スペイン母子家庭生活奮闘記☆毎日ドキドキ@マドリッド

夫の仕事でマドリッドにお引越ししたものの、諸事情によりスペイン内別居生活。
母は毎日がんばるよ!

迷子もまた楽し(part 2)

2008年04月17日 | 子供たちのスペイン

前回の続き。

いやはや、大変な騒ぎになってしまった息子とその友人Aちゃんのマドリッド迷子騒動である。
しかし中学3年生にもなろうという少年たちが自分の家に帰って来るのにいったい何を大騒ぎすることがあろうかと、普通ならそう思われるところであろうが、ここでの生活事情を酌んでいただきたい。
結構な事件なのだ、これは。

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学校の先生にも相談し、やはり警察に捜索願いを出すべきかも、ということになった。
とはいうものの、そのためにはどこへ行ってどうすればよいのかさっぱりわからない。
夕方の5時半を過ぎていた。
いくらのんびり屋の私でも、さすがに考えが悪い方へ悪い方へと転がっていくのを止められない。
事故!?誘拐!?殺人~~!?

大使館に相談しようと電話を取り上げた手がブルブル震えていたのに自分でも驚いた。
その時・・・!
ピンポーーン。
・・・帰ってきた!!
インターホンに映る2人の顔。
へなへなと床に座り込む母。
よかった~~~。
誘拐じゃなかった・・・。



生還した2人の長い冒険物語は以下のとおりである。

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電車がアトーチャ駅にさしかかった時、なんとなく様子がヌエボス・ミニステリオス駅に似ている気がしたので不安になり、隣にいたおばちゃんに「ここはヌエボス・ミニステリオス駅ですか?」と聞いてみた。
おばちゃんは何を思ったか(たぶんこの電車はヌエボス・ミニステリオスに行きますか?という質問だと思ったのだろう)、「Sí.(ええ)」と答えた。
そりゃ大変、あわてて席を立ち電車から飛び降りた。

(ちょうどこの時母は隣の車両から僕たちが席を立つのを目撃して「こっちへおいで」と合図をしたとあとで言っていたが、僕たちには母の姿など見えてはいなかった。)《★すれ違いポイント1》

ホームに降りたが母と妹の姿はない。
よくよく見ればそこはアトーチャ駅。
あちゃー、やっちまった。
迷子の鉄則は現場を動かないことだとわかってはいたが、母は僕たちがアトーチャで降りてしまったことをまだ知らないに違いない。
ということはここで待っていても無駄だということだ。
ヌエボス・ミニステリオスに向かおう、と次に入ってきた電車に乗った。



電車が次のレコレトス駅にゆるゆると入っていった時だ。
「あっ!!」
窓から母と妹が反対側のホームに立っているのが見えた!
「よかった。会えたよーー。」
僕たちはホッとしてルンルンと電車を降りた。
そこへガーーーッと反対ホームに電車が。
「あっ・・・・。」
その電車が去った時、ホームに立っていたはずの母と妹の姿はそこになかった・・・。《★すれ違いポイント2》


なんということだろうか。
母は今の電車で僕たちを探しにに戻ったのだ。
なんとか連絡をとる方法はないだろうか。
うう~、携帯さえあれば。
近くにいた見知らぬスペイン人に携帯を貸して欲しいと頼んでみたが、怪しまれただけだった。
レコレトス駅の案内所にも行って事情を話したが、わかってはもらえなかった。

気を取り直して、もう一度ヌエボス・ミニステリオスを目指そう。
そこで空港行きのメトロに乗り換えるのだから、会えるに違いない。

ヌエボス・ミニステリオス駅で僕たちは母と妹が現れるのをずっと待った。
(母はその駅でもくまなく僕たちを探したと言うが、ほんのわずかの時間の差ですれ違ってしまったのか。レコレトス駅で案内所に行ったりしていたから行き違ったのか。)《★すれ違いポイント3》

今日マドリッドを発つ友だちの見送りはもう間に合わないだろう。
最後に一目会いたかったけど。

母が僕たちの分も切符を持ってしまっているので、レンフェの改札から出ることもできない。
仕方ない、このままM市駅まで帰ろう。
M市駅は無人駅だから切符がなくても外に出られるし。
再び電車に乗り込んだ。
大きな駅でホームがいくつもあるから迷ったが、なんとか正しい電車に乗れたようだ。

M市駅の駐車場にはまだ母の車があった。
ちょっとホッとした。
ここで待ってさえいればいつかは母が戻ってくるのだ。

お腹が空いてきた。
そういえばお昼をまだ食べていない。
駅の前にあるガソリンスタンドの売店に行き、Aちゃんにお金を借りて2人でサンドイッチを買った。
Aちゃんにとってはスペインのお菓子とかが珍しいようだ。
グミなんか買っちゃってる。
さあ、車のそばに戻ってサンドイッチを食べよう。




僕たちは駐車場に戻って愕然とした。そこにあったはずの母の車がなくなっている。《★すれ違いポイント4》
ここまで意地悪な神様のいたずらってあるのだろうか。
このわずかな隙に母はこの駅に戻り、そして車に乗って行ってしまったのだ。
せつなくなってきた。

M市駅から家までは5kmくらい。
歩けなくはないけどしんどいし、タクシーは呼ばないと来ないし、バスに乗るしかない。
駅前のバス停から、家の近くに行くバスかどうか運転手さんに確かめて乗った。
以前まちがったバスに乗ってしまい隣町のはずれまで行ってしまって泣きそうになったことがあるから今でもバスは緊張する。

午後5時を過ぎていた。
めちゃくちゃ心配してるだろうな。
すごく叱られるだろうな。
せっかくのAちゃんの一日がこんなことでつぶれちゃって悪かったな。
友だちの見送りも台無しになっちゃった。
・・・

そんなことを考えているうちに家の近くまで来た。
バスを降り、2人でとぼとぼ歩いた。
ああ、ついに家に帰ってきた~。
「ピンポーン。」

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ドラマのようなすれ違い劇だったことがおわかりになるだろうか。
この事件以来、子供たちには外出のたびに現在地や自宅との位置関係、電車やバスの番号と乗り場など、大事だと思える情報をインプットさせている。
外国だからといって甘やかしすぎたのだ。

しかし本当に無事2人が帰ってきてよかった~。
ご心配をかけた皆さん、すみませんでした。

それでもお互い2人だったことでなんとなく心強く、迷子も悪くない経験だったようだ。
忘れがたい思い出の一つとして笑って話せるんだったら、まあいいか。

















迷子もまた楽し(part 1)

2008年04月07日 | 子供たちのスペイン

春休みに息子の友だちが日本から遊びに来た。
その彼、Aちゃんを連れてマドリッド市内に出かけたときのこと。

M市駅からレンフェ(Renfe スペイン国鉄)に乗る時に、息子とAちゃんはわざわざ私と別の車両に乗り込んだ。
言葉もわからずマドリッドの地理にも疎い息子、普段の外出時には私に頼りきりなのに、友だちにはいい格好を見せたいのか、それとも親に聞かせたくない話でもあるのか。
まあそんなお年頃なのよ、と、目的地への乗り換え駅がヌエボス・ミニステリオス(Nuevos Ministerios)だということだけ告げて放っておいた。
しかしこれがそもそもの誤りだったのだ。

M市駅からそのヌエボス・ミニステリオスまでは10駅ある。
2つ手前のアトーチャ(Atocha)駅で、連結部分の窓ごしに隣の車両の様子をうかがった。
ちょうどその時2人が席を立ってこちらに顔を向けた。《★すれ違いポイント1》
やっぱり彼らもなんだかんだ言っても不安でこっちに来るつもりなのだわ、と思い、「おいで」というふうに大きくうなずいて私は自分の席に戻る。

(しばらくの後)・・・あれ?なんで来ないのかしら?
いやな予感に胸をざわつかせながら隣の車両に見に行ったら・・・い、い、いなーーーい!!!
2人が消えてるーーー!!
列車はアトーチャ駅を出発して次の駅へ動き出している。
どうしてェェェーー!?




私が「おいで」という意味でうなずいたのを彼らは「ここで降りるよ」というふうに受け取って降りてしまったのかしら。
そうに違いない。
今頃私たちが降りなかったのであせっているだろう。
迷子の鉄則はその場を動かないことだ。
そこで待っててよーーー!
私と娘は次のレコレトス(Recoletos)駅で降りて逆側のホームに走り、アトーチャ駅に戻るべくほどなく入ってきた列車に飛び乗った。《★すれ違いポイント2》

間の悪いことに、2人は携帯を持っていなかった。
Aちゃんのはバッテリーが切れて家で充電中だった。
息子のは、その電車を降りたら渡そうと思って私が持ってしまっていたのだった。
唯一の救いはAちゃんがタクシー代に足りそうなお金を持っていることだけだった。

果たしてアトーチャ駅のホームに2人はいなかった。
ンもぉ~~!!迷子としての自覚が足りないではないか。
怒り狂いながら、こうなればヌエボス・ミニステリオスまで行ってしまったのだと考えそちらに向かうべきだろう、と、再び逆ホームに向かい、やってきた電車に乗った。



ヌエボス・ミニステリオス駅にも2人はいなかった。《すれ違いポイント3》
4つあるホームを上から見渡せる位置に立ち、目を皿のようにしてくまなく探したが、いない。

その日の最終目的地はマドリッドのバラハス国際空港だった。
日本に帰国してしまう友人を見送る予定だったのだ。
さては彼ら、自力で空港に向かってしまったに違いない。
ヌエボス・ミニステリオスからメトロの8番線に乗り換えて終点の「ターミナル4」へ。
さほど難しい乗り換えじゃない。
いざ、空港へ!



ああなんということか、空港にも2人の姿はない。
いったいどこへ行ってしまったのだろうか。
気の毒に、その友人家族はスペイン最終日のせっかくのお別れの場を、あわてふためく私に引っかきまわされることになってしまった。
見送りに来ていた他の方々にも大変な心配をかけたまま、空港を後にして、娘と私はとにかく一度家に戻ることにする。
彼らがどうにかして家に戻っているとすれば、鍵を持っていないので中に入れないからだ。
レンフェでM市駅まで戻り、駅の駐車場に置いてあった車で家に。《★すれ違いポイント4》

家にもやはり、いない・・・。
もう思考がほとんど停止状態の私である。

娘を連絡係として家に残し再びマドリッド市内へ出たものの、どこを探すべきなのか考えが定まらない。
2人を見失ってからすでに4時間が経っていた。

ヨレヨレに疲れて家に戻ってみるが2人からの連絡はない。
息子だけならまだしも、よそ様の大事なご子息をお預かりしているのだ。
警察に捜索願を出そうか、というところまで追い詰められた。


次回へ続く。







上海雑技フラメンコ!?

2007年06月25日 | 子供たちのスペイン

娘のフラメンコ教室では、毎年6月に発表会がある。
スペインでは一般的に9月か10月に新学期が始まり、6月はいわゆる年度末なので、1年の締めくくりとして学んだことの成果を発表するのだ。

発表会に向けて練習は着々と進んでいたが、娘はイマイチ踊りの全容が理解できていないようだった。
まず言葉がわからないのだからちょっと気の毒な状況ではあるし、初めて習うフラメンコに戸惑いも多いのは無理もないことだと思う。
けれどそれよりなにより、これは私の偏見と推測だけれど、スペイン人のコトの進め方というのが結構アバウトでいきあたりばったりだってことも大きいんじゃないだろうか。
通し稽古を何度も重ねて仕上げていくのではなく、まるでパッチワークのようにつぎはぎなパーツを、最後にちゃちゃっとつなげてまとめる。
娘は発表会前夜もまだクエスチョンマークを頭にくっつけていた。
聞けば、1番から4番まであるセビジャーナスの1番しか習ってないのに、2番までステージの前面で踊るように言われているらしい。
そんな無茶な。



本番の日。
娘も緊張していただろうけれど、私もとっても緊張していた。
衣装は先生のエバが調達してきてくれたものをつける。
髪はすべてアップにし、後ろでおだんごを作る。
かんざしと花を飾り、ちょっとお化粧もしてみる。
いや~。
娘には申し訳ないが、彫りの浅いのっぺりした顔はなんだかフラメンコにはミスマッチだ。
舞台衣装をまとった彼女は、どう見ても上海雑技団で人間タワーの一番てっぺんの、皿をくるくる回す女の子だった。
それともシンクロナイズド・スイミング、中国ジュニア部門!?
・・・言うのはよそう。
彼女の二次元的な顔は明らかに遺伝だ。



ドキドキして見守る私たちの前で、幕は開き、娘は3曲を踊った。
思ったよりちゃんと仕上がっていたのには本当に感心した。
普段親はレッスンを見学することができないので、時々教室の窓からのぞいたり盗撮したりしていたのだが、初めはフラメンコのフの字も知らず、まるでラジオ体操みたいだった彼女の踊りが、9ヶ月でなんとかそれらしくなっていてビックリした。
先生の辛抱強い指導には感謝、感謝だ。

最後にもう一度出演者全員で打ち上げのセビジャーナスを踊った。
貫禄のおばさんたちの谷間で上海雑技団の子供たち、頑張っていた。


靴を洗う日

2007年01月14日 | 子供たちのスペイン

年明け早々、娘が運動靴を熱心に洗っていた。
古い歯ブラシでゴシゴシ、ゴシゴシ。
私が1時間の外出から帰ってきたら片方干してあり、彼女は休憩中だった。
片方に1時間、休憩1時間、もう片方に1時間。
合計3時間に亘る大イベントとなっていた。

娘がこんなにも一生懸命に靴を洗うのには理由があった。

スペインでは、子供たちにクリスマスのプレゼントをくれるのはサンタではなく、キリストの生誕を祝うために東方の異国からラクダに乗ってやってきた3人の博士、ロス・レジェス・マゴス(Los Reyes Magos)なのだそうだ。
しかも12月24日にではなく、1月5日の夜に。
子供たちはその日を楽しみに楽しみに、靴をピカピカにみがいて窓の近くに置いておく。
遠くから来るそのレジェスをねぎらうためのお菓子を置くのを忘れてはならない。
1月6日の朝起きると、その靴の中にプレゼントが入っているのだ。

そんなわけで娘の運動靴は久々にすっきり真っ白になっていた。
1月5日の夜、「早く寝ないとレジェスは来ない」という教えを守って早めにベッドに入った彼女。
「浦安からマドリッドに住所変更しておくの忘れてた!ゴメン。プレゼント届かないかも~」
などとからかって夢の中に送り出した。

寝入ったのを見計らって窓辺に置かれた靴を見てみると紙切れが入っていた。
「レジスマゴスさん、たびをしてわざわざ来てくださって、ありがとうございます。私は○○がほしいです。よろしくおねがいします。」
そこにはラクダ(どう見てもダックスフントにしか見えなかった)に乗ってピースをする賢者の絵が描かれていた。
かわいい~。
よい子はプレゼントをもらえ、いけない子は炭がもらえるのだそうだが、こんなかわいいお手紙をくれる子にどのレジェスが炭などプレゼントできるだろうか(親バカなんだけどかなり)。

翌朝、念願のプレゼントを手にした娘は満面の笑み。
やっぱりスペインのM市にもプレゼントは届いたか。
やれやれ、ロス・レジェス・マゴスさん、事前のリサーチや準備大変でしたね。
お疲れ様でした。
来年もまたよろしく。





フラメンコ・フラメンコ

2006年12月05日 | 子供たちのスペイン

娘がフラメンコを習い始めた。

せっかくスペインに住んでいるのだし、何かこの国の文化を学ばせたいと思っていたので、彼女が少し興味を示したところをすかさず教室に放り込んだ。
しかし実はたぶん彼女の興味は踊りそのものよりお姫様のようにフリフリのついた長~いスカートと、初めて履くかかとの高い靴にあったのだと思う。
ともあれ毎週火曜日の夜に1時間、近くのスタジオで習える事になった。

先生はもちろん、一緒に習う女の子たちもスペイン人。
一人だけ日本人でスペイン語が話せる子がいるのでその彼女が頼り。
彼女の通訳と、見よう見まねでとにかくついて行っているようだ。

親はレッスン風景を見学することができないのでいつも遠くの窓から盗み見をしている。

隠し撮りなのでこんなわかりづらい写真になってしまったが、ピンクのスカートが娘だ。
まだ始めたばかりで下手っぴいだが、靴で床をカンカンと踏み鳴らす「サパテアード」をしながら、フラメンコ特有の手と指の動きを練習している姿は微笑ましい。

しかし一緒に習っているスペイン人の女の子たちを見ていると、なんだかちょっと違う。
同じ動きをしてもサマになっている。
腰をクネクネとくねらせてなんとも艶かしいのだ。
こっ…こっ…子供のくせに!と思わずこっちが恥ずかしくなってしまうが、やはり魅力的で惹きつけられる。
「血」なのだろうか。

習うからには娘も魅力的な踊りができるようになってほしいが、腰クネクネは、う~ん、フクザツである。


「まだ、大丈夫」

2006年11月30日 | 子供たちのスペイン

子供たちとマドリッド市内で地下鉄に乗った。
土曜日の割には車内は結構混んでおり席に座れなかったので、近くのバーにつかまった。

もうすぐ12月。
晩秋から初冬への移り変わりで、だんだん寒~い日が増えてきた。
この日も外は随分冷え込んでピューピュー風が吹いている。何気なくバーにしがみついた自分の手を見ると、冷えと乾燥でまるで枯れ木のようにシワシワ。
思わず、
「いや~ん、ママの手、こんなにシワシワ!」
私の嘆き方があまりにマジだったのか、娘があわてて私の顔をのぞきこんで言った。
「でもママ、お顔はまだ大丈夫。」

こう言ってはなんだが、娘はあまりお勉強が得意な方ではない。
娘の今まで9年の人生のうち、約3年半は日本で過ごしたけれど、残りは海外。
日本語力に関しては特に心配するところであった。
それもこれも、日々の忙しさにかまけて大切な時期に満足に相手をしてやらなかった私がいけなかったのだと反省しつつも、実際は依然としてなにもしてやれずにただ時間を過ごすばかりだった。

けれど、ママは今日ビックリしましたよ。
ちゃんと微妙な日本語が使えるではないの。
「でもママ、お顔は十分キレイよ。」
では決してなく、
「お顔は『まだ』『ダイジョーブ』。」

母を慰めはしたいが見え透いたウソはどうしてもつけない娘のとっさの葛藤と、一生懸命かつ哀しいほど正直な言葉選びに、なんだか笑ってしまったのだった。

いつまで大丈夫かわからないけど、ママがんばる。



涙の文化祭~

2006年11月21日 | 子供たちのスペイン

我が家の子供たちはマドリッド日本人学校に通っている。
先日秋の一大イベント、文化祭が行われた。

文化祭のメインは子供たちによる劇だった。
小学部低学年、高学年、中学部に分かれてそれぞれ日本語劇や英語劇、スペイン語劇を見せてくれた。

マドリッド日本人学校は現在小学校1年生から中学校3年生までで合わせて32人の小さな学校である。
なので何をするにも1人1人にかかる負荷が大きくなる。
文化祭に向けて子供たちがあまりに真剣に取り組んでいるので、親もせめて衣装の準備などで協力せねばとはりきる。
今回息子が「レイコ様」という不思議な役をすることになり、女装をするというので金髪のカツラを用意した。
毎晩不気味なオネエ言葉のセリフが部屋からもれ聞こえてきてご近所にかなり恥ずかしい。


果たして文化祭当日。
娘は日本語劇の「どんぐり」役と、スペイン語版白雪姫の「小人その1」役で普通にかわいらしくがんばった。
そして中学部の日本語劇「絆」が始まった。
息子の出番は後の方だと言う。
劇が進むにつれ、冷や汗がタラタラ出てきた。
金髪の「レイコ様」のお話は当然喜劇だと思って深くストーリーをたずねもしなかったが、目の前で繰り広げられている劇はなんと、深~い友情をテーマにしたNHK中学生日記風の超大真面目なストーリーではありませんか。
しかもさすが中学部ともなると演技がうまい!みんなホントにそのままテレビに出てもよいくらいに自然な演技なのだ。
全校生徒、そのご両親、おじいちゃまおばあちゃままでし~んとなって見入っていらっしゃる。
まずい。この雰囲気に「レイコ様」の登場はあまりに衝撃的過ぎる!

「私はあやしい者じゃないわ。」
と登場してしまった息子はかなりあやしく、会場のどよめきを浴びた。
私は身のちぢむ思いだった。

それでも、もともとの脚本がよいせいか、キワモノにも見慣れたせいか、会場全体が次第に物語りに引き込まれてゆき、とうとう感動のフィナーレを迎える。
写真を撮るのも忘れて見入ってしまった。
息子がはじめからすごくやりたがっただけあって、その「レイコ様」が物語の鍵をにぎる重要な役割りだったのだ。
あんなに不気味でよかったのかどうか、親として皆さんに申し訳ないような気がしたが、幕は無事下りた。

あとで聞くと、下りた幕の向こう側で7人の中学部の仲間が、事を成し遂げた達成感に酔い、抱き合って涙したらしい。
皆様には「あのキャラは貴重だ」とかよくわからない賛辞(?)をいただいた。
しかしみんな本当に上手だった。

子供たちが自分たちで考え、一つ一つ作り上げていった作品。
息子の強い個性を認めて、受け入れてくれた仲間たち。
そして、全部を許容してくださった懐の深~い先生方、ありがとうございました。