御射鹿池の横を通る笹原街道沿いには、
明治温泉に行くための道標として
石仏が点在しています。
たまたまここでは、写真のように6体の石仏が安置されていました。
これは馬頭観音で、道標として建てられたものではありません。
「安永二巳天五月吉日(1773) 笹原新田」とあり、
守り神として往来の休み場所に建てたと看板にあります。
昔は、馬は大切な運搬用の生き物で、家族同様に扱われたようです。
御射鹿池の横を通る笹原街道沿いには、
明治温泉に行くための道標として
石仏が点在しています。
たまたまここでは、写真のように6体の石仏が安置されていました。
これは馬頭観音で、道標として建てられたものではありません。
「安永二巳天五月吉日(1773) 笹原新田」とあり、
守り神として往来の休み場所に建てたと看板にあります。
昔は、馬は大切な運搬用の生き物で、家族同様に扱われたようです。
茅野市の中道にある石造物群です。
狭いところに詰め込んだ感じです。
手前の道路の拡幅により移動したのでしょうか。
石灯篭が無造作に置かれているところから
このような印象を受けます。
大きな文字塔を写しました。
「南無阿弥陀仏」と彫られています。
側面には「嘉永三歳在庚戊(1850年)」と
彫られています。
2m以上あるような石造物です。
「蚕玉神社」と彫られています。
養蚕業が盛んな明治十七年に造立されてます。
「神社」とありますが、
「馬鳴菩薩」が貧しい衆生に衣服を恵む菩薩から、
養蚕や機織りの信仰の本尊と祀られることがあります。
茅野市にある御射鹿池の2回目です。
今回は、時期外れですが冬景色です。
ここまで標高が上がると
ため池一面が結氷していました。
湖面の色が青色ではなく、氷の白色なので、
ほかの池とは変わりない普通の風景です。
チョット残念でした。
山の木々も標高によっては、
緑が白く凍っていました。
まだまだ寒い3月です。
下條村親田の集落境の石仏です。
引き続いての紹介です。
馬頭観音が4基並んであります。
1基が立像で、3基が文字塔でした。
天明二壬寅年八月十一日(1782年)の造立です。
下の中央に「古田」とあります。
おそらく下條村親田には古田姓が多いので
その関係する方の造立と思われます。
文化十一甲戌年三月十八日(1814年)の造立です。
造立者が自分で刻んだ感じがする文字です。
左下に名前があるようですがわかりませんでした。
下條村親田の集落の上部から望む景色です。
左が中央アルプスの南駒ヶ岳(?)、
右奥に南アルプスの仙丈ヶ岳などを一望に望むことができます。
下條村親田の集落境にあった石仏です。
北平集落から相田集落に抜ける
細い旧道沿いの土手に安置されていました。
春の日差しを受けています。
お堂の中に青面金剛像1基と
外に4基の馬頭観音がありました。
一面六臂の青面金剛像です。
少し見にくいですが、
月日、本体、鶏に薄い彩色がありました。
この辺りでは彩色の石仏は少なく、下條村では2基目でしょうか。
造立は宝暦三癸酉五月八日(1753年)です。
彫がいい石仏です。