秋の飛騨高山をぶらりっと散歩しました。
古い街並みに小さな水路がありいいたたずまいです。
反対側から見るとこんな感じです。
個人的には、こういう町並みは好きです。
最後に、近くを流れる宮川にあった石の構造物です。
魚が川を上るために造られた魚道です。
普通はコンクリート造りですが、
景観に配慮されて石造りとして、
コンクリートが露出しないようにされています。
石造りはいいですね。
秋の飛騨高山をぶらりっと散歩しました。
古い街並みに小さな水路がありいいたたずまいです。
反対側から見るとこんな感じです。
個人的には、こういう町並みは好きです。
最後に、近くを流れる宮川にあった石の構造物です。
魚が川を上るために造られた魚道です。
普通はコンクリート造りですが、
景観に配慮されて石造りとして、
コンクリートが露出しないようにされています。
石造りはいいですね。
秋の白川郷を歩いて、気ままに写真を撮りました。
秋の空に映える合掌造りの建物。
稲穂に囲まれた小屋。
お寺の鐘楼の門がありました。
稲を掛けて干しています。いい雰囲気です。
民家の庭にあった石橋。
雪の重さに耐えるように、かなりのアーチの形状をしています。
この曲線美がいいです。いい石造りの構造物です。
追伸
飯田市の近くの高森町には、
鐘楼の周囲に名産の市田柿を干しているお寺があります。
鳩ヶ嶺八幡宮の百度石です。
百度石といっても石ではなく石柱です。
「百度詣」を行うときに、
数を数えるための石の構造物です。
建立されたのは
弘化四年丁未八月吉日とあります。
弘化四年(1847)と言えば、
長野県では善光寺地震がこの年の三月に発生しています。
現在の長野市での直下型地震で、
犀川が河道閉塞して、決壊により下流の長野平で
1万人が亡くなったと言われる大きな被害が生じた地震です。
寄進者は
当町佐野屋宗助と彫られています。
不思議なのは「当町」とありますが、
ここの伊那八幡を当町と言ったのが、
普通は松尾村だから当村と書くのが一般的かと思うのですが、
商売をしているから当町と彫ったのでしょうか。
飯田市松尾にある鳩ヶ嶺八幡宮、
地元では八幡様と呼ばれている神社です。
菊花展をしている本殿前まで
石段を登って行ったところ、直前で発見しました。
一つだけ新しく直したような石段です。
踏むところに四角い穴が掘ってあります。
何かを建てたようにも思いますが、
石段の反対側の左側にはありません。
一休みして考えてしまいました。
さて、菊花展です。
見ごたえのある菊がたくさん並んで展示されていました。
2020年3月14日に
「天下の糸平」について書きました。
どちらかと言えばラグビー関係からでしたが、
今回は別の「田中平八」について書きます。
NHの大河ドラマで「青天を衝け」の渋沢栄一を主人公に
放送されています。
この時代の「日本の経済」に関係した人物が飯田下伊那から
二人出ています。「天下の糸平」こと田中平八と今村清之助です。
二人は渋沢栄一とともに「東京株式取引所」を設立しました。
持ち株は渋沢と今村が98株で1と2位、田中が88株で9位だったようです。
今村清之助は出原村(現在の高森町出原)の出身で、
露天商から大実業家になった人で、「鉄道王」とも呼ばれ鉄道事業に
影響を与えたひとです。
二人とも50歳半ばで亡くなっており、
渋沢栄一のように90歳台まで長生きすれば、
「日本の経済」に大きな影響をさらに残したのではないかと
残念でなりません。
そう、菱田春草も小説「破戒」の主人公のモデルともいわれる
大江磯吉もこの時代の飯田の人で、早く亡くなりましたよね。
「天下の糸平」の石碑の横にある桜と欅の古木は、
田中平八が居たころからの木でしょうか。