井伊谷宮で宗良親王のことを少し書きました。
その続きです。
南北朝時代に宗良親王は、
南朝として北朝と信濃、三河、遠江、甲斐、美濃で戦っています。
北朝の相手は、信濃守護や駿河守護、関東管領です。
歴史からすると興国五年/康永三年(1344)に
伊那の豪族香坂氏に招かれ大河原(大鹿村)に入る。
文中二年(1373)まで約30年間をここを拠点として戦い
「信濃宮」と呼ばれた。
大河原には「信濃宮神社」があります。
最後は、北朝の信濃守護小笠原長基やのちの信濃守護を兼ねる
関東管領上杉朝房に敗れて勢力が衰え撤退したようです。
井伊谷宮にある宗良親王のお墓入り口です。
同じく 宗良親王の第二子尹良(ただなが)親王も一緒に戦い、
母は、井伊道政(井伊谷城主)の娘とも香坂高宗の娘とも言われている。
お墓は下伊那郡阿智村浪合の「浪合神社」である。
さて
香坂氏に招かれて入った大河原ですが、
現在 リニア中央新幹線の南アルプストンネルの長野県側出口として
トンネル掘削作業が始まっている「釜沢集落」です。
実際には、さらに林道釜沢線を奥に入る終点付近に
石積みがされて平らになった屋敷あとがあり、
ここを「御所平」と地名がついています。
現在でも自動車で行くには大変なところです。
当時は日数を要して移動していたのに
リニアで一瞬にして移動できるとは驚きでしょう。
また
大河ドラマであった井伊家と今川家の対立は
南北朝の戦いのしこりが続いていたことになりますか。
井伊直親が高森町松源寺に隠れたのもお寺のつながりですが、
この時代からの歴史が絡んでいたとも思います。
「三遠南信」結びつきは古いです。
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