FMいちのみやからの返信がありました。
かなり前の受信報告に対する返信です。
残念ながらベリカードは発行していないようです。
タイムテーブルと粗品を送っていただきました。
粗品は局名入りのライト付きボールペンです。
恐縮です。ありがとうございました。
粗品をいただいたのは初めてです。
御礼の手紙は上手くできなくて
薄くなってしまいました。
受信日 2017年12月28日
周波数 76.5MHz
FMいちのみやからの返信がありました。
かなり前の受信報告に対する返信です。
残念ながらベリカードは発行していないようです。
タイムテーブルと粗品を送っていただきました。
粗品は局名入りのライト付きボールペンです。
恐縮です。ありがとうございました。
粗品をいただいたのは初めてです。
御礼の手紙は上手くできなくて
薄くなってしまいました。
受信日 2017年12月28日
周波数 76.5MHz
ラジオ関西のベリカードが届きました。
前回と同じデザインのカードです。
今回は、月曜日の朝の放送休止の間の
4時30分から5時にかけて、
音楽を流しながらメンテナス中という
試験電波を流していたので、その報告をしました。
カードにある日付は、報告書の確認日になります。
受信日 2020年3月9日
周波数 558kHz
FM三重のベリカードが届きました。
通称はレディオキューブが局名のなっています。
自宅の周辺からでも聞けるFM局です。
ベリカード自体は前回と同じですが、
三重県鳥羽市へ行ったときに
志摩局を聞いた時のカードが届きました。
局のところに音符のマークがしるされています。
受信日 2020年2月17日
周波数 78.1MHz
2019年9月27日のブログに
「ラグビーと飯田の関係」を書きました。
その中で「天下の糸平」のことに触れました。
写真は飯田市桜町にある記念碑と案内板です。
ここは、飯田警察署の横ですが、田中家の敷地であったところです。
飯田では弘化二年(1845)から安政六年(1859)の14年間
(12歳から26歳)を過ごしたようです。
飯田の田中家は、兄の子である豊八が跡を継いだとあります。
それから、現在の警察署と飯田創造館の敷地は、元は飯田風越高校の
跡地ですが、この敷地は田中家が長野県に寄付した邸宅だったそうです。
もとに戻って
ラグビーを日本に伝えた田中銀之助は、
初代田中平八(天下の糸平)の孫にあたります。
初代平八と飯田の藍屋の田中保兵衛の娘「はる」の子が「とら」で、
この夫が、初代平八の母方の北村菊次郎で養子になる人です。
この長男が「田中銀之助」です。
初代平八は、慶応元年(1865)に田中和助の養女「だい」と結婚し、
6男3女があり、長男の洋之助が二代目田中平八となります。
三代目田中平八には、養子の田中菊次郎がなった。
右側が飯田警察署なので外しました。
飯田市の来迎寺の石仏です。
前回に続いての五輪塔の話です。
来迎寺の石仏の造立などに関することは
飯田市教育委員会発行の「飯田市の石造文化財」を
参考にして記載しています。
その中に赤垣源蔵の父母の五輪塔があると記載されています。
これがそうです。
赤垣源蔵は赤穂浪士四十七士の一人です。
以前にこのブログでも触れましたが、
源蔵の生誕の地と言われる場所が飯田市にあります。
飯田藩主の脇坂氏は、
寛文十二年(1672)に龍野藩主として転封しています。
寛文九年(1669)に生まれた源蔵は龍野に行き、
龍野脇坂藩から赤穂浅野藩に移ったと言われています。
歴史としては詳細は不明にようですが。
五輪塔に戻すと、
寛文四年、寛永十七年と刻まれているようで、
寛文九年の生誕年より前の年号が刻まれており、
詳しくはわかりません。
五輪塔の横にあった
天和三年(1683)の名号塔です。