スペイン母子家庭生活奮闘記☆毎日ドキドキ@マドリッド

夫の仕事でマドリッドにお引越ししたものの、諸事情によりスペイン内別居生活。
母は毎日がんばるよ!

縞のパジャマの少年

2008年08月09日 | 毎日がんばってま~す!
スペイン語で本を読むことは私のここでの大きな目標の一つだった。

しかし、本屋に並ぶ新作の多くはまるで百科事典のように厚く重く、そして小さな字。
地下鉄の中で読書をしている人を見かけるが、よくもそんなに大きくて重そうな本を持って移動する気になれますね、と言いたくなってしまう。



そんな中で、ある比較的薄くて軽そうな本が目に留まった。
タイトルは「エル・ニーニョ・コン・エル・ピハマ・デ・ラジャス(El nino con el pijama de rayas 縞のパジャマの少年)」。
アイルランドの作家、ジョン・ボイン(John Boyne)のベストセラーだ。



パラパラとページをめくってみると、適度な大きさの文字がいい感じにならんでいて私にも読めそうな予感が。
買ってみる。

辞書をしっかり脇にキープして1行1読み進める。



9歳の少年、ブルーノがアウシュビッツで出会った少年は、同じ9歳で誕生日も同じだった。
まったく別の境遇で育った2人の少年のピュアなふれあいを描く物語。
そして2人にしのびよる運命は・・・。

書評や宣伝などまったく知らないまま、ただ他の本より薄くて自分にも読めそうだったから選んだこのストーリーは、読み進めるうち、軽々しい気持ちで選んだことを恥じなければならないと思ってしまったくらい、重くせつなくやるせない話だと気付かされた。
特に最終章に至る頃には、まさか、そんなことありえない!と胸がざわざわと騒ぐ中、最後に何が起こるのか誰もが予測できてしまう。
そのことがまたいっそうどうしようもなくせつなさを煽る。

まだ文法を一通りさらっと終えたくらいのものなので、途中意味のはっきりしない部分がずいぶんあったが、想像力で補ってなんとか最後まで読み終えた。
初めてスペイン語で一冊を読み終えた達成感よりも、そのストーリーの美しさと哀しさにしばらくぼーっとしてしまった。

映画化されるという話も聞くが、日本語で出版されるようなことはないのだろうか。
どんなふうに翻訳されるのか興味深い。
お勧めの一冊である。


病院ぐるぐるたらい回しの巻 part 2

2007年09月29日 | 毎日がんばってま~す!

朝、家を出てから3時間が経っている。
クラクラしてきた。
このうえE病院に行け、だと~~!?
息子は、
「お母さん、ぼくもういい。今日は帰ろう。」
と言う。
そおだね、かえろか・・・と言いそうになったがエイッとふんばる!
ここまで来てなんもせずに帰れますかいな。

E病院はさらに車で10分ほどのところにある。
大きな大学病院だ。
ここならきっと・・・!と祈るような気持ちと、いやいや、過度の期待はすまい、という気持ちを半分ずつ持って小児救急外来へ。

受付で事情を説明する。
「すべって、転んで、手をついて・・・」
今日もうすでに何度あちこちでこの説明をしただろうか。

受付の後簡単な診察。
若いドクターに事情を説明する。
「すべって、転んで、手をついて・・・」

ラジオグラフィア(radiografía レントゲン)を撮る。
ドクターは画像を見て、
「う~ん、ボクは折れてないと思うんだけど、専門の先生に診てもらったほうがいいと思うんだ。」
と、トラウマトロヒア(traumatrogía 外傷科)へ行けと言う。
ここでもたらい回しか!

看護助手に案内され長い廊下を延々歩いてそのトラウマトロヒアへ。
「名前を呼ばれるまでここで待ちなさい。」
と待合室に残される私たち。

しばらくして第2診察室に入れとアナウンスがある。
事情を説明する。
「すべって、転んで、手をついて・・・」
今度のドクターも、画像を見て、
う~ん、もっと経験のあるドクターに診てもらおう。」
また待合室で小一時間待たされる。
依然として何の手当てもしてもらえないままである。

ようやく呼ばれて入った第4診察室。
その経験のあるドクターに事情を説明する。
「すべって、転んで、手をついて・・・」
・・・ちゃんと連絡しとかんかい!!!(怒)

ハンサムなドクターは、しかし愛想がなかった。
無表情のまま、よくもよくも私のような外人にそんな早口で・・・!とあっけにとられるほどのスピードで診断を下す。
ほとんどわからない。
まるでいやがらせのような超スピードの説明の最後に
「わかりましたか?ではまた。」
と、早く出て行きなさい、と言わんばかりだ。

わかったのは、やっぱり骨折をしている、ということと、3~4週間かかるということ、そして1週間後に来なさいということの3つだ。
そして、また待合室で待てと言う。

待てと言われたのだから待つしかないのだが、いったい何を待つのだろう。
初めてなので、病院のシステムがわからない。
わけがわからないまま待つのは心細くてドキドキする。
30分待っても呼ばれない。
まちがった場所で待っているのではないか、とか、カルテの受け渡しミスで後回しにされているのではないか、とか考えて不安が最高潮に。

とうとう我慢できなくなり、通りかかった看護助手のおばさんをつかまえてどうなっているのか聞いてみる。
どれだけ待たされているか、どうして待たされているのか、あとどのくらい待てばいいのか。
私が一生懸命訴えていると、隣で息子がグシュグシュ泣き出すではないか。
そのおばさんは、
「まあ、かわいそう、こんなに泣いて・・・!そうよね、痛いわよね。いいわ、私が聞いてきてあげる!」
と診察室の方にパタパタと歩いて行った。
「中学生にもなって何泣いてんの・・・」
となぐさめようとすると、顔を上げてニヤッと笑う。
こいつ・・・!
ウソ泣きだ。

結局ギプスをしてもらうために待たされていたのであった。
骨折から21時間後、ようやくギプス装着。
右手の薬指の第2関節あたりの骨折だったのだが、肘から先をぐるぐる巻きにされた。



10日後に運動会がある。
彼はなぜか運動会に縁がない。
小学校最後の運動会も、足の指を骨折して出られなかった。
今回も、少人数の学校だけに、重要な役割を与えられていたにもかかわらず、これだ。
ケガの痛みよりなにより、皆への申し訳なさが先にたって、彼はうなだれた。

治療費は、公立病院だったので、タダだった。
今日の◎ポイントはそこだけである。
朝から6時間半の病院めぐりでもうぐったり。
これは病気の人にはムリだと思う・・・・。








病院ぐるぐるたらい回しの巻

2007年09月22日 | 毎日がんばってま~す!

息子が家ですべって転んだ。
右手の薬指をひどく打ったようで、指の付け根あたりがポコンと腫れて、すごく痛がる。
これはやはり病院に行ってレントゲンをとってもらうしかない。
できればこんな外国でややこしいことは避けたいというのが正直なところだが、一晩様子を見ても腫れや痛みが引く気配がなく、いやな予感とともに重い腰を上げる。

スペインでは一般的に、診療をしてもらうのには予約がいる。
突発的なケガや病気にはウルヘンシア(urgencia 救急)窓口があり、我が家の子供たちの病気やケガはほとんどがウルヘンシアに当たる。
悠長に予約なんて取って、「混んでいるので10日後です」なんて言われても、そんな頃にはもう治ってしまってるだろう。

先日も、娘が「耳が痛い~」と言うので耳鼻科に行ったのだが、「子供の耳鼻科救急外来はない」だの「今日は診療日じゃない」だの言われてたらいまわしにされ、娘も、「なんか治ってきた」と半ばあきらめて自己免疫療法に切り替え、結局2週間後に予約が取れて診てもらえたときにはすっかり完治していた、という笑えない話があったところだ。

ぐずぐず迷っていても仕方ないし、行くか。
どっこいしょっと。
ささっと診てくれる病院はあるかしら。
M市のA救急病院をたずねてみる。

受付のおばちゃんはとっても恐い人だった。
「いつ転んだの?え?昨日!?じゃなんで昨日連れてこなかったの!!」
叱られちゃった。
そして、ここに行きなさい、とB病院の住所を書いた紙切れを渡された。
どうしてこの病院で診てもらえないのかよくわからないまま、言われたとおりB病院へ。



B病院の受付のおばちゃんは
「ここは専門病院だから、300m先のC病院へ行きなさい。」
と困った顔で言った。

C病院へ行った。
受付、待合室を経て診察室に到達した。
ようやく診てもらえる!
息子と顔を見合わせ小さくガッツポーズを交わす。
ところが、ドクトーラ(Doctora 女医さん)は状況をカルテに書き込みながら、
「そうね、レントゲンをとらなきゃね。ここに書いておくから、これを持ってD病院に行ってね。」
と言うではないか。
耳を疑ってしまった。
「こ、ここは病院ではないのですかっ!?」
と聞くと、
「悪いけど、病院じゃないのよ~。」
つまり、そこはアンブラトリオ(ambulatorio 初診外来)なる施設で、そこでいったん診てもらい、ケガや病気の程度によってそれぞれの適した病院に送り込んでもらうというシステムになっていたのだ。
そのD病院はマドリッド市内にあって、高速をすっとばして行かなければならない。
ガーーン。
でも行くしかないのだ。

D病院に着いた。
ウルヘンシアの窓口で受付のおじさんに、C病院で書いてもらったカルテを見せる。
保険の証書を見せ、身分証明書を見せ、書類を作ってもらい、ようやく診察室へ。
ところが、息子の年齢が13歳だと知るや、
「子供の救急外来はないから、E病院に行きなさい。」
若いドクターが無情にもそのように言い放った。
ぬ、ぬぁにいいいィ!?


Part 2に続く






スペイン語のその後

2007年06月25日 | 毎日がんばってま~す!

去年の10月からスペイン語学校に通い始め、ずいぶんな時が過ぎた。
宿題がたんまり出るし、先生やクラスメートの言うことはさっぱりわからないし、ほとんどノイローゼになりながらもよくがんばったと自分でも思う。

以前は、とにかく自分の持てるすべての語彙を駆使してとりあえず言いたいことを伝えることはできたが、その返答が理解できず会話不成立、という情けない事態だった。
最近は単語力が増え、耳が慣れてきたせいか、相手の言っていることがだんだんわかるようになってきた気がする。
その代わり、その相手と同レベルで発言したいという欲求がむくむくと涌いてきて、それができないジレンマに陥るようになってしまっている。
ま、これって成長の証よね、と勝手に納得してはいるけれど。

それでもやはり母業と学業の両立はなかなか大変で、ちょっと学業を休憩することにした。
自主退学、である。
山のような宿題と、授業の緊張感から解放されて、気持ちがすーっと楽になった。

でもこの学校でとってもいいアミーガス(amigas お友だち)ができた。
もちろん国籍は様々だ。
イタリア、フランス、ドイツ、韓国、カンボジア。
みんな歳が近く、陽気でポジティブで、不思議に話が合う。
学校をやめてしまっても、月に一度集まって食事をしたりしている。
イタリア人マダムの家でパスタをごちそうになったり、韓国料理の会によばれたり。
手巻き寿司パーティーで彼女らを招待したこともある。
もちろんレストランめぐりもしたりする。

好き勝手なスペイン語を撒き散らしながらゲラゲラ笑うおばちゃんグループは、街でさぞかし浮いているだろう。
でも他人の目を気にしてる余裕は私にはない。
そんなスペイン語会話さえ必死、必死なのである。
彼女たちと余裕の会話ができるようになる日がいつか来るのだろうか。

ここでもPTAかよ~

2007年04月30日 | 毎日がんばってま~す!

随分長いことブログを留守にしてしまった。
子供たちの春休みに日本に一時帰国をしていたのだ。

3週間の休みが終わってマドリッドに戻った私を待っていたのはPTA総会というやつだった。
やれやれ。
どこに行ってもPTA役員が追いかけてくる。
子供たちのためだ、仕方ないとは思うけれど、長男が小学校に上がってからというもの、ずーっとだ。
少人数校を渡り歩いてきたのでどうしても避けて通れないし、内容も濃い。

今年度上半期は昨年度の書記から会長に格上げになった。
まだ赴任して1年経っていないのに、総会を仕切らなければならない。
17家庭しかいないPTA総会は日本の学校のそれと比べれば全然たいしたことはないけれど、やっぱり気が重いし緊張する。
例年通りってことでちゃちゃっと済まそうと思っていたのに、今年に限って校長先生から新しい依頼があったり、保護者から提案があったり。
ただでさえ回転の悪いアタマがもう硬直状態。
泣きそうな毎日だった。

バルで昼間っから飲んでタパスをつまみつつ、もうすっかり子育てを終えてしまった先輩セニョーラたちに愚痴ると、
「あら~いいじゃないの、そんなことできるうちが花よ~」
「やっておあげ、やっておあげ~」
と背中をバンと叩かれてしまった。
ソオカ。
どうせやらねばならぬなら、気持ちよくやろう。

…なんて言っているうちに総会はやってきて、そしてなんてことはなく終わった。
案ずるよりすっぽんと産んでみたら結構すんなりいっちゃった。
とりあえず一つ済んだわ。

てなわけで、ちょっと開放的になっている私だった。




満タンでお願いします

2007年01月26日 | 毎日がんばってま~す!

うちのピソの隣にガソリンスタンドがある。
24時間営業、しかも敷地内にコンビニがあって便利なのでいつも利用している。

マドリッドのガソリンスタンドはほとんどがセルフである。
自分であのホース(?)を持ってタンクのフタを開けドク、ドク、ドクと給油する。
一瞬「ええ~~!?」と思ったが、慣れるとなかなかよい。
満タンになれば自動的にストップするし、終わったらレジで自分が給油した場所の番号を言ってお金を払えばよいのだ。
「エンジンオイルの交換はいかがですか~」
とか
「フィルターは~」
とかわずらわしいことを言われずにすむので気に入っている。



このあいだはすごく混んでいた。
8つある給油メーターのうち7つがふさがっていたので、初めて8番のメーターに車をつけた。
いつものようにホースのコックを握ってもガソリンが出てこない。
壊れてる~と思ってレジに言いに行った。

レジの兄ちゃんが
「エル ヌメロ オチョ ティエネ ケ パガール アンテス。(El numero ocho, tiene que pagar antes. 8番は支払いを先にするんですよ)」
と言った。
「キエレ ジェナール?( ¿Quiere llenar? 満タンにしたいんですか?)」
わかったのはそこまでだった。
「Sí.」
と答えたあと彼が早口で何か言ったがよくわからなかったので結局どうしたらよいのかうろうろしてしまった。
とにかく8番は先払いだというのだからいくらか払おう、とまたレジにならんだ。
このままガソリンを入れられないのは困る。

さっきの兄ちゃんに
「20ユーロ分入れたいの。」
と言うと、いったい何やってんだよこのチーナ(china 中国人女)はよ~、みたいなあきれ顔で、とにかくものすごいスピードでしゃべり始める。
「ペラペラペーラ、ペラペラペラ…」
…ほとんど何言ってんだかわからなかった。
私は口をポカンと開けて兄ちゃんのメガネとイガグリ頭を交互にながめながらお経のような言葉の羅列が通り過ぎるのを待った。



しかしつくづく不思議だ。
どこから見ても外国人じゃん、私。
そんなに早口で普通にしゃべってどうするんだ。
だいたい言葉がわからないからこういうことになってるんだよ。
そこへもってきてさらにややこしいこと言っても状況をさらに悪化させるだけだとなぜわからないのだろう。
他の国と地続きで、しかも最近南米や東欧からの移民が多いスペインに住む人たちの考えは、世界の遠~い果てにある島国日本から来た私たちには理解を超えるのかしら。

たぶん兄ちゃんはこんなことを言っていたのだと思う。たぶん。
「8番はフツー先払いだけど、あんたが満タンにしたいって言うからそのように機械を調整したんだよ。そしたら今度は20ユーロ先に払うって言うじゃん。いったいどうしたいの?どっちなんだよ?」

結局20ユーロを先に払い、20ユーロ分のガソリンを入れることになんとかこぎつけたが、今1ℓ大体1ユーロ弱なので、20ℓちょっとしか入らなかった。
満タンにしたかったんだけどね。



買い出しは大変!

2006年11月03日 | 毎日がんばってま~す!

金曜日。朝から雨だった。
こんな日は食料の買い出しに行こう、と思い立って出かけた。
家のすぐ近くに郊外型大型スーパーチェーンの「カルフール」がある。
地下の駐車場から地下の駐車場へ。雨でも濡れずに買い物ができるし。
以前雨の日のカルフールが異常に空いていたことがあり、今日もそれを期待した。

スペインの大型スーパーでの買い出しはとっても疲れる。
カートが大きすぎるし、店も広すぎる。
それにレジのシステムが違う。

順番が来たらレジのベルトコンベアにカートの中のものを全部のせる。
カートはちょっとした浴槽くらいの大きさと深さがあるので、中身を取り出すのは結構大変だ。
小柄な私は落っこちそうになりながら苦労して買ったものを台に一つずつ並べる。
店員はコンベアを操作して商品を次々に手に取り、バーコードで値段を読み取り、「ピッ」と会計が済んだら投げるように次の台に商品をすべらせる。
「ピッ」、ポイ。「ピッ」、ポイ。

客はカート内のものを出し終えたら休む間もなくダダッと先回りし、商品を待ち構えて、その場でどんどんレジ袋の中に入れてゆく。
このレジ袋、束になっているのを一枚一枚はがして、それをまた広げなければならず、指なんか乾いちゃっていてすごくイライラする。
「ピッ」、ポイ。の速さに到底追いつかず、あたふたしていると
「カルフールのカード持ってる?持ってない?んじゃ○○ユーロ」
とたたみかけるように値段を告げられる。
(待って~、まだ袋に入れ終えてないの~エ~ン)
お金を渡してお釣りを待つ間に神のごとき早業で残りの商品を袋につっこむ!
....ハァ、ハァ、ハァ。
忙しい。
日本のように、とりあえず会計だけ済ませて別の場所でゆっくり商品を袋につめることができればもっとリラックスできるし回転がいいのに、と思う。

スペイン人はもう誰が待っていようがお構いなしに悠々とマイペースで袋詰めをする。
ひとりひとりがそうなので当然レジでの待ち時間は長くなる。
けれど日本人はやっぱり後ろに長蛇の列ができていれば少しでも早く、とあせるのがフツーだ。
それでドッと疲れるのだわ~。

この日は完全に読みがはずれてものすごい混雑だった。
レジで30分も並んで待った。
しかしこちらの人たちの買い出しはすごい。
ハンパじゃない。
いったい何人家族?何日分のごはん?どんなに大きな冷蔵庫?
スペイン人が、食に対してかなりエネルギッシュだと言われる所以である。






絶叫の日々 part2 ロータリー編

2006年10月27日 | 毎日がんばってま~す!

家から子供たちの通うマドリッド日本人学校までに、大中小合わせて計12個のロータリーがある。
このまぁるい交差点、くるくる回っている車を見ているとなんだか楽しそうに思えてしまうのだけれど、いざそこへ入っていくとなるとちょっと勇気がいった。

ロータリーに入るときは何があっても右へ入ると決まっている。
入ったら時計と反対回りに進む。
丸いロータリーから放射状に道路がのびているので自分の進みたい道への出口で出る。
ただそれだけのことなのだが、慣れないうちは難しい。

ロータリーの手前で一時停止し、先客の動きを確認する。
とりあえず自分の左から来る車が切れるタイミングを見計らって入る。
なんとなくそれは大縄跳びを連想させる。
タイミングをとりそこなっていると、延々輪の中に入れず後ろには何台も待ちの車の列ができてしまい、クラクションを鳴らされますますちぢこまってパニクる。
朝や夕方のラッシュ時は車が数珠つなぎになって入るスキがないのでいっそう大変だ。

交通量の多いところだと、ロータリー自体が2車線3車線にもなっており、バームクーヘン状態である。
内側の車に優先権があるので、内側から
「オレ様が出るゼィ!」
的な合図が出されたら外側の車は道をゆずらねばならない。ボーっとしているとすごい顔で睨まれる。

最初は緊張でカチンコチンでそれが運転にも影響し、学校までのわずか7~8km、時間にして約10分のドライブで娘は車酔いをしてしまい、ヨロヨロと降りた直後にゲロってしまった(失礼)。
毎日泣きそうになりながら
「入れてくれ~ィ!」
と叫ぶワタクシ。
それでも2週間も経つと徐々に慣れてきてタイミングがわかるようになった。
そうしてみると、ロータリーというのはうまいことできているもんだわと感心する。
四方八方から来る車をなるべく止まらないですむように捌くにはよい方法かも。
実際、道さえ混んでいなければどこへ行くにも途中で止まることはない。

最近では自分でも達人の域に達しているなと思うほど入り方がスマートになってきた。
それもそのはず。毎日いったいいくつのロータリーを回っていることか。
ぐるぐる、ぐるぐる。ぐるぐる、ぐるぐる。
同じ方向にばかり回るのに結構飽き飽きしてきた。
時々無性に反対回りがしたくなって、危険な今日この頃なのだ。




絶叫の日々・・・

2006年10月23日 | 毎日がんばってま~す!

我が家はスクールバスのルートから外れたところにある。
なので毎朝私が車で子供たちを学校に送り迎えしている。
スペインでは右側通行で、ゆえに左ハンドルを運転することになる。

運転歴20年(!)の私だが、左ハンドルは初めて。
新興住宅地なので比較的道幅も広く、運転しやすいのは助かるが、信号の位置や、右折・左折のルールなど微妙に日本と違うので緊張する。
そしてスペイン人は、飛ばす。
車線変更や曲がるときに方向指示を出さない。
なにかというとすぐクラクションを鳴らしたがる。
そうかと思えば渋滞中でも結構すんなり横から入れてくれるし、縦列駐車にモタついていても辛抱強く待ってくれたりする。
つまり、読めないのだ。行動パターンが。
次にどう動くかわからない車が回りをすごいスピードで走っているかと思うと冷や汗が出る。

一番難儀をしたのがロータリーである。
ここM市には信号のある交差点は少ない。
道を曲がるときはロータリーで曲がる。
日本ではほとんどなじみのないそれに関してはまた次回以降にお話する。

とにかく毎日あちこちで絶叫することとなった。
20数年日本で左側をひたすら走っていた私は今もぼーっとしていると逆側の車線に入ってしまい、あやうく正面衝突の危機に瀕する。
ヒヤ~!としつつ車線変更の合図を出そうとするとワイパーが雨も降っていないのにシャカシャカ。うわっカッコ悪い!と止めようとするとますます激しくシャカシャカ。キャ~~!
このような母の車に乗って、子供たちはさぞかし恐ろしいに違いない。

怖いことは他にもある。
高速道路が発達しておりしかも無料のマドリッド周辺は、うっかりすると間違ってするっと高速に入ってしまう。
このあいだもごくごく近所のホームセンターに行った帰りに、自分では地道をゆっくり帰るつもりがなんと曲がり角を一つ間違えただけで、高速に入ってしまった。
誰にも聞こえない空しい絶叫が車内に響いた…。




スペイン語学校~!

2006年10月07日 | 毎日がんばってま~す!
このグリーンのアーチで迎えてくれるなんだかステキなドアは、今月から通い始めた語学学校のドア。
このドアを開いて古い階段を上ると、マンションの一室が学校になっている。
そこで週2回スペイン語の授業を受けているのだ。
とにかく言葉がわからないことには有意義なマドリライフはありえない。
以前バルセロナに住んでいたときに学んだ記憶を引っぱり出して悪戦苦闘している。

授業の形態は色々だが、私はグループレッスンを選択している。
1人対1人より他の生徒がいてくれた方が緊張感があってためになる気がするのだ。
今のクラスは、ドイツ人2人、イタリア人、韓国人、カンボジア人、アイルランド人、そして日本人の私と7人だ。

2006年の学生生活。痛切に感じるのは言いたくないけど老化だ。
毎日新しいことをどんどん詰めこむが、どんどん忘れていく。
すごいスピードで脳細胞が天国に行ってしまっているのを感じる。

ヨーロッパ人はさ~、いいよね~。それぞれの母国語がスペイン語と似てるしスタートが同じでもみるみるうちに上達していくんだよ~。
私たち日本人が中国語や韓国語を学ぶのに有利なのと同じなんだよ~。
…そんな言い訳はカンボジア人のおばちゃんと韓国人のマダムによって打ち砕かれてしまった。
カンボジアのおばちゃんはご主人がフランス人で長くフランスに住んでいたらしく、フランスなまりのスペイン語を話す。なんと英語もドイツ語も話す。…只者じゃない。
韓国人のマダムもフランス人の夫を持ち、フランス語が堪能なようだ。
それに彼らはとにかく体当たりでしゃべろうとする。
一般的に日本人は「間違いなく」しゃべろうとするのでどうしても一歩引いてしまいがちだと言われるが、私もそんな傾向がある。
なんだか私一人が落ちこぼれている。

月曜と水曜に1時間半ずつ。
前の日からすご~く憂鬱で、朝なんてもうホントにおなかが痛くなってしまう。
まるで子供みたいだ。
でも登校拒否児童の気持ちがわかったことだけでもよしとしよう。
ポコ・ア・ポコ(poco a poco 少しずつ)だわ。