野良耆の見聞記

いなか暮らしの野良着生活

古びていくものには味わいがある。そこに小さな歴史があるから・・・・・

自治会館前の石仏

2019-06-29 | いろいろな石仏

天竜川沿いにある自治会館前の石仏群の紹介です。

多くの石仏が整然と並べられています。

ここは、昭和36年の災害で天竜川が氾濫したところであり、

その結果、後年になって盛土工事が行われた地域ですから、

地元の石仏が復旧の際にまとめられたと思われます。

手前の石仏は「厄除観世音」と彫られています。

造立は弘化五戊申年四月十七日(1848)のようです。

かなり読みにくい状態です。

年号は、弘化五年はなく3月から嘉永元年になっていると思われます。

誤っているというより、彫ってあったのか知らなかったのかどちらかでしょうか。

何の厄除けのための造立でしょうか。

個人的には、弘化四年は善光寺地震(M7と推定)があったので、

当地域にも被害があり、そのための厄除けでしょうか。

チョット単純過ぎたかもしれません。

名号塔です。

かなり削られているのか、判読が難しいのですが、

造立は享保五年子三月日(1720)と見ましたが。

 

ほかの石仏も順次紹介したいと思います。

 

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本屋の鬼瓦

2019-06-26 | 見上げれば鬼瓦

本屋の鬼瓦です。

店の名前は「朝陽書店」

長野市の中央通りのTOIGOの反対側にあります。

鬼瓦も名前のとおりの朝日です。鶴が2羽舞っています。

見ていたら鳥が1羽とまりました。

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紫雲山頼朝院十念寺(2)

2019-06-22 | いろいろな石仏

紫雲山頼朝院十念寺を紹介します。

「南無阿弥陀仏」の名号塔が3基ありました。

徳本名号塔

徳本上人が信州を訪れたのは

文化十三年(1816年)四月一日から八月十二日までです。

県下に多くの徳本名号塔があります。

これは文化十三年五月七日に訪れた時のもので

創立日も同じ日になっています。

2基目は

正道大和上名号塔

寛政年間(1790年代)に十念寺を拠点に布教活動をし

文化二年(1805年)に美作(岡山県)の誕生寺

(法然上人誕生地のお寺)したの住職になった

正道大和上に対して後年に造立したようです。

文政二乙卯年七月佛縁日(1819年)に

弟子の卓道律師が建立しています。

「佛縁日」と彫られているのは初めてです。

3基目

練誉上人名号塔

文政十年(1827年)から十念寺の住職をした上人です。

この間に弘化四年(1847年)の善光寺大地震に遭遇しています。

長野県では過去最大の地震と言われ

犀川の土石流や直下型地震で大きな被害が出ています。

この地域の再建を図った人として建てられたようです。

造立は天保六乙未八月六日(1835年)です。

 

 

 

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高知放送のベリカード(3)

2019-06-18 | ベリカード(AM)

高知放送ベリカードが届きました。

前にもでした4年前の受信報告の

カードと同じデザインです。

受信日  2019年5月4日

周波数  900kHz

 

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しまんりょ小路

2019-06-13 | ひとりでぶつぶつ

紫雲山頼朝院十念寺の続きです。

このなかで、

裾花川が現在と違って

善光寺前の中央通り新田町交差点あたりを流れていました。

その名残があるので紹介しましょう。

中央通りの新田町交差点から長野駅に向かって歩くと

ホテルJALシティ長野の横にお寺があります。曹洞宗栽松院です。

それからしばらく行くとかるかや山西光寺から末広町交差点になります。

下は栽松院の写真です。

このお寺は「嶋の天神」と呼ばれ「嶋」が付きます。

その右側の路地は「しまんりょ小路」です。

本来の「島の寮」から「しまんりょ」となりました。

ここは裾花川の中洲だったところです。名前が残っています。

江戸時代に裾花川を現在のように犀川に合流させて、

この地域を水田地帯にしたのです。だから新田町交差点があるのです。

そして、長野市街地の地形は北西から南東に川が流れ

市内の小路もそれに沿って北西(長野県庁方面)から南東(長野駅方面)に通っています。

上が栽松院前から見た善光寺方面、下が長野方面です。

なぜかこの辺りの勾配が緩くなっています。

新田町交差点から善光寺と西光寺から末広町交差点の

道路の勾配は大きく違うので気にしてください。

 

 

 

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