スペイン母子家庭生活奮闘記☆毎日ドキドキ@マドリッド

夫の仕事でマドリッドにお引越ししたものの、諸事情によりスペイン内別居生活。
母は毎日がんばるよ!

マテ貝まって~。

2007年06月27日 | おいしいコト

マテ貝はナバッハス(navajas)という。

図鑑で見たことはあったけれど、日本では一度も食べたことはなかった。
昔、バルセロナに住んでいた時に初めて食べて以来、そのおいしさにやみつきになっている。

バルのカウンターにナバッハスがあると、うれしくなってつい注文してしまうが、結構な高級品である。
先日の一皿は、10本くらいで18ユーロだった。
それを子供たちと奪いあって食べる。
あっという間、だ。

調理法はだいたいどこも同じで、オリーブオイルとニンニクで蒸し焼きにして塩で味つける、といった感じである。
仕上げにパセリのみじん切りを振って、レモンを添える。
うま~い!

スーパーでも20本くらいを輪ゴムでパッチンと束ねて売られている。
それを買って家で調理してみようかと、時々魚売り場をうろうろしてしまうが、結局毎回やめる。
外見がグロだから。

もともと貝類は、食べるのは得意だが扱いは苦手だ。
固い殻からやわらかい中身がチロチロッと出ている状態が許せない。
気持ち悪くて。
あさりはどうにか調理できる。
それでもあの水管がニュル~と出ているのを見ると鳥肌が立つ。
そこに手をつっこんでガシャガシャと洗わねばならないのだが、さわるのがいやでいつも決死の覚悟だ。
たまに水管を出したまま貝の口を閉じて、はさんでしまっているニブイあさりがいて、ものすごく腹が立つ。
あんたバカじゃないの!?と思う。

あさりでさえそうなのに、長いマテ貝がもうベロンベロンに殻からはみ出している姿を見ると、このうえなくブルーな気分になる。
買い物袋に入れるのもいやだし、一緒の車に乗るのもいやだ。

そんなわけで、ナバッハスは当面外食でだけのお楽しみなのだ。
誰か、やつらを調理してください。






上海雑技フラメンコ!?

2007年06月25日 | 子供たちのスペイン

娘のフラメンコ教室では、毎年6月に発表会がある。
スペインでは一般的に9月か10月に新学期が始まり、6月はいわゆる年度末なので、1年の締めくくりとして学んだことの成果を発表するのだ。

発表会に向けて練習は着々と進んでいたが、娘はイマイチ踊りの全容が理解できていないようだった。
まず言葉がわからないのだからちょっと気の毒な状況ではあるし、初めて習うフラメンコに戸惑いも多いのは無理もないことだと思う。
けれどそれよりなにより、これは私の偏見と推測だけれど、スペイン人のコトの進め方というのが結構アバウトでいきあたりばったりだってことも大きいんじゃないだろうか。
通し稽古を何度も重ねて仕上げていくのではなく、まるでパッチワークのようにつぎはぎなパーツを、最後にちゃちゃっとつなげてまとめる。
娘は発表会前夜もまだクエスチョンマークを頭にくっつけていた。
聞けば、1番から4番まであるセビジャーナスの1番しか習ってないのに、2番までステージの前面で踊るように言われているらしい。
そんな無茶な。



本番の日。
娘も緊張していただろうけれど、私もとっても緊張していた。
衣装は先生のエバが調達してきてくれたものをつける。
髪はすべてアップにし、後ろでおだんごを作る。
かんざしと花を飾り、ちょっとお化粧もしてみる。
いや~。
娘には申し訳ないが、彫りの浅いのっぺりした顔はなんだかフラメンコにはミスマッチだ。
舞台衣装をまとった彼女は、どう見ても上海雑技団で人間タワーの一番てっぺんの、皿をくるくる回す女の子だった。
それともシンクロナイズド・スイミング、中国ジュニア部門!?
・・・言うのはよそう。
彼女の二次元的な顔は明らかに遺伝だ。



ドキドキして見守る私たちの前で、幕は開き、娘は3曲を踊った。
思ったよりちゃんと仕上がっていたのには本当に感心した。
普段親はレッスンを見学することができないので、時々教室の窓からのぞいたり盗撮したりしていたのだが、初めはフラメンコのフの字も知らず、まるでラジオ体操みたいだった彼女の踊りが、9ヶ月でなんとかそれらしくなっていてビックリした。
先生の辛抱強い指導には感謝、感謝だ。

最後にもう一度出演者全員で打ち上げのセビジャーナスを踊った。
貫禄のおばさんたちの谷間で上海雑技団の子供たち、頑張っていた。


スペイン語のその後

2007年06月25日 | 毎日がんばってま~す!

去年の10月からスペイン語学校に通い始め、ずいぶんな時が過ぎた。
宿題がたんまり出るし、先生やクラスメートの言うことはさっぱりわからないし、ほとんどノイローゼになりながらもよくがんばったと自分でも思う。

以前は、とにかく自分の持てるすべての語彙を駆使してとりあえず言いたいことを伝えることはできたが、その返答が理解できず会話不成立、という情けない事態だった。
最近は単語力が増え、耳が慣れてきたせいか、相手の言っていることがだんだんわかるようになってきた気がする。
その代わり、その相手と同レベルで発言したいという欲求がむくむくと涌いてきて、それができないジレンマに陥るようになってしまっている。
ま、これって成長の証よね、と勝手に納得してはいるけれど。

それでもやはり母業と学業の両立はなかなか大変で、ちょっと学業を休憩することにした。
自主退学、である。
山のような宿題と、授業の緊張感から解放されて、気持ちがすーっと楽になった。

でもこの学校でとってもいいアミーガス(amigas お友だち)ができた。
もちろん国籍は様々だ。
イタリア、フランス、ドイツ、韓国、カンボジア。
みんな歳が近く、陽気でポジティブで、不思議に話が合う。
学校をやめてしまっても、月に一度集まって食事をしたりしている。
イタリア人マダムの家でパスタをごちそうになったり、韓国料理の会によばれたり。
手巻き寿司パーティーで彼女らを招待したこともある。
もちろんレストランめぐりもしたりする。

好き勝手なスペイン語を撒き散らしながらゲラゲラ笑うおばちゃんグループは、街でさぞかし浮いているだろう。
でも他人の目を気にしてる余裕は私にはない。
そんなスペイン語会話さえ必死、必死なのである。
彼女たちと余裕の会話ができるようになる日がいつか来るのだろうか。

歩行者さまなのだ~!

2007年06月18日 | スペインを知りたい!

マドリッドに来て感心したことがある。

私たちの住むM市にはあまり、というかほとんど信号がない。
それなのに車はすごく多いし、そして結構道幅の広い道路が多い。
スペイン人はハンドルを握るととたんにせっかちになり一刻も早く目的地に着こうと躍起になるのでビュンビュンとばす。
あんなに時間にルーズで約束に遅れても全然気にしない人たちなのに、車にひとたび乗るとなんであんなに急ぐのだろう。

でも横断歩道に渡ろうとしている歩行者がいると、ちゃんと止まる。
必ず、と言ってもいいほどだ。
これにはちょっと感心してしまったのだ。

歩行者は
「ま、ト~ゼン。」
という雰囲気で悠々と渡る。
私は今でも慣れないのでどうしても止まってくれた車にペコペコして小走りに渡ってしまうのだが、スペイン人の中にはまるで嫌がらせのようにゆっくり渡る人もいて、すごい。



車がこちらに向かって走ってくるのが見えても、渡り始めてしまう人もいる。
横断歩道を渡ってさえいれば車は止まってくれるものと確信しているのだ。
かなりこわい。

だから自分が運転している時は横断歩道に細心の注意を払っている。
それでも時々ちゃんと止まれなかったりする(轢いちゃったりしないけど)。
このあいだもゆっくりゆっくり歩いていたおばちゃんが横断歩道に近づいてくるわ、と気づいてはいたのだけれど、タイミングが合わずにちょっと失礼して止まらず通り過ぎてしまったら、ものすごい形相で、そしてものすごい大声で怒鳴られた。
ひょえ~~。
ほ、歩行者さま~!

スピード運転、横断歩道で止まる、ゆっくりゆっくり歩行者を待つ、そしてまたスピード。
このメリハリ。
やっぱりまだ慣れない。


チョリソでハッピー

2007年06月08日 | おいしいコト

最近我が家の冷蔵庫にはチョリソ(chorizo)が欠かせない。
ほら、サラミみたいなスペインのソーセージ。
日本でも今はスーパーなんかで売っているのかしら。
こちらのスーパーではちょっとしたコーナーがあって、様々な種類のものが売られている。

初めの頃は、あまりその調理法もわからずになんとなくチョリソコーナーも通り過ぎるだけだったが、スペイン人セニョーラにいくつかチョリソを使った料理を教えてもらってからは頻繁に使えるようになった。



まずトルティージャ(tortilla)。
チョリソを5mmくらいの厚さに輪切りにして、オリーブオイルを薄く敷いたフライパンで少し炒める。
パプリカの赤い色が豚の脂と一緒に溶け出してくる。
それを溶いた卵の中にジャジャーと全部入れて塩で調味し、焼くだけ。
卵や塩の量はお好みで。

今一番気に入っているのがソパ・デ・カスティージャ(sopa de Castilla)。
スープ用のなべにオリーブオイルを敷き、薄切りにしたチョリソとニンニクを炒める。
香りがたったら「前の日のパン(つまりひからびて硬くなったフランスパン)」を一口大にちぎって入れる。
そこに水を適当に加える。
スペインのセニョーラは、「ダシはチョリソから出るから大丈夫」と言っていたが、それではちょっとあっさりしすぎている気がしたのでチキンブイヨンを入れてみる。
塩で調味し、最後に卵を人数分落とし入れる。
卵が半熟とろ~りのところを取り分けて、ふーふー、アツアツでいただく。
受験生の夜食にピッタリ。



他にもカリフラワーやキャベツと蒸し煮にしたり、豆と炊き合わせたり。
チョリソは色々に使える。
パプリカの香りがふわっと口の中に広がって味わいが深いのだ。
子供たちも大好きだし。

でもたまに食べるのがいい。
いくら美味しくてもこの味はやっぱり農耕民族にはちょっとキツイのである。





どろどろチョコラーテ、でもおいしい。

2007年06月05日 | おいしいコト

ガイドブックにも載っている有名なチョコレートの店がある。
チョコレートといっても飲むチョコレート。
ココアともちょっと違う濃いチョコレート・・・。

メトロのオペラ(Opera)の駅からほど近い、チョコラテリア・サン・ヒネス(Chocolatería San Ginés)だ。
1894年に創業。
・・・てことはもう100年以上チョコラテリアを続けているってこと。
それはなかなかすごいことだ。
老舗、ね。

ちょっとベタかな、と思いつつも、チューロとチョコラーテを頼んでみた。
スペインでは朝食やおやつにチューロ(これディズニーランドとかにもあるし、日本でもすでにおなじみかもね)をチョコラーテにひたして食べるというのが伝統的だと方々で聞く。
やってみる。





チューロが揚げたてで塩がきいていて、それだけでもうまい。
それをどろん、とチョコラーテにつける。
う~~~ん。
チョコラーテも思ったほど甘くなく、お汁粉みたいで結構いける。

でもちょっと許せないのが、ぬるいこと。
ぬるくてどろどろっていやじゃない?
だからリピートしちゃうほどハマれない。
でもそのお店は、オペラからソルに続く人通りの多いアレナル(Arenal)通りから一本中に入った、とっても静かな場所にある。
ちょっと落ち着いて休憩したい時にはなかなかよいかもしれない。



あーでもやっぱりチョコラーテよりビールの方が好きかも。



コウノトリって天然記念物じゃないの?

2007年06月04日 | おすすめ~な観光名所

アルカラ・デ・エナーレスに行ってきた。
マドリッドから約30km。
「ドン・キホーテ」の作者セルバンテスが生まれた町だという。
学園都市としても有名である。
高速を飛ばせば1時間もかからずに到着できるし、電車でも簡単に行ける。
この日もふと思い立って、ランチでも食べに行こうとお昼の12時を過ぎてから出かけた。



小さな町。
一番の繁華街だというマヨール通りも、日本でいうと、地方の「○○銀座通り商店街」の雰囲気。

そのマヨール通りに「セルバンテスの家」がある。
セルバンテスが外科医の息子として生まれ、幼少期を過ごした家だそうだ。
中は博物館になっており、彼が生きた時代の家具や生活用品が展示してあり、もちろん著書の展示もある。
入場は無料。
「ドン・キホーテ」の面白さが残念ながら私にはまだよくわからないけど、なかなか感じのいい博物館だった。
中庭部分が吹き抜けになっていて光が射しこんで明るい。
博物館の前で一枚。



博物館を出てその通りにあるレストランに入り、タパスをいくつかたのんで昼食に。
コースでちゃんと2皿食べるより最近はタパスを分け合ってカジュアルに食べるのが気に入っている。
それにその方がずっと安いし。
この日のランチも超満足でお値打ちだった。

ここアルカラ・デ・エナーレスは修道院や教会が多く、ツンツンと高い塔がいくつも立っている。
その尖塔の上に茶色くてモサモサしたでっかい鳥の巣がある。
尖塔という尖塔すべてに。
それだけじゃなくとんがった屋根や煙突や、とにかく高いところには必ずといっていいほどモサモサがある。
そして、その巣の中になんとコウノトリがいるのだ。
あっちにもこっちにも。






歴史的建造物よりなによりその上のコウノトリが気になって、散策のあいだずっと口をぽかんと開けて上を見ながら歩くことになった。
でも日本では絶滅の危機で天然記念物のコウノトリが、こんなにフツーにいっぱいいるじゃん、と思うとなんだか不思議。
種類が違うのかしらん。

はるか高~いところにいてさえ結構大きく見えるのだから、すぐ近くで見たらさぞかし大きいのだろう。
確かに赤ちゃんの一人や二人楽々運べそうだ。



サン・イシドロって?

2007年06月02日 | スペインを知りたい!

5月15日は祝日で子供たちの学校はお休みだった。
マドリッド市の守護聖人である、聖イシドロを祀るお祭りだ。
祝日といってもマドリッド市だけのことで、スペインの他の都市は通常通り仕事も学校もある。

何か特別な催し物でもあるかと、娘とセントロに出かけてみた。

まずは王宮前のプラサ・デ・オリエンテ(Plaza de Oriente)。
それからプラサ・マヨール(Plaza Mayor)。
あちこちで民族衣装を着た人たちがぞろぞろと歩いていた。
女性は裾にヒラヒラのフリルのついたお人形のようなワンピースに肩から様々な刺繍の施されたショールをかけ、白い頭巾をかぶり、頭のてっぺんに赤いカーネーションの花を飾っている。
男性はグレン・チェックのベストスーツにやはり赤いカーネーションを胸に飾る。

この民族衣装はチュラポ・チュラバと言って、日本で言うならば盆踊りに浴衣、といった感じらしい。
みんながみんなそんな格好をしているわけではなく、おばあちゃんのグループか、小さな子供たちが多い。
若者たちは好き勝手な格好で、でもお祭り気分だけはちゃんと味わう。
でもスペインのおばあちゃんがそんな格好をしていると、なんだかまるで魔法使いのように思えてちょっと怖いんだけど。
「千と千尋・・・」の湯ば~ばにも見える。




プラサ・マヨールにある観光案内所で何か特別な催しがあるか聞いてみた。
マドリッドのあちこちでこの日を中心に数日間様々な催しがあるらしい。
コンサート、お芝居、バレエ、花火・・・・。

「メトロ5番線のマルケス・デ・バディージョ(Marqués de Vadillo)で降りてサン・イシドロ公園に行ってみな。」
観光案内のお兄ちゃんがそう言うので行ってみた。

マドリッドは南に行けば行くほどガラが悪くなるとよく言われるが、そのサン・イシドロ公園もかなりな南。
そんなエリアには足を踏み入れたことがなくドキドキものだったが、好奇心には勝てず娘の手をぎゅっとにぎりしめてメトロを降りた。



すごい人!!
人の流れに身を任せて進む。
その公園がどこにあるかわからないけれど、この流れの果てにあるのだろう。
果たしてたどり着いたのはなんてことはないだだっ広い空き地。
そこに模擬店や移動遊園地などがしつらえられており、子供たちはキャーキャー遊び、大人たちは飲んで食べて喋る。
特になんてことのない集いだ。
でもこれがマドリレーニョには大切なイベントなんだろう。
もしかしたら時間帯によってはもっと何かあったのかもしれないけれど。



インチキミニーちゃんがいた。
いつもプラザ・マヨールのあたりで子供たちに風船を配って小金を稼いでいるんだけど、今日はこっちに出張してきたのかしら。

せっかく遠くまで来たのだし、娘が移動遊園のビニールトランポリンをやりたいというので2.5ユーロ払って入れてもらったら、ものの2分も経たないうちに交代の笛が。
まるでサギじゃんと思いつつも、まぁ祭りだし、と気をとりなおしてまたふたりで元気よくメトロに乗って帰ったのだった。