先日紹介した、私の怪奇現象(詳しくは前日の記事をごらんください)
受講中に体験した、演壇の教授が私の手に乗る生フィギアに見える事件は、今から40年前のことです。
あれは一体なんだったのか、今になって検証してみる気になったのですが、疑問点はいくつかあります。
①なぜ、特定の教授の身に起こったのか
②なぜ、その時だけに起こったのか
③どんな精神状態だったのか
④この現象は . . . 本文を読む
学生時代、不思議な経験をしたことがあります。
大講義室は演台を階段状に机がとり囲むような形でした。
私は中ほどで、教授の講義を聴いておりましたが、ノートから目を話して先生を見たとき、
「あれ?」と思ったのです。
私の意識が混乱したのでしょうか、普通サイズで、何の不思議もなかった先生の姿が急に小さく見え始めたのです。
私はもう、講義どころではありません。その意識に夢中にな . . . 本文を読む
本日も、真鹿子さんのコメントからインスピレーションを頂きました。
いつも感謝しております。
(真鹿子さんメッセージ)
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素粒子物理学の研究者でもあり、ノーベル物理学賞を受賞なさった量子物理学者のスティーヴン・ワインバーグ博士は、このようにお . . . 本文を読む
==真鹿子(まかこ)さんから頂いたコメント抜粋==確かに苦悩を忌避し、喜びを待ち望む心は極自然ですよね。けれどもわたくしはいつからかすべての今は天からの贈り物喜怒哀楽も苦悩もすべて天からの贈り物と感じていますので苦悩、悲しみなどは、天からの試練、心魂磨きの研磨剤と受け入れています。するといつのまにか昇華されていて極微ながらも善きエネルギーともなっているのでしょうね
. . . 本文を読む
(大阪市平野区 全興寺境内 個展風景 2005年)
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♪ おいら 岬の 灯台守は・・・・
灯台守として、仕事をこなしながら妻と共に、喜びと悲しみの歳月を乗り越えていく。
古い映画で、いつ観たのか記憶にはないが、歌と共に私の心の中にはっきりとひとつの領域 . . . 本文を読む
線を引く
大作にとりついて一週間になる
線を引く
ただそれだけを繰り返していると
心だけが見えてくる
目に入るのは
ふすま2枚分のキャンバス
鉛筆の線が、粉を落として、その粒子さえ宇宙に見える
特殊空間のなかで
シャー芯の音だけが現実に引き留めてくれる
心は
単純なエネルギーとなって
その音の周りを遊んでいる
苦悩と喜びが
手をつないで
踊 . . . 本文を読む
(box(1合升)による作品)
先日の記事にいただいたコメント。
もったいないので抜粋して転載させていただきました
「”ばかなこと”を続けることは、可能性を探し続けるということでしょうか・・・。だとすれば、どんなにつまらないことでもそこに意味があり、あらゆる可能性を秘めているということになりますね。」(からくさん)
「馬鳴き鹿鳴き一瞬無限大馬鹿道まっしぐ . . . 本文を読む
毎朝歩いて浜まで行き、草引きをして帰ってくる。
たったこれだけのことだが、
5年目に入ってくると、いつの間にか生活の中心になってくる。
これだけは確信を持って言える
自分と出会える、もっとも有効な方法だと。
歩くだけでいい。
ゴミ拾いだけでいい。
写筆でも、折り紙でも、詩でも、空想でも。
ひとつのことをやり続けなくても、その日思いついたことをひとつやるというのでもいい。
単純で、 . . . 本文を読む
(心の旅 キャンバスに鉛筆 F 8号)
こころが染渡るスズランの舟
遠く離れたあなたのもとに
どうしても
行きたいのだけれど
私にあるのは
この小さな 白い花ばかり
こころが解けいるような緑の河
遠く離れたあなたのもとに
どうしても
届けたいのだけれど
私にあるのは
この小さな 淡い夢ばかり
こころが砕けるような岩肌の壁
. . . 本文を読む
(ルビンの壺)
「吾は空なり 」
この達観は、私たちの認識の仕組みからも導かれる。
認識とは、認識する対象を背景の中に浮かび上がらせる能力のことです。
あるものを認識するということは、その周りのものを背景として無化するわけです。
花を見ると、その周りのものは背景となって、私には単なる空間のように思えるわけですね。
空間のように思われるというのは、花を認識 . . . 本文を読む