スペイン母子家庭生活奮闘記☆毎日ドキドキ@マドリッド

夫の仕事でマドリッドにお引越ししたものの、諸事情によりスペイン内別居生活。
母は毎日がんばるよ!

お姉さん、邪魔・・・

2009年01月07日 | スペインを知りたい!

明けましておめでとうございます!
旧年中は拙いブログにお付き合いくださいましてありがとうございました。
そして本年もどうぞよろしくお願いいたします。

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年末年始マドリッドはイマイチお天気に恵まれず、ぐずついた日が多かったような気がする。
旅行の計画もあり、普段より熱心に天気予報を見たりした。

それにしても。
前々から思っていたのだが、お天気のお姉さんがすごく邪魔だ。
いつもイベリア半島のど真ん中に立ちはだかっている。
毎日だ、毎日。

スペイン語のリスニング力がすぐれていてお姉さんのアナウンスを一言一句もらさず聞き取れれば問題はないのであろうが、そうではない以上情けないことだが視覚からの情報に頼らざるを得ない私。
お天気マークか雲か傘か、はたまた雪ダルマか?!
そして最高気温、最低気温は?!





今回旅行の地は不運なことにちょうどお姉さんの胴体に阻まれてしまっていた。
お姉さんが微妙に移動するほんの一瞬を期待して食い入るように画面に集中したが・・・・結局わからなかった。
まあいいや、と当日傘を持たずに出たら、雨。

お姉~さ~ん!!





ホヤホヤしぼりたてオリーブオイル

2008年12月01日 | スペインを知りたい!

今年のマドリッドではまさに今がオリーブの収穫時期である。
知り合いのオリーブオイル工場がマドリッドから車で約1時間半のトレド県内にあり、そこでオリーブの収穫からオリーブオイルができるまでを見せてもらえるという。
子供たちにもスペインならではのこのイベントをぜひ見せたいということで、日本人学校のPTA主催の工場見学と相成った。



今回訪れたのはバルデラマ(Valderrama)というメーカーで、小さな工場ながら質のよいオリーブオイルを作るので評判の高い会社である。
この会社のオイルしか使わないというこだわりを持つ有名レストランもあるほどだということだ。

オリーブの実はしっかり熟していないと風味が出ないし、あまり熟すのを待ちすぎると冬が来て霜が下りせっかくの実が台無しになってしまう。
時期の見極めが難しく、また収穫するぞ!となったら鬼のような忙しさである。
何万本ものオリーブを一ヶ月ほどの間にほとんど無休で収穫するのだそうだ。

広大な敷地に立ち並ぶオリーブ・オリーブ・オリーブ!
何ヘクタールと言われてもピンとこないが、とにかくあっちーーーの端からこっちーーーの端まで見えるところ全部、といった感じの広さである。



収穫は木の数に比べてビックリするほど少人数で行われていた。
車からニョキッと生えた大きなマジックハンドがオリーブの木の幹をガシッと挟みユサユサブルブルと震えると、オリーブの実がボロボロ面白いように地面に落ちる。
残った実は作業員が鋤のような器具を使い手作業で落とす。
地面には網が敷いてあり、トラクターが一気にその網を引いてすぐさま搾油工場まで運ぶ。
そしてマジックハンドは次の木へ。



この工場のモットーは「収穫から搾油まで45分」なのだそうだ。
オリーブの実は収穫してから時間を置くと風味が損なわれてしまう。
それゆえ時間との勝負!とばかり作業に取り掛かる。





大量の実はベルトコンベアで順次「選別」「洗浄」「粉砕」「搾油」と工程を経てフレッシュ・オリーブ・ジュースとなる。
ここでは搾油は圧力をかけて搾り取ることをせず、遠心分離機により行われる。
この一番搾りがエクストラ・ヴァージン・オリーブオイルと呼ばれる。



機械から流れ出てきたその一番搾りのキレイな色といったら・・・!
まるでバスクリンのよう。
味見をさせてもらうとなんとも滋味あふれる香りと舌触り。
「これがオイル?!」と子供たちからも驚きの声が上がる。

あとの残りかすからもまだ十分オイルが搾れるのだが、この工場ではそれはせず、エクストラ・ヴァージンのみを製造している。
またここのオリーブオイルは濾過をしないので少し濁っている。
これもオーナーのこだわりの一つで、フィルターを通さないことで香り、味、ビタミン、抗酸化物質をそのまま含むオイルになるのだそうだ。



搾ったオイルはタンクに入れられ低温に保たれながら48時間寝かされる。
この間に余分な不純物が自らの重さで沈殿する。
その後は巨大なタンクでしっかり品質を管理されながら注文を待ち瓶詰めされる。

オリーブの木の種類によって特徴のある4種のオイルができ、サラダにはこれ、肉にはこれ、魚にはこれとそれぞれのお勧めがある。



併設のレストランでできたてのオリーブオイルを使った料理をいただいた。
よいオリーブオイルは焼きたてのパンやもぎたてのトマトにかけるだけで、このうえないごちそうになる。
もちろん肉や魚のソースに使われたりパスタに使われたり。
お料理は美味しく、日本人学校の児童・生徒とその家族全員、本当に満足して帰途についたのだった。

普段食べているオリーブオイルがこんな風にして作られているとわかってますます愛情をこめてお料理できそうな気がする。


初・闘牛の日 part 2

2008年10月08日 | スペインを知りたい!

いよいよ主役の闘牛士である、マタドール(matador)の登場である。
ムレタと呼ばれる赤いフランネルの布をさばいて牛をあちらへこちらへと走らせる。
もうこの時点で牛はかなり弱っている。
当たり前だ。
あんなに銛を打ち込まれているのだから。
なんてアンフェアな戦いなんだろうと思う。
馬に乗って上から槍で突いたり、何人もで寄ってたかっていたぶるなんて。
たぶんもう2度とこんな残酷なショーを観ることはないだろう。



ムレタを使った演技は、牛が絶命するまでの時間を含めて10分。
その10分間に闘牛士の持つ感性の美の表現を起承転結させるのだそうだ。

そして「真実の瞬間」。
牛と睨み合いながら闘牛士が静かに剣を構える。
凛と張りつめた空気がアレーナを包む。
一瞬の後、闘牛士の剣が牛の首の後ろにある隆起部の中心に深々と突き立てられる。
牛は心臓近くの大動脈を切られ、数秒後に膝から崩れ落ちる。



その演技と牛の死が美しければ観客は一斉に白いハンカチを振って主催者長に訴え、その闘牛士はご褒美に牛の耳をもらえることになっている。
つまり、いかに正確に牛の急所に剣を刺し、苦しませることなく逝かせるか。
そこのところにご褒美の耳がかかっている。
牛の耳の数はそのままその闘牛士のランク付けに影響する。
今までにいくつの耳をゲットしたかが闘牛士のプロフィールにしっかり記載されているのだ。



1頭目の牛は気の毒になかなか死なせてもらえず、最後は短刀で延髄を突き刺されて絶命した。
そしてすぐさま2頭の馬によってさっさと引かれて闘牛場の外へと運ばれる。
解体されて食肉となってしまうのだ。
2頭目、3頭目、ショーは続く。



1時間後。
どうしたことだろうか。
あれほど牛を想い涙し、来てしまったことを後悔したのにもかかわらず、気がつくと私は立ち上がって白いハンカチをブンブン振り回していた。
6回の闘いのうち最初の2回こそその残酷さに目を覆う瞬間があったものの、慣れとはかくも恐ろしいものか。
牛の気持ちなどそっちのけで私ときたらいつのまにか闘牛士の美しさにクギヅケ状態だったのだ。





実際闘牛士たちは皆、美しい。
頭が小さくて脚がスラリと長い。
お尻がプリッ!と上がっている。
赤いムレタを翻すポーズはまるでバレエを観ているようだ。

命と命が行き交い闘う真剣勝負の張りつめた緊張感の中から生まれるこの美しさといったらどう表現すればよいのだろう。
ただ牛をなぶり殺しにする残酷なショーだと思っていたことが、なんだかもったいなくさえ感じられてきた。



闘いを終えてホッとした笑みを浮かべアレーナを一周しながら観客に手を振るマタドール。
演歌歌手のようなスパンコールがキラキラ。
いや~、カッコイイわ~~。

牧畜農業の豊穣を祈願しての、神に牛の死を捧げる儀式である闘牛。
このスペインの伝統文化が伝説になってしまう前に、とりあえず一度来られてまあよかった。
観ずしては語ることができないから。
けれどやっぱりたぶんもう観ることはないだろう。
それでもただただ残酷なだけではない闘牛の魅力を少しだけ感じてちょっと興奮したまま闘牛場を後にした。




初・闘牛の日 part 1

2008年09月29日 | スペインを知りたい!
闘牛に関しては私の中で観るかやめておくかの葛藤が随分あった。
スペインの中でも最近では残酷で野蛮な文化だと批判の方が優勢であるように感じる。
なかなか踏ん切りがつかず一度も観ないままずるずるとここまで来たが、私たちの住む町の秋祭りのイベントで毎年闘牛が行われており、今年は有名どころの闘牛士たちが来るというので、思い切って出かけてみた。

普段は駐車場になっている広場に仮設の闘牛場が設置される。
全自由席。
さすがに地元の人たちはどの場所が観やすいのかよくわかっていて、よい場所から席が埋まっていく。
まだ陽は高く、席によっては暑いしまぶしいしで最悪だ。
娘と私はできるだけ陽のあたらない席に座る。
マドリッド市内のベンタス闘牛場と比べてかなり小ぢんまりしたアレーナ(arena 闘牛を行う砂場)なので、牛や闘牛士の様子がよく見える。

午後6時きっかりにファンファーレが鳴り響き、闘牛士たちが姿を現した。
おなじみのあのキラキラ衣装!



闘牛士と一口に言っても、闘牛に関わるのは、助手(subalterno)、槍方(picador)、そして闘牛士(torero)とランクがあり、それぞれ役割が決められている。
1回の興行では3人の闘牛士が各2頭、計6頭の牛と闘う。
それらを助手や槍方がサポートするのだ。



1頭目の牛が放たれた。
かなりな興奮状態で丸いアレーナを走り回っている。
まず助手が数人、派手なピンク色のカポテ(capote ケープ)をひらひらとひるがえし、牛を挑発する。
牛は猛り狂ってあっちへこっちへと走り回りフェンスに突進する。
助手は挑発するだけしておいて牛が突進してくるとさっさとフェンスの隙間に入り込んで逃げる。

次に馬に乗った槍方が登場する。
どうやってうまく誘導をするんだか、牛はここで必ず槍方の乗った馬の横腹に体当たりをする。
馬はたまったもんじゃないが、プロテクターをしているのでどうにか耐えて、そのすきに槍方が手にした槍を牛の肩骨の隆起部にブスッと突き刺す。



この突き刺し加減が重要で、ここで牛を弱らせすぎてもダメだし、逆に突きが甘すぎて牛が力を残しすぎても次に登場する闘牛士が困る。
地味なパフォーマンスだが結構難しい任務を背負っているのだ。

そして3人の助手がそれぞれ2本の銛を持ち、順番に牛の正面に立って背中に銛を突き立ててゆく。
黒い牛の背から紅い血が流れ出る。



涙が出る。
牛をまともに見ることができない。
やっぱり来るんじゃなかったと後悔した。
わけがわからずいきなりアレーナに追いやられて、あたふたと走り回るうちにグサグサと銛で刺される牛を想うと胸が痛くなり目を背けてしまう。

そんなことはお構いなしに淡々と儀式は進む。
いよいよ闘牛士の登場だ。

つづく。




サッカー・・・ part 2

2008年07月03日 | スペインを知りたい!

サッカーに疎い私も、さすがにユーロカップ2008の決勝スペイン対ドイツはテレビで観た。

そしてなんだかとっても興奮してしまった。
結果はご存知の通り、スペインが1対0でドイツを下し、44年ぶり2回目の優勝を果たしたのだが、おかげで何人かの選手の顔と名前をおぼえることができた。

だって、ゴールを決めたフェルナンド・トーレス君がすごーく可愛かったんですもの。



彼は確か、つい最近までアトレティコ・マドリーに所属していたはず。
ってことは、ウチの近くの練習場で日々研鑽を積んでいたのだ。
もっと早く彼の存在に気づいていれば毎日楽しかったかもしれないのに。
残念。



でもキーパーのカシージャスもなかなか落ち着いて気品と風格のある容姿をしていて好みのタイプである。
シルバも好きだ。
やっぱり一途にボールを追っている姿は皆一様にカッコイイ。
眉間にググッとシワを寄せるニヒルな感じがたまらなかったのはドイツのレーヴ監督。
結局サッカー自体にはやっぱり興味はない私。



優勝の瞬間、すべてのご近所さん宅から歓声が湧き起こり、私たちもベランダに出て一緒に喜び喝采をしているとなんだか皆オトモダチ状態で、思いがけない一体感が味わえてまた喜びを新たにした。

熱心なファンはたいてい行きつけのバル(Bar 居酒屋)で大勢と一緒にテレビで観戦する。
その方が盛り上がるしそれはきっと熱くなれることだろう。
いつのまにか隣の見知らぬお客と抱き合ってこぶしを振り上げていたりして。



期間中ずっとマドリッドのプラサ・デ・コロン(Plaza de Colón コロン広場)に特設会場が設置されており、サッカーファンが集まって一緒に大スクリーンで試合を観戦する様子がテレビ画面にも時折映し出された。
優勝のお祭り騒ぎはそれはそれはすごかったらしい。
また、翌日空港からの凱旋パレードがそのコロンに着き、選手一人ひとりがステージで簡単なスピーチをしたりしていた。

せっかくマドリッドにいたのだし、私も見物に行けばよかったかな・・・とちょっと後悔。
行けば行ったでチビな私など人波に押しつぶされるのがオチだったことだろうけど。


サッカー・・・

2008年06月25日 | スペインを知りたい!

スペインに住みながら、サッカーに関しては恥ずかしいくらい無知である。
レアル・マドリーの試合はまだ一度も見に行ったことがない。
未だにオフサイドの意味がわからないし、スペインリーグの行方も関心がない。

先日2008年欧州カップの準々決勝でスペインVSイタリアの試合が行われていたのも知らなかった。
夜、愛犬の散歩に出て、通りが異様なほど閑散としているのをいぶかっていると、周りの住宅から一斉にどよめきというか雄叫びが立ち上がり大騒ぎになって、それでようやくああ、みんなサッカーの試合を観ているのね、と思ったくらいである。

大接戦の末、宿敵イタリアを破ってスペインが勝利したその試合の翌日は、通っている語学学校の恐い先生も上機嫌でビックリするほど優しかった。
それほどまでに多くの人々がサッカーを愛しているのに、どうして私は興味が持てないのだろうと自分のことながら不思議でちょっと哀しかったりする。



家のすぐ近くにとてもきれいで手入れの行き届いたサッカー場がある。
芝が青々としていてやたら広い。
いったい全部で何試合できるのだろうかと数えてみたくなるほどだ。

毎朝その脇を通って子供たちを学校へ送る。
時々結構な人だかりがしているのをさほど不思議に思うこともなく、少年サッカーチームの練習を熱心な親が見守っているのだろうくらいにしか考えていなかった。
それがアトレティコ・マドリーの練習場だったと知ったのはM市に住み始めて1年以上も経ったあとだった。

まあ、レアル・マドリーもろくに知らないのにアトレティコ・マドリーのことなど知るはずもなく、その練習場だと知っても、「ふうん」くらいにしか思わなかった。
息子の友だちのサッカー少年Aちゃんはさすがに「・・・す、すげえ・・・」と感動してくれたけど。



サッカー好きの日本人マダムの中には、選手の練習スケジュールをチェックし、練習の終わる時間を見計らって練習場に現れ、金網にへばりついてお目当ての選手を待ち、つかまえてサインをねだったり写真を撮ったりするのをマドリッドライフの大きなお楽しみにしている人もいる。
3~4年前まではレアルの練習場も近くにあったらしく、ベッカムとのツーショット写真は結構みんな普通に持っていたりする。
それはさぞかし楽しいだろうなあとうらやましく思う。



日本人学校で娘のクラスメートに、アトレティコ・マドリーに才能を買われ、その下部組織に入団して頑張っているRくんがいる。
わずか11歳ながらそのプロ根性たるや驚くばかりである。
将来を嘱望されている彼の頑張りを感じるにつけ、私ももう少しサッカーのことを勉強したほうがもっとここでの暮らしも楽しくなるのだろうなと思わずにはいられない。

うちの近所にレアルの選手が何人か住んでいると聞くので、顔と名前くらいはわかるようになっておけば、スーパーでばったり遭遇してなんだかハッピー♡って感じのワクワクが味わえるかも。
これは今年の宿題だ。







歩行者さまなのだ~!

2007年06月18日 | スペインを知りたい!

マドリッドに来て感心したことがある。

私たちの住むM市にはあまり、というかほとんど信号がない。
それなのに車はすごく多いし、そして結構道幅の広い道路が多い。
スペイン人はハンドルを握るととたんにせっかちになり一刻も早く目的地に着こうと躍起になるのでビュンビュンとばす。
あんなに時間にルーズで約束に遅れても全然気にしない人たちなのに、車にひとたび乗るとなんであんなに急ぐのだろう。

でも横断歩道に渡ろうとしている歩行者がいると、ちゃんと止まる。
必ず、と言ってもいいほどだ。
これにはちょっと感心してしまったのだ。

歩行者は
「ま、ト~ゼン。」
という雰囲気で悠々と渡る。
私は今でも慣れないのでどうしても止まってくれた車にペコペコして小走りに渡ってしまうのだが、スペイン人の中にはまるで嫌がらせのようにゆっくり渡る人もいて、すごい。



車がこちらに向かって走ってくるのが見えても、渡り始めてしまう人もいる。
横断歩道を渡ってさえいれば車は止まってくれるものと確信しているのだ。
かなりこわい。

だから自分が運転している時は横断歩道に細心の注意を払っている。
それでも時々ちゃんと止まれなかったりする(轢いちゃったりしないけど)。
このあいだもゆっくりゆっくり歩いていたおばちゃんが横断歩道に近づいてくるわ、と気づいてはいたのだけれど、タイミングが合わずにちょっと失礼して止まらず通り過ぎてしまったら、ものすごい形相で、そしてものすごい大声で怒鳴られた。
ひょえ~~。
ほ、歩行者さま~!

スピード運転、横断歩道で止まる、ゆっくりゆっくり歩行者を待つ、そしてまたスピード。
このメリハリ。
やっぱりまだ慣れない。


サン・イシドロって?

2007年06月02日 | スペインを知りたい!

5月15日は祝日で子供たちの学校はお休みだった。
マドリッド市の守護聖人である、聖イシドロを祀るお祭りだ。
祝日といってもマドリッド市だけのことで、スペインの他の都市は通常通り仕事も学校もある。

何か特別な催し物でもあるかと、娘とセントロに出かけてみた。

まずは王宮前のプラサ・デ・オリエンテ(Plaza de Oriente)。
それからプラサ・マヨール(Plaza Mayor)。
あちこちで民族衣装を着た人たちがぞろぞろと歩いていた。
女性は裾にヒラヒラのフリルのついたお人形のようなワンピースに肩から様々な刺繍の施されたショールをかけ、白い頭巾をかぶり、頭のてっぺんに赤いカーネーションの花を飾っている。
男性はグレン・チェックのベストスーツにやはり赤いカーネーションを胸に飾る。

この民族衣装はチュラポ・チュラバと言って、日本で言うならば盆踊りに浴衣、といった感じらしい。
みんながみんなそんな格好をしているわけではなく、おばあちゃんのグループか、小さな子供たちが多い。
若者たちは好き勝手な格好で、でもお祭り気分だけはちゃんと味わう。
でもスペインのおばあちゃんがそんな格好をしていると、なんだかまるで魔法使いのように思えてちょっと怖いんだけど。
「千と千尋・・・」の湯ば~ばにも見える。




プラサ・マヨールにある観光案内所で何か特別な催しがあるか聞いてみた。
マドリッドのあちこちでこの日を中心に数日間様々な催しがあるらしい。
コンサート、お芝居、バレエ、花火・・・・。

「メトロ5番線のマルケス・デ・バディージョ(Marqués de Vadillo)で降りてサン・イシドロ公園に行ってみな。」
観光案内のお兄ちゃんがそう言うので行ってみた。

マドリッドは南に行けば行くほどガラが悪くなるとよく言われるが、そのサン・イシドロ公園もかなりな南。
そんなエリアには足を踏み入れたことがなくドキドキものだったが、好奇心には勝てず娘の手をぎゅっとにぎりしめてメトロを降りた。



すごい人!!
人の流れに身を任せて進む。
その公園がどこにあるかわからないけれど、この流れの果てにあるのだろう。
果たしてたどり着いたのはなんてことはないだだっ広い空き地。
そこに模擬店や移動遊園地などがしつらえられており、子供たちはキャーキャー遊び、大人たちは飲んで食べて喋る。
特になんてことのない集いだ。
でもこれがマドリレーニョには大切なイベントなんだろう。
もしかしたら時間帯によってはもっと何かあったのかもしれないけれど。



インチキミニーちゃんがいた。
いつもプラザ・マヨールのあたりで子供たちに風船を配って小金を稼いでいるんだけど、今日はこっちに出張してきたのかしら。

せっかく遠くまで来たのだし、娘が移動遊園のビニールトランポリンをやりたいというので2.5ユーロ払って入れてもらったら、ものの2分も経たないうちに交代の笛が。
まるでサギじゃんと思いつつも、まぁ祭りだし、と気をとりなおしてまたふたりで元気よくメトロに乗って帰ったのだった。

セビジャーナスのお楽しみ

2007年03月01日 | スペインを知りたい!

前回セビジャーナスを習っていることに触れた。

実際踊るのももちろん楽しいが、お楽しみは他にもある。
それは衣装。
私たちのグループはカタチから入るタイプのオバサンたちで構成されている。
たいていの生徒さんはまずレッスンを受けて、そしてよく検討してから靴や衣装を徐々にそろえてゆくのだが、私たちは一度体験レッスンを受けただけでもうフラメンコグッズのお店に走ってしまった。

まずは靴だ。
フラメンコの靴は靴裏のつま先とかかと部分に鋲がびっしりと打ち付けてあり、サパテアードのときにいい音が出るようになっている。
表革、裏革、色のバリエーション、かかとの高さ、デザインはいろいろである。

それからファルダ(falda スカート)。
フラメンコのファルダはずろ~んと足首まで長く、うれしいことにボンレスハム状態の脚を隠してくれる。
そしてデザインも豊富で、なんといってもオバサンがフリルのいっぱいついた派手派手なピンクの水玉をはいても誰にも苦情を言われることはない。
仲間ウチで苦笑されることはあっても。

トップスは手持ちのTシャツでとりあえず済ますとして、靴とファルダをお買い上げ~。
ホントはカスタネットも買いたい勢いだったが、まだフラメンコのイロハのイさえできてないのにカスタネットだなんて笑止千万。
さすがにやめといた。



初めからバッチリそろえた衣装で気分よくレッスンは進んで行くのだが、そのうちにますます私たちオバサンの目を輝かせてくれる耳寄りな情報が。
ファルダを一人一人の体に合わせて仕立ててくれるおばあちゃんがいるとのこと。
先生の所属する舞踊団おかかえのお針子さんなんだそうだ。
そんな楽しげなコト、聞きのがすはずもない。
そのテレサおばあちゃんと布地屋さんで待ち合わせ、一緒に布地を選び、希望のデザインを伝えて採寸してもらう。



アトーチャ通りの大きな布地屋さんにはしっかりフラメンコ衣装用のコーナーがある。
「フリルを2段にしてね。」
「私は3段に。」
「とにかく派手に。」
オバサンの注文は果てしなく、やっぱりちょっと恥ずかしい。
フリル3段のファルダが布地代込みで90€とまあお高めだが、いい歳をしてキャアキャア言いながら生地やデザインを考えるお楽しみ代も込みということで。

肝心の踊りの方は二の次三の次。
衣装への意気込みはとどまるところを知らず、先週3枚目のファルダをオーダーしてしまった私である。




かっこいいのか悪いのか・・・?

2007年02月24日 | スペインを知りたい!

実は密かにセビジャーナス(sevillanas)を習っている。

セビジャーナスはフラメンコの中でも最もポピュラーなもので、アンダルシア地方のセビージャの春祭りで踊られる、まぁ言ってみれば盆踊りのような踊りである。
色々な曲があるものの、そのリズムや曲の構成は決まっているので一度おぼえればもうどこのフェリア(feria  お祭り)に行ってどんな曲が流れても踊れてしまうのだ。

先生は日本人。
せっかくスペインに来てフラメンコを習うのに日本人の先生ってどうよ?と思ったりもしたが、その先生の踊りを見たらあまりのかっこよさに魅せられてしまい、即、弟子入りを決意したのだった。
先生は日本で社交ダンスを教えていらしたのだが、やはりたまたま日本でフラメンコの舞台を観て「これだわ~!」と運命を感じ、もう矢も楯もたまらず身辺を整理して一人マドリッドに飛んできてしまったのだそうだ。
言葉もわからず知り合いもいないのに無謀といえば無謀だが、すごい行動力。
それから18年。
プロのダンサーとしてスペインで舞踊団に所属し舞台をこなしながら日本人にフラメンコを教えて身を立てておられる。
そしてこの4月から日本で教室を開くために3月末で帰国予定。
先生にとってはおめでたいことだけど、私たちにとっては残念なことに期間限定の弟子入りとなってしまった。

ミーハーな5人のオバサンでセビジャーナスグループを結成。
毎回わくわくしながらメトロ1号線のアントン・マルティン(Anton Martín)駅近くのスタジオに通う。
あまり治安のよい地域ではないが、フラメンコのスタジオはこのあたりに結構集中しており、本気のダンサーたちのやる気モードを感じることができる。
オバサンの暇つぶしの域を出ない私たちではあるが、やっぱりフラメンコオーラの漂う人たちに混じって踊る、これが重要なポイントだと思うわけ。

しかし週に1度、2時間のレッスンはなまった中年のからだにはさすがにキツイ。
まずフラメンコ特有の手と指の動きをみっちり練習するが、腕のスジが引きつりそうになりあちこちで悲鳴があがる。
なにしろ踊りなんて実にピンクレディー以来である。
壁一面の鏡に映る自分の姿にも愕然とする。

けれど、気持ちイイ!
ババーンと床を踏み鳴らすとスカッとする!
これはよいストレス解消法を見つけてしまった。
2時間レッスンした後はもう汗だくのヨレヨレで、次の日はベッドから起き上がれない。
それでも気分爽快なのだ~。

少女時代、バレエに憧れて白鳥の湖のまねごとをしたりしたことがあったが、自分にはバレエはあまりにも似合わず、恥ずかしくてとても本気でやりたいなどと人には言えなかった。
その点フラメンコにはオバサンが踊っても許される雰囲気がある。
それどころか元々ジプシーの踊りなだけあって、水牛のようにガタイのいい貫禄のオバサンが妖気を噴出しながら踊る方が感動したりして。
とにかくこっ恥ずかしさが半分くらいで済むのがうれしいのだ。

「スペインでフラメンコを習ってました。」
かっこいいじゃありませんか。
帰国後にこんなセリフで決めてみたい。
でもこれ逆にすごく危険。
実際踊って見せたときに「・・・・・・。」微妙なリアクションをされたらすごく恥ずかしい。
日々精進するしかない。