幻想的な月夜。デジカメで撮ってみた。
画像では分からないが、月光に照らされた海面が胸元まで浮き上がってくるような錯覚を覚えた。銀色の波。左の光は関空。
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14夜の月と星が見え、同時に稲妻と雷、そして雨という天気。
何か特殊なにおいがした。
そして今朝、15夜の月が西に傾いて海を照らしている。幻想的な風景を見た。
月明かりの中、草引きをする
1ヶ月以上かかった、つる草の除草。
それがあと一息だ。
とても教えられることが多かった。
明日完了するだろう。 . . . 本文を読む
苦悩は理念思考が作り出す虚構の産物だ。
それははっきり分かるようになった。
すると、何か辛いことがあっても、そこから思考が連鎖して次々と苦悩を深めていくことはなくなった。その頃から考えると格段に成長したと確信する。
苦悩がやってくると、これはは虚構で、自分の考え方次第でどんなものにも変るとまず思い定める。するとその苦悩の利点を考えるゆとりが出来る。その苦悩は自分にとってよい何かの理由があると . . . 本文を読む
苦悩には必ずその反対に幸せがくっついている。そこが苦痛と決定的に違うところだ。
それは理念思考が苦悩を作り出しているからに他ならない。
つまり、理念思考が、苦悩を作るとき、その裏側には必ず幸せの種が蒔かれているのだ。
まるでオセロゲームのように、苦悩は一瞬で幸せに変る可能性があるのだ。
それを少しづつ考えてみたい
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今日、泉南市山野草の会宛に、置き手書きをした。
返事が来るか、
こなければそのまま、後一週間で草を引き終えるだろう。
手間取っている間に、西の端の方が緑がかってきた。
新しい芽がはびこって来たのだろう。
エンドレスの作業だ。 . . . 本文を読む
このマーブルビーチ、泉南市か空港関連の事業体か、あるいは国の管理か知らないが、高い大理石の石ころを敷き詰めた時点で、山野ではなくなった。どこの管理下にあっても、間違いなく我々の税金が投入された公共の場であり、マーブルビーチの白い景観を提供するために作られたものだ。
誰でも自分の家に雑草が生えたら、除草する。
このマーブルビーチは自分の庭ではないので誰も草を引かない。
その結果 . . . 本文を読む
手こずっているこの草の群生、ひとつ一つ石を取り除き、根を掘り出していくしかない。ふと自分が三途の川にいるような錯覚を覚えることがある。ほぼ一月かけて、その大半を終えた。あと一息、多分一週間もあれば終えるだろう。
泉南山野草の会という存在を私は知らないが、その心はなんとなく分かる気がする。自然を愛する人々だろう。きっと私もその心に賛同できると思う。
展望を持って話し合えばきっと分 . . . 本文を読む
3時に起床して濱に向う。蛸つりの竿から、時折光虫のように弧を描いて海に飛んでいくのが見える。闇の中でその光だけが見えている。最初ドキッとしたがもう慣れた。
草引きの、昨日に続く場所に行くと、石の上に白い紙の置かれているのが見える。白い石のおかげでぼんやり書かれている文字が見える。
「花をとらないでください。泉南山野草の会」
私はがっかりした。私の手紙は読んで貰えなかったのだ . . . 本文を読む
早朝の草引き、心を決めて5ヶ月目に入っている。途中、サンタフェのアートフェア見学に渡米した期間を除いて毎日続けてきた。嵐の中ずぶぬれになりながら草を引いたこともあった。総じてそれは私の心の糧となっているように思う。
二週間ほど前に、花を抜かないでください。という置手紙があって、その横に私の返信を置いた。それが風雨にさらされたままだ。
今取り掛かっている草の群生は根が絨毯のように張っているため、 . . . 本文を読む