のしてんてんハッピーアート

複雑な心模様も
静かに安らいで眺めてみれば
シンプルなエネルギーの流れだと分かる

凡人の語る宇宙論(アインシュタイン讃歌E=mc2)

2020-03-03 | 般若心経を読み解く(五次元)

 はじめに

凡人が宇宙を語るとどうなるか。

 論理が精緻で特殊化した難解な科学の宇宙論は、知りたくても手におえない。宇宙には興味があっても、学術論文の類は、読み解くことが出来ないし、その知識を得るために一生を捧げるような熱意さえない。

そんな凡人でも宇宙の真理を知りたいと思う。それは己を知りたいという作家(鉛筆画家)の欲求から来たもので、学究とは別の意志ではあるのだが、いつも空を眺めている。

そんな私がいつしか自分の分かる言葉だけを使って宇宙を考えてみようと思うようになった。自分の言葉で宇宙を語れば、科学とは程遠いが、少なくとも私の納得できる宇宙が描けるはずである。そしてそれが、案外科学と通じているのではないかといわれるような宇宙論を書いてみたいのである。科学も芸術も共に目標は同じであるという意味で。

それはある日、凡人でも自分の立ち位置をしっかり意識すれば、科学と同等に宇宙を論ずることは出来る。そう確信したからである。その根拠はただ一つ、己そのものが宇宙だという疑いようのない事実を体験したからである。絵画創作の度に感じる事だが、この目で見、この身に感じ、この瞬間を実感する世界が、まさに宇宙そのものだと気付いたのである。

絵画を通じて己を究めるということは宇宙を観ることであり、それを言葉で置き換えたいという、画家らしからぬ欲求に動かされてこの宇宙論が誕生したと言っていいだろう。

私の身体に沁み渡ってくる宇宙を五次元宇宙と呼ぶ。私の感じる宇宙は時間概念だけでは説明がつかない。そこで独自にスケールの概念を思いつき時間に付け加えたのが五次元の宇宙観なのである。ただ、スケールの概念についての詳しい説明は、別の機会に譲ることにして、私の中にある宇宙の姿に焦点を当てた話をしてみたいのである。

私をとらえ続けていた、たった一つの公式 E=mc2 を手掛かりにして宇宙を考えはじめ、今ようやくこの一文が完成した。つまり私の中にある宇宙をようやく納得して見通すことが出来たのである。

凡人の宇宙論であるが、あるいは他の人のためにも有益なものが含まれているのではないかと思い一文にしたためたものである。

言うまでもなくこの公式はアインシュタインのエネルギーの公式である。この数式の背景を学術的に理解出来ないが、ここには宇宙を理解するために必要な要件が最も単純に現されていると思えるのである。また本書は論理的ファンタジーであるが、目指す真実を文面からくみ取って頂ければ幸いである。

 

1)E=mc2

宇宙とは何か。

宇宙を理解する根本に E=mc2 というアインシュタインの数式がある。相対性理論なるものを理解することは出来ないが、この数式は私の感性に訴えてくるメッセージ性があまりにも大きいのだ。何かを読み解けと声がする。永年そう思っていた。凡人には凡人のアプローチがある。それなら理論を無視して、これを凡人の常識で読み解いてみよう。

 

この数式で使われている文字の意味は次の通りである。

(1)E=エネルギー (2)m=質量 (3)c=光

 

これを私の理解できる言葉で言い表してみよう。

(1)エネルギーとは、ものを動かす力。その最も象徴的な形は空間の中でうねる波である。この波が何かに働きかけて運動を起こす。これをエネルギーと考える。

(2)質量とは物質。物質とは、空間に浮かんだ一つのかたまりである。リンゴならリンゴそのものが成り立っている物質の量。これ以上分解できない物質の最小単位が素粒子だと言われる。ゆえにリンゴも素粒子の量で表されるのだ。

(3)光とは波である。空間を光速で移動し、物質の表面で反射して物質の存在をあらわにする。光は空間の中に充満しているが、波形のスケールによって見える光と見えない光に分けられる。可視光線というのは、人間のスケールに適合した光である。見えない光とは人間の認識できるスケールより大きいか小さい波形を持つ光である。

 これだけの勝手な知識で E=mc2 を読み解いて行くのが凡人の宇宙論である。

 

Eの最大の形は何か。言うまでもなくそれは物質がすべて光に変ることである。リンゴならリンゴをつくっている素粒子の一粒まで光に変ることだと考えられる。 

(最大のエネルギー)=(リンゴ)×(光)  数式を使うと、E=m×c(E=mc)

これが最大のエネルギーである。

  しかしアインシュタインは E=mc2 と書いた。違うのは(c2)と(c)の違いだけであるが、なぜこの違いが生まれるのかを考えれば、エネルギーの意味を知ることが出来るはずである。

(c2)というのは(光)×(光)である。 これは私が考えたリンゴが全部光になるというだけでは最大のエネルギーにはならないということを意味している。それはなぜなのか。

その答えはエネルギーというものの意味をもう一歩踏み込んで考えれば分かるのである。

エネルギーとはものを動かす力だ。それはたとえばリンゴをAのテーブルからBのテーブルに移す力だと考えてもいいだろう。この時AとBのテーブルが固定されていて動かなければ、この時に必要な最大のエネルギーは、リンゴの持っているエネルギー(E=mc)と言えるだろう。リンゴの素粒子が全部光になってAからBに移ればいいわけである。

しかし、Bのテーブルが移動する新幹線に乗っていると考えたら、リンゴがAからBに移るエネルギーは(E)=(mc)×(新幹線の速さ) が必要になることがわかる。新幹線に追いつかなければリンゴはAからBに移ることは出来ないのだ。そう気付くと、Bのテーブルの移動する速度は新幹線から最大は光速で移動する宇宙船まで考えられる。つまり光速で移動しているBのテーブルにリンゴをAからBに移動させるエネルギーということになる。

(E)=(mc)×(光速)これが E=mc2 の意味していることなである。つまりこの世に存在するエネルギーの最大の形は E=mc2 だと、納得できるのだ。

結局エネルギーというのは、自分の持っている力だけでは意味をなさないということであろう。エネルギーとは、そのエネルギー自体と、エネルギーの現れる場があって、この相互作用が(エネルギー)だということなのだ。

30度の湯船に、30度の湯を入れても湯船に浸かっている私には何の変化もない。これは30度のエネルギーを追加しても、その湯船自体が30度であるためにそこではエネルギー0と同じということなのだ。

このことはとても大切なことを教えてくれる。つまりものごとはすべて二つの要素から成り立っているということである。宇宙にエネルギーがあるということは、二つの要素が存在しているということを物語っているのだ。Aがあれば、必ずAの背景がある。これは物質と空間の関係と同じだ。物質と空間は切り離せないのである。

つまりこの世にAだけの存在はありえないということなのだ。があれば非Aがある。したがってエネルギーは常にA×非Aで現される。(E=mc2)はそのことを私達に気付かせてくれるのである。

 

(2)宇宙の成り立ち(物質)

E=mc2

この数式からエネルギーに対する新たな学びを得た。まさにこれはアインシュタインが示してくれた、「宇宙とは何か」というメッセージなのだ。それを理解するのは、数学や物理学だけではない。(E=mc2)から(学問)に進まなくても、そこから真実に向かう道(観照)を選べばいいと考えたのだ。そうすれば凡人にも宇宙が理解できると思えるのである。己の中にある体験を純粋な目で見て感じること。知らないうちに刷り込まれてしまった思い(常識)から、自分を解放することで見えてくる理解こそが大切なのである。生まれたままの新鮮な輝きを取り戻す。するとそこで観て感じたものが宇宙そのものなのである。 E=mc2 とは自分のことなのだ。

 

さて E=mc2 、ここから見えてくる重要なメッセージは「c2」だった。

最大のエネルギーとは、(自分をつくっている光)と(自分を取り巻いている光)の相乗から生まれている。エネルギーを宇宙の本質だと考えれば、結局宇宙は二つの要素から成り立っていると言うのである。ではその二つとは何なのか。

「裏」と「表」。 「物質」と「空間」。 「自我」と「他我」・・。 様々な二つ。

この二つは、常に世界を二分しているのであり、その根本に E=mc2 がある。 そしてさらに重要なことは、この二つは、相反するように見えながら、あるいは対立関係にあるように見えながら、実際は一つのもの、「E」であるというのがエネルギーの公式だと言えるのだ。この二つの存在がエネルギーの正体であることは明らかである。一なる存在があるという事は、必ずその存在を包む空間があると言う事だ。言いかえればその二つを掛け合わせると、常に一つの答え=E となるのである。

ところで、世界をスケールの概念で見ると、こんなふうに見える。

私の身体。→この身を支えてくれている地球。→その地球にエネルギーを与え続けている太陽。→太陽を中心に天体が公転する太陽系。→太陽系が無数に集まった銀河系。→その銀河系が無数に輝いている満天の星空。

スケールを拡大していくと見えてくる物質の世界なのである。

一方スケールを縮小していくと、私の身体は、←組織の集まりであり、←組織は細胞の集まったものである。←その細胞は原子が集まったもの。←その原子は素粒子が集まったものだと現代の科学は教えてくれている。

これがスケールで見た宇宙の姿であるが、この素粒子の世界から満天の星空に至る物質のスケールの連鎖は、空間の中で同時に存在している。つまりこの現実を支えている二つのものとは「物質」と「空間」だと分かるのである。

もっと言えば、どこまで行っても空間があって、その空間の中に物質がスケールに応じた形で存在しているというのが私達の宇宙だと考えられるのである。

アインシュタインのこの式をもう一度見てみよう。

① E=mc2  ② E/c2=m

①の式の両辺を(c2)で除算すると②の式になる。するとこの式は「m」とは何かということを示している。

E/c2=m 「m」とは物質のことである。そう考えるとこの式は、物質は「エネルギー」を「光」で除算したものだという表明なのだ。もっと言えば、物質は空間から出来ているということになるだろう。

もう少し具体的に考えてみよう。

E/c2=m を凡人の言葉に変えると次のようになる。

エネルギー状態にあるもの(E)を、光の相乗(c2)で除算すると物質の本質が現れる。

すると、そこに現れてくる本質とは何なのだろうか。それを知るために簡単にイメージできるエネルギー状態を探してみると、ベーゴマを思い出す。ズバリそれは回転だと思えるのだ。ベーゴマは回転することでエネルギーを保存している。まさにエネルギー状態だと言えるのだ。

考えてみればこの世の中はすべて回転している。月は地球を回り、地球と共に太陽を回っている。月の運動はそれゆえ螺旋をえがいて進んでいると言える。

さらにひろげて考えてみると、回転する素粒子がある。原子核のまわりを電子が回転しているし、地球は自転しながら太陽の周りを回転している。みなベーゴマと同じ、回転して安定しているのである。

すると「エネルギー状態が何故回転なのか」という疑問が出てくる。そしてその疑問はベーゴマが教えてくれるのである。

最も強い力を与えられたベーゴマは動かないで自立している。弱いベーゴマが近づいたらそれらをことごとく跳ね飛ばしてしまう。つまり何故回転するのかではなく、回転こそがエネルギー状態だからなのである。回転の弱いものは弾き飛ばされて土俵に残れないだけなのだ。エネルギー状態が解消すると回転をやめてベーゴマは倒れる。

そういうことで E/c2=m の数式に戻ると、この回転するエネルギー状態(E)を最大のエネルギー(c2)で除算すると何が現れてくるのだろうか。すなわちそれは、回転軸そのものなのである。

もちろんそんな軸棒がある訳ではない。それは回転の本質。つまり動かない定点のことである。空間の中でベーゴマが立っている不動のその部分。これこそが物質(m)の本質なのである。私はこの回転軸を重力だと考える。

すなわち、物質とは空間の中で一つの定まった位置を持つ。それは同時に空間の中に生まれた重力そのものだと考えることが出来るのだ。回転が不思議なのではなく、回転するエネルギーだからこそ、空間の中で力が散逸せずにかたまり、重力が生まれる。これが E/c2=m の表している意味だと思われるのである。物質とは重力なのだ。

重力と回転はセットでありにわかにどちらが先と言えないが、それは同時に位置が出来て必然的にエネルギーが保存される。それが物質の原点なのだ。つまり物質とは空間の中に重力を与えられたエネルギーだということになるだろう。これが、物質は空間から出来ているという意味なのである。

空間の中に重力の位置を占めるもの、これが物質として存在しているということなのである。

 

(3)宇宙の成り立ち(空間) 

空間とは何か、常識的に言えば物質と物質の間にある隙間。人間にとって必要な空気がある広がり、雲の浮かぶ空。その空には星の世界が隔たりなく続いていて、星と星の間には物質の存在しない無重力の空間が広がっている。

単純化して考えれば、世界は空間の中に物質が浮かんでいると言える。

地上の空間は、宇宙に広がる空間とは違うものだという区別が私達の常識にはある。しかし空気のあるこの地上も、よく考えれば宇宙と同じ空間に酸素や窒素と言った原子が浮かんでいるだけであって、それが宇宙空間に拡散しないのは地球の重力に引き寄せられているからに他ならない。丸い地球の上に私達が立っているのも重力に引きつけられているからである。つまり地球の重力がなければ、この身体も空間に浮かんでいる。宇宙遊泳はそれを現実に目で実感させてくれたのだ。

もっとスケールの小さな世界へ目を転じてみると、空間の面白さが分かってくる。

自分の肉体は贅肉が詰まっていて空間はない。こう私の常識は声を上げる。けれどもそれは大きな間違いなのである。原子のスケールでこの身を観察すると、呼吸して体内に入った酸素原子は、身体という広大な原子の集団の中に引き寄せられ、炭素原子と結合すると再び体外に放出される。この原子集団の間に空間がなかったら、呼吸すら出来ないだろう。私が生きているのは、銀河のような原子集団が体内空間に浮かんでいるからに他ならない。

空間には、無数の素粒子が回転してエネルギーを保存している。これが原子の正体であり、空間はこれを存在させる母体なのである。私達の身体が原子でできているということは、こんな風景が体内に広がっているということである。

ところで物質の最小単位である素粒子。それを浮かべる体内空間は体外の空間と境目なくつながっている。どんな小さな物質でも、どんなに大きな物質でも空間に包まれていない物質は存在しない。空間は無限のスケールを支える器でもあるのだ。

素粒子の浮かぶ空間を想像するとよく分かるのだが、素粒子同士が集まって原子をつくり、分子が生まれ、次々と段階的に大きな構造物をつくっていく。この想像の中に途切れる空間はどこにもない。一つの空間の中でスケールの世界は重層的に存在しているのである。

すでに見た数式の変形であるが、① E=mc2   ② E/c2=m 

このE/c2=m の式から見えてきたものが、物質とは空間の中に生まれたエネルギーの回転軸(重力)だということであった。物質とは、重力によって空間の中に定まった位置(場所)を占めるものだったのである。

物質とは空間に対して「一つのかたまり」として理解できるのであるが、その本質は空間の中で定位置を得た回転エネルギーだと考えると。その物質のまわりにある空間は何かということが自然に見えてくるだろう。つまりそれは物質の重力に取り込まれないで存在しているエネルギーの海だということである。

つまり空間とは、何も存在しない場所ではないということだ。もし空間が何もないところだとしたら、エネルギーは生まれないだろう。E=mc2 が成り立たないからである。E=mc2 が成り立つためには空間は(c)でなければならない。つまり空間とは光のことなのである。

もし何もない無の場所に物質があったとしたら、この時のエネルギーはE=mcであろう。皮肉にも私が当初に考えたエネルギーの形がここにあったのである。

エネルギーの生まれる場がないということは、それぞれの物質はこの無に阻まれて完全に孤立してしまうのである。そこでは互いの交渉はあり得ない。素粒子は互いに関係を持って引きあうこともなく、反発して力を放出することもなく、サラサラとこの身体は砂のように崩れてしまうだろう。

幸いなことに、宇宙はそんな無の空間ではない。アインシュタインが示すように、空間はエネルギーの現れる場として存在しているということなのである。

私達の目にする宇宙空間は、「c」で満たされた空間であって、それは物質を受け入れる場として存在し続けているということなのである。これを E=mc2 の数式からもう一度確かめてみよう。

物質とはこの数式にある「m」である。

「m」の持つ力がエネルギーとして現れるのは、公式で見るように、「c2」を掛け合わせたときであった。

「c2」とは二つの「c」を掛け合わせたものである。一つは物質の中にある「c」であり、もう一つはこの物質を浮かべている場、つまり空間「c」なのである。つまり、空間とは無ではなく光である。E=mc2 はそう言っているのだ。

空間とは光「c」である。それが物質を存在させる場であり、この宇宙はこの物質と空間が造り出すエネルギーで満たされているのである。

それではもう一歩踏み込んで考えてみよう。

物質の本質は回転軸(重力)であった。エネルギーがベーゴマのように一点で動かず、強い力で回転している。これが物質の本質であった。それはまるで台風と同じである。台風を観照してみるとよく分かるのであるが、私達はここで物質の内と外の様子を具体的に体験しているのである。(大きなくくりで言えば台風も物質のようなものだ)

台風のエネルギー関係はその内側が強く、外側は弱いという構造になっている。嵐の前の静けさが、暴風域に入った途端、凄まじいエネルギーを体感することが出来る。

しかしかしそれだけ 強大なエネルギーを持っている台風でも、その中心は穏やかな嵐の前の空間が存在するのだ。台風の目である。

興味深いことに回転するエネルギーの中心には、物質とは空間であるという隠せない証拠を持ち続けているのである。

話が少しそれたが、言いたかったことは、物質と空間のこの不可分のエネルギー関係なのである。物質は回転軸を得ることで強い力を内側に持つ。この力は、その外にある空間とは比較にならない強大なものである。まさにこのことが、物質が空間に浮かんでいる原因となっているのである。

物質が空間に浮かぶのは、物質の全方位に弱い力の空間が広がっているからにほかならない。物質はこの力関係のために上にも下にも、どこにも行きようがないのだ。この力の不思議を前にして思いはさらに膨らむ。

空間の持つ最も特徴的な、物を浮かべるという特性が、物質の作りだすスケールの世界を丸ごと受け入れて存在させているのである。それはすべての物質をはぐくむ揺りかごのようなものである。

この宇宙を最も簡素に言い表せば、空間と物質の世界である。この二つの関わりはエネルギーであって、この力関係によって森羅万象の世界を造り上げる。人間もまたその蚊帳の中にいるのである。

E=mc2 から空間は光だと言える。たとえばこの式を「c」の項にそろえてみると、

 ③E/m=c2    ④E/ mc=c ということになるだろう。

「mc」が物質の持つエネルギーだとするなら「c」は光エネルギーである。

④の式から、物質は光に還元できることがわかる。左辺が物質の項だとすれば右辺は空間となる。つまり光は空間なのである。すると物質「mc」にも光が存在する訳であるから、光「c」は空間と物質を完全に結び付けていると言っていいであろう。

ところで空間は光であるというのは、空間は波であるということと同じである。そしてこのことはもう一つの空間の不思議を解き明かしてくれるのである。

物質はスケールの場で様々な姿を見せてくれる。素粒子、太陽、銀河、様々なスケールに姿を現す物質は、切れ目のないただ一つの空間の中に存在している。しかもこの極大から極小に及ぶ物質を同時に存在させる空間の秘密とは何なのか。その答えは空間が光であるという結論から見いだせるのだ。

このことを、エネルギーについての考えを進める中で見ていくことにしよう。

 

(4)エネルギーと宇宙

E=mc2 、アインシュタインが導き出した最も優れた宇宙に対する答えであるが、あらためてこれを凡人の宇宙論に当てはめて考えてみたいのだ。

もしこの宇宙の総量が考えられるとするなら、(E)には言うまでもなくその数値があてはまる。E=宇宙の総エネルギーという訳である。すると、(mc2)の項は、宇宙に存在する物質の総エネルギー (mc)×空間(c)ということになる。ここは重要なので整理しておくと、宇宙の総量E=物質の総エネルギー(mc)×空間(c)と言い表すことが出来るという事である。

宇宙を語るとき、この総量Eは常に一定なのである。これは最も重要な私達の指標になるだろう。総量Eの異なる宇宙論が現れたら、それは当面私達には関連の無い宇宙か、論理の誤りだと言えるからである。

その意味で、スケールの概念で見る五次元宇宙が、どんなEの値を持つのか検証しておくこと事は避けて通ることのできない問題なのである。

ところでこれまで、宇宙をいくつかの次元で見てきた。しかしそれは同じ宇宙に対して方向の違う眺め方をしているだけであって、見ようとしている宇宙は全く同じものなのである。つまり、三次元宇宙であれ、四次元宇宙であれ、あるいは五次元宇宙であれ、そこから見える宇宙の総量Eは、当然ながらどれも同じでなければならない。

  世界はエネルギーそのものだと考えてもいい。この世界は総量Eで表されるエネルギーに満たされた世界なのである。それは見方に関係なく常に同じ総量Eを持つはずである。

四次元宇宙の総量Eは、三次元の総量Eに対して時間の概念を適用しただけである。時間は物質の変化を見ているだけであるから、当然ながら総量Eの数値は変わらない。よって三次元宇宙の総量E=四次元宇宙の総量Eは正しく成り立っている。

では、五次元宇宙の総量Eはどうなるのだろうか。

五次元はスケールの概念で世界を見た宇宙である。スケールの概念は物質の成り立ちと深くかかわっている。スケールの場では物質の総エネルギー(mc)の量は変動しているのである。空間の中で物質は生まれたり消えたりする可能性があるためだ。それだけをとってみれば、五次元宇宙の総量Eは異なる数値をとってしまうかもしれない。そしてもしそうなら、五次元宇宙の考え方にはなんら価値がないことになるだろう。無意味な宇宙論となってしまうのである。

すでに見てきたように、物質は空間から生まれたものだと考えてきた。エネルギーが回転して重力を持つことで空間の中に不動の位置を持つ。それが物質の本質だと考えたのである。

すると物質の量は宇宙の中で変動していることになる。つまり物質の総エネルギー(mc)は一定ではないことになり、総量Eもまたそれに合わせて変わってしまうのではないかという疑問が出てくるのだ。

しかしこれは、物質が生まれる過程をみれば納得できるだろう。宇宙の中で物質の総エネルギー(mc)は確かに変動するが、それは物質と空間の間でのエネルギー移動があっただけであるから、結果総量Eに変化がある訳ではない。物質が増えればその同じ量のエネルギーが空間から消えて重力に変っているということなのであって収支はあっているのである。

ではスケールの概念で見えてくる物質の世界はどうだろう。それでも総量Eは等しいと言えるだろうか。

スケールの世界では、たとえば素粒子の世界、原子の世界、細胞の世界、ヒトと地球の世界というように、様々な物質の姿がスケールの各場に現れる。極小から極大に向かうスケールの軸に物質の形態が無限に並んでいるのだ。これは空間の中に存在する物質をスケールの概念で重層的に見た世界観なのである。そうすると、五次元宇宙では物質の総量(mc)が無限に巨大化することにならないかという疑問が出てくるのだ。

(素粒子の世界)+(原子の世界)+(組織の世界)+(地球と人の世界)というようにスケールの場に現れる(mc)を次々加算していけば(mc)の数値は爆発的に増えていく。これでは誤った宇宙観と言わねばならないだろう。

しかしありがたいことにそう言うことにはならない。スケールの概念は、宇宙を様々なスケールで見る思考方法であって、そこで見えてくる世界はすべて同時に存在しているものなのだ。

つまり素粒子を見ているスケールの世界には当然地球の(mc)も含まれている。ただこの時の地球は、素粒子の集まった集団(銀河)に見えているという事なのである。

あるいは地球と人が存在しているスケールの場では、素粒子の(mc)は目に見えるすべての物質の中に潜んでいるのだ。素粒子は一つのかたまりとして認識され、目の前の花や川や自分自身の姿に見えているのである。

つまり五次元宇宙の総量Eは、どこでも構わないが、ある一つのスケールの場で計算した総量Eと同じなのである。どのスケールの場でも構わないというのは、その場から見てスケールの小さな世界の物質は、その場の物質の中に取り込まれて存在しているし、その場から見て大きなスケールの世界にある物質は、ただの宇宙空間として視野に現れるからである。

つまり五次元は総量Eの宇宙を、様々なスケールの目で眺めた世界であって、どのスケールの世界も、ただ見え方が違うだけでそれは同じ総量Eの宇宙なのである。

つまり、五次元の総量E=四次元の総量E=三次元の総量E ということであり、五次元宇宙もまた、この世界を認識するための宇宙論としてE=mc2 が正しく成立している。と言えるのである。

さらにもう一つの疑問がある。それはE=mc2 から直接導かれるエネルギーの問題なのである。

E=mc2 とは、(E=mc×c)(エネルギー=物質エネルギー×空間)である。

この時、宇宙の総量(E)は一定である。つまりE=mc2 が常に成り立つためには物質エネルギー(mc)と空間(c)は反比例していなければならないという事になるのである。(mc)が大きくなると、(c)は逆に小さくならなければ(E)は一定にならないのだ。

(E)を1とすると、1=mc2 (mc2を分解すると)1=mc×c という式になる。これは物質のエネルギーと空間が反比例の関係になっていることを意味する。これはちょっと困ったことにならないか。

考えてみればスケールの世界に反比例は無い。スケールの場というのは、すべてがその場のスケールで成立しているのが前提である。すべてはスケールの影響を受けるのだ。大きいスケールの世界ではすべてが同じ大きさのスケールでなくてはならない。小さなスケールの世界も同等である。スケールの概念を破綻させるようなこの反比例はどこから出てくるのか。どうしてもこれを見て置かなければならないのである。

実はこれが矛盾ではないことを説明できるものが空間には存在するのだ。それが波なのである。

空間とは(c)、つまり光である。実際空間には無数の電磁波があって。それは同時に存在する。いくつものテレビ放送を同時に楽しめるのはこのためである。

ところで光は電磁波と同じ仲間で、波長によって強さを現すことが出来ると言われる。

波長とは波の長さであるから、当然物質と同様にスケールの影響を受けるのだ。このことが空間と物質の関係を解き明かしてくれるのである。

つまり空間を光の波長としてみるならば、波長と物質は一体となってスケールの影響を受ける。空間は波長という光の属性をもって物質と完全につながっていたのである。つまり波長が存在することによって空間と物質は一体となり、スケールの影響を受けると言えるのである。

ゆえに空間は物質と共にあって、物質と同じスケールの波を場にしているという事なのだ。空間と物質は別々に存在しているのではない。物質とそれを取り巻く空間(波)は必然的共存関係を築いている。すなわち(物質と波長)は一体であり、それがスケールの影響を受けて極大~極小の世界を見せてくれるのである。この物質と一体になった波長の電磁波のことを可視光線だと考えればこの理解はより深くなるだろう。

ところで、波長と力の関係は反比例が成り立つ。波長が長くなれば力が弱くなり、波長の短いものは逆に強い力を持つ。つまりここにからくりがあったのである。

先に見た(E)が一定なら(mc)と(c)は反比例しなければならないという問題は、(c)を力と見た結果であって、仮に(c)を波長と見れば(mc)と(c)は逆に正比例することになり、問題は解決する。つまり物質と空間はともに同じスケールの影響を受けていると考えればよかったのである。

ここにきて初めて分かることだが、空間はスケールの影響を受けない存在だと考えてきたことは間違いだったのだ。

空間においても、その場のスケールの影響を受けているのである。それは目に見えないが、空間の本質である光の波長がスケールの場に対応して物質とつながっているということなのだ。

物質と空間は同じようにスケールの影響を受ける。それが結果的にE=mc2 を成り立たせていたわけなのである

こうしてみてくると、空間は、物質に対してすべてを受け入れている器のようなもので、その中に満たされているエネルギーは波長によって極大~極小の世界を自由に作りだすことが出来ると考えられるのである。

様々なスケールの波が回転エネルギーとなって物質になると、必然的にその同じスケールの波長が物質の背景(場)になっているということなのであろう。

この重層的に存在するスケールの物質はほとんど私達には見えない。それはスケールが可視光線の範囲を超えているからだろう。あるいは人間のスケールから、より大きなスケールの世界を見れば、それは宇宙空間にしか見えないし、スケールの小さな世界に目を向けると、それは自らの身体に隠されてしまうためである。

けれどもE=mc2 は空間と物質の仕組みを教えてくれるのである。それは目に見えないその先の世界をどこまでも指し示している。世界とは何かということが見え、正しい宇宙の姿を私達の意識の中に浮かび上がらせてくれるのである。それを可能にするのが空間に対する波としての理解であり、その波が空間の中で重層的に存在することをイメージさせてくれるスケールの概念なのである。

冒頭に書いたスケールの概念とは、空間を認識するためのものであり、五次元の世界観はこの空間の本質を踏まえた思考なのである。

ところでまったく論外のことであるが、空想の乗り物のことを紹介してみたい。それはタイムマシンならぬ、スケールマシンのことである。スケールマシンは空間の周波数に同調して大きさを変えることの出来る夢の乗り物である。行きたいスケールの波長を指定してやるだけで、スケールマシンは素粒子の見える世界や神ヒト(太陽系を原子にして身体を造っているヒト)に会いに行けるのである。細胞のスケールになって人体を探査し、がん細胞を撃退して帰ってくる。(映画ミクロの決死圏)もスケールマシンなのだ。

タイムマシンは四次元の世界を旅する空想の乗り物であり、時間の中を自由に移動する。

対してスケールマシンは五次元の乗り物であり、空間の波長を操ってスケール旅行を可能にするのである。

どちらも実現できない乗り物ではあるが、見えない世界を体験させてくれる空想の乗り物なのである。それだけでも人の心は豊かになる夢のマシンといえよう。このマシンを空想する力が、新たな次元を収得する能力になると思えるのである。

6

(5)宇宙の力  

空間は光「c」である。光というのは電磁波の一種であるから、言いかえると空間とは電磁波で満たされている広がりだということが出来る。この空間は宇宙全体に広がっており、そのふところに物質を生み出す場をつくっているのであった。

宇宙の総エネルギーは{ 総エネルギー「E」=総物質「mc」×空間「c」 }という式で表される。

この宇宙に現れる力は、すべてを合わせてこの宇宙の総エネルギー「E」に支配されているだろう。それを越える力はありえないのである。

今、科学ではこの力が四つの形(重力、電磁気力、強い力、弱い力)で存在すると言われている。この四つの力を総合的に理解する統一理論の研究が進んでいるというのである。

これはとても興味深い問題である。学術理論が理解できない凡人でも、それは大いに興味があるのだ。なぜなら、宇宙の力を一つの原理で説明出来たら、それは完全な宇宙の理解につながるからである。まさにE=mc2 の公式が示すEの根本を知ることになるのである。

その科学理論を読み解けないのは残念だが、それなら凡人は凡人の言葉で統一理論を実感してみようと思う。

四つの力とは(①重力、②電磁気力、③強い力、④弱い力)であるが、このうち、重力と電磁気力は、空間と物質の関係から簡単に説明できる。③④は原子の世界にかぎった力だと言われるが、物質の成り立ちを考えればそのイメージが見えてくるのである。次にそのことを見ていくことにしよう。

① 重力 :これは物質が生まれる経緯から見えてくる、物質を一つにまとめていく力だと言える。 エネルギーが回転運動によって空間に位置を持つようになる。これが物質だと考えてきた。重力はこの物質が生まれる際に現れる空間の力だと考えられる。空間に位置を得るという事は、空間に一点が定まることでありそれは重力そのものなのだ。おそらく重力は、空間エネルギーの回転運動によって「c」自らが重力に姿を変えたものと考えられる。(物質の回転軸=重力)という事である。物質とは空間に重力という定点を得てその引力によって回転運動を続ける存在だということが出来る。あるいはブラックホールのようにエネルギーの流れが空間に渦巻を生み出すと、エネルギーが無限ループするかたまりとなり、渦の中心に向おうとする力が生まれる。回転軸が空間に位置(場)をつくる。重力が生まれるのだ。

話はそれるが、私達の見ているブラックホールは、私達よりさらに大きなスケールの場から見れば素粒子の姿に見えている。スケールの違う巨大素粒子は私達のスケールではブラックホールに見えているという事だ。これが五次元の世界認識なのである。

② 電磁気力 :電磁気力の特徴は、正と負の電荷が現れる力のことで、同じ力は反発しあい、異種どうしは互いに引きあう。

 これは空間のエネルギーそのものの力、つまり波を思い浮かべれば充分であろう。波はエネルギーゼロの地平線から山をつくり頂点に達したら降下してゼロ地点を通って谷をつくる。この時山がプラス電荷を帯びたエネルギーだとすると、谷はマイナス電荷のエネルギーという事になる。異種の電荷が出逢うと、山と谷の波が完成する。これが互いに引き合うと力となるのであり、同じ電荷同士なら、波は完成しないため反発し合うと考えることが出来るだろう。この重力と電磁気力は宇宙の全域に存在する力だといわれるが、それはどちらも空間の「c」が母体であるからであろう。重力は「c」が姿を変えたものであり、電磁波は波「c」の性質そのものという事である。これに対して「強い力」と「弱い力」というのは、原子の成り立ちに関する力で、原子のスケールの場だけに働いている力だと言われる。しかしここでも空間の力が働いているのである。

③ 「強い力」:これは原子核の力のことであり、4つの中で最も強い力と言われている。

原子核は陽子や中性子が集まったもので、「強い力」はこれらの粒子を結び付けている力のことである。大事なことはその粒子間にも空間があるという事である。すでに見たように、空間は様々な波長を生み出す力を持っている。そしてこの波長と力の関係は反比例していた。つまり波長が短ければそれだけ力は強くなるのだ。

「強い力」は、目に見えない原子核の中にあるさらに小さな粒子同士が引き合っている力のことである。この時、核の中の粒子間は限りなく0に近い空間となっているだろう。するとそこに生まれるエネルギー波は限りなく0に近い波長を持っていることになる。当然その力は強大な力になるだろう。つまり「強い力」は空間の力そのものと言っていいのである。

④ 「弱い力」:これは原子が自然に粒子を放出して崩壊する時に見られる力だそうである。目に見えず凡人には全く理解できない力の一つであるが。その意味する力の関係は観照することができる。

重力は物質を生み出すための空間の力であった。これに対して「弱い力」は、次のように考えられる。ベーゴマのことだが、勢いのある回転もやがては力を失う。これと同じような現象が原子レベルでも起こるのではないかという事なのだ。物質の回転軸が衰えると、重力が弱くなる。すると回転する粒子の遠心力を引きつけられずに手ばなすのではないか。

つまり重力にとらえられて回転運動していた粒子が自らの遠心力で抜け出していくと考えられるのである。これは一個の物質の中で起こるエネルギー関係の変化であり、当然限定的な力であることは言うまでもない。

けれども、「弱い力」の根本は、重力による引力とそこから逃れようとする遠心力の相互作用であり、それは結局、物質間にある空間の力が作りだす様々な現象の一つに過ぎないと考えられるのである。

このように、宇宙の四つの力は、空間を認識することで統一的に見えてくる。空間とは「c」、すなわち電磁波の母体である。もし科学が宇宙の力を統一的に理解できるようになるなら、その時はおそらく、科学の目が物質から空間に進んだ時ではないだろうか。空間が科学によって解き明かされる。するとその時五次元宇宙は科学的にも認識されるのではないかと思えるのである。

 

2に続く 凡人の語る宇宙論( アインシュタイン讃歌E=mc2)2

 


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