のしてんてん ハッピーアート

複雑な心模様も
静かに安らいで眺めてみれば
シンプルなエネルギーの流れだと分かる

Holy Himaraya は無事

2015-04-30 | 日記

カトマンズーの中心にあるホリーヒマラヤは無事だと聞いた。

親切で優しい従業員の方々も、無事だということで、よかった。

鉄筋の入った建物は崩壊をまぬがれたが、圧倒的に多いい家屋は、石と土壁で作られていて、ほとんどが崩れてしまっているという。

ニュース写真はそんなところばかりが写っている。家にいた人々は家屋の下敷きというより、土石に埋もれてしまっている感があって、いたたまれない。

上の写真は数年前、ホテルの従業員の親切で、連れて行ってもらったヒマラヤの夕景。8000mのるつぼの底に立っているような、神の懐にいるような、敬虔な気分で見上げた山だった。

そんなところで巨大地震が起ころうとは、・・・・

都市外の被害はまだまだ未知数と聞いて、ただ祈るしかない・・・・

これ以上余震被害が出ませんように、お祈りいたします。

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ネパール大地震

2015-04-27 | 日記

日を追うごとに被害が拡大していく。

数年前、カトマンズーで世話になったホテル、Holy Himalaya はどうなったのだろう。みなさんの無事を心から願っています。

神戸の30倍の規模と今日の新聞には出ていた。

倒壊した建物の映像が痛い。

支援の手が広がり、一刻も早い復興がありますように。

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新しい感性

2015-04-25 | 日記

早朝、いつものように浜の雑草とゴミ拾いをしていると、街路樹の向こうに大きな太陽が昇ってきた。最近、オレンジの太陽がとても大きく見える。

私は敬虔な気持ちになって座り込み、すべてを投げ出すように朝日をみつめた。

太陽の前を、逆光の街路樹が動いて行く。

なぜかはわからないが、自然に私はそう感じていた。

そう思った瞬間、私は船に乗って風景を見ているように太陽を観ていることに気付いた。

そう!!、私は地球に乗って移動している。

太陽が昇るという感覚はなくて、私は地球に乗ってこの宇宙を巡っているという感覚がはっきりと私の意識に上ってきたのだ。

今までにない新しい感性。私は今生まれたような新鮮な感性に包まれて、何とも言い難い美しい朝を迎えた。そんな思いでいっぱいだった。

それは数年毎に見たヒマラヤのイメージと似ていた。

奇しくも私の62の誕生日。

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絵画は万人のもの

2015-04-17 | 私の絵画論

絵は下手で、はなからそういってあきらめている人がいる。

何をしたらいいのかわからないと無趣味にあきらめている人がいる。

そんな人に是非知ってほしいことがあります。

それは線を引く楽しさです。

絵が下手でダメと考える人は、絵というと、リンゴや花などを上手に描かなければいけないと思い込んでいるようです。

確かに画廊で扱うような絵は価値がありそうですが、それは絵の世界の小さな側面でしかありません。

絵の本流は、いのちの軌跡なのです。

大げさに言えば、命あるものはすべて絵を描くことが出来るということです。

紙の上に一本の線を引く。それだけで世界に一つしかないいのちの軌跡が刻まれました。あなたの命から生まれたもの、それは本当に素晴らしいものなのです。

絵は下手で・・・という人は、この一本の線に価値を見いだせないのかもしれません。

そしてその原因はきっと、社会人として身についた絵というものの概念にあると思います。

その重苦しい概念をちょっと横に置いてみませんか。

そして、お風呂上がりのくつろいだ時などに、

ホカホカ気分のまま、頭を使わず(何かを描こうと思わず)一本線を引いて観てください。

よくミミズが這ったような線だと蔑みのような言い方をしますが、大変な誤りです。

あなたから生まれた初々しい線。それは尊く素晴らしいものなのです。

それが感じられたら、あなたは人間として大改革を成し遂げたことになります。

つまり、価値のないばかばかしいものから、唯一無二の尊いものに大変身するのですから。

社会につくられた小さな絵の概念を捨てるだけで、あなたは大変な自由を手に入れることが出来るのです。

 

 

 

 

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苦悩の意味

2015-04-15 | 人間力

私の最も古い苦悩の記憶は母の涙だった。

炬燵があったので、まだ寒い日だったのだろう。両親の激しい喧嘩の末、母が横にいた弟を炬燵の向こうに座っていた父に投げ、私の手を引いて家を飛び出した。

「この子だけいたらええ」その時の母の言葉がこびりついている。

私は母の連れ子だったということを知ったのは随分後のことだったが、母との特別な関係を体の方から先に覚えたのだ。

母は私の手を握ったまま、川べりの道に立っていた。母の涙が私の心に不安と悲しみを誘った。

嫌われたくない。いい子になる。そんな思いが根雪のように私の心に残り続けた。

半世紀にわたる私の苦悩はそこから始まっているのかもしれない。

苦悩の痛みだけに目を奪われて、心の中で痛みを訴えているものが何なのか、考えることもなかった。

痛みから逃げようとしたり、痛みをなくそうともがくばかりで、悲鳴を上げている本性に気付かなかったと言ってもいいだろう。

苦悩の痛みは、私に本性示し続けてきた。そう理解したとき初めて、私ははっきりした意識の中で自分の本性と出遭ったのだ。

本性とは、宇宙、仏性、神、波動、その他真理を表すあらゆる言葉と同じ所を指示していると私は信じることが出来る。

今年5月に私の絵を展示させていただく浄光寺(浄土真宗)で言えば、阿弥陀様ということになる。10年間個展を続けさせていただいた全興寺(真言宗)なら、大日如来そのもの。また昨年展示させていただいた観音寺(曹洞宗)でいえば無ということになる。

苦悩がやってきたら、しめたと思えばいい。痛んでいる場所に感謝して寄り添い一つになる。苦悩は消える。

「大丈夫、心配するな、何とかなる。」

一休さんの言葉だと聞いた。

 

 

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苦悩をみつめて

2015-04-09 | 人間力

苦悩から目をそらさずみつめ続けていると見えてくることがある。

苦悩は神=いのちを正しく生きるためのシグナルだということだ。

しかしこの理解の道筋にはまだその奥があった。

「苦悩は神=いのちに向かう道しるべ」という理解のその奥にこんな真実に行き当たった。

つまり苦悩は、まさにこの苦悩そのものが起こっている場所、その場所を私に指示しているのだということだ。

そう理解したとき、私は苦悩を生み出す重荷が肩から外れる思いがした。

苦悩とは、心の痛みだが、

その痛みを感じる空間こそ、神=いのちそのものなのだという理解が突然私にやってきたのだ。

痛みを感じるこの場所、私には自分の胸の奥の方に広がる空間と見える。(が、他の人にどう見えているか分からない。それどれが感じるしかない特殊空間だ)

苦悩はその空間が歪み、痛み始める。その激しさによっては、引きちぎられるような痛みを伴う。「胸が引き裂かれる」という言葉はきっとこの空間の不調和を指しているのだと思えた。

そしてこの空間こそ、私の本質、神=いのち、の姿なのだと。。

私の正体はこの苦悩の起こる、まさにこの場所そのものなのだと理解できた。

それは、私に無罪判決が下りる瞬間だった。

人は、一切の罪を背負う必要はない。もともと罪など存在しない。責任など存在しない。

ただ在ること。

その無垢なる心から始めればいい。

私なら、絵を描く。神=いのちとしてやりたいことをすればいい。

こころざしが「私」を神に融合させてくれる。

 

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お絵描きソフト

2015-04-07 | 日記

PCの環境はどんどん変わっていくが、ついて行けない~~~

お絵かきソフト付のブログだが、セキュリティーの関係なのか、使おうとすると警告が出てなかなか進まない・・・・。

この前JAVAの更新をクリックしたら、ついに使えなくなった。

子供に頼み込んで何とか使えるようになったが、何が何だか分からない。

進化はいいのだろうが、その背景には適応出来ないものの不便が無限に増えてくる現実がある。

進化しないPCがあれば世界はもっと豊かになると思えてならない。

進化しないPCと、進化する最先端とがつながっていける技術を是非育ててほしい。

それがヒトとパソコンのもっとも理想的な関係だと思う。

進化は切り捨てるのではなく、内包することだ。

ヒトの命は、進化の過程を踏み外さない。そこに学ぶべきだと思うのだが・・・

 

 

 

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新年度を迎えて

2015-04-01 | 日記

退職後、ほぼ毎日絵を描き続けた。

最初は一日24時間という自由時間を使いきれない、宮使いの習性に悩まされたが、やがて自分を使い切る生き方に慣れてきた。

たっぷりと時間をかけて、今まで描けなかった絵を描いた。砂粒一つ一つを描くイメージで大きなキャンバスに向かった絵が評価されて、2本の賞もいただいた。

心の探求は、苦悩を観、続けることで、いのちのあるべき至福の世界がなんとなく見えてきた。

そして今2年目の朝を迎えた。

苦悩を観続ける中で気付いたことを実践する年となるだろう。

それはこういうことだ。

人は、いのちを生き、そしてヒトとして生きなければならないと。

今まで、いのちを生きることに目を向けていたが、ヒトとして生きることもまた大切なことだと気付いたのだ。

ヒトとして生きるには、志が必要だ。

私の中に志はあったが、それを意識して生きたことはなかった。そう思い至ったのだ。

志を遂げるための苦悩、それは背負って生きる。

これがヒトとしての生き方だ。

いのちとヒト、その両方を生きる。

これが私のこの一年の主題となる。

 

 

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