太田下の集会所の裏の石仏です。
前回と違い
隣にある青面金剛像です。
凹部が白くなっており
彩色された石仏のようです。
彫は稚拙のように思いますが、
全体としてはがっちりとして堂々とした像に思います。
ならんでいた文字塔です。
「西国三拾三所順禮供養」の供養塔です。
寛政元酉天十ニ月十七日(1789)造立です。
「順禮」と書く字は少ないでしょうか。
地元の書家和全さんの作品です。
これを潜ると乗船場になります。
近くには足湯もあります。
太田下の集会所の裏の石仏です。
前回と違い
隣にある青面金剛像です。
凹部が白くなっており
彩色された石仏のようです。
彫は稚拙のように思いますが、
全体としてはがっちりとして堂々とした像に思います。
ならんでいた文字塔です。
「西国三拾三所順禮供養」の供養塔です。
寛政元酉天十ニ月十七日(1789)造立です。
「順禮」と書く字は少ないでしょうか。
地元の書家和全さんの作品です。
これを潜ると乗船場になります。
近くには足湯もあります。
天竜峡のライン下りの乗船場の近くです。
太田下集会所の裏手にありました。
彩色のある青面金剛像です。
よく見ると石造物ではなく
粘土で作られた像のようです。
格子の中に展示してあるので
触ることができませんからわかりませんが。
平成十六年三月吉日に建立された庚申塔です。
磨かれた面に格子と自分の姿が映っています。
近くの天竜川ライン下りの案内所です。
下條村親田の集落境にあった石仏です。
北平集落から相田集落に抜ける
細い旧道沿いの土手に安置されていました。
春の日差しを受けています。
お堂の中に青面金剛像1基と
外に4基の馬頭観音がありました。
一面六臂の青面金剛像です。
少し見にくいですが、
月日、本体、鶏に薄い彩色がありました。
この辺りでは彩色の石仏は少なく、下條村では2基目でしょうか。
造立は宝暦三癸酉五月八日(1753年)です。
彫がいい石仏です。
下條村の新田観音堂の石仏です。
右から「青面金剛像」「庚申塔」「聖観音」「西国三重さん箇所」
この辺りでは、単色でも彩色された石仏は少ないようです。
久々に上久堅方面に行きました。
三遠南信自動車道の建設が進んでいました。
道が付け替えされて 一瞬どっちへ行けばいいのか迷いました。
この先の国道256号の旧道にあった青面金剛像です。
道路沿いに並べられているので
おそらく道路改良によって 今のところへ移設されたのでしょう。
右から2番目が彩色された青面金剛像です。
この目線の先は 神之峰の頂を仰いでいます。
一面六臂の像ですが、
二臂が合掌しているためか 顔もやさしく
全体として柔らかい雰囲気があります。
彩色もやさしくされているようです。
文献によると
宝暦三年(1753)の造立のようです。