スペイン母子家庭生活奮闘記☆毎日ドキドキ@マドリッド

夫の仕事でマドリッドにお引越ししたものの、諸事情によりスペイン内別居生活。
母は毎日がんばるよ!

必殺母乳ビーム炸裂!

2008年08月29日 | おすすめ~な観光名所

夏休みの旅行で訪れたドイツのニュルンベルグで衝撃的な噴水を発見。



すごい勢いで出てる、出てる。
ピューーーッ!!
これは、ボ、母乳?!



ブリュッセルの小便小僧も今回の旅で見たが、あんなチョロチョロッと甘っちょろい弧を描いたりしていない。
まさに母乳ビーーーーム。
一直線の力強い母乳光線が2箇所の敵を攻撃する。
そして視線はまた別の敵をとらえているのだろうか。



母は強し、ということ?
日々迫りくる諸々の敵から子供を守り戦う母。
そういえば皆鎧のようなものを身に着けているように見える。



大真面目に広場に建つこの噴水の周りをキャーキャー小躍りしてくるくる回り、写真を撮りまくる私は周囲から結構浮いていた。
どうしてみんな無反応なのか。
私の人生における最もインパクト大な噴水ランキング堂々第1位に躍り出るくらいすばらしいと思ってしまったのに。



あなたはどこかで・・・?

2008年05月25日 | おすすめ~な観光名所

ピレネー山脈をはさんでスペイン北部とフランス南西部に広がるバスク地方。
独自の文化や、スペイン語とは全く別の言語を持つ。

ビルバオ(Bilbao)は、そのバスク地方の工業都市である。
19世紀から20世紀にかけて鉄鋼・造船の町として栄えたらしい。



グッゲンハイム美術館は、ビルバオ川の両岸のしっとりとした古い町並みの中に、「なんですかこれは!?」という感じでドーンと建っている。
1997年に、ソロモン・R・グッゲンハイムによるコレクションを展示する美術館としてニューヨーク、ベニス、ベルリンに次いでオープンした。
今ではビルバオのシンボルとも言える。

建物の設計をしたのはアメリカの、フランク・O・ゲーリーという有名な建築家だということだ。
金属の曲線で作ったいくつもの箱をドンドンドーンと積み上げたような奇怪な建物で、ちょっと楽しげなのだ。



建物正面入り口の前では巨大な犬が出迎えてくれる。
犬のフォルムを形作っているのは色とりどりの花々だ。
この犬と建物はなんとなくマッチしないように思えたが、ま、いいか。

ぐるりと周囲を散策してみる。
建物とビルバオ川にはさまれる形でそこに立っていたのは蜘蛛のオブジェ。
8本の足を地面にしっかりのばして、お腹にカゴに入ったタマゴをつけている。
ちょっと待てよ、あなたにはどこかで会ったことがある・・・。
・・・そう!六本木ヒルズでお会いしましたよね。
同じルイーズ・ブルジョワ作の「ママン」という母蜘蛛なのだそうだ。



今回はワンコのゆずを連れての旅だったので残念ながら美術館の中には入れなかったが、外観を見られただけで大満足だった。
それに建物に負けず劣らず中身も前衛的なものが多いらしく、友人曰く「わけが分からなかったー」ということなので、きっと私にも理解できなかったことだろうし。

でも娘はあの建物の曲線が、中に入るとどうなっているのか興味があるようだった。
いつかまた来よう、と約束した。
いつか。
グッゲンハイムさんの趣味についていける自信がついたらきっと。



地中海のバルコニーから

2008年02月10日 | おすすめ~な観光名所

タラゴナは地中海に面した美しい町だ。
バルセロナから海岸沿いに約90km南下した位置にある。

ランブラ・ノバ(Rambla Nova)という散歩道を海に向かってぶらぶらと歩くと、「地中海のバルコニー」と呼ばれる見晴台に突き当たる。
結構切り立った崖の上なので、そこから見渡せる地中海はなんとも広々として心地よい。



町のあちこちにローマ時代の遺跡が残っている。
その「バルコニー」からほど近くに円形競技場が海をバックに現れる。
1世紀に建造されたとのこと。
1世紀・・・。
まだ西暦が1桁か2桁だった頃ってこと?



この日は日曜だったからか入場が無料だった。
石の階段席に座って、2000年かぁ・・・と思ってみる。





誰それが処刑されたなど血生臭い歴史もあったというこの場所で、ピョンピョン石段を飛び、やっほ~と手を振る能天気な娘と、やれやれ疲れたゼとどっかり座り込む息子。



海岸は白砂がゆるいカーブで続く美しいビーチだった。
昔から娘は砂場の好きな子だったが、やはりがまんできず靴と靴下を脱ぎ始めた。
この日は風がおだやかだったのになぜか波は結構高く、チビの娘などさらわれてしまうのではないかとハラハラしながら波遊びを見守った。



さすがに温暖な地中海性気候の地。
2月だというのにコートなしでも十分な暖かさだった。



パンプローナのクリスマス

2007年12月30日 | おすすめ~な観光名所

年末のパンプローナに行ってきた。
夏の牛追い祭りの喧騒とはうってかわって、静かなクリスマス風景だった。
マドリッドと比べてイルミネーションは地味だが、かえって真摯な思いのようなものとか、温かさとかを感じて好ましかった。



↑これはパンプローナの市役所。
普段からなんとなくいい感じの建物だが、クリスマス用におしゃれをしてますますかわいらしくなっている。



町一番の広場、プラサ・デ・カスティージョ(Plaza de Castillo)では、恒例の市場が開かれている。
アクセサリー、お菓子、酒、植木・・・。
様々なものが売られている。

プラサの正面には大きなツリー。



パンプローナはマドリッドより随分北に位置するだけあって、この夜はマイナス6度にもなった。
足元の芝が真っ白に凍って、歩くとザリザリ音がした。

翌朝は町の立ち木がすべて樹氷のように白くなって、まるで花が咲いているかのようだった。
写真を撮り損なって残念。
凛と張りつめた冷た~い朝の空気の中で、白い白い街路樹の列はちょっと神聖な雰囲気だった。

気がつけばもう今年もあと2日!
皆様よいお年をお迎えくださいね。
そして2008年もどうぞよろしくお願いします。





アルマグロの午後

2007年12月07日 | おすすめ~な観光名所
スペインで一番美しい広場がサラマンカのマジョール広場だとすれば、いなかの広場で一番美しいのがアルマグロのマジョール広場なのだそうだ。
・・・そうかな。
上の写真がそのアルマグロのマジョール広場だ。
確かに広場を囲む木造の2階建てが一風変わっていて、窓枠が緑色なのが印象的ではある。
その木造2階建て、どんな建築家が設計してどんな大工さんが建てたのか知らないが、今にもくずれそうに窓のラインがグニャグニャ曲がっている。
ま、それも「味」と言えないこともないかも。

アルマグロはマドリッドから電車で約2時間。
ドン・キホーテの舞台となったラ・マンチャ地方の旧都である。
ここには17世紀に建てられたヨーロッパ最古の劇場があり、今も毎年7月に国際古典劇フェスティバルが開かれている。



またボリージョス(bolillos ボビンレース)がさかんな町としても知られ、マジョール広場を囲むみやげ物屋にきれいなレースの小物がたくさん売られている。
このボリージョス、実は恥ずかしながら私、マドリッドで習っている。
レースだなんてガラじゃないんだけど、なりゆきで習うことになってしまい、それなりに楽しく通っている。





レース編みはかぎ針でするのだと思っていた。
もちろんそれもありだが、ここで習ったのは全然違う。
糸を巻きつけた細長い棒をあちこち移動させて編むのだ。
説明がなかなか難しいのでこれに関してはまた後にしようと思う。
とにかく繊細なレースの作品がお店にたくさん並んでいるので見ているだけで楽しいし、次に何を習おうかと励みにもなったりする。



しかしどこの町に行っても、マジョール広場というのは市民の大切な場所なのだと温かい気持ちになる。
老若男女がいつのまにか集い、ひと時を共にすごし、そしてまたそれぞれの家へ帰ってゆく。
たぶん昔々から毎日毎日それの繰り返し。
そしていつしか悠久の時が流れ、私たちがたまたま今ここにいる。

神秘だ。







地図にない町

2007年11月01日 | おすすめ~な観光名所

小さな小さな田舎町が好きだ。
静かでのどかで素朴で温かい。
そしておいしいものがありそうだし。

ウルエーニャ(Urueña)という町にぜひ行ってみなさいよ、と知り合いのスペイン人セニョーラにすすめられた。
週末の1泊旅行でバジャドリッド(Valladolid)に行くことになり、それならウルエーニャも近いわよ、と言うのだ。

どのあたりなのか地図で探してみたが、縮尺百万分の1のミシュランの地図では見つけられなかった。
インターネットの地図上ででようやく見つけたその小さな町は、なんだかなにもないところにポツンと存在しているようだった。

幸いカーナビはその町を知っていた。
彼女(ナビは女なのだ)の言うとおり、どんどん平原を進む。
着いたところは小高い丘の城壁の中だった。



城壁に上ってみると、360度視界を遮るものなく地平線がぐるーーっと見渡せる。
なんというすばらしい景色!
周りには畑らしき平らな四角がつながり合ってパッチワークのようだ。
空はどこまでも蒼くしーんとしている。
城壁はスペインのいたるところにあるが、どこの城壁もやっぱり登るのは楽しい。

ちょうどランチタイムだ。
いいにおいにつられてよさそうなレストランを見つけたが、予約がなくて断られてしまった。
近隣の町から休日のランチをしに来る人々で満員なのだ。
その村には5~6軒しかレストランはなく、予約なしで入れるレストランとなると選択の余地はなかった。
バルに毛が生えた程度の、あまり見た目イケてないレストランに落ち着く。

このあたりの名物はコルデロ・レチャル(cordero lechal 赤ちゃんの羊)の焼いたのだそうだ。
まだ母さんのミルクだけで育っている赤ちゃんを食べるなんてかわいそう・・・だけどもちろん食べる。
香ばしくてプリっとして旨い!



そのレストランはボロいが味はなかなかイケていた。
それにマドリッドで食べるより3割くらい安い気がする。

ここを訪れた日本人は過去にどのくらいいたのだろうか。
ガイドブックにも載っていないし、結構な大きさの地図にも載っていない。
なんだか自分がこの町を発見したような気分になって、ちょっとうれしかった。







母をたずねて三千里

2007年09月07日 | おすすめ~な観光名所

8世紀中ごろ、イスラム王朝の首都として栄えた古都コルドバ。
マドリッドからAVE(アーベ)という新幹線で1時間40分。
迷路のように入り組んだ白い家と壁の路地や、メスキータ(イスラム教会)の尖塔が異文化との融合を象徴する。

しかし夏のアンダルシアは暑かった!
午後は軽く40度を越える。
乾燥しているので日陰に避難すればなんとかなるが、そうでなければ生命の危機を感じる瞬間もあったりする。



コルドバで、まず訪れるべきところが前述のメスキータ。
イスラム王朝時代、もともとキリスト教会のあった場所に建てられたイスラムのモスクが、その後再びキリスト教徒によってそれ風に改築され、言ってみれば宗教的サンドイッチか文化の寄せ鍋か、とにかく面白いのだ。

写真の「円柱の森」は、馬蹄形の円柱が約850本も立つホールで、私の一番好きな場所である。
なんとなく「おいしそう」だから。
チョコレートでできているみたいで。

イスラム風アーチの中に、キリスト教風彫刻がびっしり施されていたり、円柱の森の隣にキリスト教の大聖堂や礼拝堂があったりする。



白い迷路のような通りも面白い。
レストランやバル、みやげもの屋がいっぱい。
やっぱりこの白い壁と青い空のコントラストこそが、一般的なスペインのイメージではなかろうか。

名物料理の一つにサルモレホ(salmorejo)という冷たいスープがある。
ガスパチョに似ているが、もっとどろっとしていて、ゆで卵とハムのトッピングがかわいい。
スープというより、刺激の強い流動食(?)みたいなかんじ。
子供たちには不評だったが、私は結構気に入った。

マドリッドから簡単に来られるのだから、日帰りでもイケルかもしれない。
5月には、住人たちが、中庭を訪れる人々に開放してその美しさを競い合うフィエスタが毎年行われるというから、ちょっとお散歩気分で来てみるのもいいかも。

ところで、「母を訪ねて3千里」のマルコが少ない手がかりをたよりにまずたどりつくのが確かコルドバだった気がする。
そのコルドバがここだ!と思っていたが、南米アルゼンチンにもコルドバがあって、マルコのはそっちらしい。
なあんだ。
そうだったのか。




モーロ人って誰?

2007年08月20日 | おすすめ~な観光名所

リスボンから西へ30km、夏の避暑地として王侯貴族に愛されてきたシントラ(Sintra)という小さな町がある。
その昔、詩人バイロンに「エデンの園」とうたわれたという。
世界遺産の「自然と文化遺産」に登録されているとあっては、こりゃ行かねばなるまい、と出かけてみた。



不思議な町だった。
朝の雨がそう思わせたのかもしれない。
山あいに王宮や貴族のお屋敷が建ち、山の頂上には、一瞬「万里の長城か!?」とビックリするような「モーロ人の城壁」がそびえる。
その城壁が霧につつまれてモヤモヤ~とかすんで、いかにもオソロシげな雰囲気。
雨が降ってたんじゃちょっと山道はムリか・・・と思いきや、みるみるうちにすっきり晴れてきた。
・・・高いところは嫌いじゃない。
やっぱ登るしかない、あの城壁に。





標高わずか450m。
しかも城壁の始まり部分まで車で行ったのにもかかわらず、石段の険しさにヒィヒィ言いながら登る。
かなりな強風に吹き飛ばされそうで、まるで這うようにして一歩一歩登ってゆく。

息子は高いところが恐い。
「身内が高いところにいるのを見る」のも恐い。
いやがるものを、無理やり連れてきたが、この強い風である。
はじめのうちは壁にはりつくようにして、ギャーギャー騒ぎながらヨロヨロとついてきていたが、途中で恐怖のあまり気でも狂ったか、ものすごい勢いで登り始めた。
その姿はあっというまに彼方に消えた。

待ちくたびれたゼ、的な余裕を見せ、一番高いところで私たちを迎える彼。
やはり若いから。
なんと一番ビリでヨレヨレだったのはこの私である。



ところで今さらな疑問だけど、モーロ人って何もの?
調べてみると、モーロ人(ムーア人)とは8世紀初め以降イベリア半島に侵入した北アフリカのイスラム教徒のことだそうだ。
この城壁もその頃に築かれたものらしい。
多分世界史をちゃんと勉強していればなんてことのない問題だったのだ。
お恥ずかしい。



川と、橋と、イワシ

2007年08月19日 | おすすめ~な観光名所

ポルトガルは、なんだか忘れられがちな国だと思う。
フランスやスペインやイタリアに比べてちょっと影が薄いという感じが否めない。
友人があまりにも「ポルトガル、よかったよぉ~。」と言うので、勢いで今年の夏休みの旅行先に決めてみたが、正直あまり期待はしていなかった。
ところがどっこい!
よかったのだ、とっても。



今回訪れたのは、リスボンとポルト。
何がよかったって、うまく言えないが、日本人の心の奥底にあるハープが、ポルトガルの海風でヴォロロロン♪と思いがけず美しい旋律を奏でてしまった、みたいな。
ぬぁんて。
でもなんとなく、郷愁のようなものがくぅーーーと心に沁みてくる。

その大きな理由の一つとして、ニオイが挙げられる。
海沿いの町を歩いていると、どこからか必ず懐かしいニオイが漂ってくる。
これは!焼き魚だ。



ポルトガルではイワシの炭火焼が名物料理の一つだ。
クンクン、このニオイはいったい何処から?
つられて入ったのは、定食屋・・・じゃなくてオープンテラスのちょっといい感じのタベルナ。

ここでポイントその2。
ポルトガルのいいとこは、カフェやタベルナが洒落すぎていないところだ。
適当にゆるくて素朴なので、気後れせずリラックスできる。
あんまりお洒落なとこは実はちょっと緊張してしまう田舎者の私にはなんともうれしい。

さて、イワシイワシ。
ホントは白い炊きたてご飯としょうゆが欲しいとこなんだけど、なくても全然かまわない。
塩加減が絶妙だし焼き加減も絶妙だ。
これはうまい!!





リスボンもポルトも、川沿いの町である。
ゆるやかに大西洋に流れ込まんとしている下流の町。
大きな橋がいくつもその川をまたいでいる。
リスボンはテージョ川、ポルトはドゥエロ川、川をはさんだ両岸が丘陵地帯になっているので、そこにかかる橋から下を見下ろすと、目もくらむような高さである。
結構な急坂の斜面に民家やレストランなどが密集している。
古い建物も多く、屋根や壁がくずれてしまっていたり、ガラスが割れたままになっていたり。
ベランダにハタハタと洗濯物がはためいていて、生活感まる出しなんだけれども、なんだかそんなこんなまるごとひっくるめて、「イイ」のだ。
あのパンツの主の生活ってどんなんだろうと勝手に思いを馳せたりして。





しかしレストランで一緒になった日本人のご夫婦は、窓に洗濯物のかかった古臭い町がお気に召さなかったようだった。
感性はいろいろだ。




パンプローナの牛追い祭り part 3

2007年07月30日 | おすすめ~な観光名所

パンプローナは普段はしっとりと落ち着いて、穏やかな町だ。
緑も多く、のんびりとくつろぐことができる。
人々は淡々と、日々を過ごしている。

サン・フェルミン祭はそんなイメージとは正反対の、とっても熱い祭りである。
今回初めて行ってみて、良くも悪くもその熱さを実感させられた。
もちろんこの祭りの核となる牛追いの儀式や闘牛は、ナバーラ王国の時代から続く、歴史のあるすばらしいものであり、まさに熱狂そのものだ。
それには何も言うことはない。
誰がケガをしようが、命を落とそうが、やると言ったらやる、その心意気に一票!

いやしかし。
ちょっと耐え難く強烈に印象深かったのが、ニオイだった。
酒臭い!
それもただの酒臭さではない。
人々のカラダから、服から、靴から。
地面から、壁から、柱から。
すべてのものからアルコールのニオイが漂っており、それはそれはスゴかったのだ。



牛を追って走り、盛り上がり、飲んで、飲んで、飲む。
それがこの祭りの真髄らしい。
べろんべろんに酔って公園に寝っころがり、そのまま夜をあかす人たちがそのへんにごろごろ転がっている。

酔っ払いは、ワインやビールをを瓶ごとかかえて飲み、空になるとアスファルトに叩きつけて割る。
それで地面には粉々に砕けたガラスの破片がびっしり。
あぶなくてとても子供をサンダルで歩かせたりできない。
転んだら大変、と緊張しながらそろそろと歩く。

旧市街の石畳はこの時期大量の酒類を吸って、歩くとネチョネチョする。
こぼれたいろんな色のお酒があちこちに溜まる。
時々アルコール臭に混じってアンモニア臭も漂う。
なんだかちょっと酸っぱいニオイも・・・。
とにかく酸素ボンベでも持って歩きたいと思ったくらいだ。

2日目に闘牛場で牛たちの到着を待っていた時も、周りは酔っ払いばかり。
浴びるようにビールを飲み続けるやつらを前に、私はげんなり。
人が飲んでるのを見て、私は飲みたくない、と思ったのは初めてかも知れない。
息子は完全にビビッており、「早く帰ろうよ」を連発していた。

「昔はこんなじゃなかったのに、今は若い人たちが無茶をするから・・・」と知り合いのスペイン人が嘆いていたが、やっぱり節度は大切だと思う。
でも救いは、みんなハッピーな酔っ払いだったってことだろうか。
あれほど飲んでいても、ケンカとゲロは少なかったような気がする。