スペイン母子家庭生活奮闘記☆毎日ドキドキ@マドリッド

夫の仕事でマドリッドにお引越ししたものの、諸事情によりスペイン内別居生活。
母は毎日がんばるよ!

病院ぐるぐるたらい回しの巻 part 2

2007年09月29日 | 毎日がんばってま~す!

朝、家を出てから3時間が経っている。
クラクラしてきた。
このうえE病院に行け、だと~~!?
息子は、
「お母さん、ぼくもういい。今日は帰ろう。」
と言う。
そおだね、かえろか・・・と言いそうになったがエイッとふんばる!
ここまで来てなんもせずに帰れますかいな。

E病院はさらに車で10分ほどのところにある。
大きな大学病院だ。
ここならきっと・・・!と祈るような気持ちと、いやいや、過度の期待はすまい、という気持ちを半分ずつ持って小児救急外来へ。

受付で事情を説明する。
「すべって、転んで、手をついて・・・」
今日もうすでに何度あちこちでこの説明をしただろうか。

受付の後簡単な診察。
若いドクターに事情を説明する。
「すべって、転んで、手をついて・・・」

ラジオグラフィア(radiografía レントゲン)を撮る。
ドクターは画像を見て、
「う~ん、ボクは折れてないと思うんだけど、専門の先生に診てもらったほうがいいと思うんだ。」
と、トラウマトロヒア(traumatrogía 外傷科)へ行けと言う。
ここでもたらい回しか!

看護助手に案内され長い廊下を延々歩いてそのトラウマトロヒアへ。
「名前を呼ばれるまでここで待ちなさい。」
と待合室に残される私たち。

しばらくして第2診察室に入れとアナウンスがある。
事情を説明する。
「すべって、転んで、手をついて・・・」
今度のドクターも、画像を見て、
う~ん、もっと経験のあるドクターに診てもらおう。」
また待合室で小一時間待たされる。
依然として何の手当てもしてもらえないままである。

ようやく呼ばれて入った第4診察室。
その経験のあるドクターに事情を説明する。
「すべって、転んで、手をついて・・・」
・・・ちゃんと連絡しとかんかい!!!(怒)

ハンサムなドクターは、しかし愛想がなかった。
無表情のまま、よくもよくも私のような外人にそんな早口で・・・!とあっけにとられるほどのスピードで診断を下す。
ほとんどわからない。
まるでいやがらせのような超スピードの説明の最後に
「わかりましたか?ではまた。」
と、早く出て行きなさい、と言わんばかりだ。

わかったのは、やっぱり骨折をしている、ということと、3~4週間かかるということ、そして1週間後に来なさいということの3つだ。
そして、また待合室で待てと言う。

待てと言われたのだから待つしかないのだが、いったい何を待つのだろう。
初めてなので、病院のシステムがわからない。
わけがわからないまま待つのは心細くてドキドキする。
30分待っても呼ばれない。
まちがった場所で待っているのではないか、とか、カルテの受け渡しミスで後回しにされているのではないか、とか考えて不安が最高潮に。

とうとう我慢できなくなり、通りかかった看護助手のおばさんをつかまえてどうなっているのか聞いてみる。
どれだけ待たされているか、どうして待たされているのか、あとどのくらい待てばいいのか。
私が一生懸命訴えていると、隣で息子がグシュグシュ泣き出すではないか。
そのおばさんは、
「まあ、かわいそう、こんなに泣いて・・・!そうよね、痛いわよね。いいわ、私が聞いてきてあげる!」
と診察室の方にパタパタと歩いて行った。
「中学生にもなって何泣いてんの・・・」
となぐさめようとすると、顔を上げてニヤッと笑う。
こいつ・・・!
ウソ泣きだ。

結局ギプスをしてもらうために待たされていたのであった。
骨折から21時間後、ようやくギプス装着。
右手の薬指の第2関節あたりの骨折だったのだが、肘から先をぐるぐる巻きにされた。



10日後に運動会がある。
彼はなぜか運動会に縁がない。
小学校最後の運動会も、足の指を骨折して出られなかった。
今回も、少人数の学校だけに、重要な役割を与えられていたにもかかわらず、これだ。
ケガの痛みよりなにより、皆への申し訳なさが先にたって、彼はうなだれた。

治療費は、公立病院だったので、タダだった。
今日の◎ポイントはそこだけである。
朝から6時間半の病院めぐりでもうぐったり。
これは病気の人にはムリだと思う・・・・。








病院ぐるぐるたらい回しの巻

2007年09月22日 | 毎日がんばってま~す!

息子が家ですべって転んだ。
右手の薬指をひどく打ったようで、指の付け根あたりがポコンと腫れて、すごく痛がる。
これはやはり病院に行ってレントゲンをとってもらうしかない。
できればこんな外国でややこしいことは避けたいというのが正直なところだが、一晩様子を見ても腫れや痛みが引く気配がなく、いやな予感とともに重い腰を上げる。

スペインでは一般的に、診療をしてもらうのには予約がいる。
突発的なケガや病気にはウルヘンシア(urgencia 救急)窓口があり、我が家の子供たちの病気やケガはほとんどがウルヘンシアに当たる。
悠長に予約なんて取って、「混んでいるので10日後です」なんて言われても、そんな頃にはもう治ってしまってるだろう。

先日も、娘が「耳が痛い~」と言うので耳鼻科に行ったのだが、「子供の耳鼻科救急外来はない」だの「今日は診療日じゃない」だの言われてたらいまわしにされ、娘も、「なんか治ってきた」と半ばあきらめて自己免疫療法に切り替え、結局2週間後に予約が取れて診てもらえたときにはすっかり完治していた、という笑えない話があったところだ。

ぐずぐず迷っていても仕方ないし、行くか。
どっこいしょっと。
ささっと診てくれる病院はあるかしら。
M市のA救急病院をたずねてみる。

受付のおばちゃんはとっても恐い人だった。
「いつ転んだの?え?昨日!?じゃなんで昨日連れてこなかったの!!」
叱られちゃった。
そして、ここに行きなさい、とB病院の住所を書いた紙切れを渡された。
どうしてこの病院で診てもらえないのかよくわからないまま、言われたとおりB病院へ。



B病院の受付のおばちゃんは
「ここは専門病院だから、300m先のC病院へ行きなさい。」
と困った顔で言った。

C病院へ行った。
受付、待合室を経て診察室に到達した。
ようやく診てもらえる!
息子と顔を見合わせ小さくガッツポーズを交わす。
ところが、ドクトーラ(Doctora 女医さん)は状況をカルテに書き込みながら、
「そうね、レントゲンをとらなきゃね。ここに書いておくから、これを持ってD病院に行ってね。」
と言うではないか。
耳を疑ってしまった。
「こ、ここは病院ではないのですかっ!?」
と聞くと、
「悪いけど、病院じゃないのよ~。」
つまり、そこはアンブラトリオ(ambulatorio 初診外来)なる施設で、そこでいったん診てもらい、ケガや病気の程度によってそれぞれの適した病院に送り込んでもらうというシステムになっていたのだ。
そのD病院はマドリッド市内にあって、高速をすっとばして行かなければならない。
ガーーン。
でも行くしかないのだ。

D病院に着いた。
ウルヘンシアの窓口で受付のおじさんに、C病院で書いてもらったカルテを見せる。
保険の証書を見せ、身分証明書を見せ、書類を作ってもらい、ようやく診察室へ。
ところが、息子の年齢が13歳だと知るや、
「子供の救急外来はないから、E病院に行きなさい。」
若いドクターが無情にもそのように言い放った。
ぬ、ぬぁにいいいィ!?


Part 2に続く






こっちのが・・・

2007年09月19日 | 季節の風景

秋はお祭りのシーズンだ。
私たちの住むM市でも毎年秋祭りが行われる。
スポーツやアート、中世の市場などさまざまなイベントが10日間程にわたって繰り広げられるが、その中にはやっぱりィ!?というかんじで闘牛や牛追いがある。

パンプローナのがあまりにも有名すぎて、牛追いといえばパンプローナのものだと思われがちだが、スペインのあちこちで牛追いは季節のイベントとして行われている。
規模は小さいかもしれないが、結構楽しめるものもあるらしい。

ここM市では、普段公共の駐車場になっているスペースが、お祭り期間中いきなり仮設闘牛場と化す。





牛追いはその闘牛場に続く路地を車両通行止めにして2日間行われた。
エンシエーロ・インファンティル(Encierro Infantil ちびっこ牛追い)もあるというのでびっくりしたが、なんのことはない、牛のかぶりモノをつけた一輪車で子供たちをおどかしながら走るというすごい文字通りの子供だましだ。
でもこれが結構楽しそう。
それにこの自転車牛、とってもよくできている。
剥製なのかもしれない。

一度じゃつまらないからか、スタート地点から闘牛場までを何往復も走り、大人も子供もキャアキャア喜んでいる。





それが終わるといよいよホンモノの牛さんが登場する。
パンプローナでは2時間も前に行ってもよい場所を確保することはできなかったが、ここでは楽々!
15分前でも余裕、余裕。
柵によじのぼってスタンバイする。

スタートの合図の爆竹が鳴る。
ええっ!?なぜか、闘牛場の方から牛が登場。
なんでだかわからないが、まあいいか。
大きめの茶系の牛が3頭。
ゆっさゆっさと体を揺らしながら走る。
カウベルがカラン、コロンとのどかな音をたてる。
パンプローナのに比べて随分のんびりした感じだけど、間近で見る牛追いは迫力があって十分に恐い。



しばらくしたら折り返してきた牛たちがまた目の前を通過してくれた。
今度は黒くて勇ましい牛が2頭加わっていて、スピードもかなり増していたし、走る人間の方もちょっと真剣で必死な感じが伝わってくる。
もしかしてあの茶系の牛はこの黒い牛を迎えに行ったのかしら?
さっきのより数倍恐ろしかった。

結局牛たちは私の目の前を2往復した。
大サービスだ。

パンプローナの牛追い祭りは、世界中から観光客が押し寄せ、酔っ払って無茶をする若者が街中にあふれる。
近年は本来の意味から随分ズレた祭りになり下がっていると言って嘆くスペイン人が多いようだが、ここM市の牛追いは地元民の純粋なお楽しみとしてほのぼのと行われる。
牛の数は少ないし、なんかのんびりしちゃってるし、走る人もぜんぜん緊張感に欠けてるけど、でも好位置を簡単にキープして見ることができて嬉しかった。

こっちの牛追いで十分かもしれない、と思ってしまった。




母をたずねて三千里

2007年09月07日 | おすすめ~な観光名所

8世紀中ごろ、イスラム王朝の首都として栄えた古都コルドバ。
マドリッドからAVE(アーベ)という新幹線で1時間40分。
迷路のように入り組んだ白い家と壁の路地や、メスキータ(イスラム教会)の尖塔が異文化との融合を象徴する。

しかし夏のアンダルシアは暑かった!
午後は軽く40度を越える。
乾燥しているので日陰に避難すればなんとかなるが、そうでなければ生命の危機を感じる瞬間もあったりする。



コルドバで、まず訪れるべきところが前述のメスキータ。
イスラム王朝時代、もともとキリスト教会のあった場所に建てられたイスラムのモスクが、その後再びキリスト教徒によってそれ風に改築され、言ってみれば宗教的サンドイッチか文化の寄せ鍋か、とにかく面白いのだ。

写真の「円柱の森」は、馬蹄形の円柱が約850本も立つホールで、私の一番好きな場所である。
なんとなく「おいしそう」だから。
チョコレートでできているみたいで。

イスラム風アーチの中に、キリスト教風彫刻がびっしり施されていたり、円柱の森の隣にキリスト教の大聖堂や礼拝堂があったりする。



白い迷路のような通りも面白い。
レストランやバル、みやげもの屋がいっぱい。
やっぱりこの白い壁と青い空のコントラストこそが、一般的なスペインのイメージではなかろうか。

名物料理の一つにサルモレホ(salmorejo)という冷たいスープがある。
ガスパチョに似ているが、もっとどろっとしていて、ゆで卵とハムのトッピングがかわいい。
スープというより、刺激の強い流動食(?)みたいなかんじ。
子供たちには不評だったが、私は結構気に入った。

マドリッドから簡単に来られるのだから、日帰りでもイケルかもしれない。
5月には、住人たちが、中庭を訪れる人々に開放してその美しさを競い合うフィエスタが毎年行われるというから、ちょっとお散歩気分で来てみるのもいいかも。

ところで、「母を訪ねて3千里」のマルコが少ない手がかりをたよりにまずたどりつくのが確かコルドバだった気がする。
そのコルドバがここだ!と思っていたが、南米アルゼンチンにもコルドバがあって、マルコのはそっちらしい。
なあんだ。
そうだったのか。