一個の身体に成長しますが、心は生まれた時から完全に存在していて、人はあとから少しずつその事実に気付いて行くのです。

 

普通私達には成長願望があります。今より高いレベルに登っていくのが人生だと、なんとなく思っています。

般若心経を読めば悟りの境地に憧れます。涅槃に至りたい。彼岸を達成して仏に成りたいという成長願望が起こって、それが心を修行に駆り立てる。

これまで私はそう思っておりました。

「般若波羅蜜多」はその修行のための道しるべだと。

 

しかしよく考えてみれば、彼岸の存在を知り、そこに至ろうと発心した菩薩の心が修行中、50%仏とか80%仏に成っていくなんて話は聞いたことありませんね。

菩薩か仏かです。オール オア ナッシングなのです。

そこには身体の成長とは全く違ったシステムがあったのです。それが階段のように登っていくしかない原因だったのです。一緒に考えてみてください。

 

身体と心の違いをもっと深く掘り下げると、

①身体=物質

②心=空間

という決定的な違いがありますね。

 

物質である身体は、素粒子を積み上げて成長します。当然なめらかなカーブを描いて成長していきます。

実はその同じイメージで、私達は心の成長をも考えて来たのです。

しかし実際には、心=空間です。 そこには成長と言う概念そのものがあてはまらないのです。心の成長と言うものは存在しないというほかはありません。

心は、身体のように努力して成るのではない。それはすでに在るのです。

あえて成長と言う概念に並べて言うなら、それは既に在るものに対する「気付き」と言う以外にはないでしょう。

つまりこういうことになるのです。

①身体=物質⇒成長・・・・なめらかな成長曲線

②心=空間⇒気付き・・・・階段状の気付きライン。気付きの度にレベルを上げていく。

 

気付きという言葉の意味しているのは、心は「成る」のではなく、「在る」ということなのですね。

在ることに「気付く」か「気付かないか」

これが菩薩か仏かというオール オア ナッシングの在り方の原因だったのです。

 

しかしこれは、般若心経と言う特殊な枠の中の話だけではありません。私達の心すべてに当てはまることなのです。

 

私のことで言えば、

鉛筆デッサンを学んでいる時もそうでした。

その頃、師が言うことはいつも同じ方向を向いていました。私のデッサンを見て「この絵には空気が無い」「物じゃない!空気を描け!」と言うのがお定まりの言葉だったのです。

3年間、私はまるで禅問答のような師の要求の意味が分かりませんでした。

「コップの輪郭の向こうにも空間があるだろう!それを描けと言っているんだよ!」

「それはそうですけど見えないでしょう!見えていないものをどう描けと!」と、言いかえしたかったのですが、グッと押さえて、理不尽と思える師の言葉を受け入れようと決めたのです。

分からないけれど描くしかない。コップに穴が開くほど目を凝らし、ないものを見ようとしたり、鏡で裏を映して観たり、コップの裏にある空気をどうにかしてみようとして毎日鉛筆を動かし続けました。

3年間それは平たんな道でした。努力はしても同じところを何度もグルグル回る感じで、師は同じ言葉を言い続けてくれました。

ある日、飲みかけのコーヒーカップに蟻が這いあがってきたのです。何気なく眺めていると、蟻はカップの縁にたどり着き、しばらく横に歩いて行きます。そのうち蟻はコップの内側に廻り込み始めたのです。

蟻はコップの縁から段々姿が消えて見えなくなりました。そのうちに向いのコップの内側を歩く蟻が見えてきて・・・

その瞬間が、私の成長の一瞬でした。

その瞬間に全ての理解が開いたのです。

私は写真に写ったようなコップを描こうとしていた。私の意識は、写真の印画紙のような二次元の上にしかなかったのです。写真にまけない絵を描こうとしていたのです。

しかしそうではない。コップは空間の中にあるのだと、蟻が教えてくれたのです。

そんなことは理屈では分かっていたことですが、その知識は心に届いていなかったのです。知識は何の役にも立たない。自分の口で噛み砕いて初めて自分のものとなるのです。蟻による気付きが無ければ、私の絵は今も二次元のレベルで足踏みしていたでしょう。

「空気を描きなさい」と言う師の教えを、私は紙に写実するというレベルで考え続けていたことにようやく気付いたのでした。

写真のように描くのではなく、空気に包まれているコップを描くという理解は、意識が二次元から三次元に気付くということだったのです。

心の成長線がなぜ階段状になるのか、それは心の成長とは気付きだからなのだと今にして思います。

 

こ「の気付き」と言う言葉の最も重要な意味は、般若心経に即して言えば、こういうことです。

すなわち私達は生まれながらにして「仏」なのだということなのです。

それを知らないだけ、気付きさえすればいいのだよと。

 

 

 

(以下参考記事)

 

(現在連載中 量子力学を考える)

般若心経を読み解く?(五次元的解釈)13 私の体験

般若心経を読み解く?(五次元的解釈)12 量子力学との合流4

般若心経を読み解く?(五次元的解釈)11 量子力学との合流3

般若心経を読み解く?(五次元的解釈)10 量子力学との合流2

般若心経を読み解く?(五次元的解釈)9 量子力学との合流1

(般若心経をどう理解するか)

般若心経を読み解く?(五次元的解釈)1

般若心経を読み解く?(五次元的解釈)2

般若心経を読み解く?(五次元的解釈)3

般若心経を読み解く?(五次元的解釈)4

般若心経を読み解く? (五次元的解釈)5

般若心経を読み解く?  五次元的解釈)6

般若心経を読み解く? (五次元的解釈)7 一部加筆

般若心経を読み解く?   (五次元的解釈)8 追補

(以下は数回分をまとめた長文です)

凡人の語る宇宙論(アインシュタイン讃歌E=mc2)1

凡人の語る宇宙論( アインシュタイン讃歌E=mc2)2

 

 


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