茅野市の長円寺の3回目
ここには、慶応2年(1866)に百体観音の
石仏が安置されています。
石工菊地道悦作で、西国、坂東、秩父の観音です。
その中の如意輪観音を紹介します。
頬に添えられる右手が異なっています。
耳のところでVサインをしているように見えます。
頬ではなく顎の下にあるように見えます。
耳を塞いでいるように見えます。
なぜか左足が立膝になっています。
右手が2本あるようです。
それぞれに特徴のある如意輪観音様です。
茅野市の長円寺の3回目
ここには、慶応2年(1866)に百体観音の
石仏が安置されています。
石工菊地道悦作で、西国、坂東、秩父の観音です。
その中の如意輪観音を紹介します。
頬に添えられる右手が異なっています。
耳のところでVサインをしているように見えます。
頬ではなく顎の下にあるように見えます。
耳を塞いでいるように見えます。
なぜか左足が立膝になっています。
右手が2本あるようです。
それぞれに特徴のある如意輪観音様です。
明治温泉への道標の石仏です。
如意輪観音2体と十一面観音1体です。
如意輪の2体は造立時期が違うのか
石工の技術が違うのか、差がありますね。
上の如意輪は、
頬に手をついて、下を見ています。
また下腹部がぽっちゃりとしていますが、
着ている衣がしっかりと刻まれてます。
下の如意輪は、
あごの下に手をおいて、正面を見つめています。
立膝をして、左手には蓮をもった形で刻まれています。
15番の十一面観音は、
細かい細工がしっかりと残っており新しい造立でしょうか。
下から見上げて撮ったので、短足に見えるのでしょうか。
明治温泉への道標です。
18番の如意輪観音です。
下半身がぽっちゃりとしています。
右手は頬づえをしているのですが、
この観音様は、耳に手を当てて聞いているように見えます。
静寂の中で小鳥のさえずりを聞いているのか、
往来する人々の話し声を聞いているのか、
でも、坂道を行き交う自動車の音は騒がしいでしょう。
十一面千手観音とあります。
光背に多くの手が線彫りされていますが、
チョット見にくいので十一面観音のようにも見えます。
この一連の造立は新しいようなので、
細かい彫が残っています。
御射鹿池の横を通る笹原街道沿いには、
明治温泉に行くための道標として
石仏が点在しています。
たまたまここでは、写真のように6体の石仏が安置されていました。
これは馬頭観音で、道標として建てられたものではありません。
「安永二巳天五月吉日(1773) 笹原新田」とあり、
守り神として往来の休み場所に建てたと看板にあります。
昔は、馬は大切な運搬用の生き物で、家族同様に扱われたようです。
下條村から泰阜村に抜ける
県道沿いにある如意輪観音です。
手前の道路は、
県道から集落に行くための村道で、
ちょうど集落の入り口に当たり、
集落へ出入りする人の通りを
やさしく見つめているように座っています。
ほかにも石仏がありますが、造立年などは不明でした。
「庚申」と「蚕玉(こだま)霊神」の文字塔です。