スペイン母子家庭生活奮闘記☆毎日ドキドキ@マドリッド

夫の仕事でマドリッドにお引越ししたものの、諸事情によりスペイン内別居生活。
母は毎日がんばるよ!

パンプローナの牛追い祭り part 3

2007年07月30日 | おすすめ~な観光名所

パンプローナは普段はしっとりと落ち着いて、穏やかな町だ。
緑も多く、のんびりとくつろぐことができる。
人々は淡々と、日々を過ごしている。

サン・フェルミン祭はそんなイメージとは正反対の、とっても熱い祭りである。
今回初めて行ってみて、良くも悪くもその熱さを実感させられた。
もちろんこの祭りの核となる牛追いの儀式や闘牛は、ナバーラ王国の時代から続く、歴史のあるすばらしいものであり、まさに熱狂そのものだ。
それには何も言うことはない。
誰がケガをしようが、命を落とそうが、やると言ったらやる、その心意気に一票!

いやしかし。
ちょっと耐え難く強烈に印象深かったのが、ニオイだった。
酒臭い!
それもただの酒臭さではない。
人々のカラダから、服から、靴から。
地面から、壁から、柱から。
すべてのものからアルコールのニオイが漂っており、それはそれはスゴかったのだ。



牛を追って走り、盛り上がり、飲んで、飲んで、飲む。
それがこの祭りの真髄らしい。
べろんべろんに酔って公園に寝っころがり、そのまま夜をあかす人たちがそのへんにごろごろ転がっている。

酔っ払いは、ワインやビールをを瓶ごとかかえて飲み、空になるとアスファルトに叩きつけて割る。
それで地面には粉々に砕けたガラスの破片がびっしり。
あぶなくてとても子供をサンダルで歩かせたりできない。
転んだら大変、と緊張しながらそろそろと歩く。

旧市街の石畳はこの時期大量の酒類を吸って、歩くとネチョネチョする。
こぼれたいろんな色のお酒があちこちに溜まる。
時々アルコール臭に混じってアンモニア臭も漂う。
なんだかちょっと酸っぱいニオイも・・・。
とにかく酸素ボンベでも持って歩きたいと思ったくらいだ。

2日目に闘牛場で牛たちの到着を待っていた時も、周りは酔っ払いばかり。
浴びるようにビールを飲み続けるやつらを前に、私はげんなり。
人が飲んでるのを見て、私は飲みたくない、と思ったのは初めてかも知れない。
息子は完全にビビッており、「早く帰ろうよ」を連発していた。

「昔はこんなじゃなかったのに、今は若い人たちが無茶をするから・・・」と知り合いのスペイン人が嘆いていたが、やっぱり節度は大切だと思う。
でも救いは、みんなハッピーな酔っ払いだったってことだろうか。
あれほど飲んでいても、ケンカとゲロは少なかったような気がする。




パンプローナの牛追い祭り part 2

2007年07月20日 | おすすめ~な観光名所

牛追い祭り体験1日目の朝はちょっと計画に甘さがあったので、2日目は作戦変更。
牛たちの最終目的地である闘牛場に席を確保して、ゆっくり待つことにした。
エンシエーロでは、全部の牛が闘牛場に入った時点で扉が閉められる。
そこに駆け込めた者たちだけが、そのあとで素人闘牛に参加することができるのだ。

前日に入場券を買っておいたので、この日は少しゆっくりめに出かけた。
たまたま牛たちの入場を正面から見られるうえに、日陰のラッキーな場所だった。
8時が近づくにつれて会場は盛り上がる。
ウェーブは始まるは、口笛はピーピー鳴るは。
そうこうするうちに8時を告げる爆竹が鳴った。



わーー、スタートしたみたい、と思ったらまたあっという間に人と牛がなだれこんできた。
どこでどうやって見ても結局あっけない。



牛たちはいったん全員闘牛場の控え室(?)に引っ込んだが、ほどなく1頭のすごーく元気なヤツが飛び出してきた。
素人闘牛の始まりだ。
興奮して走り回る牛から逃げまどう人。
勇敢に立ち向かい挑発する人。
挑発しておいて牛の逆襲に遭い、超カッコ悪い姿をさらして会場中から「トント、トント(tonto バ~カ)」と笑われちゃう人。
女性もちらほらと混ざっている。
牛の角は先のとがった部分を少し加工してあるようだったが、それにしても結構りっぱなもので、突かれるとさぞかし痛いだろう。
その角に服の端が引っかかって、ぶんぶん振り回されている人もいた。
牛が疲れると、すぐ次の元気な一頭と交代する。
この素人闘牛は結構楽しめて正解だった。





朝8時のエンシエーロの他にも、ヒガンテス(gigantes ハリボテの巨人)のパレードや本物の闘牛、移動遊園地に出店など、お祭り期間中はいろいろな催しがある。
朝から深夜まで老若男女がエネルギッシュにお祭りを楽しむのだ。


まだ続く。

パンプローナの牛追い祭り

2007年07月18日 | おすすめ~な観光名所

マドリッドから北東へ約450Km。
ナバーラ地方の古都パンプローナは、毎年7月に行われるサン・フェルミンの牛追い祭りでその名を知られている。
そのサン・フェルミン祭に初めて行ってきた。
実家の父も日本から参戦。
いざ。

町は、白いシャツとズボンに赤いバンダナと腰布、というこの祭りのユニフォームを身につけた人々で溢れかえっていた。
バスの運転手も、レストランのウェイターも、パン屋も八百屋もみーんなその格好をしている。
カタチから入るのは大事だと常々思っている私は、もちろんそれを買いに走った。
さっそく身に着ける。
祭りの一部として私たちも、うんうん、十分溶け込んでいるゾ。
この時期、商店街のウィンドウもすべてそういうコーディネイトになる。



祭りの期間中(7月6日~7月14日)毎朝8時にエンシエーロ(牛追い)の儀式が始まる。
旧市街のはずれ、ナバーラ博物館脇が出発地点だ。
囲いから放たれた10頭ほどの牛たちが、市役所前広場を経て石畳の小路を闘牛場まで駆け抜ける。
その牛たちを追って人々が走る。
角を曲がりきれずに牛たちが次々と折り重なってコケる。
牛に角でお尻を突かれたり、ふんずけられたりして人もコケる。
毎年けが人が続出、時には命を落とす人もいるという。
救護隊と救急車が常に沿道で待機している。



朝8時からのそれに備えて6時に旧市街に出かけたが、すでによい場所は埋まってしまっていた。
沿道の柵は二重になっており、一重目はテレビや新聞などのプレスと、救護班用にキープされていた。
一般ピープルはその後ろだから、柵の上に乗っかるようにして上から見下ろす形でなければエンシエーロの様子はよく見えない。
けれど遅かった。
柵の上はもう、電線にスズメの止まっているがごとくびっしりと人で埋め尽くされていた。
私たちは仕方なく、人の足元のすきまからのぞいて牛たちが来るのを待った。



牛たちと人々は一瞬で通り過ぎた。
「来たぞ!来たぞ!」という興奮は確かに伝わってきたが、あまりにもあっという間でなんだかよくわからないうちに終わったというのが本当のところだ。
それに足しか見えなかったし。
目の前で牛が一頭コケてくれたのが唯一ラッキーだった。
牛って倒れるとなかなか起き上がれないんだということがわかった。

最前列の特等席でプレスの人たちが身を乗り出してカメラを構えるのは、わかる。
でも救護班や警察までがいつのまにかそこでこぶしを振り上げてノリノリだったのはいかがなものか。
それまで無表情でクールに「仕事だ」的なそぶりをしていたのに。
ずるいぞ。

次回に続く。

今日は起きられない!?

2007年07月12日 | マドリッドの過ごし方

初めてお芝居を観に行った。
マドリッド中心街のグラン・ビア(Gran Vía)という大通りには大小たくさんのテアトロがある。
ミュージカル、バレエ、フラメンコ・・・。
いつも様々なエンターテインメントであふれている。

作品のタイトルは「Hoy No Me Puedo Levantar オイ ノ メ プエド レバンタール」。
普通に訳せば、「今日は僕、起きられない~。」だろうか。
「Mecano メカノ」という人気歌手グループの曲をたっぷり取り入れたミュージカルだ。
少しぐらい言葉がわからなくても、歌やダンスで十分楽しめるだろうと思って楽しみに出かけた。

毎日コツコツとスペイン語の勉強をしているはずなのに、いったいどうしたことだろう。
セリフがほとんど聞き取れない。
意味が全然わからない。
確かに早口で、スラングもたくさん入っていたんだろうけどそれにしても・・・。
ストーリーは2部構成になっており、結構長いお芝居だった。
ジョークがふんだんに混ざっていたようで、あちこちで何度も笑いが起こっていたが、私は当然笑えない。
くやしくてくやしくて、1人しらけてブーたれていた。

3時間以上ものあいだ、そりゃ歌やダンスはきれいだったには違いないけど、「あんたスペイン語全然ダメじゃん」と言われ続けているようで、拷問に近かった。
リベンジを誓った夜だった。


自宅リゾート

2007年07月11日 | 生活事情・・・

うちのピソの中庭には共用の結構大きなプールがある。
マドリッド郊外の新興住宅地のピソはほとんどがプール付きだ。
私のピソ選びの大きなポイントの一つは、プールとその周りが「イイ感じ」であることだった。
今の部屋を決めることになったのは、リビングに続くベランダから、芝生の中庭とそしてプールが見下ろせて、自宅にいながらまるでどこかのリゾートにでも来ているようないい気分になれると思ったからだ。

今年のプール開きは6月16日だったが、例年にない気温の低さで最初の1~2週間は誰も泳ぐ気になれないようだった。
最近になってようやく気温が30度を超すようになり、プールは毎日とってもにぎやかだ。

お昼の12時から3時までと、4時から夜の9時までソコリスタ(socorrista ライフセーバー)さんがプールサイドに詰めてくれている。
それ以外の時間に泳ぐ人もいるが、それは個々の責任において、ということなのだろう。
9月の末まで好きなときに泳ぐことができる。



ヨーロッパ人は、泳ぐというより、陽の光を浴びることに喜びを感じるらしい。
こんなにステキなプールがあるのに、日がな一日芝生に寝っ転がって太陽の光を体中に浴び、体が火照ってくると、ちゃぽん、とまるでお風呂につかるようにプールに入ってクールダウンをして、そしてまた太陽を浴びる。
プールの端から端まで熱心に泳ぐのは、ドイツ人か日本人くらいだ。

ベランダからプールが見下ろせて最高だ!と思ったのだが、それは最初のうちだけだった。
なにしろ、うるさい。
子供たちが(ウチの子も含めて)一日中ワーワーキャーキャー騒ぐ。
大人たちもイイ気分で思いきり喋る(スペイン人は声がでかい)。
とにかく毎日お祭り騒ぎだ。

うるさいのはまだいい。
一番困るのは、自分の気持ちがなんだかソワソワしてしまうことだ。
目の前でリゾートが繰り広げられているのに、私ったら掃除なんてしていていいんだろうか、と思ったりしてしまう。
だいたい、あの人たちは毎日ああして一日中寝っころがってるけど、家事はどうしてるの、家事は。
・・・といらぬ心配をしたり。

プールにつられて選んだ住まいなのに、そのせいでなんとなくイライラしてしまう私なのであった。


マドリッド夜遊び初体験

2007年07月02日 | マドリッドの過ごし方

子供たちが2泊3日で学校のお泊り学習に行った。
行ってしまった・・・!
・・・ふっふっふっ。
笑いが止まらない。
学校ママたちは毎年この時期になると、さ~て、何して遊んでやろうかと綿密な計画をたてる。

とはいえ、さすがに遠出をするのはムリ。
もし万が一子供が宿泊先で熱でも出そうものなら、先生からお呼びかかかって即座に迎えに行かなければならないからだ。
マドリッド近辺で、普段子供たちがいては、なかなかできないこと。
というわけで、フラメンコのタブラオに行くことにした。

タブラオの始まりは遅い。
今回選んだのは、私たちがいつも通っているスタジオからも近いカサ・パタス(Casa Patas)。
ここで認められれば一人前になれるという、フラメンコを志す者たちの登竜門と言われているところだ。
フラメンコ・ショーは10時半からで、終わるのは12時を回ったりする。
だからこそ子供たちがいない時にしか楽しめないのだ。



9時にそのタブラオのレストランを予約し、食事をした後、店の奥にあるテアトロ(teatro 劇場)に移動。
平日の深夜なのに店は満員だった。
もう開放感とワインに酔いしれながらショーの始まりを待つ。

まずギター、カンテ(cante 歌)、そしてパルマ(palma 手拍子)で物悲しい調べが鳴り響く。
このパルマというのがまたイイ!
たかが手拍子とあなどることなかれ。
手拍子ひとつにもいろいろな種類があり、そしてなによりフラメンコのリズムは微妙で奥深い。
カッコよくパルマを打つのはそれはむずかしいのである。

若い女性の踊り手が登場。
眉間にググッとしわを寄せてむずかしい顔をしながら情感をたぁ~っぷり込めてブラッソ(brazo 腕)をくねくねと動かす。
そして華麗なサパテアード(zapateado 靴底で床を打つ技)。
大きな劇場とはまた違って、やはり間近で観るのは迫力だ。
男性ダンサーも登場し(この人すごく私好み)、会場を魅了する。
写真を撮ろうとしたら怒られてしまったので、隠し撮りの不鮮明なものしかなくて残念。

バイレ(baile 踊り)、ギター、カンテ、パルマが見事に調和したすばらしい舞台だった。
それぞれがとても楽しそうだったし。
以前私たちを教えてくださっていた先生が、一目でフラメンコにハマり、何もかも捨ててスペインにすっ飛んできてしまった気持ちがよくわかった。
この雰囲気の中に身をおきたい、と思ってしまった気持ちが。

興奮を引きずりながら、タクシーで帰宅。
午前1時だった。
あ~、来年のお泊り学習まで待てない。
また行ってしまうかも。